第19話「護衛と巫女姫、契約する」

 ──零視点れいしてん──




「わたくしの心は決まっています」


 当たり前のことのように、杏樹は答えた。


「わたくしは『四尾霊狐しびれいこ』さまと共に、鬼門きもんへと向かいます。邪気じゃきはらい、魔獣まじゅう討伐とうばつして、鬼門の村々に住む民を安心させます。その後に州都へ行き、叔父さまのあやまりを正しましょう」

『そうか』


 九尾の狐の『お方さま』は、安心したようにうなずいた。


『良かったよ。あたしが信じた紫堂しどうの者たちを、嫌わずに済んだ』

「お願いがあります。『火狐かこ』さまたちのお力を借りることはできるでしょうか?」


 杏樹は続ける。

 呼ばれたと思ったのか、杏樹の周りに小さな狐たちが集まってくる。


 2文字の霊獣『火狐かこ』だ。

 子猫より小さな狐で、色は赤。

 もふもふの尻尾が、まるで炎のように揺らめいている。


 杏樹は優しい表情で『火狐』たちを見回しながら、 


「『火狐かこ』さまたちには、わたくしがよく知る衛士の方々と契約していただきたいのです。そうして、鬼門の混乱を治めるために働いていただきます。それはいにしえの約束に沿うことでしょうか」

『問題ない。鬼門周辺を守るならば、構わないよ』

「ありがとうございます」


 巫女服姿の杏樹は『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』の前で平伏へいふくした。

 俺も同じようにする。


 杏樹に迷いはないみたいだ。

 まぁ、彼女ならそう言うと思っていたけど。


 だったら、俺のやることは決まっている。

四尾霊狐しびれいこ』や『火狐かこ』、それと衛士えじの『柏木隊かしわぎたい』と一緒に、鬼門からあふれた魔獣を討伐する。それを杏樹の実績として、皆に示す。

 そうやって杏樹の力を皆に見せつけた上で、鬼門の関へ向かう。

 最後に、鬼門で起こっている異常事態を収束させて、民を安心させればいい。


 そうすれば杏樹の名声は高まる。

 逆に、鬼門の兵力を減らした州候代理の評判は落ちるはずだ。


 それに、鬼門で行われたという謎の儀式のこともある。

『お方さま』の話によると、儀式が行われたのは1、2ヶ月前。杏樹のお父さんが倒れた後だ。ということは、杏樹の父さんは関わっていない。

 だとすれば、人知れずそんな儀式を行えるのは州候代理──副堂親子だけだ。


 そもそも、杏樹を鬼門に追放したのも副堂だ。

 鬼門で魔獣の暴走が起こるように仕向けて、杏樹の評判を落とす……あるいは、杏樹を殺す。そういうことを企んだ可能性は、十分にある。というか、あいつらしかいない。わざわざ鬼門の兵を引き上げたのも、杏樹の味方を減らすためだろう。


 だから、杏樹はその儀式を打ち破って、鬼門を平和にすればいい。

 そうすれば彼女を州候に推す者も増えるだろう。

 それから堂々と、州都に凱旋がいせんすればいいんだ。


 ……ただ、心配なのは、杏樹の身の安全だな。

 俺が杏樹と別行動を取ることもあるだろうし。その間、絶対に杏樹を守れるようにしておきたい。

 4本尻尾の霊獣『四尾霊狐しびれいこ』は杏樹と契約するわけじゃないからな。

『四尾霊狐』は、あくまでも協力者で、杏樹を守る義務はないんだ。


 だから──


「杏樹さま」


 俺はふと、杏樹に声をかけた。


「俺から『お方さま』に質問していいかどうか、たずねていただけませんか?」

『構わぬよ』


 杏樹より先に、『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』から許可が出た。

 九尾の狐は興味深そうに、俺をじっと見つめている。

 じゃあいいか。


「さきほどおっしゃいましたね。『四尾霊狐』と契約するには、杏樹さまの霊力が足りない、と」

『ああ、そうだね』

「俺がその足りない霊力をおぎなえば、杏樹さまは『四尾霊狐』と契約できますか?」

『……は?』

「零さま!?」

「俺の霊力は人より多いらしいので、それで杏樹さまを助けられないかな、と」


 俺の霊力は、ちょっと特殊なかたちをしている。

 具体的にはゼリーみたいに固めて、棒手裏剣にくくりつけて飛ばしたりもできる。

 杏樹に言わせると、それは密度が濃いからできることらしい。


 密度が濃い──つまり、空間辺りの霊力の濃度が高い、ということだ。

 つまり──


「自分ではよくわからないですが、俺は他人より霊力の濃度が高いようなのです。それで杏樹さまの霊力を補うことで、お方さまと契約できたりしませんか?」

「れ、零さま、どうしてそこまで……」

私利私欲しりしよくのためです」

「私利私欲の?」

「俺は、杏樹さまに幸せでいて欲しいんです」

「……れ、零さま!?」

「杏樹さまは危なっかしいお方です。お父上から『隠された霊域』のことをうかがっていたとはいえ、こんな山奥まで護衛ひとりで来てしまうんですからね。そこが杏樹さまのいいところでもありますけど、危なっかしい人なのは間違いありません」

「あ、あの……零さま。もしかして、けなしていらっしゃるので……」

「でも、そういう勇気のある方だからこそ、州候にふさわしいのだと思います。こんな巫女姫は他にいらっしゃいません。だからこそ、俺は杏樹さまを唯一の主君だと定めたのです」

「あれ? やっぱり、ほめて下さっているのですか……?」

「だけど、杏樹さまのことですから、再び紫州に危機が訪れれば、先陣を切って立ち向かって行くでしょう。その時、俺が隣にいるとは限りません。いえ、できるだけ隣にいようとは思いますけど。杏樹さまのために力を尽くすことは、決まっていますけど」

「…………零さま」

「とにかく、杏樹さまの側には、強い霊獣がいて欲しいんです。そうすれば俺も安心して、杏樹さまの敵を倒しに行けます。俺は老後に恩給おんきゅうをいただく予定です。それまでは、できるだけストレス……いえ、精神的負担がないようにしておきたいんです。杏樹さまが大丈夫だというふうに、安心したいんですね」

「…………」

「だから、お方さまと直接契約して、杏樹さまが力を得ることになれば、俺にも利益があるのです。あと『四尾霊狐しびれいこ』さまに力を振るっていただければ、俺は後方に回れますし。頭脳労働をすることもできますから」


 そう言って、俺は言葉を切った。

九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』は……答えない。

 杏樹は座り込んでる。まわりにいる『火狐』たちを抱きしめて、顔を隠してるみたいに見える。隙間から覗く耳が、真っ赤になってるけど。


『──話はわかったよ。変な霊力持ち……零よ』


 しばらくして、『九尾紫炎陽狐』が口を開いた。


『君が霊力を差し出すことで、杏樹と「四尾霊狐しびれいこ」を契約させる。そうして「四尾霊狐」は杏樹の契約霊獣となり、常に彼女を守る。君が望むのは、そういうことかい?』

「おっしゃる通りです」

『……それは、どうなのだろうね』

「複数の者の霊力を合わせて契約を行うのは、可能でしょう」


 気づくと、杏樹が顔を上げて、こっちを見ていた。

 まだ顔が赤い。

『火狐』をぬいぐるみのように抱きながら、杏樹は、


「『霊鳥継承れいちょうけいしょう』のとき、神官が沙緒里さおりさまを助ける儀式を行っていました。あれは、神官が沙緒里さまに霊力を貸し与えていたようなものです」

「じゃあ、可能なんですね?」

『……3文字の霊鳥と、将来「九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ」になるうちの子を、一緒にされては困る』


 九尾の狐は威嚇いかくするように歯をむき出して、


『3文字の霊鳥程度ならば、共に祝詞のりとをあげれば共同契約もできよう。だが、うちの子と共同契約するならば、より高度な儀式が必要となる』


 ──たとえば、おたがいの霊力をひとつにして。

 ──たとえば、おたがいの鼓動をひとつにして。

 ──たとえば、おたがいの体温をひとつにして。


 そんな、おたがいを擬似的ぎじてきに、ひとつの存在とする儀式が必要だと、『九尾紫炎陽狐』は言った。


『共同契約に成功したとしても、問題はある』

「と、おっしゃいますと」

『それはね、杏樹。「四尾霊狐」を通して、君とその少年が、常に繋がるようになるということだよ』


 赤い目を爛々らんらんと輝かせて、『九尾紫炎陽狐』は告げる。


『契約を解除するまで、君とれいは、常に繋がり続ける。考えてごらん。仮にその少年の霊力が、君より強かった場合、どうなるのかを』


 まるで、覚悟を試しているかのようだった。

 九尾の狐は顔を近づけて、杏樹の瞳をのぞきこむ。


『仮に少年の霊力の方が強い場合、「四尾霊狐」を支配する権利を、彼が得ることになる。「四尾霊狐」の力があれば、少年が君を屈服くっぷくさせることもできるだろう。そんなことになったらどうするんだい?』

「お話はわかりました」


 杏樹は草の上に座ったまま、『九尾紫炎陽狐』に向かって、一礼した。


「貴重なお話をいただき、ありがとうございました」

『そうか。わかってくれたかい』

「はい。わたくしと零さまの共同契約を進めてください」

『話聞いてた?』

「聞いておりました。ひとつ残らず。その上で、お願いいたします」

『…………おどろいたよ』


『九尾紫炎陽狐』は、長いため息をついた。


『君は、どうしてそこまで……』

「5年前、わたくしと父は、敵の襲撃しゅうげきを受けました」


 静かな口調で、杏樹は語り始める。


「わたくしたちは無事でしたが、零さまのお父上は、わたくしたちを守るために命を落としました。その時に理解したのです。州候の命令ひとつで、人の恨みを買い、選択ひとつで人が死ぬのだと」


 ──あの時、杏樹は、そんなことを考えていたのか。


 5年前のあのとき、俺は杏樹を背中にかばって、ひたすら太刀を振っていた。

 怪我をした父さんのことを、心の片隅において──それでも杏樹を守ることだけを考えていた。

 後ろにいる杏樹が、どんな思いでいるかなんて、気にもしていなかった。


 でも、あの事件が……杏樹が覚悟を決めるきっかけになってたのか。


「わたくしは追放された身です。今さら、州候の娘として語るのは滑稽こっけいかもしれません。ですが、州候の娘としての責任を果たしたいのです。わたくしの選択で人が救えるというのであれば、なんでもします。零さまと霊的に繋がるくらい、なんでもありません。そ、それに……ですね」


 杏樹は急に、顔を伏せて、


「零さまと繋がるのは、嫌ではありません。霊的に繋がるのも、共にそういう儀式を行うのも……自然なことのように思えます。ああ、そうなるんだなぁ……と」

『──わかったよ』


『九尾紫炎陽狐』は言った。


 しばらく、間があった。

 九尾の狐は前脚で器用に頭を掻いて、それから、あきらめたように、


『ああもう、しょうがないなぁ! いいよ。杏樹と変な魔力持ち──零との共同契約を認めようじゃないか』

「ありがとうございます」

「感謝します。お方さま」

『構わない。覚悟は聞かせてもらった。あたしの子を預けるのに、不足はない』


 残留思念の『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』が身体を起こした。

 赤い目を光らせて、俺と杏樹を見つめる。

 名の元となった巨大な九本の尻尾が、炎のように揺れる。


 圧力。存在感。

 目の前にいる霊獣が、神に近い存在だって、思い知らされる。


九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこの名においてしゅくす。人間、紫堂杏樹しどうあんじゅ。その他、月潟零つきがたれいよ。あたしの子「四尾妖狐しびれいこ」との共同契約を認めよう。我が子の力と、その眷属けんぞくの命運。さらには我が記憶と知識まで、持てるだけのものを持って行くがいい!!』


 そうして──霊獣『九尾紫炎陽狐』は、高らかに声をあげたのだった。




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