第16話「護衛、巫女姫にご飯をあげる」
──
あとは漬け物がある。
この世界の昼食としては十分だ。
だけど、前世の記憶がある俺には物足りない。
前世の世界には、色々な料理があったからな。
和洋中、たくさんのものが
それを再現しようとして、小さい頃から研究してた。
村の
でも、おかげでいいものが作れた。
村の鍛冶職人さんは、代々『
そして、鍛冶職人さんは、俺のリクエスト通りの調理器具を作ってくれた。
それは今も持ち歩いてる。俺の宝物だ。
せっかく時間があるんだ。
今回は塩おむすびと漬物を使って、なにか作ってみよう。
「他に使えるのは、村人から買った卵と、ごま油くらいか」
「零さまは不思議な料理をされるのですね」
杏樹の声がした。
水音もする。川の水が
「趣味のようなものです」
杏樹がどんな姿をしているかわかるから、俺は振り返らずに答えた。
「杏樹の口に合うかどうかはわかりません」
「零さまが作ってくださるものなら、ぜひ、いただきたいです」
「ありがとうございます。ところで」
「はい」
「声が近くなっています。もう少し、離れた方が」
『
戦国時代までは
俺もその血を受け継いでる。だから、気配には敏感だ。
そうでなければ敵の拠点に忍び寄ることも、敵の不意を突くこともできない。
もちろん、今の『
だから、気配察知が苦手な者もいる。
でも、俺は原初の『虚炉流』を
しかも健康だから、聴力も
具体的に言うと──背中を向けていても、音や気配で相手の姿をイメージできる。
たとえば……
ちゃぶん。
杏樹が両手で水をすくって、自分の肩にかけた音だ。
山頂から流れる水が、
杏樹の肌に塗った土はとっくに落ちて、水は彼女の身体を清めて行く。
杏樹は
つまり、杏樹は今、川の水で身を清めている。
霊域に入る前の準備だ。
──その様子には気づかないふりをして、俺は料理の用意を続ける。
「不思議な調理器具ですね……」
また、杏樹の声がした。
「底の浅い鍋……でしょうか。取っ手がついているのですね」
「『
「はい。零さま」
「近いです。肩越しに見られていると、落ち着きません」
「ご、ごめんなさい! わたくしったら……また」
とっさに杏樹が離れる気配。
「す、すみません。いつもは身を清めるとき、そばに
「それに、料理に火を使いますから。危ないですから」
「は、はい」
「杏樹さまはもう少し離れて、
「承知いたしました」
また、水音がした。
距離は、背後数メートルくらい。やっぱり近い。
杏樹が俺を信頼してくれてるのはわかる。この旅の間は家族のように……って言ったからだろう。だから
もちろん、距離は取っている。
ただ、俺の考えている距離と、杏樹が考えている距離が違いすぎた。
杏樹は州候の娘──貴族だから、肌をさらすのは気にしないのかもしれないけど。
そんなわけで、俺は杏樹に背中を向けて、昼食の支度をしているわけだ。
「まずは火炎の
俺は石で簡単なかまどを作り、そこに杏樹からもらった
霊力を込めると、炎が発生する。
火炎の呪符は煙が出ないのと、霊力で火力を調整できるのがいい。
身近に巫女姫がいる人は、料理に活用すべきだろう。
次に、小型の
ほどよく熱が通ったら、卵を投入。即座にほぐした塩お握りを入れる。
そしたら呪符の炎に霊力を込めて──強火に。
じゅわーっ!
香ばしい匂いがしてきた。
前世を思い出す。
いいな。この感じ。なんだか楽しくなってきた。
この世界は和食がメインだ。
洋食や中華料理も入ってきてはいるんだろうけど、紫州までは来ていない。
だから、食べたくなったら自分で作るしかないんだ。
ただし、かなりハードルは高い。
まず材料集めが難しい。
そのうち、冷却系の
そんなことを考えながら、俺は木べらで卵とご飯をかき混ぜる。
卵が固まりきる前に、素早く。
ご飯粒のひとつひとつに、卵が絡まるように。
「いいにおいがします。零さまは、なにを作ってらっしゃるのですか?」
「チャーハ……いえ焼き飯というものです。杏樹さま」
「焼き飯ですか。初めて聞く言葉です」
杏樹の問いに答えながら、俺は片手鍋を揺らして、
炎が米粒に触れて、じゅわ、と音を立てる。
うん。やっぱりこのくらいの火力があった方がいいな。
前世の俺は料理が
きっかけは、俺の身体が弱かったこと。
そのせいで、食べられるものが少なかったことだ。
だから、健康管理ができるように料理を学んだ。
就職してからも、昼はきっちりと自作の弁当を食べてた。夜は自炊……まぁ、仕事で遅くなって、日付が変わるぎりぎりに食べることもあったけど。
本当はチャーハンとかラーメンとか、こってりしたものを食べたかった。
でも、俺の消化能力は弱かった。
食べると、胃腸がずしーん、と、重い感じになってた。食べてる間は多幸感に満たされるんだけど、後で動けなくなる。仕方ないから、食べるのを我慢してた。
だから前世では好きな料理があっても、調理方法を覚えることしかできなかった。
そうして、いつか健康になったら……と、夢見ていたんだ。
今世の俺は健康だから、好きなものがなんでも食べられる。
だけど、この世界に存在するメニューが少ない。
「だったら自分で作ればいいじゃない」ってことで、色々と準備してきたんだ。
いつか
俺が認めた客しか入れねぇよ……という店をやってみたい。
そのためにこの世界での食材を開拓中だ。
もっとも、まだ、たいしたものは作れないけど。
「最後に、刻んだ漬物を入れて──火を通して、一気に混ぜて、と」
「とてもいいにおいがします。卵とごはんの交ざり具合が、とてもきれい……」
「あの、杏樹さま」
「はい。いただきます」
「すぐに盛り付けますので、もう少しお待ちください」
「…………はい」
後ろで杏樹が、石の上に座る気配。
「服は着てらっしゃいますか」と訊ねると、「はい」という答えが返って来る。
振り返ると、杏樹はさっきの農民姿だった。
違いは、帯がほどけかけてるのと、髪が濡れてることくらいだ。
「食後にまた、身を清めます。今はこれで大丈夫です」
そう言って杏樹は、真面目な顔でうなずいた。
杏樹がそう言うなら、まぁ、いいんだけど。
「はい。できました」
できあがった焼き飯を木皿に盛り付けて、完成。
なにも入っていない塩おむすびをほぐして、卵をからめて、刻んだ漬物──たくあんを混ぜて炒めただけのシンプルなものだ。卵だけの黄金チャーハンでもよかったけど、せっかく
「これは……初めて見る料理です。なんてきれいで……おいしそうな……」
「どうぞ、食べてください」
俺は杏樹に皿と木製の
「ありがとうございます。それで、零さま」
「なんでしょうか。杏樹さま」
「どうしてお互い、背中合わせで食事をすることになったのでしょうか」
「この料理は、そういう作法なんです」
「まぁ、そうなのですね」
「そう思っておいてください」
嘘だけど。
本当は杏樹の姿が気になるからだ。
本人は食事を済ませたあと、また、川で身を清めるつもりでいる。
だから着物は適当に身に着けている。目のやり場に困る。
(俺を家族みたいに思ってるんだな……杏樹は)
ほっとけない人だった。
杏樹の立場が落ち着くまでは、俺がちゃんと見ていて、側で支えた方がいいような気がする。
杏樹は人としての
父親から聞いた情報を信じて、こんなところまでやってくる勇気もある。
サポートする者がいれば、立派な
それまでは、俺が杏樹を守ろう。
杏樹にはこのまま、人を信じるままでいて欲しい。
この人が裏切られたり、傷ついたりするところを見たくない。そう思うんだ。
まぁ、これは俺の勝手な意見なんだけど。
「お、おいしいです!」
俺の背後で、杏樹が感動したような声をあげた。
「ご飯粒がパラパラしていて……卵の
「気に入ってくださったのなら、よかったです」
「すごいですね……零さまは」
ことん。
不意に、背中に杏樹の体重がかかってくる。
「強い上に料理までお上手なんて。それに、わたくしのわがままに付き合ってくださるような、優しさまでもお持ちです。わたくしは……零さまに出会えたことを、本当に幸運に思っています」
「ありがとうございます。杏樹さま」
「零さまはどうか、そのままでいてください」
湿った髪が、俺の首筋に触れる。
「零さまのおそばにいると、安心します。零さまにはきっと、人を安心させるお力があるのですね。強さもそうですけれど……この人がいれば大丈夫、そんな思いを抱かせてくれる、そんなお力が」
「……杏樹さま」
「わたくしは零さまの期待にお応えするため、できる限りのことをいたします。州都を取り戻すのが無理でも……鬼門の村を拠点として力をつけて、ひとつの勢力として零さまを養えるようにがんばります。どうか、これからも一緒にいてくださいませ」
「大丈夫ですよ。杏樹さま」
俺は焼き飯を食べながら、答える。
ここは山の頂上付近。頭上には空があるだけ。
俺と杏樹は地面に座って、手抜き料理の
のんきな時間のようだけど、杏樹は故郷を追放されて、鬼門へ護送される途中。
俺も今のところ、杏樹の側しか居場所がない。
しかも俺は
そして、俺は杏樹を最高の主君だと認めている。
だから俺は杏樹を全力でサポートする。それだけだ。
「俺の主君は杏樹さまだけです。俺の力が及ぶ限り、お助けします」
「ありがとうございます」
それから俺たちは、ぼんやりと空を眺めながら、食事を続けた。
耳を澄ますと、杏樹が「ここはいいところですね」と、つぶやくのが聞こえた。
リラックスした彼女は、すっかり、俺の背中に身体を預けている。
俺たちはすぐに山を降りて、魔獣がうろつく場所に戻らなければいけない。
だから、これはほんの少しの、休憩時間だ。
それは杏樹もわかっている。
だから彼女は食事を終えると、「えい」と勢いをつけて立ち上がった。
俺の方を向いて、頭を下げて、
「焼き飯、とても
「おそまつさまでした」
「落ち着いたら……また、作ってくださいますか?」
「杏樹さまが望むなら、いつでも」
俺はうなずいた。
「俺は将来、頭脳労働の他にも、恩給をもらいながら、小さな料理屋をやるつもりです。そうなったら、食べに来てください」
「はい。うかがいます」
杏樹はまた、笑った。
「でも……そのときは、わたくしもお店のお手伝いをしたいです」
「いいですよ。そうなったら、俺が料理をお教えします」
「はい。楽しみにしています」
そう言って杏樹は立ち上がる。
彼女が川で身を清めるのがわかったから、俺は背中を向けたまま、自分の分の焼き飯を食べ始めた。
うん。できは悪くない。
俺の味覚だと
でも、杏樹は、俺の料理をきれいに食べきってくれたんだよな。
俺の料理を完食してくれたのは、父さんと幼なじみのあいつだけ。
杏樹が3人目だ。
「……
ただし十分な火力で水気を飛ばすこと……っと。
覚えておこう。
将来のために、この世界向けのレシピを作っておきたい。
俺がそんなことを考えていると──
『きゅうん』
「……ん?」
川向こうから、小さな狐が、俺の方を見ていた。
色は銀色。目は赤色。
そして、4本の尻尾を持つ、
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