第16話「護衛、巫女姫にご飯をあげる」

 ──零視点れいしてん──




 小間使こまづかいの桔梗ききょうは俺と杏樹あんじゅのために、塩おむすびを作ってくれた。

 あとは漬け物がある。水筒すいとうにはお茶が入っている。


 この世界の昼食としては十分だ。

 だけど、前世の記憶がある俺には物足りない。


 前世の世界には、色々な料理があったからな。

 和洋中、たくさんのものがそろってた。今でも夢に見るくらいだ。

 それを再現しようとして、小さい頃から研究してた。

 村の鍛冶職人かじしょくにんにお願いして、調理器具も作ってもらった。というか、仕事の報酬ほうしゅうをほとんどそれに注ぎ込んでた。


 でも、おかげでいいものが作れた。

 村の鍛冶職人さんは、代々『虚炉流うつろりゅう』の武器を作ったり、修理してたりしてたからな。いい腕をしてる。俺の棒手裏剣も、村の鍛冶職人さんが作ってくれたものだ。


 そして、鍛冶職人さんは、俺のリクエスト通りの調理器具を作ってくれた。

 それは今も持ち歩いてる。俺の宝物だ。


 せっかく時間があるんだ。

 今回は塩おむすびと漬物を使って、なにか作ってみよう。


「他に使えるのは、村人から買った卵と、ごま油くらいか」

「零さまは不思議な料理をされるのですね」


 杏樹の声がした。

 水音もする。川の水がねる音だ。


「趣味のようなものです」


 杏樹がどんな姿をしているかわかるから、俺は振り返らずに答えた。


「杏樹の口に合うかどうかはわかりません」

「零さまが作ってくださるものなら、ぜひ、いただきたいです」

「ありがとうございます。ところで」

「はい」

「声が近くなっています。もう少し、離れた方が」


虚炉流うつろりゅう』は元々、忍者の家系だ。

 戦国時代までは間者スパイをやっていた。

 俺もその血を受け継いでる。だから、気配には敏感だ。


 そうでなければ敵の拠点に忍び寄ることも、敵の不意を突くこともできない。

 もちろん、今の『虚炉流うつろりゅう』は忍びの技を忘れてしまった。

 だから、気配察知が苦手な者もいる。


 でも、俺は原初の『虚炉流』を会得えとくしている。

 しかも健康だから、聴力も皮膚感覚ひふかんかくすぐれている。


 具体的に言うと──背中を向けていても、音や気配で相手の姿をイメージできる。

 たとえば……



 ちゃぶん。



 杏樹が両手で水をすくって、自分の肩にかけた音だ。


 山頂から流れる水が、襦袢はだぎを濡らしながら身体を伝っていく。

 杏樹の肌に塗った土はとっくに落ちて、水は彼女の身体を清めて行く。

 杏樹は襦袢はだぎすそを持ち上げて、しぼっている。


 つまり、杏樹は今、川の水で身を清めている。

 霊域に入る前の準備だ。

 襦袢はだぎだけになって、水浴びをしているんだけど……。


 ──その様子には気づかないふりをして、俺は料理の用意を続ける。


「不思議な調理器具ですね……」


 また、杏樹の声がした。


「底の浅い鍋……でしょうか。取っ手がついているのですね」

「『虚炉村うつろむら』の鍛冶職人かじしょくにんに作ってもらった片手鍋です。持ちやすいように、取っ手は取り外せるようになっています。それより、杏樹さま」

「はい。零さま」

「近いです。肩越しに見られていると、落ち着きません」

「ご、ごめんなさい! わたくしったら……また」


 とっさに杏樹が離れる気配。


「す、すみません。いつもは身を清めるとき、そばに桔梗ききょうがいてくれるので、それと似たような気分になってしまって……つい」

「それに、料理に火を使いますから。危ないですから」

「は、はい」

「杏樹さまはもう少し離れて、みそぎを続けてください」

「承知いたしました」


 また、水音がした。

 距離は、背後数メートルくらい。やっぱり近い。

 杏樹が俺を信頼してくれてるのはわかる。この旅の間は家族のように……って言ったからだろう。だから襦袢はだぎひとつで水浴びをしてるんだろう。


 もちろん、距離は取っている。

 ただ、俺の考えている距離と、杏樹が考えている距離が違いすぎた。

 杏樹は州候の娘──貴族だから、肌をさらすのは気にしないのかもしれないけど。


 そんなわけで、俺は杏樹に背中を向けて、昼食の支度をしているわけだ。


「まずは火炎の呪符じゅふで火をおこして、っと」


 俺は石で簡単なかまどを作り、そこに杏樹からもらった呪符じゅふを置いた。

 霊力を込めると、炎が発生する。

 火炎の呪符は煙が出ないのと、霊力で火力を調整できるのがいい。

 身近に巫女姫がいる人は、料理に活用すべきだろう。


 次に、小型の片手鍋かたてなべ──元の世界で言うフライパンにごま油を入れる。

 ほどよく熱が通ったら、卵を投入。即座にほぐした塩お握りを入れる。

 そしたら呪符の炎に霊力を込めて──強火に。



 じゅわーっ!



 香ばしい匂いがしてきた。

 前世を思い出す。

 いいな。この感じ。なんだか楽しくなってきた。


 この世界は和食がメインだ。

 洋食や中華料理も入ってきてはいるんだろうけど、紫州までは来ていない。

 だから、食べたくなったら自分で作るしかないんだ。


 ただし、かなりハードルは高い。

 まず材料集めが難しい。麺類めんるいは自作するしかないし、コショウやトウガラシも高価だ。なにより、生の食材が日持ちしない。冷蔵庫がないからね。

 そのうち、冷却系の呪符じゅふについて調べてみよう。


 そんなことを考えながら、俺は木べらで卵とご飯をかき混ぜる。

 卵が固まりきる前に、素早く。

 ご飯粒のひとつひとつに、卵が絡まるように。


「いいにおいがします。零さまは、なにを作ってらっしゃるのですか?」

「チャーハ……いえ焼き飯というものです。杏樹さま」

「焼き飯ですか。初めて聞く言葉です」


 杏樹の問いに答えながら、俺は片手鍋を揺らして、焼き飯チャーハンをひっくり返す。

 炎が米粒に触れて、じゅわ、と音を立てる。

 うん。やっぱりこのくらいの火力があった方がいいな。


 前世の俺は料理が趣味しゅみだった。

 きっかけは、俺の身体が弱かったこと。

 そのせいで、食べられるものが少なかったことだ。


 だから、健康管理ができるように料理を学んだ。

 就職してからも、昼はきっちりと自作の弁当を食べてた。夜は自炊……まぁ、仕事で遅くなって、日付が変わるぎりぎりに食べることもあったけど。


 本当はチャーハンとかラーメンとか、こってりしたものを食べたかった。

 でも、俺の消化能力は弱かった。

 食べると、胃腸がずしーん、と、重い感じになってた。食べてる間は多幸感に満たされるんだけど、後で動けなくなる。仕方ないから、食べるのを我慢してた。


 だから前世では好きな料理があっても、調理方法を覚えることしかできなかった。

 そうして、いつか健康になったら……と、夢見ていたんだ。


 今世の俺は健康だから、好きなものがなんでも食べられる。

 だけど、この世界に存在するメニューが少ない。

「だったら自分で作ればいいじゃない」ってことで、色々と準備してきたんだ。


 いつか恩給生活おんきゅうせいかつをするようになったら、趣味でやってるような飲食店を作るのが、俺の夢だ。

 俺が認めた客しか入れねぇよ……という店をやってみたい。

 そのためにこの世界での食材を開拓中だ。


 もっとも、まだ、たいしたものは作れないけど。


「最後に、刻んだ漬物を入れて──火を通して、一気に混ぜて、と」

「とてもいいにおいがします。卵とごはんの交ざり具合が、とてもきれい……」

「あの、杏樹さま」

「はい。いただきます」

「すぐに盛り付けますので、もう少しお待ちください」

「…………はい」


 後ろで杏樹が、石の上に座る気配。

「服は着てらっしゃいますか」と訊ねると、「はい」という答えが返って来る。


 振り返ると、杏樹はさっきの農民姿だった。

 違いは、帯がほどけかけてるのと、髪が濡れてることくらいだ。


「食後にまた、身を清めます。今はこれで大丈夫です」


 そう言って杏樹は、真面目な顔でうなずいた。

 杏樹がそう言うなら、まぁ、いいんだけど。


「はい。できました」


 できあがった焼き飯を木皿に盛り付けて、完成。


 なにも入っていない塩おむすびをほぐして、卵をからめて、刻んだ漬物──たくあんを混ぜて炒めただけのシンプルなものだ。卵だけの黄金チャーハンでもよかったけど、せっかく桔梗ききょうさんが漬物をつけてくれたから、使ってみた。


「これは……初めて見る料理です。なんてきれいで……おいしそうな……」

「どうぞ、食べてください」


 俺は杏樹に皿と木製のさじを手渡した。


「ありがとうございます。それで、零さま」

「なんでしょうか。杏樹さま」

「どうしてお互い、背中合わせで食事をすることになったのでしょうか」

「この料理は、そういう作法なんです」

「まぁ、そうなのですね」

「そう思っておいてください」


 嘘だけど。

 本当は杏樹の姿が気になるからだ。


 本人は食事を済ませたあと、また、川で身を清めるつもりでいる。

 だから着物は適当に身に着けている。目のやり場に困る。


(俺を家族みたいに思ってるんだな……杏樹は)


 ほっとけない人だった。

 杏樹の立場が落ち着くまでは、俺がちゃんと見ていて、側で支えた方がいいような気がする。


 杏樹は人としての器量きりょうは大きいし、思い切りもいい。

 父親から聞いた情報を信じて、こんなところまでやってくる勇気もある。


 サポートする者がいれば、立派な州候しゅうこうになれるだろう。

 それまでは、俺が杏樹を守ろう。


 杏樹にはこのまま、人を信じるままでいて欲しい。

 この人が裏切られたり、傷ついたりするところを見たくない。そう思うんだ。


 まぁ、これは俺の勝手な意見なんだけど。


「お、おいしいです!」


 俺の背後で、杏樹が感動したような声をあげた。


「ご飯粒がパラパラしていて……卵の滋養じようが、じんわりとしみこんでまいります。漬物に火を通して水分を飛ばす料理があるなんて、思いもしませんでした」

「気に入ってくださったのなら、よかったです」

「すごいですね……零さまは」


 ことん。


 不意に、背中に杏樹の体重がかかってくる。


「強い上に料理までお上手なんて。それに、わたくしのわがままに付き合ってくださるような、優しさまでもお持ちです。わたくしは……零さまに出会えたことを、本当に幸運に思っています」

「ありがとうございます。杏樹さま」

「零さまはどうか、そのままでいてください」


 湿った髪が、俺の首筋に触れる。


「零さまのおそばにいると、安心します。零さまにはきっと、人を安心させるお力があるのですね。強さもそうですけれど……この人がいれば大丈夫、そんな思いを抱かせてくれる、そんなお力が」

「……杏樹さま」

「わたくしは零さまの期待にお応えするため、できる限りのことをいたします。州都を取り戻すのが無理でも……鬼門の村を拠点として力をつけて、ひとつの勢力として零さまを養えるようにがんばります。どうか、これからも一緒にいてくださいませ」

「大丈夫ですよ。杏樹さま」


 俺は焼き飯を食べながら、答える。


 ここは山の頂上付近。頭上には空があるだけ。

 俺と杏樹は地面に座って、手抜き料理の焼き飯チャーハンを食べている。


 のんきな時間のようだけど、杏樹は故郷を追放されて、鬼門へ護送される途中。

 俺も今のところ、杏樹の側しか居場所がない。

 しかも俺は邪道じゃどうの術を使う転生者で、将来の夢は恩給暮らしをすること。そんな俺を杏樹は受け入れてくれた。


 そして、俺は杏樹を最高の主君だと認めている。

 だから俺は杏樹を全力でサポートする。それだけだ。


「俺の主君は杏樹さまだけです。俺の力が及ぶ限り、お助けします」

「ありがとうございます」


 それから俺たちは、ぼんやりと空を眺めながら、食事を続けた。

 耳を澄ますと、杏樹が「ここはいいところですね」と、つぶやくのが聞こえた。

 リラックスした彼女は、すっかり、俺の背中に身体を預けている。


 俺たちはすぐに山を降りて、魔獣がうろつく場所に戻らなければいけない。

 だから、これはほんの少しの、休憩時間だ。


 それは杏樹もわかっている。

 だから彼女は食事を終えると、「えい」と勢いをつけて立ち上がった。

 俺の方を向いて、頭を下げて、


「焼き飯、とても美味おいしかったです。ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

「落ち着いたら……また、作ってくださいますか?」

「杏樹さまが望むなら、いつでも」


 俺はうなずいた。 


「俺は将来、頭脳労働の他にも、恩給をもらいながら、小さな料理屋をやるつもりです。そうなったら、食べに来てください」

「はい。うかがいます」


 杏樹はまた、笑った。


「でも……そのときは、わたくしもお店のお手伝いをしたいです」

「いいですよ。そうなったら、俺が料理をお教えします」

「はい。楽しみにしています」


 そう言って杏樹は立ち上がる。

 彼女が川で身を清めるのがわかったから、俺は背中を向けたまま、自分の分の焼き飯を食べ始めた。


 うん。できは悪くない。

 俺の味覚だと香辛料こうしんりょうが足りないけれど、この世界の人には、このくらいの味付けがいいのかもしれない。基本、みんな和食だし。


 でも、杏樹は、俺の料理をきれいに食べきってくれたんだよな。

 俺の料理を完食してくれたのは、父さんと幼なじみのあいつだけ。

 杏樹が3人目だ。


「……焼き飯チャーハン漬物つけものを入れるのは『ありありのあり』と」


 ただし十分な火力で水気を飛ばすこと……っと。

 覚えておこう。

 将来のために、この世界向けのレシピを作っておきたい。


 俺がそんなことを考えていると──



『きゅうん』

「……ん?」



 川向こうから、小さな狐が、俺の方を見ていた。

 色は銀色。目は赤色。

 そして、4本の尻尾を持つ、子狐こぎつねだった。



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