第15話「州候代理の配下、動き出す」
──その頃、ふもとの村では──
「杏樹さまは不安で心を痛めておられる。やはり護衛として、鬼門まで同行してもらえないだろうか」
「お断りする。副堂さまより
ここは村の中央にある集会場。
兵士たちが詰め所としている場所だった。
そこで
必死に、州都に戻ろうとする兵士たちを思いとどまらせようとしているが、それは見せかけだ。
杏樹も零も、杖也も、兵士長が州候代理の部下であることはわかっている。
引き留められるとは思っていない。
杖也老の真の目的は、杏樹の不在を隠すこと。
彼女が戻るまでの間、兵士たちの注意を引きつけることだった。
(それと、鬼門の村についての情報も、集めなければならぬからな)
そうまでして兵士を引き上げる理由を、兵士長は知っているはずだ。
それに、商隊を襲った【クロヨウカミ】のこともある。
魔獣が街道に下りてくることも、武装した集団を攻撃することも、めったにない。
その魔獣が荒ぶり、強力な邪気を備えていたとなれば、完全に異常事態だ。
できるだけ情報を集める必要がある。
ならば州候代理に近い人間に話を聞くのが一番いい。
それが、杏樹の意見だった。
(お嬢さまはこの旅で成長されたようだ。わしにそのようなことを命じられるとは)
それがこの旅の中で、したたかさと強さを覚えたようだ。
小間使いの
以前の杏樹だったら、彼女自身が語った通り──絶望して、動けなくなっていたかもしれない。
(だが、今のお嬢さまは、できることをすべてやろうとしている。それはおそらく、
零は杏樹に終生、仕えることを誓っている。
杏樹はその忠誠に応えようとしているのだ。
──ならば、自分も力を尽くそう。
そう考えた杖也老は、目の前の兵士長をにらみつける。
「つまり、どうあっても州都に戻るというのだな。兵士長どの」
「そうだ」
「ならば、兵士たちと話をする機会をいただきたい。彼らの中にも、杏樹さまを慕う方がいるはず。ひとりでもふたりでも、同行を希望する者がおるかもしれぬ」
「ご自由に。ですが、州候代理どのの命令に逆らう者はいないと思いますよ」
「それは、立場の弱い者を集めておるからだろうか?」
「──な!?」
兵士長が目を見開く。
痛いところを突いたようだ──そう思いながら、杖也老は続ける。
「以前より杏樹さまは、兵士たちの名簿を見ておられた。兵たちの訓練風景を見学することもあったのだ。自分たちを守ってくれる者たちの顔や名前を知っておきたいと。命をかけてくれる者たちへの、それが礼儀だと……そうおっしゃってな」
杏樹がそう考えるようになったのは、5年前の襲撃事件の後からだ。
あのとき、護衛だった零の父親が、
目の前で杏樹を守った少年──その父の死だ。
それが杏樹にどれほどの衝撃を与えたのか、よくわかる。
だから彼女は兵の訓練場を訪ねるようになった。
名簿を見て、兵の名前や顔、生い立ちなどを覚えるようになったのだ。
──自分のために命を賭ける者たちのことは、知っておかなければいけません。
──それが、州候の娘としての義務です。
杏樹は、そんなことを言っていた。
だから同行している兵士のことも、杏樹は知っているのだ。
「護衛の兵は結婚したばかりの者や、子どもが生まれたばかりの者、家族が病気の者ばかりが選ばれているようだな。
「……ぐ、ぐぬ」
「だが数人ばかり、独身で身軽な者もいる。その者たちと話をさせてもらおう。説得すれば、鬼門までついてきてくれるやもしれぬ」
「お断りする!」
「それはおかしい。貴公は今、兵たちと会っても構わぬと言ったはずだ」
「彼らにも仕事があるのだ!」
「その合間に時間をいただきたいと言っている!」
「配下の兵を危険にさらすわけにはいかぬ!!」
兵士長は
「常の鬼門ならいざ知らず、
「変質だと?」
「……ぐ」
失言に気づいたのだろう。
兵士長は杖也老から視線を逸らした。
「貴公はなにを知っているのだ!?」
「と、とにかく、元巫女姫さまには鬼門の関を超えていただく。戻ることは許されない! 戻った場合は州候の命令への反逆と見なす。強引に追い返すこともあるだろう。そう心得られよ!」
「それが貴公のやり方か!?」
「州候代理の命令。命令なのだ!!」
兵士長は叫んだ。
背後にいる兵士たちが、兵士長をかばうように動き出す。
つかみかかろうとした杖也老の動きが、止まる。
(変質だと? 鬼門の村にはなにか秘密があるのか?)
鬼門に向かう途中の街道に魔獣が現れたこと。鬼門の関を超えることを、兵士長が病的に恐れていること。そうして『変質』という言葉。
そこから導き出せることは──
(魔獣の変化は、意図的に引き起こされたものだとでもいうのだろうか)
鬼門の村については、杖也老も知っている。
魔獣は多いが、他の村とも普通に交易を行っている、田舎の村だ。
だから、杏樹がそこで再起を図るのもよいと思っていた。
(だが、関所の向こうが異常な状態になっているのだとしたら……)
杏樹は、逃げるべきなのかもしれない。
州候の娘という立場をすべてなげうって。
そうしてただの村娘となるならば、州候代理も追うまい。
だが、杏樹は民のことを考えている。
それは州候の子として生まれた者の宿命のようなものだ。
そんな杏樹が、鬼門の異常事態を放置して、逃げることはありえない。
(やはり、独自の兵力を入手するしかないか)
零と杏樹は『失われた霊域』で霊獣を手に入れ、それで
霊獣が手に入るなら、彼らは進んで杏樹に従うだろう。
柏木たちは霊獣と、元巫女姫である杏樹を介して契約することになる。
つまり、杏樹の意思で、衛士と霊獣の契約は解除できる。
仮に衛士たちが霊獣を遣い続けたいのであれば、杏樹に従うしかない。
その結果、杏樹は強力な近衛兵を手に入れることになるのだ。
武力と兵力があれば、杏樹の立場は強くなる。
自由と、選択肢が得られる。
例えば鬼門の村で、力ある代官となることも。
兵士長たちを倒して、鬼門の村へ行くのを拒否することも。
そのまま州都に戻り、兵力を背景に州候代理と対峙することもできるのだ。
(頼む……零どの。お嬢さまを守ってくだされ)
杏樹たちは目的地に着いただろうか。
ふたりは必死に、霊域を目指しているはずだ。
ならば自分はできることをしよう……杖也老は心を決める。
彼の役目は、兵士たちの気を引きつけること。
兵士長と兵士たちが、杏樹の不在に気づかないように、彼らの意識を、ここにとどめておくことだ。
「では、兵士長どの。次のお話だが──」
気を引き締めながら、話を引き延ばしにかかる、杖也老だった。
「ようやく解放してくれたか、
まだ話を続けようとする杖也老を追い返し、兵士長はためいきをついた。
詰め所の広間には畳が敷かれ、多くの兵士たちが座り込んでいる。
暗い顔をしているのは、今後に不安を感じているからだろう。
彼らは兵士長ほど、州候代理と親しくはない。
序列2位の州候……
すべてを語るのは、杏樹が鬼門の関所を潜ったあとだ。
その後、州都に戻れば、兵士たちは完全に紫州の体制が変わったことを知るだろう。その時、兵士たちはどんな顔をするだろうか。
自分だけが知る知識に兵士長はほくそ笑む。
この優越感はたまらない。
この場では彼だけがすべてを知っているのだ。
州候代理──副堂勇作の後ろに
鬼門の近くで起こっている、異常事態の原因も。
「だらだらするな! 整列!!」
「「「は、はい!」」」
兵士長の声に、兵士たちが立ち上がる。
その表情を見て、彼らが自分を恐れていることを再確認。
満足しながら兵士長は。
「村の周囲を巡回していた兵がいたな。報告せよ。
「…………」
「報告しろと言っている!」
「ございません!」
主君だった人を呼び捨てにされたことが不満だったのだろう。
問われた兵士は少し遅れてから、答えた。
「杏樹さまの宿舎に出入りしたのは、数名の村民だけです。杏樹さまが外に出られたご様子はありません」
「深夜から明け方まで、ずっとか?」
「そこまでは……ただ、昨夜は月のない夜でした。闇夜の中、杏樹さまが宿を出るのは無理だと思います」
「確かにな。あのお嬢さまには無理だろう」
兵士長は喉を鳴らして、笑った。
「だが、
「杖也さまのお話では、
「それで納得したのか?」
「い、一応、村人の案内で山道に入りました。村人は、人が通ったような跡を見つけました。ただ、それも途切れており、どうにも……」
「奴は逃げたのかもしれぬな」
「……そうでしょうか」
「面白いな。月潟零は、州候──
兵士長は、良いことを思いついたかのように、ぽん、と手を叩いた。
「紫堂杏樹は『民のために』と言っていたな。ならばあの者と、州候代理の配下である我々と、どちらが民のためになる存在かを、皆に知らしめるとしよう」
「兵士長どの?」
「夕刻より、街道の魔獣討伐を行う」
兵士長は宣言した。
「街道周辺の魔獣を討伐し、その成果を民に示すとしよう。ああ、そのことは紫堂杏樹にも伝えるがいい。元巫女姫さまも、ぜひご覧くださいとな」
日暮れ後は、魔獣の動きが活発になる。
街道に魔獣が現れることもあるだろう。討伐にはちょうどいい。
魔獣をすべて討伐する必要はない。街道に現れたものを2、3体倒せばいい。
紫堂杏樹より州候代理を支持した方が利益になると、民に示せればそれでいい。
州候代理も、兵士長を評価してくれるはずだ。
「すぐに民に知らせるのだ。州候代理、副堂勇作さまの兵たち、ここにあり、とな。民も誰が自分たちの主君としてふさわしいか、すぐに思い知るだろうよ」
そう言って兵士長は、皮肉っぽい笑みを浮かべたのだった。
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