第14話「護衛と巫女姫、隠された霊域を見つける」

「ここから先に、霊域れいいきの結界があるようです」


 俺の背中で、杏樹が言った。


「霊力の流れが乱れています。気をつけていないと、まっすぐ歩いたつもりでも、気づかずふもとに誘導されてしまうでしょう」

「霊域に人を近づけないためですね?」

「そうです。霊力を感じ取れない者は、この先に進むのに恐怖を感じるでしょう。知らない間に迷わされているのですからね」

「それでも進んだら?」

「山のふもとへと誘導する、強力な霊力の流れにぶつかります。そこまで行くと……わたくしたちでも、押し流されてしまうかもしれません」


 なんとなくだけど、わかる。

 俺の目にも、勢いよく流れる霊力が見えているからだ。


 イメージとしては、谷間を流れる急流のようなものだ。うかつに踏み込めば流される。霊力が見えない者は、自分がどうして変な方向に向かっているのかもわからない。パニック状態になるだろう。


「でも、それだけ強力な結界があるということは……」

「間違いなくこの先に『失われた霊域』があるのでしょうね」


 これで、杏樹の仮説は立証された。

 結界を張ってまでして守ろうとするものが、この先にあるはず。


 確かめに行こう。

 それが霊域であっても、なくても、杏樹の助けになるはずだ。


 そんなことを話しながら、俺たちは先に進む。

『方向感覚を狂わせる結界』は、一歩踏み出すごとに強くなっていく。


 霊力の流れは濃密のうみつで、ざらざらしている。

 前世で使ったことがある紙やすりのようだ。

 進むたびに、それが肌をこすって抵抗する。

 やすりと違って肌を傷めることはないけれど、気持ちいい感覚じゃない。


「でも……鳥は普通に飛んでいますね」


 ふと空を見上げながら、杏樹が言った。


「この結界は人間を対象にしているのでしょうか? でも、地上を歩く獣は見かけません。どうしてでしょう……?」

「それです」

「え?」

「もう一度跳びます。しっかり捕まっていてください」

「え、え……!?」

 

 俺は杏樹を背負ったまま、再び『軽身功けいしんこう』を発動。

 地面を蹴って、跳んだ。

 垂直方向。地上数メートルに達すると……霊力の圧力が、消えた。


 なるほど。

 この結界のからくりが、わかったような気がする。


「杏樹さまの予想通り、この結界は地上を歩く者を対象にしているようです」


 鳥は普通に飛んでいる。

 つまり、この結界には、高さ制限がある。

 鳥が影響を受けないのは、その範囲外にいるからだろう。


 おそらく、結界が近づけないようにしているのは人間だ。

 だから、だいたい地上2メートル……じゃなかった、7しゃくを超えると霊力の圧力が消える。

 だったら、空中を飛んだ状態で、先に進めばいいわけだ。


「杏樹さま。さすがです」

「え、えええええっ!?」


 俺は空中で木のみきを蹴り、真横にぶ。

 さらに『軽身功けいしんこう』を強化。

 霊力を2倍重ねにして、さらに身を軽くする。


 これなら──


「しっかり捕まっていてください」

「は、はいぃっ!」


 俺と杏樹は数メートルの高さを、ゆるやかな放物線を描いて飛んでいく。

 まるで、紙ヒコーキのように。


軽身功けいしんこう』は、注ぐ霊力を増やすほど強力になる。

 身体の負担は大きくなるけど、2倍くらいならなんともない。

 ちなみに2倍がけしたものは『軽身功・二連』って呼んでる。『二連』が普通に使えることは、村にいたころに実証済みだ。

 四連、八連は、まだ使ったことがないんだけど。


 でもまぁ、結界を超えるくらいなら、霊力の2倍重ねで十分だ。


「鳥は結界に引っかからない。だから、高いところを飛んで結界を超えればいい。すごい判断力です。杏樹さま」

「い、いえ。すごいのは零さまです!」


 俺の背中で、杏樹さまが叫んだ。


「わ、わたしは思いつきを口にしただけです。それを実行してしまう零さまの方がすごいです!!」

「そうでしょうか?」

「零さま!」

「は、はい!」

「……お、おそばに、いてください」

「わかりました。しっかり捕まっていてください。このまま結界を超えます!」

「はぃぃ!」


 限界まで『軽身功けいしんこう』を使って、飛ぶ。

 十数秒進むと──視界が開けた。


 山の中、深い深い森の奥に、ひっそりと流れている川がある。

 澄んだ川だった。

 きっと、山の奥の方から流れ出ているのだろう。


 そして、その向こうには岩場があった。

 川は現世と異界いかいを分ける境界──杏樹の言っていたことが、よくわかる。


 川のこちら側──此岸しがんは、土が露出した地面。

 けれど川の向こう側──彼岸ひがんは、草ひとつ生えない岩場。

 川ひとつを挟んだだけで、山はまったく形を変えている。


 それに──


「零さま、見てください。1文字の霊獣れいじゅう──いえ、精霊たちがあんなにたくさん……」


 川辺には、無数の生き物たちがいた。

 最下級の霊獣れいじゅうで、決まった形を持たないものたち。

 この世界では、精霊せいれいとも呼ばれている。


 霊獣は名前の文字の数で、そのランクが決まる。

 1文字のものは、決まった形を持たない精霊。

 2文字以上から、獣や鳥の姿を取るようになる。

 3文字になると自分の意思を持ち、自発的に主人を助けるようになる。能力も、2文字以下よりも桁違けたちがいに強い。


 だから1文字の精霊は低位の存在ということになるんだけど……でも、これだけの数がいるのは珍しい。

 というか、初めて見た。

『隠された霊地』って、こういう場所だったのか。


 ふわふわ漂っている球体は、光の精霊の『』。

 水面を滑るシャボン玉のような球体は、水属性の『ほう』。

 羽根のような姿をしているのは風属性の『ハレ』だ。



 ふわわ。るるる。ろろろ。



 精霊たちは楽しそうに、川辺で踊っている。

 でも、俺たちが地上に降りると、おどろいたように動きを止める。

 不意の侵入者にとまどっているようだ。


「こんにちは。わたくしは紫州ししゅうの元巫女姫、紫堂杏樹しどうあんじゅと申します」


 俺の背中から降りた杏樹は、ぺこり、と頭を下げた。

 ふらついてるせいか、俺の肩につかまったままだけど。


「わたくしどもは、怪しいものではありません。『失われた霊域』に興味があって、やってきたのです。場所はここで間違いありませんか?」



 ふわわわ。るるるる。ろろろん。



 俺たちのまわりに1文字の精霊たちが集まってくる。


』は足元をくるくると回り、

ほう』は俺や杏樹の身体に触れて、

ハレ』は杏樹のほおでている。


「あら? ここではないのですか。そうですか……川向こうに洞窟どうくつがあるのですね」


 答えるように揺れる精霊たち。


「そうです。わたくしたちが、あなたたちに危害を加えることはありません」


 るるるん。


 納得したように、精霊たちが震える。


「わかりました。川向こうの洞窟どうくつに、霊域のあるじがいらっしゃるのですね」


 ぽよぽよ。


 精霊たちはふくらんだり、縮んだりしている。

 彼らがまとっている霊力は、やわらかい感じがする。

 杏樹が自分たちをわかってくれているのを、喜んでいるみたいだ。


「杏樹さまは本当に、霊獣や精霊と話ができるんですね……」

「なんとなくですけど」


 杏樹は照れたように笑った。


「近くにいると、精霊や霊獣たちの言いたいことがわかるような気がするんです」


 それでも『緋羽根ひはね』とは契約できなかったんですけど、と、杏樹は付け加えた。


『緋羽根』は、代々紫州に受け継がれてきた霊鳥れいちょうだ。

 やっぱり、契約できなかったことを引きずってるんだろう。


「お話を聞いてくださって、ありがとうございます」


 それから杏樹は、また、精霊たちに話しかけた。

 返事は、ふわふわ、るるるという振動と、音のようなもの。


 それを見た杏樹は、精霊たちに頭を下げた。


「川の向こうの霊域は、どのあたりにあるのでしょうか。わたくしたちが近づいても大丈夫なようでしたら、場所を教えていただけませんか?」


 訊ねると、精霊たちは、一斉に川を渡りはじめる。

 全員が一列になって、ひとつの方向を指し示す。


 彼らが示しているのは、川向こうの岩場だった。

 よく見ると、大きな岩の向こうに、小さな空洞があるのがわかる。

 あれが『隠された霊域』の入り口らしい。


「あの場所が『隠された霊域』のようですね」


 杏樹は納得したようにうなずいた。


「あの地に、霊域のあるじがいるようです。会って話をしてみましょう」

「それはいいのですが、杏樹さま」

「はい。零さま」

「この精霊たちに、衛士えじ柏木かしわぎさんたちと契約してもらうのはどうですか?」


 俺は杏樹に訊ねた。


「1文字の精霊でも、衛士に力を貸すことはできるんですよね?」

「できます。ただ……柏木さまのような『朱鞘しゅざや』の方は、2文字以上を望まれる方が多いです。可能ならば、やはり霊域を訪ねてみたいのです」


 杏樹はかぶりを振った。

 確かに、彼女の言う通りだ。

 交渉をするなら、より強いカードがあった方がいいからな。


 精霊たちを頼るのは、交渉がうまく行かなかったときの保険、ということにしておこう。


「それに、わたくしはどうしてここが秘密の場所だったのか、興味があるのです」


 杏樹は続ける。


「強力な霊獣がいるのならば、州候しゅうこうはそれを我が力としていたはずです。ですが、代々の紫州候ししゅうこうはこの地のことを隠してきました。その理由を知らなければいけません。ここは、鬼門に近い場所でもあるのですから」

「確かに……そうですね」


 杏樹の言う通りだ。

 紫州候を引き継ぐためには、この地のことをよく知った方がいい。

 勝手に精霊を連れていって、霊域の主に怒られても困るからな。


 考えてるな、杏樹。

『使えそうだから』で、すぐに術の実験をしたがる俺とは大違いだ。見習わないと。


「霊域はすぐそこのようです。まずは川を渡って──」

「その前に一休みしましょう。杏樹さま」


 俺は言った。


「杏樹さまは、まだ脚がふるえています。それに、霊域に入る前には巫女服みこふくに着替えないといけませんよね」


 ずっと抱えていたかごを、俺は地面に下ろした。

 農民に化けるために用意したものだ。

 中には杏樹の巫女服や、俺の私物が入っている。


 意外と量がある。

軽身功けいしんこう』の最中は荷物も軽くなるから、問題はなかったんだけど。


「わかりました。では、着替えてすぐに……」

「ですから、一休みしましょう」

「で、でも、『失われた霊域』を見つけたのですから──」

「無理をするのはよくないです。お身体を大切にしてください」


『健康』って能力 (たぶん)を持って生まれてきた俺だって、身体には気をつかってるんだ。

 そんな俺が、杏樹に無理はさせられない。


「おっしゃることはわかります。ですが、どうしても気がせいてしまうのです……」

「……俺が休みたいんです」

「え?」

邪道じゃどうの術を使いましたからね。休まないと、疲労が残ってしまうんです。若いころの無理は、齢を取ってからたたりますからね。そうならないように、こまめに休憩を入れないと」

「もう……杖也じょうやのようなことをおっしゃいますね。零さまったら」


 杏樹は笑いをこらえるような顔になる。

 彼女の感情に反応したのか、精霊たちが集まってくる。

 楽しそうに、彼女のまわりを回ってる。


「ありがとうございます。零さま。気をつかっていただいて」

「いえ、ただの本音です」

「お言葉の通り、休憩きゅうけいすることといたします。確かに、身も清めなければいけませんからね」


 山道を歩いてたから、杏樹の手足には土や砂ぼこりがついてる。

 杏樹の肌はきれいだから、土がついたところは、意外と目立つ。。

 霊域に入る前に落としておいた方がいいよな。


「では、俺は食事の用意をします。そこで、杏樹さまにお願いがあるんです」

「はい。なんでしょう」

「精霊たちにお願いして、炊事の煙やにおいを隠すことはできますか?」

「できます。契約はできませんけど、精霊たちに『お願い』はできますから。水をつかさどる『泡』と、風をつかさどる『晴れ』にお願いして、けむりとにおいを消してもらいましょう」

「発火の呪符じゅふもいただけますか? あれは煙なしで火をおこせますから」

「構いませんよ。では、零さまがお料理をしている間、わたくしは霊域に入る支度をととのえますね」

「お願いします」


 こうして、俺たちは『隠された霊域』の一歩手前にたどりついた。

 あとは休憩きゅうけいして、身支度を整えて、霊域に入るだけだ。


 もしも霊域に霊獣がいなかったら、ここにいる精霊たちに、ついてきてくれるように頼んでみよう。

 それは、柏木さんたちとの交渉のカードになるはずだ。

 杏樹のお願いなら、精霊たちも嫌だと言わないと思う。たぶん、だけど。


 それじゃ、久しぶりに料理をしよう。

 転生してからはずっと和食だったからなぁ。久しぶりに別のものが食べたい。

虚炉村うつろむら』でもこっそり料理はしてたけど、他の連中に見つからないように気を遣ってた。


 でも、精霊たちが力を貸してくれるなら、堂々と料理ができる。

 それだけでも、杏樹さまの部下になってよかった。


 俺はそんなことを考えながら、料理の準備をはじめたのだった。

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