第4話「巫女姫と小間使い、零について語り合う」
──
「すぐに兵を出しましょう」
報告を聞いた杏樹は、即座に決断を下した。
零が助けた少女、
緊張の糸が切れたせいか、ぐっすりと眠っている。
逃げる途中に『オオクロヨウカミ』に襲われたのだから無理もない。
体力を使い果たした上に、脚があちこち傷ついていた。
あの状態で、よく持ちこたえたと感心する。
零は
杏樹がそう、命じたからだ。
零は杏樹の身を案じていたが、杏樹は商隊を助けるべきだと判断した。
もちろん、零には無理をしないようには言ってある。
だから、すぐに彼を支援する兵士を送らなければいけない。
そのために、杏樹は兵士たちの説得を試みていたのだった。
「
杏樹は緊張した表情で、兵士たちを見回す。
州都と鬼門を商隊が行き来するのはよくある。
常に魔獣と戦っている鬼門の村は、多くの物資を必要とするからだ。
その商隊が魔獣に襲われたなら、助ける必要がある。
「わたくしは州候代理の名のもとに、鬼門周辺の村の代官を命じられております。鬼門への流通経路を守るのは、任務のうちだと考えます。ゆえに、須月商会を救うために兵を出したとしても、叔父さま……いえ、州候代理の命に反したことにはならないはずです!!」
杏樹は話を続ける。
零はすでに、救援に向かっている。
けれど、彼ひとりでは危険だ。商隊を襲った魔獣は数が多い。
魔獣の名前は【クロヨウカミ】。
狼のような姿をした魔獣だ。
奴らは群れで狩りを行う習性がある。商隊はその標的になったのだろう。
「希望者だけでも構いません。民のため、力を貸して──」
「失礼ですが、それは通りませんよ。杏樹さま」
杏樹の言葉を
ひときわ派手な
州候代理が寄越した、この部隊のお目付役だった。
「我々の役目は、杏樹さまを鬼州までお送りすることにあります。商隊の護衛は、我らの仕事ではありません」
「民が危険にさらされているのですよ!?」
反論する杏樹に、兵士長の冷ややかな視線が返って来る。
それを真っ向から見返して、杏樹は告げる。
「商隊が荷を運んでくれるからこそ、鬼門の兵たちは戦えるのでしょう!? それを守らずにどうするのですか!!」
「我々の主は州候代理、副堂勇作さまです。州候代理から命令があれば従いますよ」
どうでもよさそうな口調で、兵士長は言った。
「違うか、皆の者」
彼の問いに、兵士たちは気まずそうに目を逸らす。
けれど、数名の兵士が手を挙げてくれる。
杏樹さまの意思に従う、と。
思わず、胸が熱くなる。
ここでめげるわけにはいかない。
まだ、杏樹にはやれることがあるのだ。
「救援に向かってくれる者はいるようです」
杏樹は兵士長を見据えて、告げる。
「繰り返します。わたくしは鬼門の代官を命じられております。鬼門の村に物資を運んでくれる商隊を救うことは、州候代理の命令と矛盾しません。すでに零さまも救援に向かっております。ならば、後詰めの兵も出すべきでしょう!」
「わかりました。わかりましたよ!」
兵士長は吐き捨てた。
「希望者を数名、行かせましょう。それ以上は無理です。我々の目的は杏樹さまの護衛。あなたさまになにかあったら、州候代理に申し訳が立ちませんからなぁ」
「わかりました。わたくしが魔獣から身を守れればいいのですね?」
杏樹は
それを周囲に配置する、さらに、神楽鈴を手に取る。
しゃらん。
杏樹は鈴を振り、
「『
りんっ。
空気が変わった。
隊列の四方に配置された人型が、立ち上がる。
まるで周囲を守る兵士のように動き、霊力を発する。
同時に半透明の壁が、部隊を包む。
「魔獣避けの結界です。魔獣が来たとしても、しばらくは攻撃を防げるでしょう。これでわたくしは安全になりました。ならば、商隊の救助に兵を割けるのでは?」
「……わかりました。兵を向かわせましょう」
兵士長は、うんざりとした口調でつぶやいた。
「知恵のまわるお方だ。まったく……このことは州候代理に報告しますよ」
「構いません」
「用が済んだのなら、馬車にお戻りください。救援の兵士は出します。民に、
「……ご自由に」
そう言って杏樹は、兵士長に背中を向けた。
そのまま馬車に戻り、座席に腰を下ろして……ため息をつく。
(……零さまは、大丈夫でしょうか)
あの人は強い。その実力は、5年前に見せてもらった。
今でも覚えている。
魔獣使いの襲撃の最中、杏樹をかばって戦ってくれた、その背中を。
「それに、零さまには
杏樹は、長方形の紙を取り出した。
小さなものだ。
霊力を注ぐと炎を発する『発火の
太刀に炎をまとわせたり、敵に貼り付けたりと、様々な使い方ができる。
彼ならうまく活用してくれるだろう。
「……周囲に張った結界も、うまく
杏樹が張った結界は、彼女自身を守るためのものでもある。
仮に隊長が杏樹を攻撃したなら、結界は消える。部隊が魔獣に襲われることになる。けれど、あの隊長はそれほど強くはない。
父が元気だったころに見た、兵士同士の
だとすれば、魔獣を呼び寄せるような真似はしないだろう。
州候代理の側について、今後の出世を望んでいるなら、それがふいになることはしない。それが、杏樹の推測だった。
「……嫌な考えでは、ありますけれど」
人を疑うのは好きじゃない。
けれど、今は仕方がないのだろう。
心から信じられる者は、零と、杖也老と、桔梗しかいないのだから。
(……零さまは、不思議な方です)
須月茜から聞いた話によると、零は一刀のもとに【オオクロヨウカミ】の首を落としたらしい。魔獣がまとう『邪気』の鎧も、あの人は通じなかった。おまけに妙な術で、魔獣の動きを封じたらしい。
興奮して『弟子にして欲しいです!』と叫ぶ少女の話だけれど──零のことだから、真実なのだろう。彼のその功績も、杏樹を守るもののひとつだ。
(あの方の勇気が、兵たちにも伝わっているようです)
だからこそ、兵士たちは、さっき手を挙げてくれたのだろう。
隊長──ひいては州候代理の不興を買うことも、おそれずに。
(わたくしは、零さまの覚悟に答えなければいけません)
杏樹は──州都を出てから、ずっと、沈んでいた。
あまりに、多くのことが起こりすぎたからだ。
父が病に倒れたのが二ヶ月前。
意識が戻らなくなったのが、二週間前。
その間に叔父──副堂勇作は州候代理となる手続きを進めた。どんなつてを使ったのか、
それからの動きは速かった。
気づいたとき、見知った者の多くが、副堂勇作の側についていた。
その事実は、杏樹を打ちのめした。
それでも、父の身柄を、親戚が経営する病院に移すことはできた。
紫州の病院にいたら、身の危険があると思ったからだ。
けれど、そのせいで、副堂親子に対抗する時間を失った。
気づくと『霊鳥継承の儀』が執り行われることとなり──杏樹は、紫州の巫女姫という地位を奪われて、鬼門へと追放されることとなった。
(……でも、まさか零さまが力になってくださるなんて)
しかも、彼が杏樹に望んだのは『老後の恩給』だ。
その金額は杏樹が、どのような地位にいるかで決まってしまう。
鬼門の代官ならば、ささやかな額に。
州候の地位を取り戻したのなら、楽な生活ができる額に。
零の言葉に、
追放された少女に対して、将来の恩給を望むなんて──と。
けれど、杏樹は零に、背中を押されたような気がしたのだ。
このままではいけない。
策を
零の言葉を聞いた杏樹に、そんな想いが生まれていた。
(だって、州候代理が、零さまに恩給を払うわけがありませんもの)
ふふ、と、笑みがこぼれる。
零の顔を見るたび、何度でも、立ち上がれるような気がする。
それが、今の杏樹の想いだった。
「──お嬢さま。少し、よろしいですか」
そんなことを考えていたら、ふと、馬車の扉を叩く者がいた。
幼なじみで小間使いの、桔梗だった。
「お茶を用意いたしました。いかがですか?」
「いただきましょう。お入りなさい、桔梗」
「失礼いたします」
馬車の扉が開き、小間使いの
手には盆とお茶が載っている。休憩中に用意していたらしい。
「霊力の回復に効く薬草茶です。どうぞ、お飲みください」
「いつもありがとう。桔梗」
「私はお嬢さまのお世話係ですから」
そう言って一礼する桔梗。
桔梗は杏樹の幼なじみだ。
元々は孤児だったが、子どものいない杖也に、養女として引き取られている。
州候の暦一の勧めで、杏樹の学友とするためだ。
杏樹も小さいころは、机を並べて学んでいたこともある。
彼女にとっては貴重な、心を許せる相手だった。
「お嬢さま。月潟零さまとは、どのようなお話をされたのですか?」
桔梗は声をひそめて、そんなことを言った。
「月潟さまは晴れ晴れとした表情で、魔獣討伐に向かわれました。なにか、良いお話をされたのでしょう?」
「たいしたことではありません。ただ、約束をしただけです」
「約束ですか?」
「ええ。年金……いえ、恩給──」
言いかけて、止める。
桔梗に、零が老後の恩給を望んでいることを伝えるのは良くない。
そんな気がした。
真面目な桔梗は、零のことを『金目当ての油断できない者』と思うかもしれない。
(いえ、お金目当てなのは変わらないのですが、それは老後のためで……)
難しい。
零のような人とは、今まで出会ったことがない。
だから杏樹も『零は老後の恩給と、将来、頭脳労働に回してもらうために働く』──なんてことを、うまく伝える自信がない。零が桔梗と仲違いしても困る。
零と桔梗と杖也は、杏樹にとって大切な人なのだから。
(桔梗には、重要なことだけを伝えましょう)
心に決めて、杏樹は、
「零さまは、高齢になって働けなくなるまで、わたくしに仕えてくれるそうです」
「……え」
「身体が動く間は、わたくしの護衛を。その後は頭脳労働……文官として。
「そ、それって……」
「どうしたのですか、桔梗」
「え、え、え、ええええ! お、お嬢さま!」
「なんですか。はしたないですね。変な声を出すものではありませんよ」
「で、でも、お嬢さま」
「はい」
「それは零さまが『生涯、あなたの側でお守りします』と誓ったのと同じですよね」
「……そうなりますか?」
「そうなります! ということは、零さまはなにがあっても、杏樹さまのお側にいるということですよね!?」
「は、はぁ。そうですね」
「それは……零さまが、杏樹さまの人生で、誰よりも身近な男性になる、ということではありませんか……?」
桔梗は真っ赤な顔で、そう言った。
杏樹には、言葉の意味がよくわからなかった。
とまどう主人に、桔梗は興奮した口調で『ろーまんすです。これは、ろーまんすですよ』と語り続ける。
言われて杏樹は思い出す。
『ろーまんす』とは、父の暦一の書棚にあった文学のことだ。
文明が開化したのだから、と言って、父は
それらは杏樹や桔梗の学習にも使われている。
異国の文化に触れることは大切──それが、杏樹の父、暦一の主張だった。
もっとも、杏樹が好むのは実用書で、物語には興味がなかったのだけれど。
「
「あ、あの、桔梗?」
「騎士は姫君の家族や夫よりも長い間、姫君を守り続けます。もちろん、お互いの立場がありますから、表立って愛を語ることはありません。けれど、誰よりも心が通じ合っているのです。当然です。姫君は騎士に命を預け、騎士は姫君に生涯を捧げているのですから」
「桔梗。桔梗ってば!」
「──はっ」
杏樹の声に、桔梗は我に返る。
興奮しすぎたことに気づいたのだろう。
彼女は杏樹に向かって、深々と頭を下げて、
「し、失礼しました。杏樹さま」
「いえ、いいのですよ」
杏樹は穏やかな表情で、うなずいた。
「あなたが『ろーまんす』を大好きなことが、わかりましたから」
「す、すみません。州候さまに『大事に扱うなら読んでいいよ』と言われて……それで
「では、お父さまも『ろーまんす小説』を?」
「いえ、州候さまはお忙しくて、あまり読む時間はなかったようです」
「……そうですね」
州候である父暦一は、多忙な人だった。
紫州は決して豊かではない。
鉱山はあっても耕地は少ない。それに、山からは多くの魔獣が現れる。
その対策にも予算を割かなければいけない。
それに、周囲は強力な州ばかりだ。
そんな者たちと付き合いながら、州を維持する。
それは杏樹が想像する以上に、大変なことだったのだろう。
(お父さまも倒れるまで、ご自身の不調に気づかれなかったのですから)
そんな父が病床で雇ってくれたのが、零だった。
以前から、父は何度も語っていた。
『虚炉村のふたりは、私たちを必死に守ってくれたのだ。その恩を忘れてはいけないよ』『生かされた私たちは、その命を正しいことに使わなければいけない』と。
父が民のために尽くしたのも、その考えがあってこそだろう。
だから、父は数年ぶりに再会した零を信じて、杏樹の護衛につけたのだ。
(わたくしも、民のことを第一に考えなければいけません)
『ろーまんす』に気を取られている場合じゃない。
姫君と騎士の恋物語など、自分と零には関係がないのだ。
(……そもそもわたくしは『ろーまんす』について、よくわからないのですが)
それらの本は屋敷の中だ。
州候の資産だから、持ち出すことはできなかった。
今ごろは州候代理か沙緒里が読んでいるか……あるいは、処分されているかもしれない。
できれば、大事にしてくれればいいと思う。
父と桔梗が愛した物語を、杏樹も、読んでみたくなったからだ。
「とにかく、『ろーまんす』のことは忘れなさい。桔梗」
「はい。お嬢さま」
「一休みしたら、霊力で結界を強化いたします。それと、後詰めの兵を送れるように、兵士長を説得してみましょう」
「やはり、魔獣には苦戦するのでしょうか」
「そうですね。兵たちは、苦戦するかもしれません」
「兵たちは?」
「わたくしは数年前に、零さまが魔獣と戦うところを見ていますから」
そう言って、杏樹は、冷めたお茶に口をつけた。
5年前に、杏樹と父を襲った、魔獣使いたち。
零の父が命を失うこととなった、襲撃事件。
その時に見た、零の強さを思い出しながら。
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