第4話「巫女姫と小間使い、零について語り合う」

 ──杏樹視点あんじゅしてん──




「すぐに兵を出しましょう」


 報告を聞いた杏樹は、即座に決断を下した。


 零が助けた少女、須月茜すづきあかねは、荷物用の馬車に乗せられている。

 緊張の糸が切れたせいか、ぐっすりと眠っている。


 逃げる途中に『オオクロヨウカミ』に襲われたのだから無理もない。

 体力を使い果たした上に、脚があちこち傷ついていた。

 あの状態で、よく持ちこたえたと感心する。


 零は須月茜すづきあかねを送り届けてすぐ、商隊の救援に向かった。

 杏樹がそう、命じたからだ。

 零は杏樹の身を案じていたが、杏樹は商隊を助けるべきだと判断した。

 もちろん、零には無理をしないようには言ってある。


 だから、すぐに彼を支援する兵士を送らなければいけない。

 そのために、杏樹は兵士たちの説得を試みていたのだった。


須月商会すづきしょうかいといえば、鬼門に食料や物資を運んでくれる方々です。見殺しにはできません。魔獣を討伐し、民を守らなければ!」


 杏樹は緊張した表情で、兵士たちを見回す。


 州都と鬼門を商隊が行き来するのはよくある。

 常に魔獣と戦っている鬼門の村は、多くの物資を必要とするからだ。

 その商隊が魔獣に襲われたなら、助ける必要がある。

 

「わたくしは州候代理の名のもとに、鬼門周辺の村の代官を命じられております。鬼門への流通経路を守るのは、任務のうちだと考えます。ゆえに、須月商会を救うために兵を出したとしても、叔父さま……いえ、州候代理の命に反したことにはならないはずです!!」


 杏樹は話を続ける。

 零はすでに、救援に向かっている。

 けれど、彼ひとりでは危険だ。商隊を襲った魔獣は数が多い。


 魔獣の名前は【クロヨウカミ】。

 狼のような姿をした魔獣だ。

 奴らは群れで狩りを行う習性がある。商隊はその標的になったのだろう。


「希望者だけでも構いません。民のため、力を貸して──」

「失礼ですが、それは通りませんよ。杏樹さま」


 杏樹の言葉をさえぎり、兵士の隊長が声をあげた。

 ひときわ派手なよろいを身に着けた人物だ。

 州候代理が寄越した、この部隊のお目付役だった。


「我々の役目は、杏樹さまを鬼州までお送りすることにあります。商隊の護衛は、我らの仕事ではありません」

「民が危険にさらされているのですよ!?」


 反論する杏樹に、兵士長の冷ややかな視線が返って来る。

 それを真っ向から見返して、杏樹は告げる。


「商隊が荷を運んでくれるからこそ、鬼門の兵たちは戦えるのでしょう!? それを守らずにどうするのですか!!」

「我々の主は州候代理、副堂勇作さまです。州候代理から命令があれば従いますよ」


 どうでもよさそうな口調で、兵士長は言った。


「違うか、皆の者」


 彼の問いに、兵士たちは気まずそうに目を逸らす。

 けれど、数名の兵士が手を挙げてくれる。

 杏樹さまの意思に従う、と。


 思わず、胸が熱くなる。

 ここでめげるわけにはいかない。

 まだ、杏樹にはやれることがあるのだ。


「救援に向かってくれる者はいるようです」


 杏樹は兵士長を見据えて、告げる。


「繰り返します。わたくしは鬼門の代官を命じられております。鬼門の村に物資を運んでくれる商隊を救うことは、州候代理の命令と矛盾しません。すでに零さまも救援に向かっております。ならば、後詰めの兵も出すべきでしょう!」

「わかりました。わかりましたよ!」


 兵士長は吐き捨てた。


「希望者を数名、行かせましょう。それ以上は無理です。我々の目的は杏樹さまの護衛。あなたさまになにかあったら、州候代理に申し訳が立ちませんからなぁ」

「わかりました。わたくしが魔獣から身を守れればいいのですね?」


 杏樹はふところから人型の紙──法術に使われる符を取り出した。

 それを周囲に配置する、さらに、神楽鈴を手に取る。


 しゃらん。


 杏樹は鈴を振り、祝詞のりとを口にする。


「『はらたまえ、きよたまえ。紫州候ししゅうこう紫堂暦一しどうれきいち一子いっし紫堂杏樹しどうあんじゅの名において、この地を我らがやしろす。四方しほう堅持けんじし、邪気じゃきはらい、地の清浄せいじょうを守らんことを──』」



 りんっ。



 空気が変わった。

 隊列の四方に配置された人型が、立ち上がる。

 まるで周囲を守る兵士のように動き、霊力を発する。

 同時に半透明の壁が、部隊を包む。


「魔獣避けの結界です。魔獣が来たとしても、しばらくは攻撃を防げるでしょう。これでわたくしは安全になりました。ならば、商隊の救助に兵を割けるのでは?」

「……わかりました。兵を向かわせましょう」


 兵士長は、うんざりとした口調でつぶやいた。


「知恵のまわるお方だ。まったく……このことは州候代理に報告しますよ」

「構いません」

「用が済んだのなら、馬車にお戻りください。救援の兵士は出します。民に、州候代理の・・・・・慈悲・・を見せるのも、確かに必要でしょうからな」

「……ご自由に」


 そう言って杏樹は、兵士長に背中を向けた。

 そのまま馬車に戻り、座席に腰を下ろして……ため息をつく。


(……零さまは、大丈夫でしょうか)


 あの人は強い。その実力は、5年前に見せてもらった。

 今でも覚えている。

 魔獣使いの襲撃の最中、杏樹をかばって戦ってくれた、その背中を。


「それに、零さまには呪符じゅふをお渡ししました」


 杏樹は、長方形の紙を取り出した。

 小さなものだ。朱墨しゅずみで文字と文様が書かれている。


 霊力を注ぐと炎を発する『発火の呪符じゅふ』だ。

 太刀に炎をまとわせたり、敵に貼り付けたりと、様々な使い方ができる。

 彼ならうまく活用してくれるだろう。


「……周囲に張った結界も、うまく稼働かどうしているようです」


 杏樹が張った結界は、彼女自身を守るためのものでもある。

 仮に隊長が杏樹を攻撃したなら、結界は消える。部隊が魔獣に襲われることになる。けれど、あの隊長はそれほど強くはない。


 父が元気だったころに見た、兵士同士の模擬戦もぎせんではそうだった。

 だとすれば、魔獣を呼び寄せるような真似はしないだろう。

 州候代理の側について、今後の出世を望んでいるなら、それがふいになることはしない。それが、杏樹の推測だった。


「……嫌な考えでは、ありますけれど」


 人を疑うのは好きじゃない。

 けれど、今は仕方がないのだろう。


 心から信じられる者は、零と、杖也老と、桔梗しかいないのだから。


(……零さまは、不思議な方です)


 須月茜から聞いた話によると、零は一刀のもとに【オオクロヨウカミ】の首を落としたらしい。魔獣がまとう『邪気』の鎧も、あの人は通じなかった。おまけに妙な術で、魔獣の動きを封じたらしい。

 興奮して『弟子にして欲しいです!』と叫ぶ少女の話だけれど──零のことだから、真実なのだろう。彼のその功績も、杏樹を守るもののひとつだ。


(あの方の勇気が、兵たちにも伝わっているようです)


 だからこそ、兵士たちは、さっき手を挙げてくれたのだろう。

 隊長──ひいては州候代理の不興を買うことも、おそれずに。


(わたくしは、零さまの覚悟に答えなければいけません)


 杏樹は──州都を出てから、ずっと、沈んでいた。

 あまりに、多くのことが起こりすぎたからだ。

 

 父が病に倒れたのが二ヶ月前。

 意識が戻らなくなったのが、二週間前。

 その間に叔父──副堂勇作は州候代理となる手続きを進めた。どんなつてを使ったのか、煌都こうとの高官たちを動かして、『紫州候代理に任ずる』という書類を手にしたのだ。


 それからの動きは速かった。

 煌都こうと高官の正式な任命書を武器に、副堂勇作は紫州の者たちの掌握しょうあくに努めた。父の看病に追われる杏樹が、気づかないうちに。


 気づいたとき、見知った者の多くが、副堂勇作の側についていた。

 その事実は、杏樹を打ちのめした。

 それでも、父の身柄を、親戚が経営する病院に移すことはできた。

 紫州の病院にいたら、身の危険があると思ったからだ。


 けれど、そのせいで、副堂親子に対抗する時間を失った。

 気づくと『霊鳥継承の儀』が執り行われることとなり──杏樹は、紫州の巫女姫という地位を奪われて、鬼門へと追放されることとなった。


(……でも、まさか零さまが力になってくださるなんて)


 しかも、彼が杏樹に望んだのは『老後の恩給』だ。

 その金額は杏樹が、どのような地位にいるかで決まってしまう。


 鬼門の代官ならば、ささやかな額に。

 州候の地位を取り戻したのなら、楽な生活ができる額に。


 零の言葉に、あきれる者もいるだろう。

 追放された少女に対して、将来の恩給を望むなんて──と。



 けれど、杏樹は零に、背中を押されたような気がしたのだ。



 このままではいけない。

 策をろうして、州候の地位を奪うような者に、民を任せてはおけない。


 零の言葉を聞いた杏樹に、そんな想いが生まれていた。


(だって、州候代理が、零さまに恩給を払うわけがありませんもの)


 ふふ、と、笑みがこぼれる。

 零の顔を見るたび、何度でも、立ち上がれるような気がする。


 それが、今の杏樹の想いだった。 



「──お嬢さま。少し、よろしいですか」



 そんなことを考えていたら、ふと、馬車の扉を叩く者がいた。

 幼なじみで小間使いの、桔梗だった。


「お茶を用意いたしました。いかがですか?」

「いただきましょう。お入りなさい、桔梗」

「失礼いたします」


 馬車の扉が開き、小間使いの桔梗ききょうが入って来る。

 手には盆とお茶が載っている。休憩中に用意していたらしい。


「霊力の回復に効く薬草茶です。どうぞ、お飲みください」

「いつもありがとう。桔梗」

「私はお嬢さまのお世話係ですから」


 そう言って一礼する桔梗。

 桔梗は杏樹の幼なじみだ。


 元々は孤児だったが、子どものいない杖也に、養女として引き取られている。

 州候の暦一の勧めで、杏樹の学友とするためだ。


 杏樹も小さいころは、机を並べて学んでいたこともある。

 彼女にとっては貴重な、心を許せる相手だった。


「お嬢さま。月潟零さまとは、どのようなお話をされたのですか?」


 桔梗は声をひそめて、そんなことを言った。


「月潟さまは晴れ晴れとした表情で、魔獣討伐に向かわれました。なにか、良いお話をされたのでしょう?」

「たいしたことではありません。ただ、約束をしただけです」

「約束ですか?」

「ええ。年金……いえ、恩給──」


 言いかけて、止める。

 桔梗に、零が老後の恩給を望んでいることを伝えるのは良くない。

 そんな気がした。


 真面目な桔梗は、零のことを『金目当ての油断できない者』と思うかもしれない。


(いえ、お金目当てなのは変わらないのですが、それは老後のためで……)


 難しい。

 零のような人とは、今まで出会ったことがない。

 だから杏樹も『零は老後の恩給と、将来、頭脳労働に回してもらうために働く』──なんてことを、うまく伝える自信がない。零が桔梗と仲違いしても困る。


 零と桔梗と杖也は、杏樹にとって大切な人なのだから。


(桔梗には、重要なことだけを伝えましょう)


 心に決めて、杏樹は、


「零さまは、高齢になって働けなくなるまで、わたくしに仕えてくれるそうです」

「……え」

「身体が動く間は、わたくしの護衛を。その後は頭脳労働……文官として。生涯しょうがい、わたくしの側にいてくれるそうですよ」

「そ、それって……」

「どうしたのですか、桔梗」

「え、え、え、ええええ! お、お嬢さま!」

「なんですか。はしたないですね。変な声を出すものではありませんよ」

「で、でも、お嬢さま」

「はい」

「それは零さまが『生涯、あなたの側でお守りします』と誓ったのと同じですよね」

「……そうなりますか?」

「そうなります! ということは、零さまはなにがあっても、杏樹さまのお側にいるということですよね!?」

「は、はぁ。そうですね」

「それは……零さまが、杏樹さまの人生で、誰よりも身近な男性になる、ということではありませんか……?」


 桔梗は真っ赤な顔で、そう言った。

 杏樹には、言葉の意味がよくわからなかった。


 とまどう主人に、桔梗は興奮した口調で『ろーまんすです。これは、ろーまんすですよ』と語り続ける。


 言われて杏樹は思い出す。

『ろーまんす』とは、父の暦一の書棚にあった文学のことだ。

 文明が開化したのだから、と言って、父は異国とつくにの書物を取り寄せていた。中には、翻訳ほんやくされたものもあった。


 それらは杏樹や桔梗の学習にも使われている。

 異国の文化に触れることは大切──それが、杏樹の父、暦一の主張だった。


 もっとも、杏樹が好むのは実用書で、物語には興味がなかったのだけれど。


異国とつくにの騎士物語にあるんです。騎士が姫君に生涯の忠誠を誓って、あらゆる苦難に立ち向かう物語が」

「あ、あの、桔梗?」

「騎士は姫君の家族や夫よりも長い間、姫君を守り続けます。もちろん、お互いの立場がありますから、表立って愛を語ることはありません。けれど、誰よりも心が通じ合っているのです。当然です。姫君は騎士に命を預け、騎士は姫君に生涯を捧げているのですから」

「桔梗。桔梗ってば!」

「──はっ」


 杏樹の声に、桔梗は我に返る。


 興奮しすぎたことに気づいたのだろう。

 彼女は杏樹に向かって、深々と頭を下げて、


「し、失礼しました。杏樹さま」

「いえ、いいのですよ」


 杏樹は穏やかな表情で、うなずいた。


「あなたが『ろーまんす』を大好きなことが、わかりましたから」

「す、すみません。州候さまに『大事に扱うなら読んでいいよ』と言われて……それで異国とつくにの『ろーまんす小説』にはまってしまいまして……」

「では、お父さまも『ろーまんす小説』を?」

「いえ、州候さまはお忙しくて、あまり読む時間はなかったようです」

「……そうですね」


 州候である父暦一は、多忙な人だった。

 紫州は決して豊かではない。


 鉱山はあっても耕地は少ない。それに、山からは多くの魔獣が現れる。

 その対策にも予算を割かなければいけない。


 それに、周囲は強力な州ばかりだ。

 錬州れんしゅう陽州ようしゅう──どれも強力な兵を備えた、豊かな州ばかり。


 そんな者たちと付き合いながら、州を維持する。

 それは杏樹が想像する以上に、大変なことだったのだろう。


(お父さまも倒れるまで、ご自身の不調に気づかれなかったのですから)


 そんな父が病床で雇ってくれたのが、零だった。


 以前から、父は何度も語っていた。

『虚炉村のふたりは、私たちを必死に守ってくれたのだ。その恩を忘れてはいけないよ』『生かされた私たちは、その命を正しいことに使わなければいけない』と。


 父が民のために尽くしたのも、その考えがあってこそだろう。

 だから、父は数年ぶりに再会した零を信じて、杏樹の護衛につけたのだ。


(わたくしも、民のことを第一に考えなければいけません)


『ろーまんす』に気を取られている場合じゃない。

 姫君と騎士の恋物語など、自分と零には関係がないのだ。


(……そもそもわたくしは『ろーまんす』について、よくわからないのですが)


 それらの本は屋敷の中だ。

 州候の資産だから、持ち出すことはできなかった。

 今ごろは州候代理か沙緒里が読んでいるか……あるいは、処分されているかもしれない。

 できれば、大事にしてくれればいいと思う。

 父と桔梗が愛した物語を、杏樹も、読んでみたくなったからだ。


「とにかく、『ろーまんす』のことは忘れなさい。桔梗」

「はい。お嬢さま」

「一休みしたら、霊力で結界を強化いたします。それと、後詰めの兵を送れるように、兵士長を説得してみましょう」

「やはり、魔獣には苦戦するのでしょうか」

「そうですね。兵たちは、苦戦するかもしれません」

「兵たちは?」

「わたくしは数年前に、零さまが魔獣と戦うところを見ていますから」


 そう言って、杏樹は、冷めたお茶に口をつけた。


 5年前に、杏樹と父を襲った、魔獣使いたち。

 零の父が命を失うこととなった、襲撃事件。


 その時に見た、零の強さを思い出しながら。


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