第2話「最強の護衛は長期雇用を夢見る」

 ──数日後──



 鬼門きもんの村への旅は、順調に進んでいた。


 文明が開化してるせいか、街道はそこそこ整備されている。

 首都である煌都こうとなんか、路面電車の建設計画があるそうだ。

 もちろん、うわさで聞いただけだけれど。


 俺たちがいるのは煌都こうとの北にある領地で、名を紫州ししゅうという。

 山が多くて耕作地こうさくちが少ない。海がないから海産物も取れない。

 それなりに豊かなのは、鉱山があるからだ。

 だけど、山は魔獣の住処でもある。


 そのため、州候は魔獣討伐のための兵を用意している。

 民間では『衛士えじ』という職業がある。前世の知識で言うと、冒険者のようなものだ。金で護衛や魔獣討伐を請け負うもので、太刀の鞘の色でランク……いわゆる序列が決まる。俺もやったことがあるけれど、位は最下位のままだ。


 他にも対魔獣に特化した近衛兵や術者もいて、魔獣にはそれなりに対処できている。というか、この国の歴史は魔獣との生存競争の歴史でもあるんだ。


 その魔獣は州の鬼門──北東からやってくる事が多い。

 だから鬼門の村には、魔獣対策の関所や砦、邪気をはらう社が設置されている。


 俺たちが向かっているのが、その鬼門の村だ。

 杏樹さまは、鬼門周辺の村の代官として着任することになっている。

 巫女として鬼門を守り、邪鬼を浄化し、魔獣を討伐して成果を上げれば、杏樹さまの配下は・・・、州都に戻れる。

 州候代理とは、そういう約束になっている。


 でも、俺は杏樹さまに州都に戻って欲しい。

 州候代理の副堂勇作や、巫女の沙緒里が上にいたら、紫州は傾きそうな気がする。


 あの人たちは、やり方が雑すぎる。

 それは杏樹さまを追放した手口を見ればわかる。反感を買うのがわかりそうなのに、なりふり構わなかった。あんなやり方が続くわけがない。

 州がこんな状態じゃ、俺の老後も心配だ。


 だから俺は、杏樹さまに州候しゅうこうになって欲しい。

 でも、その前に、彼女の意思を確認する必要がある。すべてはそれからだ。







「零さま」

「どうしましたか。桔梗ききょうどの」


 旅の途中。

 俺たちは街道沿いで休憩きゅうけいを取っていた。


 話しかけてきたのは、和服姿の少女だ。名前は桔梗。

 杏樹さまの幼なじみで、小間使いの少女だった。


「旅の間に、零さまにお伝えしておきたいことがあるのです」

「なんでしょうか」

「私と杏樹さまは、零さまを信頼しております」


 まわりの者に聞かれるのを恐れるかのように、桔梗は声を潜めて、


「『霊鳥継承れいちょうけいしょうの儀』のときに、杏樹さまのために声をあげてくださったのは、あなただけでした」

「たまたまですよ」

「そうでしょうか」

「杏樹さまが話を打ち切ってくださったから、他の方が声を上げなかっただけです。そうでなければ、桔梗さんだって怒っていたでしょう」

「……よく見ていらっしゃいますね」


 俺の流派の源流は忍びだからな。周囲の気配には敏感なんだ。


 あの時、小間使いの少女の桔梗を含めて、多くの人たちは怒っていた。

 ただ、俺が先に声をあげたのと、杏樹さまが追放を受け入れたことで、文句を言うことができなくなったんだろうな。


「……そうですね。杏樹さまは、桔梗たちのことも考えてくださっていました」


 小間使いの桔梗はうつむいて、そんなことを言った。


「杏樹さまがお話を打ち切られたのも、桔梗たちが声をあげて……そのことで不利な扱いを受けないようにするためでしょう」

「……ですね」

「でも、零さまはまっさきに怒ってくださいました! 桔梗は、感動したんです!」

「俺は、杏樹さまのお父上に恩義がありますからね」


 俺はうなずいた。


「あの方は、俺に杏樹さまを守るようにと命じられました。雲の上の存在である紫州候がくださった仕事です。それを投げ出すのは惜しかった。そういうことです」

「ふふっ。そういうことにしておきましょう」


 桔梗は含み笑いを浮かべた。


 俺は改めて、鬼州に向かう行列を眺めた。

 人数は30人弱。

 中央の馬車に杏樹さまが乗り、その周囲を兵士たちが固めている。


 馬車に一番近い場所にいるのは、州候の執事を務めていた男性だ。

 老人で、名前は橘杖也たちばなじょうやというらしい。

 杏樹さまは親しみをこめて、杖也老じょうやろうと呼んでいる。

 彼女の父に、昔から仕えている人だそうだ。


 俺たちがいるのは、山間の街道。

 魔獣が現れそうな場所だけれど、武装した兵がこれだけいれば、襲ってはこないだろう。来るとしたら、桁外けたはずれの巨大魔獣くらいだ。

 そういうものが現れたとしたら、鬼門の方から連絡があるはず。

 それがないということは、今のところ、行列が襲われる心配はなさそうだ。


「杏樹さまのご様子は、どうですか?」


 ふと訊ねると、小間使いの桔梗は、


「いつも通りです。気丈な方ですから」

「よろしければ、杏樹さまとお話する機会をいただけませんか?」

「お伝えしておきます。鬼門に着いてからの方がよろしいですか?」

「できれば、旅の間に。俺は杏樹さまの護衛ですからね。鬼門に着いた後の護衛のやり方についても、打ち合わせをしておきたいんです」

「承知いたしました。うかがってきますね」


 桔梗は小走りに、馬車に近づいて行く。

 それから、馬車の扉越しに、杏樹さまと言葉を交わす。

 しばらくして、桔梗は戻って来て、


「『どうか、馬車の方にいらしてください』とのことです」

「……あっさり許可が出ましたね」

「申し上げましたよ。あのとき、声を上げてくださったのは零さまだけだったと」


 桔梗は優しい笑みを浮かべて、


「そんな方が会談を申し出ていらっしゃるのです。お嬢さまが許さないわけがありません」

「ありがとうございます」


 こうして俺は、杏樹さまと話をすることになったのだった。







 馬車の中。

 俺は座席に座り、杏樹さまと向かい合っていた。


 ふたりきりで話をするのは初めてだ。

 雇用されたときも話をしたけれど、あのときは州候代理と、執事の杖也老じょうやろうがいたからな。

 直接、言葉を交わしたのも、数語程度。


 こうして向かい合って話をするなんて、本当に異例中の異例だ。


 杏樹さまは、小柄な少女だった。

 髪は結わずに、肩の後ろで結んでいる。

 着ているのは和装で、旅行用の道行みちゆきを羽織っている。


 杏樹さまは緊張した顔をしていた。

 無理もないと思う。

 馬車の中で男性とふたりきりなんて経験は、滅多にない──というか、追放中でもなければあり得ない。

 俺も礼儀正しくしないと。


「お目通りの機会をいただき、ありがとうございます」


 俺は頭を下げた。


「また、『霊鳥継承の儀』において、立場もわきまえずに発言してしまったことをお詫びします。にもかかわらず、鬼門への同行をお許しいただいたことに感謝します。それから──」

「堅苦しいあいさつはいりませんよ、零さま」


 杏樹さまはうなずいた。


「それに、桔梗が言ったでしょう? わたくしは……あなたがかばってくれたとき、本当にうれしかったのです。州候代理の前で、一般の民である者が声を上げること、それがどれほど勇気がいることかは、わたくしにもわかります」


 深呼吸して、杏樹さまは、続ける。


「そんなお方ですから、こうして忌憚きたんなくお話をしたいと思ったのです。わたくしはあなたを、信じておりますから」

「ありがとうございます」


 ……すごいな。この人は。

 杏樹さまは州候の一人娘だ。いわゆる貴族で、庶民の俺とは立場が違う。

 それでも『信じている』の一言で、こうして話に応じてくれるのか。


 やっぱり、州候代理や、その娘の沙緒里とはうつわが違う。

 尊敬に値する主君だ。杏樹さまは。


「それで……お話というのはなんでしょうか?」

「では、申し上げます」


 俺は居住まいを正して、答える。


「俺は、鬼門に行く前に、杏樹さまのお考えをうかがいたかったのです」

「私の考え、ですか?」

「杏樹さまは、これからどうされたいですか?」


 俺はたずねた。

 杏樹さまがどうしたいかによって、俺の身の振り方も変わってくるからだ。


「俺は州候さまから、杏樹さまの護衛を命じられています。任務はまっとうするつもりでいます。問題は、杏樹さまをなにからお守りすればいいのかなんです」

「と、おっしゃいますと?」

「例えば、杏樹さまが俺に『鬼門にで魔獣を討伐せよ』と命じられたら、俺はその役目を果たします。護衛の俺の成果は、杏樹さまの功績ともなります。州候代理も、それを無視することはできません。そうなれば、やはり次の州候は杏樹さまに、という声も上がるでしょう」

「……それは、あり得ますね」


 杏樹さまがうなずいたのを確認して、俺は続ける。


「そのような声が上がれば、杏樹さまは州都に戻り、州候の地位を継ぐことも叶うかもしれません。州候となれば、御身は安全となります。つまり、俺が魔獣討伐をして成果を上げることも、杏樹さまの身の安全につながるわけです」

「わかります」

「もちろん、鬼門にて杏樹さまの身辺警護にてっすることもできます。ですが、それでは杏樹さまは、州都に戻る手立てが得られないままとなります」

「大局的に見れば、わたくしを守るには前者の方がいいのですね?」

「そうです」

「だから零さまは、わたくしがどうしたいのかを確認する必要がある……ということですか。なるほど……」


 杏樹さまは考え込むように、うつむいた。


「あなたは賢い方ですね。『虚炉流』といえば武術の名家ですが、あなたは強さだけではなく、知恵も備えていらっしゃる……父が、あなたをわたくしの護衛にと選んだ理由がわかりました」

恐縮きょうしゅくです」

「ただ、わからないこともあります」

「なんでしょうか?」

「零さまはどうして、そこまでしてくれるのですか?」

「それは、俺が杏樹さまの護衛で──」

「あなたは高名な『虚炉村うつろむら』の出身でしょう? 仕事など、他にいくらでもあるはずです」


 杏樹さまは、膝の上でこぶしを握りしめていた。

 ぐっ、と、俺の方に身を乗り出す。

 逃げることを許さないようかのに、じっと俺を見つめている。


「『虚炉村』の現村長は、先の皇帝陛下の護衛をされていたこともあると聞いています。あなたはその村長の孫ですよね? そのような方が、わたくしにこだわる理由がわからないのです」

「そういうことですか」


 確かに、杏樹さまの立場からすれば、そうかもしれない。


「お気持ちはわかります」

「は、はい」

「そうですよね。出会って1ヶ月しか経ってないですもんね。その護衛が、今後の身の振り方なんて聞いてきたら、びっくりしますよね……」

「そういうことではありません!」


 いきなりだった。

 杏樹さまは小さな手で、俺の手を握った。


「わたくしは自分のために、誰かが犠牲になるのが嫌なのです!」

「杏樹さま?」

「わたくしは『霊鳥継承の儀』に失敗しました。沙緒里さおりさまが有利なように儀式が進められていたとはいえ、霊鳥『緋羽根ひはね』がわたくしと契約しなかったのは事実です。鬼門へと流されるのも……仕方のないことだと思っています」


 手に力をこめて、杏樹さまは語る。


「そんなわたくしのために、さいある者が犠牲になってはいけません。特に、零さまはまだわたくしに仕えて一ヶ月でしかないのです。わたくしのために、才能を無駄遣いするのは──」

「杏樹さまは誤解されています」

「え?」

「俺が杏樹さまにお仕えするのは、自分のためでもあるんです」

「……そうなのですか?」

「えっと……これから申し上げることは、秘密にしていただけますか?」

「…………承知しました」


 近づきすぎた、と思ったのだろう。

 杏樹さまは俺の手を放して、姿勢を正した。


「では、うかがいましょう」

「はい。実は俺は、年金受給者になりたいんです」

「…………はい?」

「あ、間違えました。恩給おんきゅう受給者になりたいんです。いえ、なります」


 訂正した。

「なりたい」と「なります」は違うからな。

 決意は、はっきりと述べておこう。


「……え、あ、はい? ねんきん? 恩給おんきゅう?」

「一定の年数、州候の家に仕えると、退職するときに恩給がもらえるんですよね?」

「そうです……ね。はい。老後の生活のために、定期的に」

「俺は、その恩給を受け取る者になりたいのです」

「…………はぁ」

「恩給受給者になって、老後の生活を安定させるのが、俺の夢です」


 前世ではもらえなかったからな、年金。

 病弱だから、老後は身体がきかなくなると思って、対策してたのに。会社の年金だけじゃ不安だから、個人年金も掛けてた。積み立てもしてた。負担にはなっていたけど、老後が心配だから、がんばって掛け金を払ってた。


 なのに、前世の俺は20代前半で死んでしまった。

 あれだけ払ったのに。欲しいものも我慢してたのに、1円も受け取れなかった。


 だから、今世でそれを取り返したい。

 今世の俺は健康だから、きっと長生きすると思う。そんな時のために、老後の対策を立てておきたいんだ。


「できれば、恩給をもらいながら、小さな料理屋でもできればと思っています」


 俺は続ける。


「料理が趣味なんで。あんまりもうからなくてもいいですから、静かに暮らしていけるような、そんな店を」

「あの……零さま」

「はい。杏樹さま」

「零さまは今、おいくつでしたか?」

「16歳です」

「わたくしより、ひとつ上なだけですよね?」

「そうですね」

「まだまだ若いですよね?」

「いえ、老後の準備は若いうちから始めた方がいいんです。個人年金だって、20歳から積み立てるのと、40歳から積み立てるのでは、老後に手にする金額が違いますから」

「ね、ねんきん? 積み立て?」

「すいません。それは別の話でした」

「えっと。つまり、零さまは恩給をもらうために、わたくしに仕えていらっしゃるのですか?」

「いえいえ、杏樹さまへの忠誠心はちゃんとあります」

「そ、そうですよね。でなければ叔父さまに──州候代理に逆らったりするわけがありませんから」

「でも、恩給は欲しいです」

「……理解できません」


 杏樹さまはかぶりを振った。


「あなたはあの『虚炉村』の村長の孫ですよね? 強いのですよね? 仕事はいくらでもあるでしょう。一攫千金いっかくせんきんを目指すこともできましょう。なのに、どうして恩給などと……」

としを取ると、肉体労働ってきつくなるんです。特に戦闘職は」


 それが、あの村で暮らしてきた俺の実感だ。


「そうして任務に失敗して、命を落とすこともあるんです」

「もしかして……あなたの父君のことでしょうか?」


 不意に、杏樹さまがなにかを思い出したような顔になる。


 ……そっか。

 父さんが護衛の仕事中に死んだとき、杏樹さまもいたんだっけ。


 5年前、俺と父さんは、紫州候ししゅうこうと杏樹さまの護衛を命じられた。

 そのとき、謎の魔獣と魔獣使いの襲撃を受けた。

 俺は杏樹さまの護衛に回り、父さんは、兵士たちと共に、敵に立ち向かった。


 兵士たちの犠牲者は出なかった。

 犯人も、そのほとんどを捕らえることができた。

 すべて父さんの働きのおかげだった。すごかったらしい。太刀をふるって魔獣を倒し、魔獣使いの術者たちを無力化したんだから。


 だけど、そのせいで、父さんは命を落とした。

 最後の最後で、敵に背後から刺されたんだ。事故のようなものだった。


 村に戻って報告したら、村長──祖父は『たるんどるからだ!』と吐き捨てた。

 俺があいつに本気で殴りかかったのは、あのときが最初で最後だ。


「申し訳ありませんでした」


 杏樹さまは、俺に頭を下げた。


「あなたの父君が亡くなったのは、わたくしたちの責任です」

「いえ、州候さまや杏樹さまの責任ではありません」

「でも、わたくしたちが敵の計画に気づいていれば、こんなことには……」

「本当に杏樹さまたちの責任じゃないんです。父さんを殺したのは、うちの祖父ですから」


 俺は言った。

 杏樹さまの目が、点になった。


「あなたのお祖父さまが、お父君を?」

「そうです」

「で、でも、お父君は、わたくしたちの目の前で──」

「それはただの結果です。父さんが本調子だったら、術者の攻撃なんてたたき落としていました。父さんが攻撃を避けられなかったのも、魔獣討伐に苦労したのも、出発前に酔っ払った祖父から絶技ぜつぎを喰らっていたからです」

「……え」

「めっちゃ酒乱しゅらんだったんですよ。うちの祖父は」


 当時、俺と父さんと祖父は同居していた。

 祖父の面倒を見る侍女はいたけれど、通いだった。

 それは祖父が、自分の酒乱に気づいていたからだ。

 なのにあいつは酒を止める気配がなかった。


 祖父の口癖は『わしは先帝の護衛を務めた男だ。逆らうな』だった。

 酔っ払って暴れて、家具や食器を壊すなんてしょっちゅうだった。

 俺と父さんが紫州候ししゅうこうの護衛に行く前日も、あいつは酒を飲もうとしていた。


 父さんは祖父に注意した。

 護衛任務には1ヶ月かかる。その間、祖父を抑えるものはいなくなる。

 だから俺たちがいない間だけでも、酒を控えてくれ、と──穏やかに伝えた。


 それが、祖父の逆鱗げきりんに触れた。

 すでに酔っ払っていた祖父は、問答無用で父さんに絶技ぜつぎを放った。

 相手によっては一撃で致命傷を与えるという、『虚炉流』の秘奥義を。


 まさか父さんも、絶技が飛んでくるとは思わなかったんだろう。

 致命傷にはならなかったけれど──父さんは、血を吐いていた。


 止めに入った俺は、父さんに言われた。このことは誰にも言うな。『村は祖父の名声で成り立っている。その祖父が息子を攻撃したとなれば、悪いうわさが立つ。村の皆が、仕事をもらえなくなるかもしれない』──と。


 だから俺も怒りを抑えた。

 祖父は酒を喰らってそのまま寝てしまったけれど。


「──父が刺客に不意を突かれたのは、その時の傷が原因だったんです」


 俺は杏樹さまに説明を続けた。


「父が本調子だったら、魔獣も魔獣使いも、あっさり倒していたはずです。背後からの攻撃も、皮膚感覚ひふかんかくで気づいていたでしょう。それができなかったのは、痛みのせいで、感覚が鈍っていたからです」

「そのようなことがあったのですか……」

「父の死に対して、祖父は『奴が未熟だった』『恥さらし』と言い続けてました。でも、あいつは父の死が自分のせいだって、知っていたんです」


 だから祖父は、俺に辛く当たるようになった。

 あいつが父さんに絶技を放ったことを知っているのは、俺だけだからだ。

 最悪なことに、あいつは村の連中に『零は嘘つき』だと言いふらしはじめた。


 村の連中が、それを信じたかどうかはわからない。

 でも、英雄である祖父が『零は嘘つき』『父が死んだのは自分のせいなのに、村長のわしに罪をなすりつけようとしている』と言いふらせば、村の者たちはうなずくしかない。


 さらに祖父は、自分に都合のいい者を次期村長に推薦すいせんした。

 父さんの葬儀そうぎも、終わらないうちに。


 さすがに反感を持つ者も現れた。その者たちは、別の次期村長を押し立てた。

 そうして、村は混乱しはじめて──


「うんざりした俺は、村を出て、杏樹さまの父君のところを訪ねたのです」

「そんな事情があったのですね……」

「これが、俺が恩給の受給者を目指す理由です」

「いえ……それについては、よくわかりません」


 杏樹さまは首を横に振った。


「零さまの父君が亡くなったのは、お祖父さまのせいなのですよね? それとあなたが老後を心配することは、あまり関係がないのでは……」

「祖父が酒乱になったのは、齢を取っておとろえたからです。どんなに強い人間でも、齢を取ると弱くなります。それをごまかすために、酒に逃げたりするわけです」

「な、なるほど」

「俺は、そんなふうになりたくないんです」

「つまり、お祖父さまは老後の不安からお酒に逃げた。そんなふうにならないように、あなたは老後の安心を手に入れておきたい……と?」

「あと、長年働いたあとは、頭脳労働に回してもらえるんじゃないかという期待もあります」

「……将来のことを考えてらっしゃるのですね」

「これが、俺の本心です」


 そう言って、俺は話をしめくくった。


「俺が杏樹さまにお仕えするのは、すべて自分のためなんです。もちろん長期間働くなら、尊敬できる人に仕えたいというのもあります。杏樹さまの元なら安心です」


 杏樹さまなら信頼できる。

 彼女の方でも俺を信じて、こうして話を聞いてくれるんだから。

 そんな貴族が他にいるとは思えないんだ。


 だから、俺は杏樹さまの元で、長期雇用を目指したいんだ。


「身分をわきまえず、色々とお話してしまったことをお詫び申し上げます」

「…………」

「私欲がある者は許せないとお考えなら、解雇してくださっても構いません」

「…………」

「ですが、今後も雇用していただけるなら、どうか、杏樹さまの存念をお聞かせください。州都への復帰を目指すのか。それとも、鬼門での平穏な生活をお望みなのか。それによって、俺の働き方も変わりますから」

「…………ふふっ」

「杏樹さま?」

「ふふっ……い、いえ、申し訳ありません」


 杏樹さまは口を押さえて、うつむいた。

 顔が真っ赤だった。肩が、小刻みに震えていた。

 どうしたんだろう。

 やっぱり、護衛の俺が私情を挟むのはよくなかったのか……。


「零さま」

「はい」

「わたくしは、あなたの願いを叶えられるように努めましょう」

「……え」

「将来、あなたに恩給を与えられるようにいたします。仮にわたくしが鬼門の代官として日々を送ることになったとしても、万一、他州に嫁ぐこととなったとしても、あなたを護衛として雇い続けます。高齢になったら文官として働けるようにして……将来的には、恩給を出せるようにいたしましょう」

「本当ですか!? 杏樹さま」

「紫州の土地神に誓いましょう」


 そう言って、杏樹さまは座席に置いた袋に手を伸ばす。

 中から取りだしたのは、朱塗りの柄のついた、神楽鈴かぐらすずだ。

霊鳥継承の儀れいちょうけいしょうのぎ』のとき、杏樹さまと沙緒里が舞いながら、鳴らしていたのを覚えている。


 杏樹さまはそれを、しゃらん、と、振って、


「州候、紫堂暦一のひとり娘、杏樹が誓います。零さまが恩給受給者となれるよう、全力を尽くすことを」

「ありがとうございます。杏樹さま。それで──」

「わたくしが零さまになにを望んでいるか、ですね」

「はい」

「そうですね……零さまにはやはり、魔獣討伐をお願いしたく存じます」

「では、やはり州都への復帰を?」

「いいえ。魔獣討伐は、民のため。わたくしのためではありません。ただ……結果として、州都に戻ることになったのであれば、それを受け入れるつもりです」


 杏樹さまは穏やかな笑みを浮かべて、告げた。


「これが、わたくしの気持ちです」

「承知いたしました。俺は、杏樹さまのために力を尽くします」

「よろしくお願いしますね。零さま」


 本当に、いい人だった。

 前世でもこんな人が、俺の上司だったらよかったのに。


 でも、民のために……か。

 それが杏樹さまの意思なら仕方がない。

 この人は俺に年金をくれる人だ。その人の願いなら、叶えよう。


「大切なお話をしてくださって、ありがとうございました。零さま」

「こちらこそ、聞いていただいたことに感謝します」

「お礼に……というのは変ですが、わたくしも零さまにお伝えしたいことがあります」


 杏樹さまは表情を改めて、


「わたくしが『緋羽根』と契約できなかった理由です。このことは桔梗と、執事である杖也老じょうやろうしか知りません。零さまが3人目です」

「……俺が聞いていいのですか?」

「零さまは恩給受給者になるのが夢なのですよね?」

「はい」

「でしたら、ずっと長い時間、わたくしの側にいらっしゃることになるはず。大切なことは、知っておいていただかなければ」

「わかりました。うかがいます」

「実は、わたくしは霊獣や霊鳥と話ができるのです」


 杏樹さまは、きっぱりと宣言した。


「霊獣が契約者と意思疎通ができることは知っていますね?」

「知っています。そうやって命令して、契約者は霊獣のさまざまな力を借りることができるのだと」

「けれど、わたくしは霊獣と契約していません。なのに、霊獣と話ができるのです」

「それは……もしかして、州候さまの霊鳥とも?」

「ええ。契約時に『緋羽根ひはね』とも話をしました」

「それは、お辛かったでしょうね……」


 杏樹さまは『緋羽根』に契約を拒否されている。

 自分を嫌っている霊獣と話をするのは……辛いよな。


「いいえ。『緋羽根』とわたくしは仲が良かったのです」

「え?」

「けれど、『緋羽根』は契約を拒否しました。理由は教えてもらえませんでした。ただ、あの子は言っていたのです。『わたしじゃないよ』って」

「『わたしじゃないよ』ですか」

「そうです」

「けれど『緋羽根』は3文字の霊獣ですよね」


 霊獣は名前の文字数で強さが決まる。

 そこいらにいる霊獣や霊鳥、あるいは精霊と呼ばれるものは1文字だ。

 ちょっと優秀な剣士や術者と契約するものは、2文字。

 州候が代々受け継ぐ霊獣・霊鳥となると、3文字の名前を持つようになる。


「その『緋羽根』が自分ではふさわしくないと言ったのですね。つまり、杏樹さまはそれ以上の霊獣と契約するべきということですか。びっくりです」

「あの……零さま」

「はい」

「2文字か1文字の霊獣がふさわしいと、そういう意味だとはお思いにならないのですか?」

「え?」


 気づかなかった。

 そっか、そういう意味にも受け取れるのか……。


「ふふ。ふふふふふっ」

「杏樹さま?」

「や、やっぱり、零さまは楽しいお方です。あなたになら、安心して護衛をお任せできます」


 それからしばらく、俺と杏樹さまは話を続けた。

 紫州候である紫堂暦一しどうれきいちさまは病気のため、親戚が経営している病院に移送された。

 暦一れきいちさまと杏樹さまの安全のためだそうだ。


 最近は州候代理が勢力を伸ばしてきている。身を守るためには、姿をくらました方がいい。州候の親族──正確には、杏樹さまの母方の親戚は、そう考えたらしい。

 暦一さまが無事でいれば、副堂勇作はあくまでも代理のままだ。

 権限は制限される。

 それは、杏樹さまを守るためには必要なことだ。


 暦一さまが回復することも、ないわけじゃないからだ。

 その際に杏樹さまが怪我をしていたり、亡くなったりしていたら、大変なことになる。そう考えると副堂勇作も、杏樹さまに思い切ったことはできないはずだ。


「ただ、父の容態は思わしくないようです」

「……残念です」


 俺は、他人を健康にすることはできないからなぁ。

 あれがスキルかどうかはわからない。でも、俺にしか効果がないことは確かだ。他の人にも使えるなら、父さんの怪我だって回復させてる。杏樹さまのお父さんだって、健康にできるはずだ。

 使えないな。まったく。


「そろそろ休憩きゅうけいも終わる頃です。護衛の任務に戻りますね」

「お願いいたします。零さま」


 俺と杏樹さまがあいさつをして、別れようとしたとき──



「伝令! 伝令です! 旅人が魔獣に追われております!」



 馬車の外で、叫び声があがった。


「狼型の魔獣【クロヨウカミ】です! 指示をお願いします!」

「すぐに迎撃をお願いいたします!」


 杏樹さまは窓を開けて、叫んだ。


「民を守るのは州候の役目です。零さま、旅人の保護をお願いいたします!」

「わかりました。では、杏樹さま」

「はい」

「戻るまで、馬車の中にいてください。杖也さまと桔梗さま以外の者は、なるべく近づけないように。できますか?」


 まず最優先するべきなのは杏樹さま。その次が、彼女の命令だ。

 彼女の安全が確保されないなら、俺は側を離れるべきじゃない。


「できます。それに、わたくしは魔獣避けの結界を張ることもできます」

「わかりました。では、ご命令に従います。こういうのは、忍びの者の役目ですからね」


 そう言って、俺は馬車から飛び降りた。

 着地してから霊力運用を開始。


「──『我を天地あめつちふいごし、清き浄化の霊気をかん。願わくばすべての邪気をはらわんことを』」


 この世界には、魔力──いや、霊力というものがある。

 天地あめつちを流れるエネルギーで、前世で言うなら『気』のようなものだ。

 人はそれを取り入れて、自分の力にしている。

 そうして身体強化や武器の強化、術などに使う。霊獣・霊鳥と契約するにも、霊力が必要だ。


 俺が口にしたのは『虚炉流』の、霊力を高めるための祝詞のりと

 天地からの霊力を取り入れるためのものだ。


「──零さま。濃密な霊力がお身体を包み込んでいます。どれだけ霊力を取り込む力がおありなのですか……あなたは?」

「それでは行って来ます。杏樹さま」


 俺は地面を蹴った。


「──速──零さま。それが『虚炉うつろりゅ──』の!?」


 杏樹さまの声が遠ざかる。

『虚炉流』は忍びの家系だ。祖父の代までには『正々堂々たる武術』になったけれど。

 これは基本の身体強化。

 ただちょっと、霊力を多めに注ぎ込んでるだけだ。


 風を斬る。飛ぶように走る。

 ああ。健康ってすばらしい。

 そんなことを考えながら、俺は旅人の救助に向かったのだった。



────────────────────





用語解説

・『虚炉村うつろむら


 物語の主人公、れいの生まれ故郷。

 とある山奥に存在している。

 住人の一部が、『虚炉流うつろりゅう』という武術を受け継いでいる。

 元々は忍びの流派だったが、今は剣術使いの村として知られている。

『虚炉流』はこの国にある、最強の3大流派のひとつ。




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