第21話 You Lose

亜由未の家につくと、俺は車のエンジンを止めて亜由未に電話をかけた。

「着いたよ」

「うん、ちょっと待っててね」

「急がないでいいよ。転ぶと病院に逆戻りだから」

「わかってる。一度切るよ」



玄関のドアが開き、亜由未の姿が見える。俺は運転席を降りて助手席のドアを開ける。

「ありがとう。でも、もうここまでしてくれなくても大丈夫だよ」亜由未は助手席に腰を下ろすとシートベルトを締めた。

「うーん、ドアを開けて待つなんて紳士の行いだと思うんだけどなあ」

「紳士だとは思うよ、だけどあんまり甘やかされると私にとってもよくないから」

「そうなんだ」

「それに」亜由未は意地悪な笑顔を浮かべた。

「それに、なに?」

「知らない人が見たら、令嬢が使用人の車で外出するように見えるかもよ?」

俺はハハッと笑い、亜由未を指さし「令嬢でしょ」、それから自分に指を行けて「使用人」、それから車の天井を指さし「外出用の車」ね。

「軽自動車だけどね」と亜由未が笑い、つられて俺も「しかも借りものだよ」と付け加え、二人で大笑いした。



明るく振る舞おうとしていたのは俺だけではなかった。亜由未は気持ちが沼に沈みこまないように、二人して沈没してしまわないように敢えて明るく振る舞おうと努めているように見えた。

それでも、昨日の話題には触れずにはいられない。

「新井がどこにいるのかわからないじゃ、どうしようもないなあ。どんな様子なのあかもわからないし」

「うん。でも仮に会えたとしても、私は何を話せばいいのかわからない」

年末のもはや恒例行事になっている道路工事があちらこちらで行われているせいで、車が動いてはすぐに止まる。

煙草を吸おうと窓を開けると冷たい風と砂粒が宙を舞っていた。

「やーめた」俺は煙草をしまい、ハンドルを掴み直した。

「それがいいよ。博司君は吸い過ぎなんだから。はい」

亜由未は俺が来る前に自動販売機で買ってくれていたのだろう、微糖の缶コーヒーを俺の手に置いた。

「ありがと・・・あちっ!」亜由未は悪戯が成功した子供のように笑った。

「亜由未、まだ熱いって」

「カリカリしない。ほらリラックス、リラックス」

敵わないなあ、と思う。俺よりも亜由未のほうが冷静だ。亜由未と新井の付き合いは相当長いはずだ。亜由未がショックを受けていないはずがないのに。



「結局のところ、今の俺たちにできることってないのかな?」

誘導員が「どうぞ」と旗をふり、俺はゆっくりとアクセルを踏み込む。

「そうだと思う。無理をして新井君を探したり会おうとしたら、新井君の両親は怒ると思うよ」

「そうだよなあ」また車が止まる。

「できることには限界があるよ。ただ、私が言えるのは博司君は責任を感じちゃだめ」

再び車は動き出し、またすぐに止まる。

「どうして?」

「私が言うのもおかしな話だけど、ここ数か月、色々なことがありすぎて、博司君は自分の車をなくしちゃって、私は入院するし、千葉君だって変な言い掛かりをつけたみたいだし、このままだと博司君の神経が擦れきれちゃうみたいで心配なの」

再び車は走り出す。

「ゆっくりでいいから、少しずつ考えようよ」

「そうしたほうが良いのかもね。でもこんなにゆっくり進むのは嫌だよ」俺はハンドルに凭れかかった。全然進まない。逆戻りしているのではないかとさえ思った。

「うん、ここまでゆっくりじゃなくてもいいと思う。ふわあ」亜由未は小さく欠伸をした。


結局、普段なら20分あれば着くはずの我が家に1時間を要した。

「疲れたあー」と車を降りて背伸びをする。

「開けようか?」

「だから、大丈夫だって」令嬢ではない亜由未は、自分でドアを開けて先に降りた。

「この景色、久しぶり」観光名所でもないのに亜由未は感慨深そうに我が家を見上げていた。

「築20年だから、あちこちボロボロだよ。車を一台しか止められないし」

「建て替えをする予定はないの?」

「一応あるらしいけど、10年くらい先じゃないと無理みたい」

「建て替えたら見てみたいなあ」亜由未と視線が重なる。

「見れるよ」俺は視線を逸らさずに、そう言い切った。



「博司君の部屋って2階だよね?」玄関を開き、「お邪魔します」と亜由未はスニーカーを脱いで整えた。

「久しぶりで忘れているかもしれないけど、2階へ上がるときに気をつけてね」

どうしてこういう構造で祖父と祖母は家を建てたのかわからないが、なぜか我が家の一つしかない階段は、やたらと急勾配で、しかも螺旋階段と言わないまでもをつけたのか謎だった。



俺も急いでスニーカーを脱ぎ、急いで亜由未に追う。やはり亜由未は慎重に慎重をきして上っているが、見ているこっちがヒヤヒヤする。

「ちょっ!」亜由未が悲鳴のような声をあげる。

「ごめん、悪いとは思うけど我慢して」俺は亜由未の腰の両端を、それぞれ右手と左手で掴み、力を加えるのではなく落ちないように支えた。



「いきなり触るからビックリしたよ」

「本当にごめん。でもあそこは特に危ないのを知っているでしょ?

「うん、あそこまで傾斜がついているとは・・・久しぶりすぎて油断したよ」

無事に到着した亜由未はコートを脱ぎ、自分の腰に手をかけ「太っていないよね?」と俺に尋ねた。

「全然、むしろ入院生活で瘦せたんじゃない?」

「むうー」亜由未は俺を睨みつけ奇妙な唸り声をあげる。

「でも、動かないとやることが限られちゃうから、結構お菓子を食べるようになったんだよね」

「そういうもんなんだ」亜由未のコートをハンガーでクローゼットにかける。

「そういうものなの」亜由未はまだ腰に手を当てていた。



「しかし、予想通りというか、いつも通りというか、散らかっているねえ」

「申し訳ない・・・」俺はせめて亜由未が腰を下ろすように、散乱しているゲームソフトのパッケージや雑誌、読みかけの漫画、ひびの入ったCDケースなどを両手一杯に掴み、ベッドに腰を下ろせるように道を作った。

「それじゃあ意味がないような気がするんだけど」

「応急処置だよ」亜由未の指摘通り、物を仕舞わずに場所を変えただけ。根本的な解決になっていない。



「それでもいつもの場所は確保できたよ」俺は屈みながらベッドへ向かって顎をしゃくた。

「まあ、今日はいいか」諦めたのか、亜由未は心ばかりだが、なんとか通れるようになった道を辿ってベッドに腰を下ろした。

「これはダメだな、どこから手をつけていいのかわかんない」俺はうさぎ跳びをするように屈んだまま、6畳の部屋には余りにも多すぎる物を手に取っては置き、また手にとっては部屋の隅に放りなげた。

俺には残念なことに年末に大掃除をするという感覚や、その行動意識を持ち合わせていなかった。



「もういいって、それよりも座りなよ」パンパン、亜由未はベッドを叩いた。

「そうする」俺は諦めて足を大きく広げ、「よっこいしょ」と掛け声をかけて亜由未の横に腰をおろした。

「おじさんみたいだね。ってさ」

「今は20代だけど、そのうちうち口癖になるんじゃない?」

「嫌だな、私も言うようになるのかな?」

「歳をとらない人間なんていないけど、言う人もいれば言わない人もいるんじゃない?」

手の甲に冷たい感覚が走る。亜由未は俺の右手に左手を重ねていた。

「博司君には迷惑をかけっぱなしで、でも、いつもありがとうね」

俺は黙って亜由未の唇に自分の唇を重ねた。

物が無造作に散乱していて、彼女を招き入れるような部屋ではないのに、俺の理性が崩れ落ちいぇ、その下に隠されていた欲望がむくむくと姿を現した。

「え?」

亜由未に覆いかぶりそのまま横になる。

もう一度唇を重ね、亜由未の衣服に手をかけたそのとき、「ごめん」亜由未は両手で俺の胸を押し返した。



元の態勢に戻る。俺は手のひらを額に押し当て黙り込んだ。

「あのね、勘違いしないで欲しいの。別に博司君とHをしたくないってそういうことじゃないの」

「じゃあ、どうして」弱弱しい声で亜由未に聞き返す。気まずくて亜由未の顔をまともに見ることができない。

「博司君だって男性だからそういうのをしたいのはわかっているし、しばらくそういうこともしていないし・・・」

俺は亜由未を見ず、何も喋ろうとしなかった。

「あのね、もしも、もしもだよ。博司君が私を求めて、私を抱くことで、それで色々なことを忘れようとしているなら、今はやっぱりできない」俺は一気に萎れていった。

「わからない。けれど亜由未の言う通りなのかもしれない」ふう、と小さく息を吐く。

確かに亜由未の言っていることはわかる。亜由未を抱きたいという欲望と一連の出来事、こと新井のことに関しては手の打ちようがなく、ただもどかしさだけが胸の底で蠢いていた。



「ごめん」俺は絞り出すように声を出した。

「ううん、私のほうこそごめんね。博司君の気持ちをわかりながら中途半端なことをして」

「亜由未の言ったことは当たっているよ。亜由未を抱きたいと思っているのは、亜由未のことが好きだからで、でも亜由未の言う通り、俺はセックスすることで嫌なことや辛いことを忘れようとしているんだと思う」肩を落として項垂れる。

「もう少しだけ時間をくれるかな?私も色々考えすぎちゃって。本当にごめんね」

「あんまり謝らないでよ、なんか俺が惨めになるからさ」

「お願い、変な誤解をしないで、お願いだから」亜由未の声が消え入りそうになり、俺はようやく亜由未と顔を合わせた。

「わかった。我慢するっていうのも変だけど、わかった」

「うん。待っていてねっていうのも変だけど、お願いします」亜由未は小さく笑った。



それから二人でプレステの格闘ゲームで遊び、部屋の大掃除はをいつしようか?などと他愛のない会話をした。亜由未が気を遣ってくれていることがひしひしと伝わってきた。

しっかりしろよな、と自分に何度も言い聞かせる。だが、思いとは裏腹に記憶が勝手に巻き戻しされていく。

結果的に今回は拒否された。仕方のないことだとわかっている。

瞬間的に「拒否された」という言葉が頭の中で文字となって浮かびあがる。この言葉を俺は耳にしたことがある。いつのことだ?

誰に言われた?どうして言われた?場所はどこだ?そのとき俺はどうした?

ぼんやりとシルエットが浮かびあがる。ああ、千葉か、あいつに言われたんだ。



「真紀にも拒否されたか?ざまあねえな」



あのとき、病室で千葉は間違いなくそう言った。未来予知か自身の体験談か、単に負け惜しみでそう言ったのかはわからない。



無性に腹が立つ。

なあ、お前はいつまで俺に纏わりつくつもりなんだ?。

頼むから、もう関わらないでくれよ。

鬱陶しいんだよ、お前の存在が。



「どうしたの随分怖い顔をしているけど?」真紀はコントローラーを握りながら心配そうに俺を見ている。

「ごめんごめん、本当にどうでもいいことなんだ」

「嘘はなしだよ?」

「もちろん」俺は落としてしまったコントローラーを拾いあげた。

気が付くとテレビに映る俺が操作していた格闘ゲームのキャラクターが倒れ込んでいた。

「You Lose」の表示いつまでも消えない。うるさいな、黙れよとテレビ画面を睨みつけた。

「本当に大丈夫?」亜由未は本当に心配しているのだろう。両手で俺の右肩を掴んだ。

「大丈夫、大丈夫。ごめんね。あ、そろそろ送るよ」口調は至って優しかったが、俺は荒っぽくプレステの電源を落とした。

「そうだね、お願いします」

「階段を下りるときも本当に気をつけてね。俺が先に下りて落ちないように見ているから」

「階段を下りるのに命がけって、やっぱり変だね?」亜由未が不思議そうに、でも面白うに笑ってくらたので「俺もそう思う。ずっとそう思いながら、この家に住んでいるよ」どうにか俺も笑い返すことができた。



亜由未を家まで送るとき、驚くほど道は空いていた。道路工事に精を出していた職人さんたちは、まるで仕事を一斉に放棄してしまったかのように誰一人見ることはなかった。

「全く一度にやり過ぎなんだよ。時間をずらせばいいのに」

亜由未を送った帰り道、俺は悪態を付きながら車を走らせた。



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