第22話 誘い

年が明ける。もうすぐで大学生も終わりだ。

亜由未は新潟に住む祖母の家に5日まで家族で帰省すると言っていた。

「そっちに戻る前に連絡するね」30日の夜に亜由未はそう言って電話を切った。

俺はさしてやることもなく、年越しをプレステとともに過ごした。虚しいと思いながら。



新井の動向は掴めないまま。どこにいて、どういった状況なのか俺には知る術がなく、いくらゲームが好きと言っても、この状況ではゲームにも集中できず、ヘッドホンで音楽を聴きながら横になる時間が増えていった。

元旦、2日が何事もなく終わる。正月と言っても何も変わらない。社会人ではない俺には休日という感覚がよくわからず、悶々とした日々を過ごしていた。



「先輩、明けましておめでとうございます!」

三箇日が過ぎ、4日をむかえ、俺の静寂で怠惰な日々は真紀の声で打ち消された。

「あれ?お前、実家に帰省していないの?」真紀の出身地まではわからないが、独り暮らしをしていることは知っていた。だから、真紀は帰省すると勝手に思い込んでいた。

「先輩、まずは明けましておめでとうございます、でしょ?」

「わかった、わかったから」真紀がわざと大声で新年の挨拶を催促したので俺はスマートフォンから耳を一度離した。耳がキンキンする。

「はい、明けましておめでとう、これで良いのか?」

「なんですかその態度は?せっかく新年の挨拶をしたのに」電話の向こうの真紀は不貞腐れているように感じたが、本気ではないこともわかっていた。この後輩のこういうところが俺には可愛く感じた。

「ごめんごめん。ダラダラしているせいか頭がうまく働いていないんだ」

「それじゃ、飲みに行きませんか?勿論、先輩の奢りで。まさか忘れていませんよね?」

「忘れてはいないけど、今ってどこも混んでいるじゃないの?」確かに奢るとは言ったが、唐突すぎる。

「じゃあ、うちで飲みましょうよ。その代わり、お酒とおつまみは全部先輩の負担です。どうせ暇を持て余しているんでしょ?」

「お前も酷いことを言うな。まあ、実際そうなんだけど」暇を持て余しているという表現が俺の小さなプライドを傷つけたが、真紀の言う通り、確かに暇を持て余していた。

「じゃあ、さっそく買い出しに行きましょう!」

「え?今から?」

「今からってまだ夜の8時ですよ。もう寝るつもりだったんですか?老けすぎですよ。それじゃあお爺ちゃんです」

「わかった、わかったから、俺を年寄り扱いするな」

「じゃあ、駅に集合で良いですか」完全に真紀に主導権を握られている。「わかった」結局、俺は真紀の言いなりだった。



真紀は大学の最寄り駅で独り暮らしをしている。俺はアルコールを摂取する以上、車で出かけるわけにも行かず、急いで着替えを済ませ、電車に飛び乗った。

正月の電車内は思っていた以上に空いていた。空席だらけで、酔っぱらった年配の男性が独りで「ちきしょう」とぶつぶつと文句を言い、ガラガラなので人目を憚らずいちゃつくカップルくらいしか目に入らなかった。



駅に降りてもホームは車内同様に閑散としていて、大学生がいないとこの駅はこんなに寂しいところなのかと改めて思いながら、階段を上った。

「先輩、こっちです!」階段を上りきると、薄いグリーンのダウンジャケットを羽織り、タイトなジーンズを穿いた真紀が手を振っていた。

「あけましておめでとうございます」俺は深々と頭を下げた。

「はい、よくできました」真紀は言いつけを守った犬を褒めるように俺に向かって軽く拍手をした。全く失礼な後輩だ。

「あれ?久しぶりのせいか、真紀、お前髪形を変えた?なんだか色も違うような気がするんだけど」

真紀は瞬きを繰り返し「そうなんですよ!ロングだとシャンプーとドライヤーが大変で少し短くしました。あと、髪が痛んでいたから今は染めてないです」と嬉しそうに俺の腕をポンポンと叩いた。

詳しく説明を受けると、確かに真紀の言う通りだ。セミロングというほど短くなく、茶色かった髪の色は黒くなって落ち着いてみえた。




二人で並んで歩き出す。

「先輩のそういうところ、本当に好感がもてます。まさか狙ってそういうことをしているんですか?」

「うん?何が?」

「だから変化に気が付いて、ちゃんと言葉で伝えてくれるところです。無自覚なんですか?」

「うーん、あんまり気にしたことがないから、どうなんだろう?」

思ったことをすぐに口に出してしまうことはよくあった。良いことも悪いことも。それだけは自覚していたし、それがこうやって褒められ、また喧嘩の種にもなっていることもわかっていた。

「それって、そんなに大切なことなの?」

「他の人は知りませんけど、私には嬉しいことなんです」真紀は嬉しそうに笑ってみせた。



ほどなくして、真紀のアパートに一番近いコンビニエンスストアに着き、真紀はカゴを持つと「これとこれ、あ、これも欲しいな」と手当たり次第に、酒やつまみ、お菓子などをカゴに入れ始めた。

「ちょ、ちょっと待って」俺は財布を取り出して中を確認する。帰りのタクシー代と酒代込みで2万円入っているのを再確認し、「お手柔らかにお願いします」と懇願した。

「わかってますってば」と言いながらも、真紀は商品をどんどんカゴに放り込む。

「あのさ、知っていると思うけど俺は飲めない下戸だから、無理に飲ませるとお前の部屋はゲロまみれになるよ」真紀に念を押す。吐くのは嫌だが、吐いて他人の家を汚すのはもっと嫌だった。

「先輩は無理して飲まないでいいですよ。残った分は私の取り置きです」

「あ、そう・・・」奢ると言った手前、今更になって金額をこちらで指定することはできない。俺はもう一度財布を開く。

「これで足りるよね?」おそるおそる真紀に一万円を手渡す。

「充分ですよ」と真紀は俺から一万円を受け取り、「先輩は外で煙草でも吸って待っていてください」と独りで物色を再開した。



真紀の言う通り、外へ出て備え付けの灰皿に近づいて煙草に火を点ける。

少しは気分転換になるのかなあ、と思いながら煙をくねらせる。

今日が4日だから、明日には亜由未も戻ってくるはずだ。俺はスマートフォンをジーンズから取り出すとチカチカと点滅していた。

慌てて確認する。いつの間にか亜由未からメッセージが届いていた。



「ごめん、戻るのが一日遅れて6日なっちゃった。ごめんね」

「大丈夫だよ。待ってるから」

短くメッセージを打ち返す。



亜由未が5日に戻ったとしても会う約束はしていなかった。

でも、やっぱり残念だ。煙草の火を灰皿で八つ当たりするように押し消す。

「お待たせしました」タイミングよく真紀がコンビニから出てくる。両手にはパンパンに膨らんだコンビニのレジ袋をぶらさげていた。

「あ・・・お釣りはいいや」

「それはダメですよ」と言いながら真紀はお釣りを俺に渡そうとするが荷物が邪魔をして手が届かない。

「持つから貸して」真紀から二つのレジ袋を受け取る。ずしりと重さを感じる。

「優しいですね、先輩は」真紀は嬉しそうにお釣りを俺に見せた。

千円が一枚とあとは小銭が数枚。「やっぱりお釣りはいいよ。あげる、お年玉だ」

「お年玉にしては少なくないですか?」と真紀は不満げに顔をしかめ、すぐに「嘘ですよ」と笑った。

亜由未とは違うが、真紀も充分に魅力的で人気があることを思い出す。

「そりゃ人気があるわけだ」と俺は小さく呟いた。

先に歩き始めていた真紀が振り返り、「やっとわかりましたか?」と小悪魔のように微笑む。

「地獄耳だな、真紀は」

「私は自分にとって良いことなら、どこにいたって聞こえるんです」と真紀は嘯いた。

「お前のそういうところを、俺は見習いたいよ」そう言って煙草を吸おうとすると、真紀は「歩き煙草はやめてくださいね」と子供に諭すように注意した。 



二人で並んで歩き出す。パンパンに膨らんだレジ袋で筋トレができそうなくらい重く感じる。

「やっぱり一つ持ちますよ」

俺が何度も袋を上げ下げしているのに気が付いたのか、真紀は駆け寄ってきて、俺に渡してください、というように手を伸ばした。

「いや、大丈夫だから」こんなに重いものを女性に持たせるわけにはいかない。

「良いトレーニングになるよ」俺は精一杯強がってみせた。

「またまた無理をしちゃって」というと真紀は半ば強引に右手で掴んでいたレジ袋を俺の手から奪いとった。

「うわあ、重い。あれ、こんなに重たかったかな?」

「買ったのは真紀だろ?俺は中身のことまでわからないけど、重さが勝手に変わったらそれはミステリーだぞ」

「確かに。重さが変わるだけないですよね?でも平気です。これくらい大丈夫です。トレーニングだと思えば」

「いや、トレーニングは必要ないだろ?」

「いいんです」と言いながら真紀は両手で必死になってレジ袋を持ち上げている。

「じゃあ、半分貸して。2個のうち俺が1.5個持つ。それでいいだろう?」

「そうします」真紀は素直に片方を離すと「ほらほら、落とさないでくださいよ」と急かした。



左を歩く俺は物で溢れかえっているレジ袋を左手に持ち、右手でやはり物で溢れかえっているレジ袋の左の空洞を右手で掴み、再び真紀のアパートに向かって歩き始めた。

「なんだか、宇宙人を捕獲したみたいに見えませんか?」真紀は街灯で地面に映る影をみて、途中で足を止めた。

「なんだよ、それ?」よくそんなことを知っているな、と感心もしていた。

「そうじゃなきゃ親子です。子供を真ん中にして両親が手を持って歩く姿」

「まあ、宇宙人よりはしっくりくるけどさ、俺はまだ20代前半だぞ?子供なんて言われても全然ピンとこない」

「私だって20代になりたてです」威張るように胸を突き出す真紀の様子がなんとなく面白くて俺は小さく笑った。

「先輩」そう言って真紀は一度足を止めた。

「どうした?」真紀はさっきまで見せていた笑顔を隠し、真剣な顔をしていた。

「先輩はもう少し気楽に生きたほうがいいですよ。なんだかいつも無理をしているようにみえます」

参ったなあ、と思う。女性のほうが男性よりも明らかに大人びているのは高校生くらいでとっくに気がついていた。それでも見透かされているようで気恥ずかしくなる。

「俺ってそんなにわかりやすい?」

「ええ、それはもう」真紀はまた小悪魔のような笑みを浮かべた。

「じゃあ、ボロが出る前に急ごう」

「今更ですけどね」真紀は少し呆れたように俺を見ると、「もう少しです。頑張りましょう!」と歩く速度を少しだけあげた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る