第15話 想い

コン、コン、「入るよ」平静を装う。返事はなかった。

カーテンの仕切りは開いている。亜由未はファッション誌でなく、小説を読んでいた。

「あのさ・・・」

「わかってるよ」亜由未はこちらを見ず、読んでいた小説を閉じた。

「真紀ちゃんさっき来てくれて、大体のことは聞いた」

「そう・・・」



「座っていいかな?」

「どうぞ」パイプを椅子を掴み、音が立たないようにゆっくりと開き、腰を下ろす。

「ごめん、としか言いようがない」

「正直言って私はどうしたらいいのかわからない。そもそもの原因をつくったのは私たちだから」

『私たち』の『たち』に過敏に反応しそうになる。「いや、俺にも責任はある」本当にそう思っているのかと詰問されたら、「いや、本気でそうは思っていない」と答えそうだ。

今回の一連の流れに俺は間違いなく関わっているが、直接の原因とはどうしても思えなかった。



「千葉が退院するまではお見舞いに来られなくなった。出禁みたいだ」

「そう・・・」

あまりも素っ気ない亜由未の態度に怒りというより不安を抱く。やはり俺は亜由未が好きで、この状況下で愛想をつかされることを恐れていた。



俺は黙って俯く。両手を膝に乗せ、亜由未を見ることもできず、ただ黙ることしかできなかった。何を言葉にしても嘘になりそうで、どう釈明しても言い訳にしか聞こえないだろう。

不安が悪い想像を掻き立てる。このタイミングで「別れよう」と告げられたどうすればいい?俺の体が風船が萎れるように縮こまっていく。


「博司君・・・」

「え?」亜由未が俺の右手に自分の両手を重ねてきたことに驚いた。

「そんな顔をしないで」

「でも」嗚咽が漏れる。

「大丈夫だから」

「迷惑をかけて博司君を困らせたのは私だよ?だからそんなに自分を責めないで、ね?」

涙で視界が遮られていたが、亜由未も泣いていることに気が付いた。

「お願いだから、自分を責めないで」

涙が溢れて止まらない。亜由未と進む道はここで行き止まりではなかった。道はきちんと続いていた。

「そもそも、千葉くんがああいう人だってわかっていたでしょ?」

「うん」

「だったら、ムキになって怒っちゃダメだよ」亜由未は鼻を啜りながら笑顔を浮かべた。

「ほら、ハンカチ」亜由未は病室のテレビの横に置いてある小さなポーチからハンカチを取り出して俺に差し出した。

「大丈夫、俺も持っている」顔をぐしゃぐしゃにしてハンカチを取り出して笑ってみせた。

「そうなんだ、珍しいね」と亜由未が笑い、「そうだろ?」と一緒になって笑った。



亜由未の涙を俺が持っているハンカチで拭き取り、亜由未は足に負担がかかならいような体勢で病室にあった箱に入っているティシュペーパーで俺の涙を拭きり、顔が近づいたとき、顔を見合わせ自然に唇を重ねていた。



「千葉が退院するまでは来れないけど、また必ず来るから」

「わかってる。待っているから」もう一度キスをした。

何に怯え、何に恐れ、何に不安を感じていたのか、亜由未はその疑問を一瞬で吹き飛ばしてくれた。女々しいな、と痛感させられる。俺にはもったいない彼女だと再確認もさせられた。

夕陽が差し込む病室で、あのとき間違いなく俺たちは互いの存在が大切だと知った。


 

                ✦

   

           

座席に凭れかかり、映像を眺めていた俺は自分の頬を涙がつたっているのに気付いた。この夢が過去のものだとはわかっている、おそらく誇張もされていない。ただ、忘れていただけ。いや、忘れようと蓋をして仕舞っていただけだ。



亜由未を信じていた、それは紛れない事実だ。疑っていたのもまた事実だったが、この光景を目にして、あのときの想いが蘇る。互い必要としていたはずだ。

じゃあ、どうして?

俺の考えを表現するように滑らかに流れていた映像がぶつ切りになる。コマ送りされているようだ。



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事故の相手に体を直角になるほど曲げて謝罪している俺の姿。

確か「あんたも気の毒だな」と言われたはずだ。あんな奴とは関わらないほうがいいとも言っていたはずだ。

俺は千葉を連れていかず、一人で折り菓子を持って行った。

幸い、事故のときほど興奮しておらず、俺の謝罪を受け入れてくれた。



次は・・・大石さんだ。やはり同じように体を曲げて謝っている。

大石さんに「災難でしたね」と同情され、「もう人に車を貸さないほうがいいですよ」と優しく諭された。



あのとき、病室で亜由未と思いを共有できたから、俺は頑張ることができた。嫌だと思いながらも動くことができた。



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ただ、俺の行動とは裏腹に、俺が病室で千葉に行った行為が学内で非難を浴びるようになった。

「吉田、お前、やりすぎだって」

「大人気がない」

「怪我人に暴力を振うって最低だよね」

「あれでしょ、嫉妬したんでしょ。痴情のもつれって、なんか笑えるよね」



不条理だと思った。当事者でもないくせになんなんだと罵ったこともあった。

悪いのは千葉だとわかりながら、ただ千葉に怪我をしたというだけで同情は千葉に集まった。俺に人徳がなかったのか、それとも千葉が思っていた以上に好かれていたのか、それは今でもわからない。だが俺は被害者でもあるのに、一方的に加害者になっていた。



人間がいかに勝手で醜い生き物だと痛感した。所詮は他人事で、俺の車が大破したことには知らんふりをして、三角巾で腕を吊るして痛々しく通学してきた千葉を心配する声が耳障りで不愉快だった。

それでも亜由未さえいてくれればいい、どうせお前らとはもうすぐお別れだと悪態をついた。



「みんな好き勝手なことを言っているけど、そんなの気にするなよ」

新井はポケットから煙草を取り出して火を点ける。

「あれ?お前、煙草を吸っていなかったよな?」

俺は大学の喫煙所でいつものように煙草を吸っていると、新井がきて突然煙草を吸い始めた。

「横、座るぞ」新井は今にも壊れそうな長椅子に二人を腰を下ろした。ミシミシと嫌な音がする。

「色々あってさ、なんか吸いたくなって最近吸い始めた」そう言った新井の表情はどこか険しく感じた。

「新井がそう思ってくれればそれでいいよ」俺は新井が理解してくれていることが嬉しかった。

「みんな暇なんだよ。就職が決まったなら学校なんかこなきゃいいんだ」新井は忌々しい気に煙ととともに吐き出すようにそう言った。



珍しい、と思った。新井は温厚で人の悪口をそう言わない。

「俺なんかまだ就職先が決まらない。嫌になるよ」

返答に困る。軽はずみに同情はできないし、頑張れと発破をかけることもできない。

「卒業旅行はどうするんだ?」話題を変える。

「いや、お前と亜由未ちゃんが行かないならやめようって話になって」

新井は更にもう一本煙草を取り出して火を点ける。

「悪かったな」

「いや、どのみち俺も就職が決まらないのに旅行なんかできない」他意はないのだろうが、新井の口調から苛立ちが滲み出ているようにも思えた。



「俺の就職が決まって亜由未ちゃんが全快したら、そのときに小旅行でも行けたらいいな」

「ああ」

「しかし、お気楽でいいな」

「何が?」

「お前を勝手に悪者にしている奴らだよ」

「別にいいよ。中学生じゃあるまいし、いちいちそんなの気にしていたら俺はハゲちゃうし」「そりゃそうだ」と新井は笑い、その表情はいくらか和らんで見えた。



「ところで」と言いながら新井は更にもう一本煙草を吸おうとした。

「お前、俺がいうのも変だけど吸いすぎじゃないか?」と手で制した。

「亜由未ちゃん、もうすぐ退院できるんだろ?」

「思ったよりも早くてほっとしたよ」松葉杖はしばらく必要だろう、ただ年内で退院できるとは俺も思ってもいなかった。

「でも、クリスマスを一緒に過ごすとかそういうことはできないから」

「そりゃ残念だ」と新井は俺を一瞥し、結局、手に持っていた煙草に火を点けた。



俺は密かに亜由未にプレゼントを用意していた。退院祝いでも、クリスマスプレゼントでも、その名目はなんでも良かった。

シルバーの小さなハートのネックレス。ハートが大きすぎると、想いの強さが、気持ちの大きさがバレそうで、何となくだがそれは避けることにした。

結局、亜由未へのプレゼントはハートのままで、でも近くで見てわかるくらい大きさの者を見つけて、すでに購入していた。

あとはタイミングを見計らって渡すだけ。値段は決して高くはないが、気持ちだけはこもっている大切な、大切な亜由未への贈り物だった。









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