第14話 気持ちが悪い

千葉の胸ぐらを掴み、窓際に追いやる。右腕を怪我しているせいで千葉は抵抗できないでいる。

「へへっ、病院で人を殺すつもりか?お前のほうが俺より数倍イカれているな」

まだ憎まれ口を叩けるようだ。俺は胸ぐら掴んだまま千葉を窓へ押し当てた。



「ちょっと先輩、まずいですよ」

「なあ、やめろって、確かに千葉ちゃんの態度は悪い。けどよ、怪我人相手にすることじゃないぞ」

「おい、誰か呼んでこいよ!」



室内がざわつく。すぐに千葉と引き離されるだろう。それなら「もう二度と俺たちに近づくな」低い声で一度目の警告をする。

「俺たちって、亜由未ちゃんもか?お前本当に何様だよ?」警告を無視したようだ。

俺は千葉の胸ぐらを掴みながら前後に激しく揺らした。

けほっ、けほっ、千葉が咳き込む。

「そんなことはどうでもいいんだよ。わかったか、わからないかでいいんだ」

「わからないね」

俺は更に力を込め、窓ガラスに押し付け、苦悶を表情を浮かべる千葉に顔を近づける。

「へえ、そうか。お前には何を言っても無駄みたいだな」

「そうだよ、イカれ野郎、やっと本性を表したな」



「何をしているんです!」女性の声の後に続き、二人がかりで俺を千葉から引き離そうとしている。

「ここは病院です!手を離さいと警察を呼びますよ」

年配の看護師が甲高い声をあげる。

「わかりましたよ」

俺は千葉の喉から手を放すときに、怪我をしている右腕、自分から見て左側へ千葉の体を放りなげた。

「いてえ」三角巾で覆われた右腕が何かに当たったのだろう、千葉は本気で痛がっている。

「もう行きますから、離してください」

仲裁に入ろうにもどうしたら良いのわからず、ただ、俺の体にを恐る恐る手を置いていただけの二人の女性看護師が後退りをした。

「千葉、これでおあいこだ」

「いいからあなたは早く出ていきなさい!」鶏がしつこく鳴き続けれているような不快感な音を無視して、部屋の出口に向かう。



真紀は固まっている。ただ、その表情は恐怖で作り物のお化け屋敷で怖がるのはと違う、リアリティがあった。

「おい、吉田・・・てめえ」

まだ喋れるのか?俺もお前も狂っているよ。なあ千葉、傍から見たら同類。同じ穴のムジナだ。これって同族嫌悪ってやつなのか?



「申し訳ないですが、あなたは当院に入らないでください。患者としても、見舞いとしても、どんな形であれ、あなたを見つけ次第、出ていってもらいます」



威厳のある年配の看護長から病院の1階にある相談室に通され、俺は身分証の提示を求められた。相談室と書かれた部屋にはプライバシー保護のためだろう、外から中が見えないようにガラス全体が雲が覆われているような白い加工が施されていた。



6階は大騒ぎになった。不審者が侵入して暴れている、入院患者同士で取っ組みあいの喧嘩をしている、火災が発生した、などなど誤情報が錯綜し、最終的に見舞いにきた人間が入院患者を殺しかけたちという正確な情報が看護師長に伝わるまで30分もかかったようだ。



相談室には俺と看護長の2人。俺は座ってくださいと促され、黙って席についた。

俺は電池が切れたロボットのように動く気配をみせなかったが、「何か身分を証明できるものをみせてください」と言われ、財布から免許証を取り出し、要求通りテーブルの上に置いた。

看護長は免許証を手に取り、何かを紙に書き込むと、テーブルに置いて将棋を指すように俺のほうへ戻した。



「吉田さん、怒りがおさまらなかったら暴力を振っても良いと思っていますか?」

「いえ」

「話では相当千葉さんに煽られ、彼が口汚く罵ったと聞いてます」

ある程度、騒動の真相は調べたのだろう。看護長は淡々と続けた。

「とはいえ、ここは病院です。あなたたちだけのものではなく、多くの患者様が病気を治すためにあるものです」

「わかっています。申し訳ありませんでした」

「まあ、充分反省しているようですが、ともかく先ほども述べた通り、少なくても千葉さんが入院している限り当病院への立ち入りを拒否します」

看護長は少しだけ態度が軟化した。千葉が退院するまでという期限を設けてくれたのは、俺が充分反省している見えているからだろう。

実際、俺も後先考えないで千葉に押さえつけたことを後悔していた。

病院に出入り禁止になるということは、亜由未の見舞いにもこられなくなることだ。その二つがイコールで結ばれたのは騒ぎのあと、真紀に指摘されたからだ。

「これじゃ、亜由未さんのお見舞いに来られなくなりますよ」と。



「あの・・・自分勝手で我儘なお願いだとは承知の上なんですが、今日だけ、出ていく前に会いたい人がいて」

「彼女さん、横山さんでしたでしょうか?千葉さんと同じ夜に運ばれてきた?」

「ええ、そうです。彼女は左足の頸椎を骨折していて、おそらくこれから手術すると思います。時間はとられません、少しだけ、ほんの少しだけ会わせてください」

「うーん・・・」

看護長は逡巡し、俺の目を見て、「良いでしょう、今日だけです。ただ、横山さんが入院している4階の看護師たちにはあなたのことを伝えます。面会時間は30分間だけです。それで良いですね?」とほぼ一方的に結論を出した。

「充分です。ご配慮感謝致します」俺は深々とお辞儀をした。

「では」と言い先に看護長が立ち上がりドアノブに手をかけ、何かを思い出したように振り返る。

「あなたはとても常識があるように思えます。受け答えも丁寧ですし。ただ、あなたのような人に限って、その場の感情で全てを台無しにしてしまいそうで怖くもあり、それを残念に思います。どうか気を付けてください」

説法を説くように看護長は厳しく、ただ口調は至って穏やかで、優しい表情を浮かべながら「あなたたちはまだ若い。取返しのつかない過ちだけはおかさないでください。さあ行きましょう」と俺を連れ立って部屋を後にした。



看護長と別れ、俺は1階の相談室から4階に向かう為にエレベーターへ向かった。上へ向かう矢印を押して溜め息を吐く。出入り禁止になったとはいえ、さすがに監視はされていないようだが、約束を破ると千葉が退院した後も出入り禁止は続いてしまうだろう。

右手で瞼を掴み、もう一度溜め息を吐く。出ていくのは後悔の溜め息だけだ。

頭がチクチクするように痛い。気持ちも悪い。

エレベーターが到着する。中には誰も乗っていなかった。俺は独りで乗り込むと両手を頬を叩く。

しっかりしろよ、と自分に言い聞かせる。まだまだやらなければいけないことは沢山ある。事故の相手にきちんと謝罪もしていないし、車の損害状況、費用もわかっていない。



なんでこんなことになった?と事故の知らせを受けてから何十回と自問自答しただろう?答えなんかみつからない、わかっているのはやり直しはきかないということだけだ。

それでもそう考えずにはいられない。



俺を乗せたエレベーターは4階へ向かう。重力で体が浮くような感覚。ああ、やっぱり気持ちが悪いなあ、俺は持ち歩くようにしたハンカチで口を押えた。



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