第13話 ただ憎い

千葉に会うと思うだけで気が重くなる。だが会わないわけにもいかない。

エレベーターを待ちながら亜由未の「喧嘩しないで」という祈りにも似た嘆願が頭の中で木霊する。

「悪かったね、無理を言って」

「いえ、私も千葉さんの様子を知りたいので」

二人きりで話をすると確実に揉める、そう思った俺は真紀に同行をお願いした。

事故が起きてから三日後のことだった。



「亜由未さん、結構な大怪我を負ったみたいですね」

「うん」落ち着かない。俺は地団太を踏むように立ったまま、片足を小刻みに揺らしていた。

エレベーターが一階に到着し、無機質なドアが開く。

俺は真紀に先に乗るように促し、真紀の後に続いてエレベーターに乗った。

入院着を纏い、車椅子を押す人が1人、もう1人は点滴をぶら下げている。そこに病院の看護師が二人、それに俺と真紀、エレベーター内は、それなりに混んでいた。



千葉が入院しているのは6階、おそらく4人部屋か、6人部屋だろう。入院経験者としてい言えるのは、重症患者はまず個室か、2人部屋にいれられる。後は傷が癒えるタイミングで大きい部屋に移される。絶対のルールではないが、少なくとも2回も入院したことがある俺はその流れが正しいと信じていた。



真紀から千葉の怪我の具合を聞いたとき、俺はスマートフォンホを投げつけそうになった。

右腕を骨折。たったのそれだけだ。



「先輩、顔色が悪いですよ」真紀が小声で呟く。

「今はこの上り下りだけで気持ちが悪くなる」もともと三半規管は強くなかったが、エレベーターで酔うなんて思いもしなかった。



「先輩、おりますよ」いつの間にか6階に到着したようだ。

気が付くとエレベーター内には俺と真紀しかいなかった。

「6階の何号室に入院しているのかまで知っている?」

「電話ですけど、一応話しているので知っています。確か615室です」

「真紀とは普通に話して、どうして俺には謝罪の一言もないんだよ。順番が違うし、そんなのおかしいだろ?」

「先輩、会う前から喧嘩腰はやめてください。気持ちはわかりますが、私でワンクッション挟んだと良いふうに捉えてください」

真紀も事態の深刻さに気が付いているのだろう、心なしか緊張しているように見えた。



無言で真紀の後を歩く。真紀も院内を詳しく知らないはずなのに、俺はどうしても協力的なれなかった。自分勝手だ。そう思いながら、白で統一されている空間をただ歩

く。

俺は病院がなぜ白で統一されているか知っていた。だが癒しや、落ち着ちつくように、気持ち明るくなれるようになんて微塵も感じなかった。ただの白い建物に白い制服を着た人たち、本当にそれだけだった。

  


613、614、615号室、あった、思った通り千葉の病室は4人部屋だった。

「マジっすか、ギャハハ」と低俗で下品な笑い声が病室から廊下まで漏れている。

あの野郎、俺は無意識にこぶしを握っていた。グググ、と握力を限界まで測るように力をこめる。



「ちょっと先輩、大丈夫ですか?」

「ああ、ごめん」

「私が先に行きますから」真紀は開閉のドアを開き、消え入りそうな声で「失礼します」室内に入っていく。

「おお、真紀ちゃん来てくれたんだ!」千葉が歓喜の声をあげた。

「なに?この子、千葉ちゃんの彼女?」

「可愛い子だね、突っ立ってないで、こっちへおいでよ」

うるせえなあ、ここはキャバクラじゃねえんだよ。俺は今にも締まりそうな細長いドアノブを握り、思いっきり真横に引っ張った。ガチン、ぶつかった衝撃でガチンと鈍い金属音が響き渡る。

「よう、千葉、元気だったか?」俺は気持ちの悪い笑顔をわざとつくった。



「なんだよ、吉田もいたのかよ、なあ、お前チンピラみたいだぞ」

千葉は窓際のベッドで胡坐をかいていた。腕だけは包帯の上にギプスがまかれ、三角巾で吊られていた。



俺は近くにあったパイプ椅子を乱暴に掴み、千葉のベッド真横において腰を下ろした。

「今回のことは悪かった、すまん」とてもではないが、心の底から謝罪しているようには聞こえない千葉の弁解。

「これはもうお前ひとりの問題じゃないんだよ」俺は感情のこもっていない千葉の謝罪など意に返さず、更に続けた。

「そもそも、どうしてお前が運転した!しかも左折禁止の道を平気で左折しやがって!」

「先輩、興奮しすぎです。怒るのは千葉さんの言い分を聞いてからでも遅くはないです」

真紀は必死だった。病室に入ってすぐ喧嘩が始まってしまったことに責任を感じているようだ。

「おい、あんちゃんよ、あんた本当にチンピラみたいだぞ」髪の毛がバーコードなっている眼鏡をかけた小太りが口を開く。

「そうだ、千葉ちゃんは怪我人だぞ」今度は寝ぐせが酷い中年が千葉の援護に回る。まったくどいつもこいつも、鬱陶しい。

「外野は黙っていてくれませんか?」俺は立ち上がり、ミュージシャンがマイクを蹴とばすパフォーマンスをするようにパイプ椅子を畳んで蹴飛ばした。

「もう一度言います。大事な話なんで関係ない人は黙っていてくれませんか?」

俺は獣が唸るような低い声を出し、二人を順番に睨みつけた。我慢の限界が近い。沸騰しすぎて爆発寸前だった。

千葉の味方をしていたくせに何一つ事実を知らない二人は、お互いに顔を見合わせて何かを言い返そうとして口をパクパクさせたが、すぐに口を閉じた。



「なあ、千葉、どうしてお前が俺の車を運転したんだ?俺はお前に運転をして良いなんて許可をだしていないぞ」

「あーわかったよ、亜由未ちゃんを助手席に乗せて運転してみたかった、本当にそれだけだよ」

「それで?」

「それでって何だよ?」

「お前、違反して事故ったじゃねーか!」

「それは本当にたまたまだ。運が悪かっただけだ」

こいつの言い分は飲酒運転で検問で掴まり一発免停をくらったやつと同じだ。性質が悪い。



「それで亜由未が足を骨折するほどの重症で、お前は腕の骨折か?亜由未が運転していたらこんなことにはならなかった」

「お前ってそればっかりだな。彼氏だから彼女のことを何でも知っているってか?自惚れんなよ!」

「俺は・・・自惚れてなんかいない」

噴水の真ん中で立ち尽くし、足元から憎悪が絶え間なく満ち溢れ出ていくような感覚。頭上からは殺意にも似た黒く濁った雨が降り注いできては醜く流れ落ちていく。

「それで、自分は真紀と飲んでいたんだから世話がねーよな」

「ちょっと、千葉さん、今はそんなこと関係ないでしょ?」止めるはずの真紀は戸惑いながら憤慨しているようにも見える。



ふう、はあ、深呼吸で火照った体を鎮めようするが、あまり意味がないようだ。千葉の顔を見ると手が出そうになり、千葉の声が耳に入ると罵声を浴びせずにはいられない。

「俺はもともとお前が嫌いだった」言っても構わない。いずれははっきりさせるつもりだった。

「奇遇だな、俺もだ」千葉はさして痛くもないはずの腕をさすりながら、親の仇でも見るように俺を睨みつけた。

「お前のは嫉妬みたいなもんだ。違うか?」

千葉はハハッと笑い「嫉妬というより恨みだな」

「俺は1年のときから亜由未ちゃんを狙っていて、仲良くなって、それなのにお前みたいな何の取り柄もない男にもっていかれた」

「そういうのを逆恨みっていうんだよ!いい機会だ、お前はここの心療内科で看てもらえ。カウンセリングを受けろ、薬を飲め、はっきり言ってお前は病気だよ!」



「病気で結構だよ。ともかく金を払えばいいんだろ?もうそれでお終いだ。俺は疲れた」千葉は怪我をしている右腕が当たらないように寝転がり、帰れというように怪我を負っていない手でしっしっと追い払う仕草をした。

「先輩、今日は帰りましょうよ」

「真紀、悪いんだけど、千葉との仲裁に入ってくれない?このままじゃ駄目だ。話にならない」

真紀は「えー」と露骨に態度に表わした。「嫌ですよ、事故のことは亜由未さんも含めて三人できちんと話し合ってください」



「ケッ、真紀にも拒否されたか。ざまあねえあ」

「おい、待てよ。なんだよ真紀にもって?どういうことだよ?」

「自分の胸に手をあてて考えてみれば?」



「おい、千葉ちゃん、もうやめとけって」

「そうだ、煽りすぎだって」

千葉の味方の二人は焦っているのか、千葉を諭し始めた。



「いいんですよ、あいつは無自覚で人を傷つけているんですから」

その刹那、俺は駆け足で近づき、右手で千葉の胸ぐらを掴んだ。

「お前、いい加減にしろよ!好き勝手なことばかり抜かしやがって!



止まらない、こいつが憎い。ただ憎い。殺してやりたいくらいに。

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