第4話 夢の中での追体験
「おはようございます」
「はい、お疲れ様」
時刻は朝の6:00 やっと終わった。これで帰れる。
「お先に失礼します」社交辞令のような挨拶を終えて帰路につく。
自転車で10分。疲労と亜由未の存在がペダルを漕ぐ力を削いでいるようでやたらと重い。
家の鍵を開け「ただいま」も言わずに自分の部屋のベッドに倒れ込む。疲れていてすぐに眠れそうだが、眠れない。俺は睡眠障害と診断されていた。
普通の人が働く日中に寝て、普通の人が就寝する時間から働く。睡眠障害になる典型なのかもしれない。
医師から処方された2種類の薬を水道水で乱暴に流し込む。今の俺には必要なものだ。薬がなければ不安になるし、多分寝ることも難しいだろう。
薬を飲んだおかげか、飲んだという安心感か、眠気はすぐに襲ってきた。俺は服を着替えることなくそのまま瞼を閉じて眠りについた。
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「おーい、吉田。ボンヤリしている場合か?」
新井が俺の方を軽く叩く。
ああ、そうか、ここは夢の中か。不思議なもので夢を夢だと認識できる。多分それは俺だけじゃないはずだ。そういう人が結構いると聞いたことがあった。
「ああ、悪い」夢なのに言葉がすらすら出てくる。いや出ているように思いこんでいるだけだろう。
「ほらあそこ、見えるか?彼女が横山亜由未さん」20メートルほど先にいる3人組の女子グループを新井が指さす。
「いや、だからわかってるって」当たり前だ。現実世界で会っている。
「じゃあどうして俺に横山さんのことを教えてくれって頼んだのさ」新井は不満そうに顔を歪めた。
「ええと、それは、うーん、まあ何というかわかるんだよ」俺は言葉を濁し、誤魔化した。
「なんだか歯切れが悪いな。まあいいか。確かに可愛いな、横山さん。俺の趣味じゃないけど、人気があるのはわかる」
新井は学内でも気の許せる数少ない友達だが、さもイケメンでモテてモテてしかたがない物言いをする。ただ、実際に新井は背が高く、人当たりも面倒見もよいので、女子から人気はあった。
「あれだろ、横山さんが俺のことを気にしているということだろ?」
「あれ?まだ知らないはずだけど、誰に聞いた?」
もちろん、その時に初めて新井から聞いた。ただ今はなぜか夢の中で過去の追体験をしている。先に起きることはある程度理解しているつもりだ。
しかし、夢だとしても新井に会うとは思わなかった。嬉しいような悲しいような不思議な気分になる。
「それでどうするんだ?」
「どうするって・・・」
思い出す。ああ、そうだ。ここだ。ここが始まりだ。
俺は30歳になるまで童貞を貫いたら魔法使いになれるという類の人間ではなかった。人並みに恋愛をして、こういういい方は好まないが、結果的に亜由未は俺にとって3人目の彼女になった。
俺は常に安全策をとろうとした。相手に好意があるのをきちんと把握しないとこちらからは動かない。要するにチキン野郎で卑怯者ということだ。
新井はゼミの関連で亜由未と知り合いだった。そこでそれなりの情報を仕入れて俺に話を持ち掛けてきたのだった。
しかし、夢にしては鮮明過ぎる。所々で色が失われているが、まるで過去にタイムスリップしたようだった。それと時間の経過が早い。重要な場面以外を端折っているようで、あれよあれよという間に話が進む。
気がつけば、いつの間にか俺と亜由未は並んで学内のベンチに座っていた。
夢なのにドキドキする。過去の追体験なのにおどおどしてしまう。
「それで吉田君、話ってなに?」
「ええと、新井から聞いていると思うけど、あーなんていうのか、えーと」
「吉田君。そういうのはよくないと思うよ」説教ではないが諭すように亜由未が言う。至極全うな意見だ。
「はい」俺は夢の中でしょんぼりする。わかっていたはずなのになぜ同じことをなぜ繰り返すのか不思議だった。
ふと考える。一体この夢はいつまで続くのだろう?
「ええと、横山さん。もしよかったらでいいんだけど、俺と付き合ってもらえませんか?」結局告白までしても夢は終わりそうにない。
「吉田君、小細工したでしょう?新井君に頼んで私の気持ちを探っていたでしょ?」
バレバレだ「すいません」俺は亜由未の目を見れず、気まずくなってポケットから萎れていない綺麗な煙草を咥えた。
「ここは喫煙場所じゃないよ」
「あ、ごめんごめん」慌てて煙草をしまおうとすると煙草が手から落ちる。
「煙草吸うの?」
「うん」新井は余計なことを喋っていないようだが、どうせばれることだ。
「どのくらい?」
「1日1箱半くらいかな」
「ええーそんなに吸っているの?吸いすぎだよ。体を壊すし、健康によくないよ。それに煙草代だってバカにならないでしょ?」
「うん。まあ金はかかるけどこればっかりはね・・・」言い訳になっていない。
「煙草のことはさておき、吉田くんが新井くんに探らせるような人だとは思わなかった」
この後のことは覚えている「だから、まずは友達からね」と亜由未が言い、それで充分だとわかるように俺はぶんぶんと首を縦に振った。
「あのさ、変なことを聞くようだけど、横山さんみたいに可愛くてモテる女の子がどうして俺のことなんかを気にかけてくれたの?」
「知りたい?」
「そりゃもちろん」思わず身を乗り出す。
「うーん、顔が好みっていうのもあるけど」
「あるけど?」どんどん前傾姿勢になる。
「あとは内緒。いつかきちんと話すから」
「全く勿体ぶるなあ」コントでずっこけるように膝を曲げて大袈裟にがくっとしたが亜由未はクスリともしなかった。
どうも途中途中のことがあやふやだ。夢の中で過去のことを思い出しているのだから当たり前なのだろうが、このやり取りが本当にあったのかがわからない。
その刹那、俺の脳に直接語りかけるように亜由未の声がする。
これは本当のことだよ
え?今何て言ったの?
わかっているはずだよ。私はもうあなたに会っているんだから
亜由未の言葉に合わせて世界ぐるぐる回る。目の前を歩いていたカップルが砂のように崩れ、足元がグラつく。立っていられない。近くにあるテラスの食堂にの壁をつかもうとすると体がすり抜ける。
景色が揺らぎ続ける。まるで揃わないルービックキューブを一色だけでも揃えようとしているかのように回転をやめてくれない。
おい、夢なんだからもう勘弁してくれ
懇願が夢を見させていた何かに届いたのか、付け替えたばかりの電球のように瞼がパッと開き、寝る前に点けっぱなしだったTVから笑い声が聞こえる。
夢から覚めると、服を着たままプールにでも飛び込んでいたかのように全身汗まみれで靴下まで濡れていた。
「ははは、それはないわ」「いやいやありますって」画面に映るタレントが楽しそうに会話を続けている。
「なんだよ、うるさいなあ」、八つ当たりだとわかっている。それでも俺は苛立ちながらTVのリモコンで電源を落とすとそのまま放り投げた。
スマートフォンで時間を確認すると、薬を飲んだのに3時間しか寝ていなかった。
「くそ、全くなんなんだよ」誰に聞かせるわけでもなく独りごちる。
とりあえず、着替えよう。汗まみれの服を洗濯機に放りこむ。後でお袋から文句を言われそうだが知ったことではないし、そもそもそこまで頭が回らなかった。
これは重症かもしれない。服を着替え、煙草を咥えながら玄関のドアを開けてから火を点ける。我が家は建て替えたばかりで、国が健康促進を促しているように屋内では全面禁煙だったし、それが守れないならば家から出ていくということがルール化されていた。
火を点けた後、煙を燻らせながら腕を組んで考えを巡らせる。
どうせ睡眠導入剤を処方されているんだから、そのときに亜由未のことを相談してみるか?いや、そもそもこんな話を信じるのか?
最悪、入院してください、とかになったらどうする。こういうときは悪いことばかりが連鎖する。
家のガレージの隅にある自分専用のみすぼらしい簡易式の灰皿で念入りに煙草の火が消えるのを確認すると、俺は足早に部屋へと戻り、スマートフォンのカレンダーで、さして重要な約束もないのに、まるでやり手のサラリーマンのように念入りに確認をした。
やはり大したことはない。ただ、5月26日に赤文字で「病院✖」と入力されているだけだ。
✖ということは行かないという俺なりの意思表示だった。だったらわざわざ入力しなくてもいいのに。そう思いながら、つい本能的に予定に組み込んでしまう。
「紛らわしいから消そう」
俺は何度かスマートフォンをタップし、病院と書かれた個所を全て削除した。
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