第一話 時間の変化


「坂井さん!!何度言ったら分かるんですかっ!!」

「そんなこと言ったってーー!」

「なんですか?また言い訳ですか?」

「うぅぅぅ…鬼!!悪魔ぁー!!」


もう少しでお昼の知らせが鳴るであろう時間帯。長い廊下の隅で怒号が響いた。


「本当に、目を離すと直ぐにゲームをしてるんですから…。」

「しょうがないじゃないッスかー!お腹空いたって言ってるんすよ?可哀想じゃないっすか!!」

「放っておいても直ぐに死ぬわけじゃないでしょ!やるなら休憩中にやってください。あなた、一応隊長でしょ?シャキッとしてください!」

「うぅぅぅ…。千歳さんは真面目すぎるんスよー!」

「あなたが不真面目すぎるんです。」


お互い譲らない姿勢で口論しているこの2人。

1人は、あの弥生千歳である。そして、もう1人は坂井玲季斗さかいれいと


千歳が家を出てからもう6年の年月が過ぎていた。今は28歳。

この場所は、とある生体実験が行われている研究所であった。何故こんなところに千歳がいるのか…。それは、この研究所に探していた〝箱〟があるという情報が手に入り、美喜也と千歳は潜入したという状況である。

しかし、すぐに〝箱〟を取り戻すことが当然出来ず、2人は慎重に調査を進めながら、その機会を見計らっていた。


現在、千歳はこの研究所の警備隊に配属しており、副隊長として勤務していた。

玲季斗は千歳にとって一応上司にあたる存在である。


「あ、またパチュゴンが呼んでる」

「坂井さん…」

「ひっ…!!」


ビクッとしながら、端末を閉じてポケットに仕舞う。

千歳は溜息を吐きながら「しっかりしてくださいね。自分は、あっちを見回りして設備点検に入ります。」と言った。玲季斗はヒラヒラと軽く千歳の背に向かって手を振り、しめしめと言わんばかりの表情で端末を起動した。


「本当、千歳さん口煩いよなー。お母さんみたい。大体、俺が隊長なんておかしいッスよねー。千歳さんが隊長やれば良いのにさー。」


ブツブツ文句を言いながら、端末をタップしてゲームのキャラクター〝パチュゴン〟の育成を始める。

そんな玲季斗の肩をポンポンと叩く人物がいた。美喜也である。


「まーたサボってんのか?千歳ちゃんに言い付けちまうぜ?」

「あ…美喜也さん。おつかれーっス!」

「ゲームばっかして、飽きねーの?」

「飽きね〜っすよ!今、来週のイベントに備えて育成してんス!絶対、梨斗りとさんに負けない!!」

「あ?まねりん?あいつ最近ハマってるのがあるって言ってたの、それ?」

「ん?多分そうッスよ!かいパラ!」

「はあ?え?なんって?」

「え?かいパラッスよ!」

「かいパラ…?」


美喜也が首を傾げる。

〝怪獣パラダイス〟略して〝かいパラ〟という。色々な怪獣がおり、育成してバトルをするという単純なゲーム。

食事やお風呂といった怪獣との接し方もパラメーターに響くようでサボると一気にダウンしたりするらしい。


「パチュゴン可愛いんスよ〜♪ほら!」

「なんでコイツ、頭にひまわり乗っけてんだ?」

「乗っけてるんじゃないッスよ!お洒落ッス!ヘアアクセ!!もうすぐ夏になりますし!ガチャで出てきたンスよ〜」

「……へー…」


何を言ってるのか分からないと苦笑いしながら、液晶に映るパチュゴンを見つめた。


「美喜也さんは今何してるんスか?」

「ん?あー、これから まねりん のとこ行って、書類引取りにな〜」

「そうなんスね!」


美喜也が言う〝まねりん〟とは嶋根梨斗しまねりとのことである。

梨斗はこの組織の第3幹部の人間であり、美喜也は梨斗の側近を勤めている。


玲季斗と別れ、美喜也は梨斗の元へ足を運んだ。ノックをし、部屋に入ると、昼間だというのに遮光カーテンで閉め切られ、電気も付けられておらず真っ暗である。

そんな真っ暗の部屋の一部、モニターの光で薄ら辺りが照らされていた。


「ハァ…またか…。」


溜息をついて、パチンッと部屋の電気を付ける。一瞬で辺りが照らされて、床で倒れてる主の姿が飛び込んできた。


「おい。まねりん、また寝落ちてんのかよ。」


グイっと腕を掴み上げ起こそうとした時だった。足元でパキンっと嫌な音がした。

あっと声が漏れた。視線を落とすと、そこにはフレームが曲がり、レンズが割れたメガネの姿。


「あー…。またかよ。おい、まねりん!」

「うーん…」


欠伸をし、目を擦って顔を上げると、呆れた目を向ける美喜也の視線とぶつかった。

掴んだ腕を放すと、梨斗は「はよ…」と適当な挨拶をする。


「もう12時な。」

「あー…マジか。」

「朝お前、もう終わらせるからって言ったよな?」

「言ったような気がする」

「気がする、じゃなくて言ったよな。」

「…………」

「ずーっとやってたのかよ。」

「いや、寝てたみたいだから、ずっとじゃねーよ。」


床をキョロキョロ見ながら言う梨斗に、美喜也は「メガネなら踏んずけて壊した」と言った。


「マジかよ。また…」

「また、ってお前が床にぶん投げて、そのまま寝るからだろ!!」


梨斗はデスクの引き出しを開けながら「あれ、限定モデルで気に入ってたフレームなんだけどなー」など言いながら別のメガネを取り出した。

梨斗は所謂、廃人ゲーマーというやつで、暇さえあればずーっとゲームをし続け、とあるゲームで、サーバーランク上位を保持している人物らしい。

そんな梨斗は、度々こうしてベッドまで行けず、床で寝落ちることもあり、メガネも適当に床にぶん投げるせいか、美喜也に踏まれて何本もダメにしている。


「まねりん、書類」

「はあ?」

「はあ?じゃねーよ。書類は?」

「あー…」


目を仕事用のデスクに向けて指を指す。美喜也は溜息吐きながらデスクに向かうが、デスクに広がっている書類はまっさらである。


「まーねりん?」

「ん?」

「なんも書いてねーけど?」

「書いてねーからな。当たり前じゃん」

「…………なんでまとめてねーんだよ!!!」

「第1研究部からデータ共有されてねーから、まとめらんねーの。」


そう言いながら梨斗は部屋を出ようとする。

「どこ行くんだよ」と言うと「便所」と言いながら「あ!ミキ〜。それ、洗濯よろ〜」とカゴを指差して部屋を出ていく。


西條家次期頭首という身分を隠してはいるが、こんな仕打ちを一体誰が想像するだろうか。当初は千歳が思わず「無礼者!!」とつい叫んでしまったという事があったのはここだけの話。


2人が過ごしている時間は、大きく変化しているのだ。


「あ!梨斗さーん!」

「ん?」


名前を呼ばれ、振り向くと玲季斗がキラキラした目で駆け寄ってきた。


「どした?豆柴。」

「その豆柴ってやめてくれません?」


ムッとする玲季斗を無視して「で?何か用?」と言う梨斗。玲季斗は再びパァっとした顔をして端末を見せる。


「夏限定装備で、やっと出たんスよ!パチュゴンの海パン!!」

「あ、SSRのじゃん。」

「そうなんスよ!マジ可愛くないっすか!?このちょっとお腹出てる感じがイイ!」


興奮して話す玲季斗に、梨斗は真顔で自分の端末を玲季斗に見せると、玲季斗の顔が一瞬で無表情になった。


「俺のモモゴンが1番♡」


そう言って端末をポケットに仕舞いながら、玲季斗の前から立ち去った。

梨斗が育ててるモモゴンが装備していたのはサーフボードにパラソル。

どちらもURと言うやつである。玲季斗はそっと課金メニューを眺め、あと1回だけとタップした。



その日の夜。

時刻は20時を回ろうとしていた。

第1研究部と呼ばれている部署も電気が消された。扉が開き、出てきた人物を待っていたというように声を掛ける。


「けーいちゃん。」

「……?」


振り向くと、立っていたのは美喜也だった。


「西條か…なに?」

「報告書!こっちに回ってきてねーからさ、どうなってんのかな?って。」

「あれ?今回のは第2幹部に回すように宮部みやべに言われたから、あっちに提出したんだんだけど、聞いてない?」

「…まねりん何も言ってなかったんだけど…。」


第1研究部の主任である霜月慧葵しもつきけい。ナチュラルブラックの髪色に、アンダーフレームの眼鏡が良く似合う男である。

慧葵は足元にいるを抱き上げて「話しはそれだけ?」と美喜也に聞く。

美喜也は「あぁ」と頷くと思いきや口にしたのは「人体実験の様子どんな感じ?」だった。


「まだ全然。失敗作ばかりかなー」

「へー…」

「途中で飽きたから、コイツの仲間増やしてた。」


そう言ってを美喜也に向けた。慧葵はポメラニアンが好きなようで、大好きなポメラニアンを実験の材料にし、新たな生物を生み出していた。

大きなクリクリな目をし、丸いフワフワな球体の身体。目などの顔のパーツと手足のパーツが何故か中央によっている。


「ポーメポ♡」

「え?何その鳴き声…」

「可愛くね?」

「………。」


不思議な鳴き声をするポメラニアンを見て、少々引き気味の美喜也。

慧葵は首を傾げると、美喜也は半笑いしながら「あー、じゃぁな!」と言って足早に去っていった。


「霜月…」

「あ、宮部。」


美喜也が去った後、後ろから近付き慧葵に声を掛けてきた男がいた。


「ちょっといいか。」

「俺、なんかした?誰も殺してねーけど。」

「例の実験内容について話がある。」


そう言う彼の名前は宮部真みやべまこと。この組織の第1幹部であり、全体の指揮を取っている人物である。


この組織は、NAP(エヌエーピー)と呼ばれる殺人兵器を作り出す研究が行われていた。

第1研究部は、第1と呼ばれているだけあって、殺人兵器を生み出す研究がメインで行われている。

殺人兵器の元は人間から作られる。つまり生み出される兵器は元人間という事だ。


「もう〝動物〟は使わなくていい。」

「はあ?」

「今まで〝動物〟と組み合わせて作り出していたと思うが、別の方法が上がってきた。」

「……?」

「コレだ。目を通しとけ。あと、この件は、まだ内密にな。」


そう言って真は立ち去る。慧葵は無表情に渡された実験内容に目を落とした。


「千歳ちゃん?」

「あ、美喜也さん。お疲れ様です。」

「うん。千歳ちゃんもな!」

「自分はこの時間から非番なので、部屋でもう休もうかと思ってたのですが、美喜也さんはまだ仕事ですか?」


ネクタイを緩めながら話す千歳を見ながら、美喜也は「俺も部屋に戻るところ」と口にした。

だが、あまり非番の時間帯が被らないからか、美喜也が「あ、そうだ!やっぱ、ちょっと付き合ってくんね?」と飲みの仕草をする。千歳はキョトンとした顔をし「はい」と優しく微笑む。


組織の中にある食堂の隅にテーブルを寄せ、ワインを片手に2人は軽くグラスを合わせた。

チンっと小さい音が響き、グラスに口を付けた。


「もう…4年になってしまいましたね。」

「ん?」

「ココに来て…」

「あー…そうだっけか?」

「そうですよ。ココにあるのは確かだと分かっては居るのに…」

「なんで見つからないのか…って?」


グラスを軽く揺らしながら言う美喜也に、千歳は視線を落とし、静かに溜息を吐く。


んだろ?」

「…はい。あるのは分かってるんです。ですが…」


弥生家の家宝と言われている〝箱〟は確かに千歳が言うように、この組織にある。

しかし、その〝箱〟の管理は別の場所にあった。

そのため、千歳は〝箱〟の気を感じる事はあったが、場所が分からなかった。見えないのである。


「千歳ちゃん、大丈夫だって!」

「美喜也様…」


視線を合わせると、ゆっくりと美喜也は頷いた。

すると、カタンと音が静かな部屋に響いた。バッと振り向くとそこに立っている人物に美喜也は「な〜んだ、風海くんか…。帰ってきたのか。」と笑った。


「おぅ。わりぃな。ビビらせちまったか?」

「出張から戻られたのですね。お疲れ様です。」

「あぁ。ちーっと1日早ぇ戻りになったけどな。宮部の野郎が部屋に居なかったからよォ…。腹減ったし、なんか食うもんねぇかなって…」


頭を掻きながらキョロキョロ見るこの男は京風海かなどめかざみである。

元警備隊隊長であり、玲季斗を育てた男と言っても過言では無い人物である。現在は真の側近を務めている。


「しかし、側近なのに、まこっちゃんから離れて出張とか良いのかよ。」

「あぁ?あー…アイツの命令だしな。それに、宮部には俺だけじゃなくて、木部きべもいるからな。」

「あ、黒柴ちゃんか…」


美喜也は軽く鼻で笑いながらそう言うと、風海は棚からカップラーメンを取り出した。

ケトルに水を入れてスイッチを入れる。

千歳は席を立ち「それでは、自分は部屋に戻りますね。」と言い、その場を後にする。

その背中を美喜也は見つめ、視線を外しグラスに軽く指で触れた。



朝日が昇り、1日が始まる。

大きな欠伸をする玲季斗。時間は6時。千歳は既に起床しており、平隊員に指示を出していた。


「千歳さん、はざーす。」

「坂井さん。おはようございます。京さんが、昨晩戻られたそうですよ。ご挨拶に行かれては?」

「え?キョウさんが!?」


目を見開き嬉しそうに笑みを浮かべた。

「ちょっとキョウさんところに行ってきます!」と走って行ってしまった。

風海のキョウ呼びは、とある人物に京という苗字をキョウと読み間違えられたのが始まりだった。

キョウじゃないと言っても聞かなく、何故かキョウがあだ名のようになっている。


「キョウさーん!」

「おぅ、玲季斗。」

「出張お疲れッス!あ、後でキョウさんに頼みたいことあったんスけど、良いっすか?」

「あぁ。構わねぇよ。ただ、宮部の野郎に呼ばれてっから、それが終わってからだけど良いか?」

「大丈夫ッスよ!」


ニコっと笑う玲季斗を見て、風海はフッと笑って頭をワシワシ撫でた。


真の部屋の扉をノックし、中へ入る風海。

真はデスクから風海へ視線を移した。


「ご苦労だったな。京。」

「……。」

「で、どうだった…。は…」


コトンとペンを置き、頬杖をする真に風海はファイルを真のデスクに投げた。

無言でファイルを開く真。


「俺は反対だ。」

「………。」



ゆっくりと口を開いた風海に、視線を向けることなく、真は「そうか」と返す。


真が目にしているファイルの資料には、飛龍ひりゅう坂東家ばんどうけと記されていた。


「NAPにこの実験は危険だと、てめぇは思わねぇのか。」

「思わねぇ…とは言わないな。」

「じゃぁ、なんで…」

「京…」

「………」


鋭い真の視線が風海の胸を突く。風海は口を閉じ「…もういい」と言って部屋を出た。


その2人を部屋の隅で静かに見つめていた青年がいた。真は「木部」と呼ぶ。


「なんスか?真さん!」


傍に駆け寄ると、風海が持ってきたファイルを渡す。

木部俊きべしゅん。真のもう1人の側近という立ち位置になるが、俊は真の傍にいることになっていた。


「木部、行くぞ。準備しろ。」

「え?あ、うぃっす!」


ガタンと席を立ち、出掛ける準備をする。


NAP…

それは、優しくて実は悲しい物語が秘められていることを、この時は誰も知らなかった。

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