第一章 運命を運ぶ風

第一話

 それはよく晴れた春の終わりだったでしょうか。風が運ぶものが花びらから若葉に変わったくらいでしたから夏の初めと言った方が適切でしょうか。まぁ、そんなことはどうでもよくて、とにかくそんなある日のことでした。

 朝、布団から抜け出したその足で小高い丘に向かおうとした時でした、普段から私に全く興味を示さない両親が私のことを呼び止めたのです。

 従うつもりも理由もないから無視して玄関から出ようとして、ふと覗いたリビングの奥のソファーに座る人を見て私の足は止まりました。いいえ、より正確に言うなればその人の着ている衣服を見て足を止めた。止めざるを得なかったのです。

 その女性が纏っていたのは神官服。真っ白いローブの中心に縦に真っ直ぐ入った真っ赤なラインの神官服。それは間違いなく「正教会」の者が羽織るものでした。


「イリス様、少々お話を」


 立ち上がった神官はなぜか私に敬称を付けて私をソファーへと招くのです。

 理解できないですし納得もできませんでしたが流石に神官に招かれてしまっては断ることはできません。仕方なく招かれるままに机を挟んで神官と向かい合ったのです。


「この度の神託によってイリス様が次期勇者に選ばれましたのでお迎えにあがった次第です」


 私がソファーに腰掛けるのを見てから神官はおもむろにそう言ったのです。


「神託? 勇者? 迎え?」


 別にその言葉の意味が分からなかったわけではありません。ただ、突然のことで頭が追いつかないのです。神託というのは教会に務める神官、その中でも神様の声を聴けるという巫女と呼ばれる人によって伝えられる神様からのお言葉。勇者は過去に魔王を倒したという英雄、迎え……迎え?


「はい、十日程前です。魔王の復活と共に新たな勇者が五人選定されました。今、他の四人のところにも使者が送られています」


「いや、でも私はしがない平民です。魔法も使えないですし戦闘なんてとても……」


 今日に至るまでの十五年間私はそういったこととは全くと言っていいほど無縁でした。唯一あったとすれば近所の悪ガキと喧嘩したくらいでしょうか、それでも数歳年下の男子といい勝負というか辛うじて負けなかったくらいの戦闘力です。世界を脅かすような魔王なんかとは比べるまでもないのです。


「いえ、今のあなたは魔法を使えます。それに戦闘力という意味でもこの街の衛兵よりも何倍も強いです。ただ、あなたはその使い方を知らないだけ、ですので私と共に王都にある正教会本部までご同行ください。魔王は勇者にしか倒せません、我々人類が生き残るためにはあなたの力が必要なのです」


 別に断る理由があるわけではない、ないのです。

 むしろこの家から出られるというのは私にとってはかなり大きな利点ではあります。こんな所で一生を終えるくらいなら常人では一生経験することのできない役目を負うというのもいいかもしれません。

 そう思う私も確かにいる、いるのだけれど、それは大きな危険も伴うでしょう。簡単に言えば勇者になるということは常に自らの死と向き合わなくてはいけないということなのですから。そんなのきっと耐えられない、死ぬかもしれないなんて思うのは木登りに失敗した時くらいで十分です。

 そもそもそんな感情は日常的に感じるべきものではないはずです。聞いた話では勇者は私のほかにも四人も選ばれているそうですし、五人でなければ倒せないとも言っていないのですから私がわざわざこの神官に従うこともないはずです。


「ご両親からは既に許可を貰っています」


 期待していたわけではなかった。むしろそうなんでしょう、とは思っていました。私がそうであるように両親もまた私に興味など持っていないのです。止める理由はない、むしろ食い扶持ぶちが減って助かる程度にしか考えていないかもしれません。今も後ろに黙って立っている二人の顔を伺うことはできないけれどそんなことはもうどうでもよくなっていました。

 そうです、この方が後腐れがないじゃないですか。

 諦めが付くというものです。

 結局、その言葉が私にとって決定打となりました。


「分かりました。王都に行きます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る