きっと聞けない


 職場まで徒歩圏内。これってめちゃくちゃ素晴らしいことだよねと常々思う。


 毎朝、電車の遅延を気にして朝から乗り換えアプリとにらめっこしたり、ぎゅうぎゅうの満員電車で出勤前から神経をすり減らす必要もない。


 始業は八時半だから、七時すぎに起きて七時五十分には家を出る。

 それが私の朝のタイムスケジュール。


 ——のはずなんだけど。


「何でこんな早く出勤してるんだろ私……」


 本日、何故か六時に起こされて。もう既に通勤路を歩いている、現在七時すぎ。

 さっきから欠伸が止まらない。


「七海……桜見るのって仕事終わりじゃだめだったの?」

「それ俺の時間外じゃん」

「そうだけどさ」


 どうせ私には七時台じゃなくても七海の姿が見えてるんだし、それくらい融通してくれたっていいじゃないの。

 なんでわざわざ早く起こすのよ。私、毎朝一分一秒でも長く寝ることに命かけてるのに。


 ——俺もその桜見たいんだけど。


 七海のたった一言で、私の睡眠時間が一時間減少した。

 時間界にクレームを入れたい気分だわ。


 七海と出会って数日経つが、いまだに掴めない。


 そりゃ桜はすごく綺麗だし、散る前にぜひ実物を見てほしいとは思う。

 でも、こんな朝っぱらから行く必要がありますか? っていう。

「朝の澄んだ空気はやっぱり最高だよね」と心なしか、いつもより明るい表情の七海はレアなんだけども。

 朝四時まで起きてた私は、今とても眠くて仕方ないんですよね。朝の空気清々しすぎて辛い。眩しくて目が痛い。


 もう何度目か分からない欠伸をしながらぼーっと歩いていたら、あることに気が付いた。


 ……なんかさっきからすれ違う女子高生や会社員らしく女性からの視線をめちゃくちゃ感じるんだけど!?


 私、なんか変なのかな!? あまりにもじろじろ見られるので心配になって、自分の恰好を見下ろしてみたり髪を手櫛で整えてみたりしたけど……うーん、特におかしいところはなさそうだ。

 身だしなみに何か問題があるなら七海が教えてくれそうなもんだし……と隣に目をやったとき、ハッとした。


「えっ!? 七海もしかしていま顕現してる!?」

「何を今更。当たり前でしょ。じゃなきゃあんた独り言いいながら歩いてるただのヤバイ女だよ」

「……っ、なんでもっと早く教えてくれないの!?」

「はあ? 七時に家出た時点で察しなよ。俺が顕現できるのはその時間だって言ったよね、初日に」


 確かに聞いたけど! 

『人間と関わりたくない』とか『自分から進んで姿現す奴は変わり者』みたいに言ってたから、七海は外では一切顕現しないんだと思ってた。

 今だって、私にしか見えてないもんだとばかり……。


 知らず知らずのうちに、超イケメンと歩いてたとか驚愕だわ。

 私のことなんて誰も見てないと思って油断してたから、めっちゃ欠伸してたのに。


「あああああ……超イケメンと寝不足OLとか恥ずかしいよ……言ってくれたらもっと気合入れてきたのに!」

「何をどう気合入れるわけ。あんたいっつも同じような恰好してるじゃん」

「そうだけど……っ! でも……!」


 服選びの時間とかも面倒だから、色違いのパンツとカットソーを数枚用意して着まわしてるだけだけど!


「事前に言ってくれたら、せめて穴の空いてない靴下を履いてきたのに……」

「それは今日だけの問題じゃなくて普通に有り得ないから」


 そこからはもう、ただただ項垂れて歩いた。

 こんな女がイケメンと歩いてすみませんね、ホントに。





「ねぇ、あんたの言ってた川ってあれ?」


 七海の言葉に顔を上げると、いつのまにか夢咲川の見える場所まで辿り着いていた。


「あ、そうそう! あれだよ!」


 そのまま進んで行って、橋のたもとで立ち止まる。


「降りる?」

「いや、ここからでいい」

「あ、そうなの?」


 顕現してまで行きたいくらいなんだから、近くで見て、桜とツーショットでも撮ってほしいのかと思ってた。七海と桜の写真……たぶん、高値で売れる。というか、私が欲しい。目の保養になりそうだから。

 ……まあでも、橋の上から見る景色も圧巻だし、七海がそれでいいなら無理にすすめる必要もないか。


 私は欄干から少し身を乗り出して、河原全体を眺める。

 ここまで来といてなんだけど、私は超がつく方向音痴なうえに、昨日は適当に歩いてたから、どの辺に八重桜があったのか全く覚えてないんだよねぇ。てへぺろ。

 ——って言ったら七海怒るだろうなあ。

 と、半ば諦めの気持ちでいたら、見つけた。


「あっ! 七海七海! 見て、あっちのほうに一つだけ色が濃い桜があるでしょ!? あれが八重桜!」


 こうして上から眺めてみると、思ったよりも遠くて驚いた。そんなにたくさん歩いてたのか。


 すぐ隣にやってきた七海は「綺麗だね」とか何もなく、ただ私の指し示す方向を空色の瞳でじっと眺めていた。


「七海ってさ、どうしてそんな見た目してるの?」


 素直な疑問が口をついて出た。


 七海が言うようにもし八重くんも時間なんだとしたら、時間の外見ってどうやって決まるのかなあと興味がわいてきて。

 それについて考えてたら昨夜も眠れませんでした、と。


「八重くんは桜みたいな子だったよ。ずっと桜を見てるって言ってたのも、何か関係あるのかな? 七海は空を見てたとか?」


 途端、七海の表情が引きつった。

 あ、この質問はだめなやつだ。

 私もそこまで馬鹿じゃない。七海がちゃんと教えてくれないことは、言いたくないことなんだって気付いている。


「ま、まあいいや! またいつか他の時間に出会えることを楽しみにしとこっと!」


 だから、すぐに話題を変えようとした。でも。


「……過ごした時間が、俺らの姿」


 それ返事というよりは、風に飛ばされるような頼りない呟きだった。


 長い間、桜を見ていた。

 その時間が、八重くんのあの見た目を作ったというのだろうか。


「じゃあ……」


 じゃあ、どうして七海は。


「これが、俺の過ごした時間だから」


 そう答えてくれた七海の姿は晴れ渡った空の水色のようで、でも、一人ぼっちで眺める海みたいな、静かな孤独を湛えていた。


 七海はどうしてうちへ来たの?


 一番聞きたい質問は、きっとこの先も出来ないだろうなと。

 なんとなくそう思った。




 ▼




 橋の上から桜を眺めて、二十分程経っただろうか。

 欄干にもたれて柔らかい春風を感じながら、たまには早起きして朝の散歩もいいのかもしれないなと考えたりした。


 今週末を過ぎれば、次にこの景色が見れるのは来年になる。

 たった一度のお花見で、すっかり桜に魅了されてしまった辺り、つくづくチョロいな自分……と思わずにはいられない。

 でも、そろそろ切り上げて職場へ向かわなければいけない。

 最後にスマホで写真を撮っておこうと鞄に目を向けたところでふと違和感を感じた。


 ……何だろう。

 今度は小学生の子供や、散歩中と思しきご年配の方々がちらちらとこちらを見ている気がする。

 しかも今度は七海ではなくて、完全に私を見ている気がするんだけど。


「ねぇ、七海……」

「ちょっと、そこの君」


 突如、背後から声を掛けられた。

 振り向くと、自転車に乗ったお巡りさんがいた。


「君、大丈夫かい?」

「えっ?」


 何がですか。至って平和に桜を見てただけなんだけど……。


「実はさっき、近所の方から通報があってね。『夢咲橋に、一人で喋っている女性がいる』と。それで来てみたら君がいたから声を掛けさせてもらったんだ」


 な、なんですと?

 七海を見上げたら、自身の左手首をトントンと軽く叩く。

 私は腕時計をつけていないけど……時計を見ろということだろうか。


「お、お巡りさん。今って何時ですか?」

「今……? 八時回ったところだよ。それより君、さっきから隣を気にして、本当に何か見えてるのかな? 何か精神薬を使用してたりする?」


 八時!!! 七海!!!!!


 私、いつの間にか一人で喋ってるヤバイ女になってたの!?

 消えるんならそのタイミングで言ってくれないと、見分けつかないって言ったよね!?

 で、お巡りさんの「君、大丈夫?」って、頭大丈夫? ってことだったのね! つっら!!


「すすすすみません、私、寝ぼけちゃってたみたいで!」

「多量の飲酒、禁止薬物等の使用は……」

「ないですないです! 今から仕事に行く、ごく普通のOLです! アル中でも薬物中毒でも不審者でもありません……っ!」

「確かにそうは見えないけれど……、怪しまれるような言動は気を付けて。この辺は通学路で子供も多いし、地域の人が不安になるから」

「は、はい! ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした!」


 だよね! 怖がらせて本当にすみませんでした!


 誤解を解くべく全力で頭を下げて顔を上げる。

 と、ちょうど私とお巡りさんの間、欄干にもたれた七海と目が合った。


 ばーか。


 音はない。でも多分絶対確実に、そう言った。

 いつも通りの冷ややかさプラス、悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて。




 ——くっそおおおおおおおおう七海め!!! 絶対許さん!!!

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