乙女じゃない3

「あの……もしよろしければ、お名前お聞きしてもよろしいですか?」


 桜色の綺麗な瞳に、私の姿が映って。


「あっ、私は眠田ねねこ!」


 何かの催眠術かと思うくらいすんなりと名乗ってしまった。

 まあ、相手は可愛い女の子だし別にいいんだけどさ。美形を前にすると判断力甘くなりすぎじゃないのか私。


「ねねこさん、ですか。可愛いお名前ですね」

「えっ、そう!? めっちゃ『ね』多くない!? 漢字で書いたら更にヤバイんだよ……」


 眠田ねむた眠々子ねねこ——ほんっと、冗談みたいな名前だと思う。うちの両親は一体何を考えて名付けたんだか。私だって妹の旭みたいに、なんかこう、しゅっとした感じの名前が良かったよ。小さい時はよく揶揄われたし、この名前にいい思い出はない。

 それに私は犬派だ。名前の響きだけで「眠田さんって猫派?」って聞かれるのはもう飽き飽きなのよ……っ。


「すごく可愛いと思います」


 気を遣ってか、もう一度そう言ってくれた。

 顔が可愛いだけじゃなく、心も綺麗な子なんだな……。


「優しいね……。ありがとう、えっと……」


 名前って聞いてもいいのかな? いや……さすがに名前はだめかな……。


八重やえです」


 察した少女がそう答えた。


「や、え……って、ええっ!? あ、あなた桜の名前なのっ!?」

「はい。さっき八重桜のお話をしたばかりのタイミングで言うのはなんだかお恥ずかしいですが……」

「ヤバイ。天才」

「えっ? 天才……?」


 この子に『八重』と名付けたご両親天才過ぎる。ネーミングセンス抜群すぎる。

 今風の可愛い名前はたくさんあるけど、あえて古風な感じをチョイスするところがイイ、すごくイイ。

 桜のごとき美しさと儚さを兼ね備えたこの子にぴったりだよ……。きっとご両親も美形なんだろうな……。


「ねねこさん?」


 尊さがカンストして思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまった私を、八重ちゃんがそっと覗き込んでくる。


「あ、ごめん。なんかもう……胸がいっぱいで……八重ちゃんね、了解。すごく可愛い。よろしくね八重ちゃん……」


 言いたいことが多すぎて、何だかぐちゃぐちゃの返事になってしまった。我ながら取り乱しすぎだ。落ち着くのよねねこ。


 深呼吸をして立ち上がろうと顔を上げたら、八重ちゃんの髪に桜の花びらがついているのが目に入った。考える間もなく、手を伸ばす。


「八重ちゃん、髪に花びらが……」

「……っ!」


 けれど指先が髪に触れる前に、八重ちゃんは素早く身を引いた。

 え……そんなに私に触られたくなかったのか……? めっちゃショック……。


「あ、ご、ごめんなさい。驚いてしまって……」

「いやいやいや! 私の方こそ何も考えずにごめんねっ!」


 他人に触られるのが嫌という人もいるだろう。私の配慮が足りなかったのだ。いやまあ……ここまであからさまに拒否られるとめっちゃショックだけどさ……。


 八重ちゃんが自分で髪をはらうと、花びらはひらひらと地面へ落ちていった。


「さっき、染井吉野と八重桜は花びらの数や咲く時期が違うと言いましたが……」


 八重ちゃんが桜の木を仰ぐ。


「八重桜は散り方も違うんです」

「ええっ!? 散り方!?」


 普通に花びらが一枚ずつぱらぱら散っていく以外に、一体どんな散り方があるというのだろう。桜そうめんの想像力しか持っていない私には、全く思い描けない光景だ。


「八重桜にもいくつか種類があるんですけど……この普賢象は、」


 八重ちゃんはそう言って、枝へと手を伸ばす。

 華やかに咲き誇る八重桜。白い指先がふんわりとした花房をきゅっと掴んで。


 ぷつり。


 引き千切られた八重桜はそのまま地面へ落ちた。


「首元から、落ちます。こんな風に」


 首元という表現に、また背筋がぞわっとした。最初の見間違いを思い出して。


「綺麗だけど、不吉な感じもしますよね」


 私達の足元に散らばっている無数の花の塊。

 まだ咲き始めだと言っていた。ならば、どうしてこんなに落ちているんだろうか。

 その疑問の答えは、今の八重ちゃんの行動なのでは。

 七海に睨まれても別に怖くはなかった。なのに、今。こんな年下の可愛い女の子相手に怖いと思っているのはどうしてだろう。


「……この花房はもう取れかけだったので。どのみち今夜中には落ちてたものですよ。驚かせてしまったようですみません」

「あ、そ、そっか……」

「八重桜は、開花が進むほど花弁が白くなって……最盛期を過ぎると花の中心部が赤く染まっていくんです。だからもうすぐ散りそうな房はすぐに分かります。それを眺めるのが、すごく楽しいんですよ。まるで血がじわじわと滲んでくるみたいな、命が尽きていく様をこの目で確かめている、そんな感じがして……ねねこさんはこの感じ、分かりますか?」

「わ、分かんないかも……。ほ、ほら、私、お花見初心者だし……なんかごめんね……!?」

「ああ、別に謝らなくてもいいですよ。長く見ていないと分からないことですから。それこそ気がおかしくなるくらい、ずーっと長い間。血だなんて変な想像をしてしまうのは、桜の見過ぎなのかもしれませんね」


 毎年ずっと、ということだろうか。それにしては言い回しが引っかかるけれど。


「桜が咲いてから散るまでの時間は、短くて、そして永いです」


 八重ちゃんがこちらに目を向けた。


「だからずっと、ここで見ています」


 ぞっとするほど、美しい表情だった。




 無意識に目を逸らした私を、八重ちゃんの声が追いかけてくる。


「もし良かったら……週末、一緒にお花見しませんか?」


 それは思いがけない提案だった。


「でも、週末は雨って……」

「雨の桜もすごく綺麗なんです」


 返事に困ってしまうのは、面倒だからというわけじゃない。

 こんな美少女からのお誘い、本当だったらイエスと即答するところだ。だけどなんか……。


「迷惑……でしたか? 桜についてこんな風に誰かとお話したのはねねこさんが初めてで……ぜひねねこさんにお見せしたいと思ったんですが……。で、でもやっぱり、今日出会ったばかりの方をお誘いするなんて不躾でしたよね……」


 いや、不躾っていうより、不用心なのでは!?

 桜の話が出来たくらいでお花見に誘ってたら、気があるのかと勘違いされるよ!? だって八重ちゃんめっちゃ可愛いしね!? 私が男だったら普通に両想いかと思ってこじらせてストーカーになるよ。(ダメ、絶対)

 八重ちゃんみたいな美人は、キッと睨んで罵倒するくらいの勢いがないと変なやつを追っ払えない……あ、いやそれはそれでコアなファンがつきそうだな。


「すみません、今のお誘いは忘れてください……」


 ああもう、そんなあからさまにシュンとされると断れないじゃない……っ。


「し、しよう、お花見! 週末空いてるよ! 超ひま!」

「……本当ですか! 嬉しいです! じゃあ、日曜日の十九時でいかがですか?」

「えっ、夜なの!?」

「はい、雨の日の夜桜が一番綺麗なので」


 夜か……。雨だったらお花見の人も少ないだろうし、この辺は特に誰も来ないし……女二人で危なくはないのかな。

 もし変質者とかが出てきても、私じゃ八重ちゃんを守ってあげられないかも……。


「もう一人、幼馴染を連れて来るので安心してください」


 幼馴染……守る対象が二人か……。少々荷が重いな。

 ていうか、さっきからなんで私はボディガード目線なんだろう。


「幼馴染は男の子です」

「男の子か……あっ、男の子!? じゃあ大丈夫……いやでも待って、それってなんか私邪魔じゃない!?」

「邪魔? どうしてですか? むしろねねこさんが来てくださった方が、彼も喜ぶと思います」

「そ、そっか……!」


 じゃあ大丈夫……なのか? 

 でも幼馴染と言えば、青春ラブコメの鉄板なんじゃ……。 

 幼い頃からずっと一途に想いを寄せる男の子と、それに全く気付かない鈍感ヒロイン。そこに新たな男(もちろんイケメン)が加わってドキドキの三角関係になるのは超滾るけど、そこにアラサーがINしたら絵面ヤバいし意味わかんなくないか。空気読めよババアって思われるんじゃ……。

 私の不安を余所に、八重ちゃんは朗らかに話をまとめに入る。


「では、決まりですね! 日曜日の十九時にここでお待ちしています」

「わ、分かった! 楽しみにしてるね……!」

「はい、きっと素敵な夜になりますよ」


 私は曖昧に笑って頷いた。


「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。いつの間にかもう十九時を回っていますし」

「えっ!? 嘘!」


 慌ててスマートフォンを確認したら、十九時半だった。

 ちょっと見ていくだけのつもりが、まさか一時間以上も経っていたとは。


「ねねこさん、今日はお話しできて楽しかったです。ありがとうございます」

「こちらこそありがとう! 八重ちゃん、帰り気を付けてね!? 可愛いから心配だよ……」

「ふふ、大丈夫ですよ。ねねこさんこそ、お気をつけて」


 挨拶をして、お互い逆方向へと歩き出す。


 少し進んでから何となく後ろを振り返ってみたら、そこにはもう八重ちゃんの姿は無かった。

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