時計がない2
洗面を終えて席に着くと始まる本日の朝食タイム。~午前七時のイケメンを添えて~
「あんた、パン好きだね……」
「うん! 近くに美味しいパン屋さんがあってね、そこで買ってるんだ」
私は二個目の丸パンにバターを塗りつけながら返事をする。
一人でむしゃつくのもあれなので「七海も食べていいよ」と言ってみたら「必要ない」とのことだった。
七海曰く、別に食べれないことはないし時間の中には好んで特定のお菓子などを食べる奴もいるけれど、それはあくまで趣味嗜好の話であって時間という存在を維持するにあたっては特に関係がない、とのことだ。
正直、よく分かっていない。しかしそれを言ったら怒られるので「へぇ~! すごいね!」と返事をしておいた。多分、分かってないのはバレてる。
というわけで七海は今、私の向かいの席に何もせずにただ座っているのだ。
本日も大変お美しいそのお顔。
朝の優しい光を受けた水色の白髪は透明感が増していて……地毛、なのかな……?
気になって頭頂部を凝視してみたけれど、プリンになりそうな気配は一切ない。
このレベルのイケメンになると水色の白髪が生えてくるんだな、ということで納得した。まあ、そもそも人間じゃないしね。
七海は少々手持ち無沙汰だったのか、勝手にお茶を淹れ始めた。
茶こしを通して透明なカップに注がれる真っ青な液体……確かあれは、同僚からもらったハーブティーだ。
淹れたら青い色になるのだと同僚から教えられたその時の私。「それは人の飲み物じゃねぇ」と恐れ戦いて、どこか奥底へしまい込んだ。
いつか勇気が出たら試そうとは思っていたのだけれど、普段コーヒーとお酒しか飲まないからすっかり忘れていた。発掘してくれてありがとう七海。
「……そういえばさあ」
「ええっ!?」
七海がすごく綺麗な顔でブルーのお茶の入ったカップを手に取り、お茶を飲み、そしてカップから唇を離すまでの一連の動作を眺めていた私。
突然声を掛けられたことに驚いて、かなり大袈裟な反応をしてしまった。
「ちょっ、うるさっ。……なんなの? そんな大きな声出さなくても聞こえるから」
「ご、ごめん」
「バター塗りすぎだし」
「えっ? ああ! ほんとだ!」
七海に指摘されて手元を見ると、胃もたれしそうなほどのバターパンが完成していた。……朝からこの油っぽさは二十代後半の胃に優しくない。ふとした瞬間に、自分はもう若者ではないのかもしれないなと最近よく思う。
案の定、一口食べてうぇっとなった私を見て、七海は呆れ顔でため息を吐いた。
「……あんた、昼はいつも何食べてんの?」
「えっと……会社の中にあるコンビニで適当に買ってるかな」
「はあ!? じゃあ夜は!?」
「えっと……家の近くにあるコンビニで適当に買ってるかな」
「あー、もう全然だめ。失格」
何がだろう。女として失格ってことなら、それは自覚があるので別に今更何のダメージにもならないけど……。
「人間だよ、人間失格」
太宰治……っ!
予想以上の辛辣さに一瞬ショックを受けたが、すぐに、イケメンに言い渡される人間失格もなかなか……いいですな。なんて思ってしまう私は既に手遅れだろうか。
私の好みのタイプは優しくて頼りにがいがあって包み込んでくれるような余裕のある年上男性で、決してツンデレ男子とか毒舌王子とかそういうのではないはずなんだけどな……。
「何? その間抜け面やめてくれる?」
や、でもやっぱ、冷たくされるのも結構いいかもしれない。
なんだか新しい扉を開いてしまいそうな予感がして、私は慌てて視線を窓の外へ投げた。
「い、良い天気だね! 雨が上がってよかった!」
今年は冬が長かった気がするけど、四月に入った途端にグッと気温が上がった。
ここ数日の陽気で桜の開花が一気に進み、あちこちで見ごろを迎えているらしい。
例年より遅くやってきた春。私が今はもう四月だってことを忘れていたように、春の神様もうっかりしていたのかもしれない。
今は地球温暖化で年々四季の境目がおかしくなってきているというし……地球が心配な今日この頃である。
「そうだ、天気予報見ておこう!」
言いながら、私はスマートフォンで天気予報アプリを開く。
春の天気は移り変わりやすい。
朝晴れているからと洗濯物を干して仕事に行って、帰ってきてびっしょびしょになっていたときの絶望感は半端ない。
部屋干ししたらいいじゃん、とよく言われるんだけど……何度天候を読み間違い失敗を繰り返してでも、やっぱり太陽の光で乾かしたいんだよね……。
洗い立ての洗濯物が陽ざしに照らされてゆらゆら揺れている様子を部屋の中から眺めている時。私は今、世界で一番の幸せ者かもしれないな……と、割と真剣に思ったりする。
「えっと、今週ははずっと晴れで……あっ、でも週末は雨だ……」
降水確率九十パーセント。風も強く吹くみたいだ。
出不精な私は別に友人とのお花見の予定なんて入っていないけれど、きっと世間の皆さんはこの週末にお花見予定を組んでいるはずだ。でも、二日連続で雨だったら桜は……。
「桜流しになるだろうね」
「さくら、ながし……?」
七海の口から知らない単語が飛び出してきた。
私の頭の中でピンク色のそうめんが竹筒の上を流れていく。
「……あっ、そうめん流しの仲間みたいな!?」
「一回死ねばいいんじゃない」
「何だと!!!」
七海は苛々した様子で続ける。
「桜流し! 桜を散らせる雨のことをそう呼ぶの!」
「へぇ……! 流すって言うから、てっきり、なんかこう……桜を流すものなのかと思っちゃった」
「……まあ、散った桜が水に流れていく様子のことを表す言葉でもあるから、それも間違いではないけどさ。あんたのした想像は完全に間違ってるけどね!」
なるほど。『桜を散らせる雨』を『桜を流す』と表現する当たりすごく日本っぽい風情を感じる素敵な表現だ。
今度、弟と話すときに使ってみよう。きっと「姉さん、なんて風流なんだ……尊敬……!」ってなるに違いない。
「ねぇねぇ、他にはなんか言い方ないの?」
油断するとすぐ語彙力がゼロになる。この機会に蓄えて置いたほうがいいかもしれない。
私がやたらと前のめりだったせいか、七海は一瞬怪訝な顔をした。
「ちょっと意味が変わるかもしれないけど……桜が咲く季節に降る雨だと桜雨とかもあるんじゃない」
が、ちゃんと答えてくれた。そして溜息をひとつ。
まだ出会って二日だけど、七海ってそういうところあるよね、と思う。
お兄ちゃんっぽい……いや、お姉ちゃんかな。
口調はかなり冷たいけれど、基本的に世話焼きで、困っている人を見ると放っておけないタイプなんだろう。で、「別にあんたのためじゃないから!」とか言っちゃうやつね。ツンデレだなあ……。
「桜雨かあ……私、桜坂なら知ってるわ!」
「はあ……あんたはもう黙ってなよ」
七海と他愛のない会話ができていることが嬉しくて意気揚々と答えてみたら、七海はまた溜息を吐いた。
七海の幸せがどんどん逃げているようでちょっと心配になるなあ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます