にじいろの珠

鳥尾巻

二人の願い

 僕達は手をつないで遠くの空を見ていた。沈む夕陽の最後の輝きと赤から濃青の移り変わりを。地平線を染める赤が次第に濃くなり、やがて燃えるような色合いに変わる。

 この森に迷い込んだ人間の女の子と仲良くなった。家で一緒に遊んで裂け目に送り届ける途中、高台から見えるとっておきの風景を見せたくて寄り道した。


「見て、贈り物だよ」


 僕は地平線に向けて漂っていく虹色のたまを指さした。大きさもまちまちな半透明の珠は周囲の色に馴染むようにふわふわと飛んでいく。夕陽に頬を染めた彼女が茶色の丸い瞳をキラキラさせて弾んだ声を出す。


「わあ、綺麗!」

「僕らの国では『幸運の贈り物』って言われてるんだ」

「風船みたいに飛ぶのね」

「風船?」

「風船ていうのはね、お空に浮かぶ丸いゴムの玉よ。いろんな色があって中に空気が入ってるの」

「ゴムって何?」

「どんな形にもなってすごーく伸びるのよ。風船は薄くしたゴムに空気を入れて膨らませたものなの」


 あなたも私の国に遊びに来れば見せてあげられるのに、と得意げに説明する彼女の横顔をじっと見つめる。僕らの国と人間の国には見えない障壁があってお互い行き来するのは難しいけど、時々出来る綻びから迷い込む人間もいる。


「あの珠はとてももろいんだ。すぐに弾けてしまうけど、弾ける前に願い事をすればそれが叶うって言われてるよ」

「ほんと?じゃあ、お願い事する!」

「何を願うの?」

「あなたにまた会えますように」


 彼女は一つの珠に狙いを定めて迷いなく言った。彼女の言葉が途切れないうちに、淡い色の球体はパチリと弾けて消えた。


「ああ、消えちゃった。もう一回!今度はあれ!」


 何度も同じことを繰り返す彼女に僕は笑い出す。嬉しい。少し恥ずかしい。僕の願いも同じだからだ。


「どうして笑うの?また会いたくないの?」

「会いたいよ」

「じゃあ、一緒に言おうよ」

「そうだね」

「せーの、また会えますように!」


 二人で声を揃えて、近くを漂っていた少し大きめの珠に願いを込めた。『贈り物』は願いを聞き届けたとばかりに夕暮れの風に舞い上がり静かに弾ける。肩を寄せ合う僕達の上に虹色の飛沫が祝福のように降り注いだ。


――――――


 彼は私の腕の中で優しく微笑んだ。色の抜けた青白い肌、水色の髪、七色に変化する瞳は人間の持たない色。


「やっと会えたね」

「ごめんなさい…ごめんなさい……」


 私の涙が水色の髪の上にぽたぽたと落ちる。抱き起した彼の体から流れ出る血は青く、黒く焼け焦げた地面の上に小さな水溜まりを作っていく。


 幼い頃、大人達が『魔の森』と呼んでいた世界に迷い込んだ私は、そこで一人の男の子に出会った。水色の髪と青白い肌、虹色の瞳。一目で人間ではないと分かったけれど、不思議と恐怖は覚えなかった。『贈り物』だと見せてくれた虹色の珠は彼の瞳の色に似ていて、とても綺麗だと思った。


 家に戻ってから何度もその話をしたのに、大人達には「夢でも見たんだろう」とか「魔の森の毒気にてられた」などと言われ、誰もまともに取り合ってはくれなかった。彼にもう一度会いたくて、森に出かけては綻びを探したけれど、あれ以来見つけることは出来なかった。


 諦めきれなかった私は、科学者になった。あちらの世界に行きたい一心で、見えない壁の綻びを見つける為の研究を重ね、ある日とうとう空間を開ける装置を開発するのに成功した。

 装置を作動させると、大きく口を開けた綻びから虹色の珠がいくつもこちら側にやってきた。喜びに震える私の背後から爆撃が襲う。森の瘴気が世界を脅かすと信じる権力者達の攻撃だった。


「やめて!!やめて!!」


 私の声は届かない。あっという間に焦土と化したあちら側の世界。強力な武器と巨大な軍隊が美しい森を蹂躙する。瘴気などない。虹色の珠は『幸運の贈り物』だ。

 遠い記憶の中の道を辿り、彼の家の前までやってくると、燃え尽きた木の根元に大人になった彼が倒れていた。昔と変わらず綺麗な瞳。疑うことも穢れも知らず、ただ優しい声で「泣かないで」と私に言う。


「ごめんなさい、私のせいよ」

「きみは悪くない。僕らの願いは叶ったじゃないか」

「こんなの望んでない!」

「誰も恨まないで。願い事はいつもちゃんと叶うから。また会おうね」


 泣き叫ぶ私の腕の中で彼は静かに目を閉じた。その体から半透明の珠が溢れ出て、爆炎でどす黒く染まった空に昇っていく。

 彼が消えた。彼が消えた。どす黒く染まった私の心。破滅を願うまでもなく、森が消えると共に均衡バランスを崩した世界は徐々に崩壊し始めた。



 あの高台の上に立って、地平線に沈む血のような夕陽を見つめる。ほぼ人が住めなくなった大地が赤い光に染まる。私は小さな声で呟いた。


「またあなたに会いたい」


 ふわりと漂った最後の虹色の珠が、私の頭上でパチリと弾けて消えた。

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