第15話 保留


 鼻血をぬぐい、さてどうしてやろうかと、三日は常軌を逸した部下を見下ろす。


「厳罰に処されたいか」

「いいえ。断固拒否します」


 二人は、もはや別人のようである。腕組みの三日は馬乗りのまま瞳の奥の奥を歪ませて、大の字に寝そべる真は激情に振り回される蛮人として、それぞれの愛をどうにかしたかった。


「選択肢が欲しいか」

「いいえ。断固拒否します」


 三日はもう彼をどうするか決まっていた。真も彼女をどうするか、決めている。


「同価を与えよう。愛を受け取ったからには、そうせねばならん」


 三日は真の腹から降りて、ベッドの上まで引き上げた。襟を取り、また頭突きの位置まで頭を持っていった。しかし勢いはなく、慎重にひたいを突き合わせた。こつんと体の内側から音がする。


「あなたも、俺と生来の、命を二つ持っています」

「いいや、これで一つだ」


 目をつぶれ。三日は静かに言った。それだけでドクンと心臓が脈打ち、先ほどの格闘戦などよりもずっと早く血が巡る。


「はい」


 肩の力を抜け。耳打ちのような音量でも、しっかりと届いた。冷静ではいられないが、深呼吸をする。


「そうだ。緊張するなよ」


 ひたいから熱を持った何かが離れた。


「いざ!」


 春川真は素直である。反骨、叛逆、意地の塊というのはあくまでも側面であり、全ての人間がもつ共通性質がたまたま肥大化して現れただけに過ぎない。その大きさは他人の及ぶところではないが、素直だからこそ激しくそれが現れる。


 甲賀や生苦には礼儀を尽くすし、彼の持つ厳しさも、彼がそう定めているからというだけのことであり、支援部隊での評判もよかった。


 三日は、そうではない。何をするにも、いわば「三日流」になってしまう。気まぐれに買い物に出たり、半殺しにした部下の出勤を喜んだり、ひどいあだ名をつけた者こそ愛したり、独自の愛の哲学もその一例である。


 そんな彼女が、出し抜けにロマンチックなどを求めたりはしないのである。

 どん、という音を真は自分の腹から出た音だとは信じられずにいる。


「かは」


 涙腺が緩み、自然と涙がこぼれた。頬を伝って垂れた先には、三日の腕がある。腕の先には当然拳があって、その先には、むろん己の腹がある。

 胃液が腕に落ちた。嫌な匂いがたちこめて、くの字になった真が上目遣いで見上げると、


「お、死んじゃあいねえか。さすが私だ、鍛え方が違うな」


 腕を引き抜いて、袖についたよだれと胃液をベッドのへりでふいた。


「お前の矮小なるあの愛の弾丸、これで返したことにしてやる」


 ものも言えない真を尻目に、


「さっきの愛、つまりこの鼻っ柱を打った愛については、まあ、保留だ」


 と、さっさと出て行ってしまった。どうも部屋の外で煙草を一本吸っていた様子だったが、その気配もすぐに消えた。


 腹の痛みは、消えなかった。ベッドの上でうずくまっていると、吸い殻を見つけた芝がもう我慢ならないと頬を少し痙攣させて入ってきた。


「ちょっと春川さん。いい加減に」


 そこで絶句し、仲間を呼びに踵を返した。真に心身に残っているのは、痛みと目に疼きの新しい三日の爪先の感触だけだった。

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