第13話 濡れ衣

「具合はいかがですか、春川さん」


 病室にやって来た甲賀は丸椅子に腰かけた。真はベッドの上で背筋を伸ばし、ひたいに手を添え敬礼をした。楽にしてくれと言われ、また横になる。


「処置が大げさなだけで、いたって健康です」


 両肩の亜脱臼と全身の打ち身、そして左目の上から顎までの長い傷。真はこの状態で病院に運び込まれた。大げさではなく重症である。

 顔の包帯は痛ましく、医者からは視力には問題ないが、以前の居酒屋での傷と繋がって痕が残るかもしれないと伝えられた。脱臼した肩は両腕の砲を使いすぎたこともあり、動かすとひどく痛んだ。


「昨日は生苦中尉と菜ノ花大尉がいらっしゃいまして、そこの青果を」

「まあ、お礼を言わないといけませんね」


 甲賀はそこからりんごをとって、皮も剥かずかじりついた。暴挙といえばそうなのだが、真もこれくらいはするだろうと微笑むだけだった。


「無茶をするなと、それから退院したらウチに来いと」

「なんて答えたんですか」

「断りましたよ。それに妙なことを言っていましたね」

「どんな?」

「元気でよろしい、と。入院してるのに、変ですよね。あとは、たまには一人で部屋から出ろって」


 真は用便や飯の際、肩が痛むために、念のため人を呼ばなくてはならない。歩くことはできたが、別段することもないので、一日中部屋にいる。寝ているか、軽く筋力トレーニングをする、半健康の患者である。


「へえ、一人で。まあそれもいいかもしれませんね」

「わざわざご足労していただいて、私としては嬉しいやら申し訳ないやらで」

「出撃も最近ありませんし、みんな退屈なんですよね。サボりも兼ねて、見舞いに来るんですよ」


 甲賀は暇つぶしにと分厚い紙束を差し出した。戦術教本だった。


「あと一週間で退院とお医者様が。ですから、あなたはもう少し楽ができますね」

「何もできないというのは、なんだかもどかしくて。戻ったらまたよろしくお願いします」


 出撃がないとはいえそれが正直なところで、だからスクワットや腹筋をして、汗で心のモヤモヤをごまかしていた。


「その意気があれば、大丈夫です」


 それでは、と席を立った。見送りは断られた。


「あれ」


 丸椅子のそばに紙袋があった。


「中身はなんだ」


 上から覗くだけでそれはわかった。軍服である。


「俺のか。洗濯してくれたんだ」


 ありがたいと同時に恥ずかしさもある。何しろこれは血と尿と吐瀉物でぐちゃぐちゃになっていたのだから。

 それを思い出し、ふと、小用に行きたくなった。いつもは大声で看護師を呼ぶのだが、生苦の言ったことを思い出し、


「これくらい、できるはずだ」


 と裸足のまま部屋を出た。途中で医師に見つかり説教を受け、用を足し、自室まで戻ると、芝という若い看護師が部屋の前の廊下を雑巾掛けしている。ほうきとちりとりを端によせ、かなり熱心でいる。


「お疲れ様です」


 何気なく声をかけた。彼女は入口の前にいて、このままで入れない。


「あ、どうも。春川さん、ここは病院であなたは患者なのですから、煙草はいけませんよ」

「煙草、ですか」


 どうやら吸い殻と灰がいくつか落ちていたらしい。踏み消されたため、多少床が焦げている。


「こういうことは、しないように」


 片付けると芝は入院中の注意事項をいくつか伝えた。院内は禁煙であると三度も繰り返した。


「まったく、いつもいつも。バレないと思っているなら大間違いですよ」


 捨て台詞に首を傾げ、部屋に入り、戸を閉める。だがどうも芝の言ったことが引っかかる。


「あの、さっきのはどういう意味でしょうか」


 そういうことか聞き正そうと部屋から出ると、


「おお」


 と驚いたような声がする。芝ではない。それは芝たち看護婦を悩ませる煙草の真犯人、背の低い女から発せられた。


「三日、中尉?」


 彼女はばつが悪そうに軽く頭をかいた。視線を合わせずに、院内での飲酒はさすがに気が咎めたのか、お茶の空き缶に煙草を捨てた。飲み残しに触れて、火の消える音がした。

 無言のまま缶をゆるくふった。廊下で立ち話ということもなく、ただそうして時間を弄ぶ。とても見舞いに来た者のすることではなかった。しかし不快な無言ではなく、真もそこに立ち尽くして、三日の奇行に付き合った。


「ここは冷える」


 三日はぽつりと言った。真はすぐに気がついて「すいません、中へ」と促した。三日はベッドの前まで来ると逡巡しつつ、丸椅子に腰掛けた。不敵を気取ってベッドへと座ろうとしたが、それはさすがに、と自制したのだとわかった。


「何をしている。怪我人め、いらん手間をかけさせやがって。さっさと寝ろ」

「は、はい」


 不敵は堪えたが、その態度は普段の彼女と変わりがない。真はそそくさとベッドに体を預けるも、上体は起こした。


「退院は一週間ほど先になります」

「そのようだな」

「ご迷惑をおかけしましたようで」

「その通りだな」


 それきり会話は無くなった。三日はポケットを探り白煙を求めたが、眉をひそめ、そのまま腕を組んだ。


「あの、私は気にしませんので、どうぞ」


 あからさまに煙草を求めている仕草だったし、貧乏ゆすりが目にうるさかったので、真はそう勧めたが、


「お前がどうこうじゃない」


 不機嫌に言って、また沈黙。それを破ったのは芝看護師だった。勢いよく部屋に入って来て、三日に会釈してから真に詰め寄った。


「いつもいつも廊下に吸い殻を捨てて、どういう了見がおありなのですか。現行犯でなければ、それでいいとお思いなのでしょうが、次に吸い殻を見つけたら追い出しますからね」


 とはっきり言った。「片付けるのは私の役目なので、余計な仕事を増やさないでください」と、まるで拳が飛んで来そうな剣幕だ。


「三日中尉も、厳しく指導なさってください」

「ん、ああ。そうしておこう」


 真には心当たりがない。彼は煙草を吸わないし、そこまで言われる筋合いがまるでなかった。


「けっ。黙ってりゃあ可愛い面なのに、厳しい女だ」


 と三日は芝を評した。その評が自分にも当てはまるとはつゆとも思っていない。


「私にはなんのことかわかりませんが」

「なに、廊下は冷えるから、体の内側から暖を取っていたまでよ。それをごちゃごちゃとうるさい連中だ」

「ああ、では部屋の前でいつも吸っていたわけですか」

「当たり前のことを言うんじゃねえ」

「なら、なぜ私に声をかけてくださらないのですか? 一声かけてもらえればそれいいのに」


 真は、自分では勘の鋭い男だという自負があった。が、そこに根拠はない。


「生意気を言うんじゃねえ」


 三日は「気分悪いぜ」と床に唾を吐いた。

 鬼に包囲され、真は三日に刃向かった。それを罰するために彼女は己の一刀で真を斬った。その代償として真は頭部をやられ、肩まで外れた。

 だがこれも三日にしてはやや手心を加えている。厚い装甲の上からその内部にいる人間の皮と少しの肉をそぎ落とすことなど、どうしても動きの大きくなる魂鎧であるから、まず不可能である。しかしそれを彼女は成し、それで少し気分が晴れたのか、おまけのように横から殴りつけ、そのまま叩き壊してしまった。

 そうして真は入院した。手心というのは殺さなかっただけマシ、という程度だった。


 などという経緯があって、三日は見舞いに来るのを遠慮していた。短気、ヒステリー、暴君などと思われている彼女であっても、しないわけにはいかなかった。


「来るんじゃなかったぜ」


 真の反骨を考えれば、三日の顔など見たくもないと、そういう心になっていてもおかしくない。

 だが、この男はそうはなっていない。歓待の気配すらあった。それはあのとき三日の言った「厳罰」に原因がある。


 古沢に迫ったように、彼は罪には罰の考え方をして、上官に攻撃をしたのだからこれでいいと納得していた。むしろ逆らった自分に見舞いをしてくれるとは、と三日を好意で迎えたのだ。

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