第12話 くれてやる


「あっ、甲賀中尉、レーダーに敵影が!」


 レーダーに現れる鬼の姿。三日はそれを肌で感じていた。

 霧が集まりだし、それを形成、人型ながら腕は六本、六振りの槍と刀の先端は三日だけに向いている。


「貴様も叫べ。勿来を唱え、霧と散れ」


 逆巻く剣戟の暴風、真は今度こそと力を込める。


「あなたが、他の人がどう思っているかはわかりません。しかし、俺まで寝ているわけにはいきません。棒立ちはするなと、そう厳命されておりますので」

「ええ、もちろん」


 真の体は自由となる。あまりにあっさりと解かれた拘束に、少し困った。甲賀の声音は、安酒を煽る居酒屋での彼女を思い出させた。


「来るなって言われて、その通りにする私ではありません。言ったでしょう、暴力に立ち向かわなくちゃ。遊びましょうよ、仲間はずれは、寂しいじゃないですか」


 甲賀はすぐに、わずか四歩で最高速度まで到達し、斬撃によって阿修羅の腕を一本落とした。


「狸ぃ!」


 激しく叱責するような声、真には理解できなかったが、激怒する三日に畜生は親しみで返す。


「あら、言われたことも守れない、二千畳敷の狸ですから。ごめんあそばせ」


 甲賀は鬼の背後を取ってわかったが、後頭部にも目と口がある。腕もまだ健在であった。それらが挟み撃ちを成立させず、そして再び鬼の軍勢が住宅地を抜けて現れた。


「黄色のやつぁ、逃げ出したかぁ」

「まさか。あの人はあれで、あなたと同じような気質ですから」


 真は立ち上がったはいいものの、厳命されたと自分で言っておきながら、突っ立ったままでいた。

 彼我の数量に、視界だけに支配された数的不利に圧倒され足がすくむ。初陣とするにはこの戦場はあまりに厳しく、勇ましさもすでに失っていた。どうやって逃げ出すか、それだけしか考えられなかった。

 三日の鎧のその肩に、どの鬼のものかはわからなかったが、放たれた気味の悪い光沢をもつ槍がかすめ、勢いの衰えないまま真の足元に突き刺さる。


「ひっ」


 悲鳴をあげてたたらを踏み、完治したはずの腕が不思議と熱を持つ。


(どうして俺が、こんな場所にいるんだ)


 心の声ではあったが、本音である。これまでの緊張とその槍が胸を貫かなかったことに安堵して、座席に胃の中身をぶちまけた。


(小便だ。漏らしていたのか。まあいい、これで嘔吐をごまかせる)


 つまらないことしか浮かばない。視線を上げると阿修羅は攻勢であり続けているようだった。三日は周囲の鬼の相手を蹴散らし、甲賀は防ぐので一杯な様子だ。これほどまでに劣勢でありながら、二人は勝利を確信しているようで、力の配分を無視した全力の動きをしている。


(何か待っているのか。菜ノ花大尉か、違う、出し惜しみがない。逃げることを考えていない)


 ではなんだろう。支援も援軍も無いなかで、一体何を待つのだ。

 走馬灯だろうか、ぐるぐると記憶が渦を巻く。どれも叱咤と暴力の苛烈な渦ではあったが、それらは的確に真を打つものばかりだった。

 恐怖の達人となれ。棒立ちはやめろ。マニュアルを読め。言葉に紐付けされた激痛の群が全身くまなく走り回り、腕とひたいに到着した瞬間、そこから激しく血が吹き出した。

 右腕はズタズタに引き裂かれ、ひたいから流れ出た血は目を覆い隠す。もう拭う気力もなかったのに、闘争を諦めていたはずなのに、彼のへし折れていた本質が隠れた目の代わりとなるよう目覚めた。

 奥歯を噛み合わせ踏み出すと、思いの外軽い。


「春川です。俺は周りの奴らを片付けます」


 戦力に入れている。三日の言葉は想像以上に自信となっていた。興奮に大きく震える手で通信を繋ぎ、これからあの霧の立ち込む輪の中に入るという恐怖を受け入れ、股や胸元を汚す不快感とともに飲み込んだ。


「腰抜けはそこにいろ」


 冷たくあしらわれるも戦闘は続いている。真は三日を無視し、鬼の集団に突っ込み刀を振るう。


「戻れ。邪魔だ」


 これも無視した。返事をすれば甘えてしまう気がした。


「聞こえねえのか?」


 器用にも、三日は阿修羅の一刀を受け止め、槍の穂先すらも身を翻してかわしながら、真に銃口を向けた。

 引き金を絞ることにためらいはなく、まさか味方に撃たれるとは思ってもいないので、当然のように銃弾は真の魂鎧の頭部に着弾した。着弾するとそこが爆ぜて装甲が剥がれ、生身が多少露わになった。

 怯えるでも逃げるでもなく、真の反骨の血に火がついた。


「なにをしやがる。てめえにも俺の名をくれてやるぞ」


 と、口汚く罵った。

 内蔵された砲を撃とうとするも、激しく動き回る三日にはなかなか狙いが定まらない。

 しかし彼女はこれを行ったのだとその頼もしさと実力に閉口して、鼻を鳴らした。

 撤退型とされた真の魂鎧。通常の火器に加え、以前彼の右腕を傷物にしたように、内蔵された砲がある。それは武器であり、加速装置でもあり、鎧の前面のあらゆる箇所に取り付けられている。

 敵に背を向けず攻撃し続けることが可能であり、その発射の反動でまた後方へと加速するのだが、理屈で言えば可能というだけの無理な機体だった。

 射撃しながら突撃するには前進速度は落ちるし、そもそも逃げを前提とする戦いということもおかしい。それを承知で開発され、すぐ動かせるというだけで真に渡った不運しか生み出さない狂気の鎧は、混沌とした数的不利の現場に非常によく噛み合った。

 例えば右側に取り付けられた砲が炸裂すれば体は時計回りに回転する。それを方向転換に利用し右に曲がる。鬼の間を縫っての稲妻型の走行は撹乱と遊撃に向いていた。

 急激な方向転換が可能になる程の威力を持った砲である、当たれば鬼の数匹は軽く消し飛ばせた。

 前後左右に体を振りながら、その時を待った。

 戦闘終了でも、援軍の到着でもない、三日へ砲をぶっ放す瞬間を、慰みのように鬼を霧に変えながら、ひたすらに待っていた。


 ここだ。舞踊のごとくに移動し、四方の鬼をすり抜けて、射線上に複数の鬼がいるのにも関わらず、改良された右手の砲を撃ち放った。十四センチにまで拡張された銃口は貫通弾を採用し、内部で暴発しないよう改良が加えられている。

 その弾丸は霧を突き進む。甲賀は本物の殺気をそれに感じた。敵にのみぶつけるべき至高の殺意だった。甲賀は「わあ、本気だ」と真の殺気に感動した。

 三日の死角となるよう、そこまで真は気を配った。考え抜いた末の、味方を、上官を撃ち殺すための一発だった。この二ヶ月の親愛は一切意味をなくし、反骨と意地に囚われていた。


「くたばれ、あんたにゃこのデコの借りがあらぁ」


 当たれば現状の主戦力が減る。隊長がいなくなれば甲賀が代わりとなって、おそらく撤退しなければならないだろう。そして貫通性の弾丸は三日を撃ち殺してもなお阿修羅に刺さるかもしれず、そうすれば足止め程度にはなる。となれば戦域からの離脱の可能性も僅かながらに上昇する。

 外れれば、ただ阿修羅に当たる。着弾箇所は心臓部に位置していたし初陣を飾るにふさわしい戦功ともいえる。

 どちらにせよ真は命懸けの戦いの中、憎い上官を殺すか、鬼を射るか、もしくはその両方をこなせる弾丸を放った。神業のような技術と神がかり的な集中力だった。


 突如、ずんと背中に石を背負ったような重苦しさを、真は怨敵となった彼女から感じた。


「てめえにも、くれてやろうか」


 三日の背中を貫くはずの弾丸は、どういうわけか軌道を変えて鬼のひたいにぶち当たった。ちょうど左目の上である。


「てめえにもくれてやろうかって言ってんだよ」


 勿来の名を。そう静かに言って三日は阿修羅の霧をかぶった。甲賀は「わあ、残り物はいただきますからね」と他の鬼をズタズタにしながらはしゃいだ。


「化け物めが」


 真はまた罵り、三日の神業を恨んだ。同時に彼女を殺すということへの困難さを初めて知った。

 迫る弾丸に刀を添わせ、斬らないよう、そっと受け止めながら軌道を変更したその技に、身震いした。

 菜ノ花小隊が現場に到着した時、動いているのは甲賀だけで、それも最後の鬼を滅した直後だった。

 三日は、多少悩んだ。正対した真に一体どんな言葉をかければいいのかわからなかった。


「何をしたのか、お前、わかっているか」


 戦闘終了や撤退の命令も出さない。これからなにが始まるのか、そしてどう終わるのか、甲賀にもわからない。

 ゆっくりとした三日の声に、真は思わず首に手を当てた。まだ繋がっているのかと本気で心配した。それほどに伝わってくる、己が飛ばしたものと同じような、純粋な殺しの意志があった。


「私は鬼を倒しただけです」

「だけってこたぁねえだろう。気がつかねえとよ、私がよ、しばらくお前の面倒みてたんだ、わかるだろう、私があれに気がつかねえと、本気で思ってんのか」


 彼女の実力は、訓練中なんども体感している。たとえ己が百人いても勝ち目があるかどうか疑わしい、それほどに鎧の扱いに長けていた。


 だが謝罪などする気もない。彼には悪いことをしたというつもりはなく、むしろこれでチャラなのだと言わんばかりに尊大である。


「仰りたいことがよくわかりません。あれとは、なんのことでしょう」


 割れた装甲の隙間から、してやったりと、会心の笑みが見える。後先は無論考えていない。


「誤射じゃねえんだろう」

「未熟ゆえ」

「くたばれと聞こえたが」

「助けてと懇願したのです。しかし自力を信ずるべきだと戒めました」

「化け物とは」

「そのままの意味です。鬼とはそうでありましょう」


 埒が明かない。三日はズカズカと真の前まで歩み寄り、大きく刀を振りかぶった。片手での仕草はまるでひたいを割ったあの時のよう。


「貴様の命を奪う。代わりに我が命、愛をくれてやろう。叫べ、勿来と」


 真の魂鎧はだらりと腕を下げたままだったが、腰に提げた刀の鞘から小さな弾丸が無数にが飛び散り、三日を打ちのめした。


「俺もくれてやる。だが、俺の愛は矮小でいかんな」


 彼女は微動だにせず、


「厳罰をくだす」


 と、鬼にするのと寸分違わず、きらめく一刀を竹を割るよう振り下ろした。

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