第10話 罠

『商業地区八番北部に鬼出現。担当部隊は速やかに出撃してください。繰り返します……』


 生苦との初対面を終えてからまた一ヶ月が経っていた。真はその間中ずっと操縦訓練をしていたために、暇ということはなかったが、三日たちはそうではない。訓練は一緒にしていたが、どうにも不満があった。


「どうして私たちに出番がないのか」


 これに尽きる。生苦や他の部隊ともちょっとしたいざこざがあり、真はそのたびに頭を下げ続けた。依然として鬼の数は少ないが出撃の機会は他の部隊に奪われ続け、相当に鬱憤が溜まっている。


「待たせやがって。総員出撃準備!」


 サイレンがなった瞬間に、三日は窓から部屋を出て、最短距離をとって格納庫まで走った。


「私たちは優雅に廊下を行きましょう」


 甲賀もそれに続くかと思われたが、言葉通りにした。ただ、その駆け足は真を置き去りにするほど速い。


「乗って! レールの準備はできています!」


 整備部長が叫んだ。環状レールに軍の列車を走らせて目的地近郊まで魂鎧を送る。通過中の電車は別な線路に切り替え、その準備が出来次第の発進となる。

 出撃の際、目的地までは魂鎧を牽引する車輌があり、それを往復号と呼び、これに乗り込むことで迅速な目的地到着が可能となる。もとより市街に網の目のように張り巡らされた路線図は、鬼がどこに現れてもいいように設計されていた。


「初陣だ。頑張って」


 部長にそう声をかけられ、真は頷いた。三日の訓練は重箱の隅をつつくが如く細かく、そして厳しいものであり、その効果はこの非常時にこそ現れた。

 真は緊張しながらも、魂鎧に搭乗し、往復号へ乗り込む。無駄のない動作だった。


「通信テスト。こちら三日、応答せよ」

「甲賀です。感度良好」

「春川、良好です」


 画面越しの上官たちは落ち着きながらも、臨戦の興奮を発していた。


「訓練通りにやれ。敵数は四、お前も戦力に入れている。働け」

「はい!」


 期待が重くのしかかる。応えられるか不安にもなったが、訓練を思い出すと自信が湧いた。

 到着まで十数分、着々と時間は進み「降車せよ」とのアナウンス。猛スピードの往復号と魂鎧を繋ぐ金具が外れた。飛び降りて、接地、アスファルトを削りながら、徐々に速度を落とす。


「レーダーでは、ここから西へ数百メートルですね」


 そこに鬼がいる。そう思うと、鬼を生で見たことがある真でも、操縦席からではどう見えるのかについて少し臆病にならざるをえなかった。


「先行は甲賀。次に春川。進め」


 了解と周囲に目をこらしながら、レーダーを追う。ビル群が空を突き、深い谷間にいるようだった。


「発見。小型が三体」


 魂鎧と同程度の体格。ひたいの中心には一本の角がある。太い血管が浮く黒っぽい皮膚の下には美しさと汚らわしさが同居する筋肉がヒクついていた。


「撃て」


 合図とともに、甲賀と真は引き金を絞った。三日は構えたまま、動かずにいる。ぶつぶつと聞き取れないほど小さな声で何かを呟いたまま、静止していた。

 連続する射撃音、七割は命中し、外れればそれだけ市街を壊した。だがそれを気にしていては討伐はできない。なるべく弾が道路に抜けるよう陣取った。

 真はその命中させる作業に夢中で、甲賀の「討伐完了」の声で我に返った。鬼は死ぬと黒い霧状になって霧散する。目の前にはもうその残りカスがあるだけで、それもすぐに消えた。


「敵増援あり。直進方向に三体」


 綺麗に区画整理されたその合間から、姿を見せる鬼たち。三日は「進め」と指示した。


「念のため、予備隊に出動願いを出しておけ」


 出撃当番に窮地に陥った際の助け舟が予備隊である。例えば生苦が出撃し、これは手に負えないと判断すれば、他の部隊や三日たちが現場に出る。これも当番制であり、鬼の数が少なかったため三日たちはこの予備隊としても出番がなかった。


 菜ノ花なのはな前転ぜんてんという大尉がいる。それが今日の予備隊で、三日隊では黄色と呼んでいた。菜の花が黄色い花を咲かせることと、彼女の髪が美しい金色だからである。


「黄色さんが予備隊の当番ですね」


 魂鎧間の通信はもちろん、基地との交信も、あるいは同時でも当然できる。甲賀は生苦にも回線を繋いだ。上官をあだ名で呼ぶことを諌めて欲しいのではなく、その返ってくるであろう怒声で真の緊張をほぐそうとした。


「甲賀ぁ! 上官には敬意をとあれほど言っただろう!」


 心配性の生苦は菜ノ花が予備隊として出るはずだが、有事の際にはと自分の鎧に乗り込むことだけはしていた。彼女は三日のあだ名癖を理解しているだけに黄色が誰を指すかすぐにわかった


「あー、申し訳ない。なにぶん、この畜生は畜生だけに、言われたことを守らない。それどころか芸もできない、二千畳敷の狸でありますから」

「お前がそんな風だから部下もそうなんだ!」


 三日は通信終了と打ち切った。怒髪天を突く生苦だが、文句を言いながらも操縦席からは降りなかった。


「菜ノ花大尉、こちら甲賀」


 射撃をしながらの通信は雑音が混ざりかすれてはいるが、返事はある。


「はい、黄色です。予備隊として黄色小隊、いつでも出撃可能よ」

「てめえで名乗るか、普通」


 三日は途端に砕けた物言いになった。


「あら、いいじゃない。私、三日のセンス嫌いじゃないもの」


 菜ノ花はのんびりした性格と穏やかな物腰から、上と下に好かれる珍しい種類の人物だった。そればかりでなく、三日のような型破りや生苦のような堅物まで満遍なく愛し愛されている。実力も確かで、物事を大きく捉えることができ、大局を見渡すことができた。


「でんぐり返しは長くて語呂も悪かったけど、黄色なら大歓迎だわ」


 真はその不採用となったあだ名がツボだったようで、思いがけず小さく吹き出し、誤魔化すように咳をした。


「おふざけはやめましょう。ほら、レーダーに感ありです。その角の先に二体」

「何を仕切っていやがる。だったらお前が仕留めろ」


 了解と勇んで速度を上げた。射程に入れて引き金を引く。頭部と胸部に命中、これまで訓練がその動作から無駄を消していた。短い連射で使った弾丸は三十発程度だった。


「おお。意外と」


 甲賀のこれが、真に対する感想の全てである。

 なおもレーダーには鬼がいる。三日隊はそれを追ってビル街の外れへと進む。囲いの中にいるようで息苦しかったその視界が晴れ、平屋だらけの住宅地の手前で、倒すべき姿が現れる。


「小型が一匹、不肖の畜生この甲賀が仕留めてみせまする」


 お預けを食らっていた分の鬱憤を晴らそうと、甲賀は一人で盛り上がっている。情操鋼が軋み、魂鎧がその一歩を踏みしめて、砲の引き金へと指をかけたその時、


「走れ!」


 と三日が叫んだ。同時に左右のビルが中程から轟音と共に大きく傾き、三日隊を潰そうと降り注いだ。


(鬼の仕業か)


 真は呆然と、速度の感覚を失って、上空のコンクートの塊を見つめた。


「春川ぁ!」


 その絶叫が活を与え、真は正気に戻って駆け出した。つんのめって大きく転ぶも、這いながら必死に前進し、体の芯が壊れるような恐怖と緊張の振動が、三機の鎧を激しく叩いた。

 真は寝そべる体に鞭を打つ。周囲の警戒と仲間の安否を確かめなくてはならない。


「春川です! 隊長、甲賀中尉、ご無事でしょうか」


 返信は早い。


「でかい声を出すな」

「問題ありません。ですが」


 背後には高い瓦礫の山が築かれている。乗り越えられなくはないが、その先に行くには迂回した方が早い。他のビルが壊れないという保証もなかった。


「あの小型はどうした」

「こちら菜ノ花! 何をしたの? 突然ビルが崩れたのだけど」

「知らねえよ」


 苛立ち、湯気の立つ頭ながら、三日の五感は正しく危機を察知した。


「いや、わかった。たった今、あんたの疑問が、私らの疑問が、解決しちまった」


 鬼がいる。彼女たちは瓦礫を背に包囲されていた。大小様々な、鎧の倍はあろう体躯の鬼や、鈍色の太い棒を携えた二本角、そして小さいながら全身を淡い虹色で装飾した鬼が、醜く微笑んだようである。


「こりゃあ罠だ。嵌められちまった。レーダーをすり抜ける奴がいて、そいつらが建物を壊したんだな」


 真は開いた口が塞がらない。レーダーを無意味にする鬼を、そしてこれだけの数の敵を前にしても、どこか嬉しそうな三日の声音に愕然とした。


「敵数およそ二十。ははあ、これはこれは、大変なことになりましたね」


 どんな畜生にだって備わっているはずの危険感知の能力を退化させた軍人狸は、クスクスと上品に微笑んだ。


「楽しそうですこと。黄色さんがお手伝いに行きましょうか?」

「うん、いるなぁ」


 真は三日が突っ込むかと思ったが、意外と冷静である。


「ですが菜ノ花到着まで、どうすれば」

「春川ぁ、教えただろうが」


 砲、構え。撃て。号令は真の頭に何があろうとも実施されるよう、二ヶ月の訓練で叩き込まれている。前方の鬼に着弾し、それが合図となって、大戦闘が始まった。


「恐怖の達人になれ。小便漏らしたってかまわねえからよ、棒立ちはやめろ、邪魔だから」


 冷たい声が、真の背筋を汗とともに流れた。

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