第9話 なまくら

 サイレンが毎日のように鳴る。それが鬼が出現した合図であり、最近は活動が活発であった。


 しかし真が実戦を経験することはなかった。出撃当番には毎日別な部隊が設定されていて、三日たちが当番の日はなぜか鬼が現れなかった。

 当番制ではなく、全員でやればいいとの声もあったが、そうすると手柄欲しさに仲間同士で足を引っ張り合う者がいたので改められた経緯がある。連続での戦闘は疲労が甚だしいから改善しろという現場の要請もあった。


 甲賀は出撃できない不満をこの日出撃した部隊から話を聞くことで紛らわそうとした。


 鬼の数は少ない。しかし出撃数は増えていて大変だ。


 こうした単なる情報を、出番のない自分への当て付けのように思い腹が立ったと、無表情な頬に少しだけ紅をさし、三日へ報告した。


「戦っておいて数が少ないなんて。これは座布団を凹ませるだけの私たちへの嘲笑に違いありません」


 これが他の部隊だけが出動していることへの不満だということに三日も気がついている。


「言わせておけ」

「その数はどれくらいなのですか」


 甲賀は真が言い終わる前に指を立てた。


「四体です。昨日はナマクラ隊でしたが、あそこは五人体制でやっているのに、鬼が四体は少ないですって。五つの積み木と四つの積み木、ああ、こちらが一つ多い、数的有利だー。こんな誰でもわかるようなことを『どう、私やるでしょう』みたいな顔でするものですから」

「狸がカッカしてらぁ」


 真に視線を投げる三日。その表情は明るい。目尻を髪の毛一本分ほど下げ、くっと口角を上げる。これが三日の何気ない微笑みだった。


「ええ。甲賀さんが怒るなんて珍しいですね」


 一ヶ月かけて真はこの三日小隊に馴染んだ。三日と甲賀の突発的な喧嘩にも愛想良く付き合い、二人の感情や表情の機微を掴んだ。細部まで気にしなければならない支援での経験が無自覚に生きていた。


「そうなんです。珍しく私も頭に血が上りましてぇ」


 と、いつになく語尾を伸ばした。


「まして、なんだ」


 三日はこの変調に不安を覚えた。


「ナマクラさんのこと、ぶん殴っちゃいました」

「馬鹿野郎! 私も頭を下げることになるだろうが!」


 こういう突飛な暴力沙汰にも穏やかでいられるほど順応していた。


「そのナマクラさんは、どういうお人なのですか」


 鼻息荒く、三日は吐き捨てる。


生苦なまくって中尉がいるんだ」

「それで名が蘭子らんこですので」


 ただの冗談にしては悪ふざけがすぎる気もした真だった。なおも二人は悪口を続ける、というか、会話になると大抵そうだった。


「接近戦が下手糞だから、それでなまくらだ」

「以前からかった時の、目に涙を浮かべて黙り込む姿といったら。あれは愛嬌がありましたね」


 真は付き合っていられないと、手垢で汚れた教本のページを開いた。

 出撃のため、大人しく待機していた時間を除けば、真はひたすらに魂鎧に乗っての訓練と、そのマニュアルだったり戦闘教本だったりを読み込んだ。腕の怪我は完治したし、操縦もそれなりに、三日の評は厳しいが、動かせはする。残すは実戦のみであった。


「失礼する」

「ああ?」


 無愛想に迎えた三日は、すぐに「噂をすれば影」と煙草に火をつけた。

 片頬を赤く腫らした背の高い女、階級は三日たち同様中尉だ。

 ドアを閉め、


「どういう教育をしているんだ、三日」


 と小さく叫んだ。室外へと声が漏れないよう、そうした。そして甲賀に指を突きつけてから、自分の頬を指した。


「事情は聞いたか?」


 三日は半笑いで頷いた。


「今しがた。うちのペットが粗相をしたようで」

「誰がペットで、何が粗相か、私にはわかりかねますね」

「お前らはいつもそうやって話を煩くする!」


 頭をがりがりとかきむしり、彼女はそこで真に気がついた。よほどこの案件に目がいっていたのか、真の姿を見て一瞬動きが止まった。


「きみは?」


 地顔に戻ると、彼女は凛々しさと可憐さを併せ持つ、稀有な美人であった。


「春川真少尉です。一月くらい前に支援から転属してきました」


 甲賀がそれに答えた。


「はぁ、そうか。そういえば男からも因子が発見されたとかなんとか、へえ、きみが」

「よろしくお願いします」


 真は起立し、大声で言った。

 これに気をよくした彼女は嬉しそうに握手を求めた。


「元気でよろしい。うん、こちらこそよろしく頼むよ」


 ああ、これが上司のあるべき姿というものだ。と真は感激し、無意識に繋いだ手を大きく振った。

 そして、あるべき姿ではないが、実際の上司は紫煙に低く笑う。


「そいつが噂のナマクラだ。媚びておけ、縁を作っちまえば切られるってことはねえからな。たとえ頬をぶん殴られても、泣いたカラスがってもんよ」


 それでここにきた目的を思い出したのか、険しい表情に戻る。しかし無理に微笑んで、


「私は生苦という。階級は中尉だ」


 とあくまでも後進へは優しい態度をとった。


「下のお名前が蘭子さん。それで鈍と呼ばれている人ですよ」


 さっきと同じ説明を、わざわざ本人の前でした。わななく生苦は今度こそ甲賀の胸ぐらをひっ掴み、


「呼んでいるのはお前たちだけだ。それに、どうしてお前はそれほどに人を不快にさせるのがうまいのだ」


 と今にも手が出そうな剣幕だ。


「甲賀があんたを殴ったんだろ? なんでも自慢されたからとか。私が聞いてんのはそれくらいさ」


 部下の狼藉をかばう、ということもなく、三日は煙を輪っかにして吐いた。この悠然さのせいで生苦の言動がひどくユーモラスなものになった。


「しかも部下の前でだ。というか自慢なんてしていない。こいつが戦況を聞いてきたからそれに答えただけだ」


 不思議そうに、胸ぐらを掴んでいた手を離した。甲賀は襟を正し、


「いいえ。あなたは私たちが出撃していないことを知りながら、たった四体とはいえ、出撃し討伐したことを自慢しました」

「あのな、聞かれたから答えただけであって、そんなつもりはないんだよ」


 呆れる生苦に食ってかかる甲賀は、まるっきり自分が正しいといわんばかりである。


「だって、だって、私たちはお預けを食らっているんですよ。餌を前にした二匹の犬がいて、片方だけが餌を食べる。その食後に満腹の駄犬が私たちを眺めていれば、それはもう自慢じゃないですか」

「鈍の次は駄犬呼ばわりか」

「お前は狸なんだがな」


 茶化す三日、激怒寸前の甲賀。加害者がこうも堂々と悪びれないというのも珍しい。悪いという自覚もなさそうで、その部下である真は居心地の悪さに身を縮めた。

 さすがに真にまで窮屈を与えるのは、生苦にとっても本意ではないらしく、大きく深呼吸をして、そうしなければならないといった様に甲賀の肩にそっと手を置く。


「相手がお前らだからはっきり言おう。別に殴られたことに腹を立ててここまで来たんじゃないんだよ」


 置かれた手、甲賀はその手の甲についた小さな切り傷に己の唾をつけて塗り込んだ。


「部下の手前、私は見栄を張る必要がある。不出来なこの身だが、憧れや目標という視線がないわけではないんだ」


 謙虚さと事実を織り交ぜて、彼女は唾のついた傷を眺めた。


「私が他の部隊の奴に、いや、誰でもいいが、目の前で殴られれば不信感や頼りなさを生んで、威厳がなくなってしまうだろう。今だって、私は大激怒のていで来ているんだ」


 隊を預かる者は、同時に命を預かる。部下から自分の命を懸けるに値すると判断されなくては、戦闘効率の低下に直結する。あの隊長はダメだと思われれば独断行動やサボタージュが横行してし、またそれを叱っても、かえって反感を得るだけにしかならない。生苦はそれを恐れた。


「威厳だけのためか?」

「ほとんどはそうだ。格好悪いところは見せたくないし、それにまあまあ痛かった」


 甲賀は指をくわえ唾をつけ、生苦の頬に塗った。彼女なりの優しさではあったが、真にとってはなんだか不気味である。謝罪と妙な懐っこさを感じる生苦は苦笑いでいた。


「部下は可愛い、と。そいつらの前だから、格好つけて肩を怒らせてここまで来た。そういうことか?」

「概ねそうだ」


 概ねというのは意味もわからず殴られた疑問を払拭することもあったのだろう。想像以上に理解できない理由だったから、それもどうでもよくなったらしい。生苦は唾を拭うことはせず、甲賀の腕を軽く抑えた。


「いいか。もうこういったことは無しにしてくれ。謝れといったって、お前たちは謝らないだろう。だから、これから気をつけてくれるだけでいい」

「謝らない。でもやっちまうかも。それが私たちさ」


 真は黙ったままことの成り行きを伺っている。三日と甲賀に慣れたはずであったが、やはりどちらかといえば悪役な彼女たちの下にいていいものかと自問するが、簡単に移動などできるはずもないので、


「あの、すいませんでした」


 と、心底からの言葉を発した。より良い職場環境を自ら作り上げるしかないと、骨を埋める先の庭づくりをするしかなかった。


「おお、大人ですねえ」

「これでチャラだな」


 墓荒らしたちは歓喜し、こうなっては仕方がないと生苦はまたため息。


「きみは新兵だが、こいつらよりも抜きん出たところがあると証明されたよ。それじゃあ私は戻るから、三日隊は明日の出撃予定だろう、気を引き締めておけよ」

「あー、また自慢」

「心配性な奴め。早く返って素振りでもしてろ」

「す、すいません」

「もはや笑えてくるな。上司を変えたくなったらいつでも来なさい。歓迎するよ」


 それではと生苦が背を向けドアに手をかけた時、三日はおいと声をかけた。


「なんだ」

「これ持ってけ」


 放り投げられたのはまんじゅうと煙草の箱が四つ。三日は器用にまとめて投げ渡し、生苦も器用に受け取った。


とかの分だ。三日と甲賀が平謝りしていたと言え」

「そのあだ名はやめてやれ。彼女たちも慣れているとはいえ、お前、公衆の面前でもそうやって呼ぶから」


 小島、御手洗という生苦の部下がいる。小島は背が低く島という程でもないため飛び石で、御手洗は水道を連想させるから水と、三日は常にそうやって呼んだ。

 彼女はそうやって人をひどいあだ名で呼ぶくせに、そうした者たちに人一倍愛着があるらしく、


「よう水、飯は食ったのか、奢ってやるから外に出よう」

「なんだ飛び石、落し物か。探すの手伝ってやる」


 などと真からすれば考えられないほどの人の良さで可愛がっている。本人たちも最初は嫌がるが、次第に好意のためと納得し、三日のことをそれほど悪く思っていない。


「部下の分くらいにはあるだろ」

「私の分がないぞ」

「あるかよ、そんなもん。食いたかったら分けてもらえ」

「少尉。苦しいとは思うが今は我慢だ。そのうち腕のいい射撃手が奴の背中を撃ち抜いてくれるはずだ」

「てめえで言うなナマクラ」


 そうして三日は煙草をもう一つだけ放った。嫌味に笑ったまましっしと手を振る。


「そうだ。あれは、もうやめておけ」


 扉に体を半分だけ残しそう言った。

 何を指しているのかは、三日と甲賀だけが知るところであり、真はというと「色々やらかしたうちの一つだろう」と思い苦笑した。


「さっさと帰れっての」


 生苦は去った。殴られたことへの体裁を取り繕うことが目的ではなく、どうも三日小隊を慮って訪れたような気さえした。薄茶色の長い髪、同系の瞳、筋肉質な体つきにこの性格があれば人望はあるはずだし、何より性格が素晴らしい。そう思い真は半ば本気で勧誘を受け入れそうになった。


「甲賀ぁ、次のまんじゅうの買い出しはお前が行けよ」

「一緒に行きましょう、春川さん」

「は、はい。あと煙草も買わないといけませんね」


 最後までこうである。しかし、真はこの悪役の下っ端であることが、慣れのせいか、嫌いではなかった。

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