第8話 気づき
「ひどい」
演習後、魂鎧から降りた真をみて、技師たちは慌てた。彼の半身は隙間なく血で覆われていて、すぐに医務室へと運ばれ治療を受けた。切り傷が連なり手の甲から肩までを裂く大怪我である。
腕を吊り、痛み止めを飲んだ。軍医は即刻入院せよと引き止めたが、すぐに三日の待つ部屋へと戻った。
「お疲れ様です。春川、戻りました」
二人は訓練を始める前となにも変わっていない。甲賀には怪我はおろか服装の乱れもなかった。
「はい。お疲れ様です」
顔色一つ変えない。三日もそうだった。
「次の訓練に支障はあるか」
真は正直、心配の一つくらいはされていると思っていたが、発せられたのはあまりにも無慈悲な言葉だった。
「ありません」
痛み止めの効果はまだ現れず、熱と痛みをもつ腕はしっかりとした休息を求めていたが、真は無視した。三日への負けん気が現れて、そのまま席に着いた。
「とても大丈夫そうには見えませんが」
「いいえ。こんなものは、どうということはないのです」
意固地になると甲賀もそうですかと引くしかない。三日は鼻を鳴らして、煙を吐いた。
「訓練の反省会をする。まずはそれぞれの感想をきこう」
すると甲賀は何も言わずに立ち上がり、本棚にかけてある小さな黒板へと「反省点」と書いた。
「私は特にありません」
しれっと黒板には「無し」と書いた。三日はそれを咎めない。
「では、春川」
そう促されても、正直なところ精一杯動かしたという他なかった。彼はこれが魂鎧での初戦闘である。どこが悪いのかもわからない。
もたもたしているうちに三日はため息をついた。それは他者に対して心底落胆し、その他者を絶望させる力があった。芝居がかっているからこそ、お手本のようなため息だった。
「最初のあれは、大きな減点だ」
と厳しく机を叩いた。
「いいか、ただ立っているだけというのは非常に危険だ。足を止めれば囲まれる。囲まれれば脱出するのにも労力がいるし、何より他人の負担ともなる」
だから棒立ちはやめろ。三日はそう結び、黒板には「常に動くこと」と書かれた。訓練兵に与えるような戒めである。
「あとは慣れですね。三日さん、もういいでしょう。これ以上何もありませんよ」
「五分も経っていないだろうが」
「だって、訓練はすぐに終わりましたし、それにあの腕の砲は威力に問題があります。あれでは乗り手を壊すだけです。開発部には私が伝えておきますが、改善されるまで搭乗は控えたほうがいいかと」
甲賀は真の腕を軽く指差した。それは事実だし、三日も認めるところである。だから文句も言えず、不機嫌に煙草に火をつけた。
「春川さん、棒立ちはやめること。それが課題ですので克服してください」
返事もなく頷いた。甲賀が反省会を打ち切るとは思わず驚いて声も出なかった。
彼女は黒板をそのままにして、開発部へ提出するための報告書を書き上げた。三日小隊のほとんどの事務を甲賀が担当していた。
「ではこれを渡してきます。ああそうだ、三日さん」
「なんだよ」
甲賀は「いいえ、なんでもありません」と表情を崩さず、そのまま出て行ってしまった。
「どうかしたのでしょうか」
三日は「知らん」とだけ言った。彼女は煙を愛し、真はマニュアルを読む。甲賀はしばらくして戻ってきたが、机にかじりつく新兵と、愛煙家の様子にやや肩を落とした。
「連携を取りやすくするために会話をしておいてと言ったじゃないですか」
「なんだぁ! んなことたぁ一言も言ってねぇだろう!」
すぐに怒りを沸騰させ、その勢いのまま煙草を消した。灰皿から外れ、机を焦がした。
「中尉は素直さが圧倒的に足りません」
「吐かすな狸」
甲賀は会話を、つまりは連携のことを考えていた。そのことが真を明るい気分にさせた。この部屋での発言権、というよりも、どうにも気後れする雰囲気があったが、それに今こそ打ち克つのだと奮い立った。
「あの!」
自分の想像以上に大声だった。静寂、そしてそれよりもはるかに大きな、大型の猫科動物を想像させる、怒声が響いた。
「うるせえ! 文句かぁ」
この絶叫に野次馬が集まって覗き見をしたが、みな三日の形相を見てすぐに散って行った。
意を決し、真は言う。
「それは俺がマニュアルを読んでいたせいです。会話をし、もっと関係性を築かねば困るのは自分なのに、それを怠りました」
そして謝罪した。息も荒く、その場で決闘でもするのかと見紛う熱気だった。
「まだ軍人経験も、お二方の部下としても日の浅い自分ではありますが、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
甲賀はほうと吐息を一つ。三日は黙って煙草に火をつけた。
「経験、ですか。そうだ、質問があります」
前後の怒りや謝罪の流れをまったく無視して、甲賀はそう言った。
「はい。何でも答えさせていただきます」
かなり硬い質疑応答に「何だそりゃあ」と三日は小さく漏らした。
「春川さんはどうして軍に?」
何でも、とは言ったが、真にとってこれはかなり答えづらい種類の問いだった。
「あの、それはですね。軍人になれば、給料がいいので、それで」
彼は軍人に対して高い理想を持っていて、その理想の枠に自分を押し込むことこそが最良であると信じている。
だが入隊時はひどく貧乏で、取り柄もなければ目標もなく、十六の身空でほとんど迷わずに軍へと身を投げた。いつ死ぬかもわからない、その代わり給金は多い。金を基準に物事を選ぶということは、今の理想とはかけ離れた行いであり、だからこそ軍へのきっかけを話すことは多少の勇気が必要だった。
「よくある話だ。うちの狸もそうだったな」
「ええ。兄弟姉妹が多いので、私が稼がないといけませんから」
「小動物ってのは考えなしにガキを産むからなぁ」
「うちは裕福でしたが、小動物代表として抗議します」
「うるせえ。で、支援の畑で万年草むしりか?」
「はい。鎧が到着するまでの時間稼ぎ、囮。武器や弾丸の補給とその輸送経路確保。怪我人の救助や搬送。周辺住民の避難勧告に退路の整備。それから」
「わかった。もういい」
三日はガタガタと椅子を揺らした。不機嫌ではないようだが、真は何か粗相をしたのではないかと不安でいる。
「それだけやってりゃあよ、退屈するだろう。ここじゃマニュアル読んで、現場に出たら弾ぁばらまいて、包丁振り回してりゃあそれでいいんだから」
卑下するでもなく、三日は新品の煙草を胸のポケットから取り出す。
抜き出された真っ白なその一本、摘んだ指先、咥える唇、着火音、閉じかけの片目、昼間に灯る蛍光灯、開けっ放しの窓、呼吸、巻く煙、彼女の犬歯、そして「ああ」と溢れた細い言葉。
これに、これらに、一瞬の光景に真は心臓をぶち抜かれた。そのためか、胸が熱くなって、つい口が開いた。
「実を言うと、私は魂鎧乗りがあまり好きではありませんでした」
甲賀の無愛想が険しくなる。
「俺たちがこんなに大変な思いをしているのに、奴らは、そう、仰られたように弾丸と刃でその仕事を終える。楽でいいと、そう思っていました」
火のついた煙草を持つ人差し指と中指。薬指と小指は自然体で、親指でフィルターを擦っている。紫煙は妙に艶かしい。
「喧嘩を売っているわけでは、ないんですよね」
「もちろん。乗ってみて初めてわかりました。いかに私が愚かであったかを」
そして。これに続く言葉を真は無性に叫びたくなった。だが、それがなぜかはわからないので、努めて静かに、平常を装った。
「その、なんと言いますか」
真はわずかに葛藤し、言葉を選んだ。
「あなた方は、もちろん他の皆様も大変な苦労をされています。こんなこと当たり前なのに、私は知ろうとも、考えようともしなかった」
怪我した腕が戒めとなるのであればそれでいい。無知のまま他人を嘲ることがどれほど愚かなのかをこの腕が教えてくれたのだ。真は包帯をかきむしり、甲賀の静止の声も置き去りに、ずたずたになったその箇所を晒した。
「私は魂鎧の姿と、あの中から見える景色が好きです」
「その汚ねえ雑巾みたいな腕もか?」
三日は人を不快にする笑みで言った。
「はい。未熟が故のものですが、これが過去の私が馬鹿にした魂鎧乗りの腕です」
真ははにかんだ。そして急に照れて包帯を巻きなおし、小さくなって椅子に座った。
「ばぁか。恥ずかしがるくらいならするんじゃねえ」
「それだけの覚悟があれば、明日にでも怪我は治り、出動も可能ですね」
「え、私がですか」
「当然だ。武者は多い方がいいに決まってらぁ。それまでに傷が塞がるかどうかは知らねえがよ」
魂鎧に乗る者を指す言葉がいくつかある。三日の言うような武者、他にもパイロットだとか、乗り手、騎手などがあるが、三日小隊では新人の真をのぞいて武者と呼んでいた。
「傷の責はお前だけじゃねえ、あの部長殿にもあるが、鬼は待っちゃあくれねえから、訓練だけはやっていく。傷の責はお前にもあるから、そこは我慢で乗り切れや」
真の見惚れた三日の姿はもうなかった。ただ煙草の端を噛む、短気で乱暴な女がそこにいるだけだった。
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