第5話 歓迎会

「私はこっちなので、失礼します」


 繁華街や駅のある方向に上司たちは歩みを進める。真の住まいはその反対にあった。


「え、春川さんもこっちですよ」

「帰りたいならそれでもいいが、甲賀の苦労が水の泡だ」


 三日は「こいつが歓迎会をしたいと」と甲賀を指差す。


「そういうことにしておきます。それで、春川さんは何か予定があるんですか」


 事前の告知くらいしておけばいいのに、あえてそれをしなかった。驚け、というただそれだけの魂胆だった。そして有無を言わせない迫力があった。


「ありません」

「だったら来い。甲賀ぁ、よかったなあ」


 彼女はそう言って甲賀の背を叩く。


「すぐ近くですし、明日に支障が出ない程度にしますから。お酒は大丈夫ですか?」

「飲めません」

「じゃあ飲むな。ジュースでも飲んでろ。飯を食え」


 個人経営の小さな居酒屋「なみ」が会場だった。他の客はいない。

 座敷に通されると、三日はブーツを脱ぎ散らかし、甲賀がそれを直した。

 三日は座るなり一服し、甲賀が手早く注文を済ませ、突き出しのきんぴらごぼうをつまみながら、真は「ちょっといいですか」と切り出した。


「なんだ」


 三日も甲賀も運ばれてきたビールのジョッキを傾けた。乾杯すらしない歓迎会に苦情を言いたいのではなく、互いについて理解したかった。

 支援部隊では連携こそが命を繋ぐと叩き込まれていて、ここでもそれをしようとした。連携とは相互理解に他ならず、思考や癖を知るからこそ次の行動を予測できる。それが協力関係を深め、それこそが、それのみが生きることに繋がると信じていた。


「私は」

「固えなあ。業務時間外だ、普通でいい」


 テーブルの下から正座をする真の膝を三日が蹴った。机が揺れ、ジョッキの金色が波打つ。彼女はとことん机と相性が悪い。


「本当か」


 真が素直にタメ口をきくと、三日は身を乗り出して、その頬を拳で殴った。


「一人称限定の話だ。どこの世界に上官とタメ口きく奴がいる」


 店主が一人で切り盛りしているらしく、彼自ら料理を運ぶ。刺身の盛り合わせと、厚揚げ、そして山ほどの大根おろし。

 顎を抑えつつ、それらを凝視していると、


「偏食なんですよ。三日さん」

「てめえもだろうが糞狸」


 三日は厚揚げを、甲賀は大根おろしをひたすらに食い、ビールが終わると店で一番安い酒を飲んだ。


「それで、何を言おうとしたんですか」


 どうやら刺身は真のために頼んだらしい。勧められるがままに食った。

 また「私は」と喉まで出かかったが、


「俺は」


 と言い直した。満足そうに頷く変わり者たち。


「何をすればいいんでしょうか」


 己を知ってほしい、彼女たちを知りたい、しかしまずは、この小隊での仕事についてである。

 魂鎧に乗って戦う、その一点だけでは納得いかなかった。支援には数多くの業務があったし、いくらなんでも他の業務があるだろうと、ないのであれば「そら見たことか」と腹に収めるつもりだった。


 二人は答えず、しばらくは無言での食事が続いた。甲賀は答える気がなさそうにしかめ面で、三日も新しく厚揚げを注文し、酒を飲んで、時々真を睨んだ。

 こうなるとバカにしようとした魂胆が見透かされたようで、真は針のむしろにいるような心地になり、刺身の味もしない。ただ柔らかい何かが喉を滑るだけで、逆に水は渋く感じた。

 己を知ってもらいたかったはずなのに、互いの理解を深めようとしたはずなのに、なぜ嘲笑の的など作ろうとしたのか。恥じ、悔い、後にも先にも進めないような、しかしこれを解消しなければ一歩だって進めない気がした。


「何って、何だよ」


 三日はすでに顔が赤い。返答に少し安堵した。


「鬼と戦うということはわかるのですが、なにぶん支援の畑を出たことがなく、あなた方の印象といえば戦闘狂という他ないのです」


 だから戦うこと以外を知りたいと告げた。幸い彼の微妙な言葉選びは、誰のどこにも引っかからなかった。


「へえ、戦闘以外ですか。考えてみれば、私たちは普段何をしているのでしょう」


 大根おろしの山は半分ほどになっており、皿の底には醤油がなみなみと注がれている。


「搭乗訓練だろうが。生身でもあれだけ木刀を振って、そして射撃訓練をしているのにお前は何も覚えていないのか。それはそれで問題だ」


 魂鎧を操る感覚は生身の延長といわれ、そのため己の体一つでも戦闘ができるよう訓練が必要だった。


「ああ。あの程度の運動、記憶するまでもないかと」


 甲賀はわざとらしく小馬鹿にした。それをするに意味などなかった。


「この狸がぁ。鬼より先に斬ってやる」

「ちょっと落ち着いてくださいよ」


 真はどちらかといえば酒の席で暴れる方である。酒も飲まないくせに、雰囲気にあてられて、言わなくてもいいことを言って、しなくてもいいことをする。数多くの失敗をしてきた俺が仲裁に入るとは、と彼は腹やら背中やらがむず痒くなった。


 臨戦態勢の甲賀、酔っているからか煙草を机に押し付ける三日。店主はテレビの野球中継に夢中だった。

 話題を変えなくては。真は客のいない居酒屋で、恥ずかしそうに「そうだ」とわざとらしく叫ぶ。


「甲賀さんの狸って、どういうことなんですか」


 二人からキツく睨まれるも、こっちに矛先が来るのならそれはそれでいいと割り切った。


「ほら、部屋で三日さんがおっしゃっている」


 きょとんとする二人、落ち着きを取り戻したかに見えたが怒りは内燃しているのだろう、三日は「そういえば狸の肉を食うと忘れっぽくなるらしいな、お前の親を食っちまったからよ、忘れていた」と、不思議な喧嘩の売り方をした。


「両親は健在です。それに、あの程度の訓練を訓練と呼ぶのはどうかと。正直言って退屈です」

「け、喧嘩はその辺にしてもらえないでしょうか」


 際限のない言い争いは確実に真の食欲を減衰させ、鋭い空気はもはや戦場のそれだった。


 すると突然、殺気ともいえるひりつく気配は無駄なく収縮し、三日の厚揚げを持つ箸に収まりきり、滑らかに真へと向けられた。


 眉間に焼けるような痛みが走り、思考はすり減りなくなって、本能のみでその場から飛び退いた。座敷から離れ、カウンター席まで勢いよく飛び、腰を打った痛みさえも感じない。


「喧嘩だぁ? この程度で何を怯える。慣れろ。こんなもの、日常のそこかしこにあるぞ」


 肩で息をする真に忠告めいたことを言って、甲賀もそれに同調した。


「ちょっとしたお遊びじゃないですか。そんなにびっくりされても、こちらこそびっくりですよ」

「今のが遊びですか」


 軍人が本能で逃げ出すような殺気を含ませた遊びである。そんなものが散見される日常を当然ながら真は知らない。慣れろと言われても無理だった。

 もし三日の放ったそれが日常であるのならば、彼女たちは一体どんな世界に住んでいるのか、どんな戦場にいるのか、真は激しい動悸が静まる前に着席し「であれば、俺は遊び相手にはなれませんね」と、支援部隊では若いながらも将来を期待されていた剛毅な男が、しおらしく刺身をつまんだ。


「相手にならなくてもいいですけど、遊び仲間にはなってもらわないと困ります。三日さんと私と、あなたも含めた三人で、暴力に立ち向かう」


 そういう遊びをするんですから。甲賀はそう断じた。


「なので、これくらいはさらりと流して、笑ってご飯が食べられるようにならないと、次のサイレンの日があなたの命日となってしまいます」


 初めて甲賀は笑んだ。上がりきらない口の端、開いた瞳孔、それが彼女の笑顔だった。あまりにも不慣れで、表情の筋肉がまるっきり衰えているかのような、しかし不思議と調和が取れていた。


「甲賀、脅すのならば半端じゃいかん。おい春川」


 三日もそう、笑顔だった。口が耳まで裂けているのかと見紛うほど、まぶたが切り取られたのかと疑うほど、それは禍々しくも美しく、狂おしい。甲賀などはこの笑みに「私が狸なら、あなたは鬼だ」と思う。どうあれこれは素晴らしい笑みではある。真はこの時初めて三日の持つ美に気がついた。


 その表情を保ったまま、右手の人差し指を一本だけ伸ばし、真に向けた。箸に込められていた同質のものが、そこにはある。


「半端はいかん。やるならやる。それがうちだ」

「な、何をなさるのですか」


 三日はその指を天に向ける。酔っ払いの酔っ払いたる風景だったが、真は鳥肌がたった。その指には人を殺傷するだけの何かがあると体が叫んでいる。


「恐怖とは人を強くする。これがなければ魂鎧には乗れないし、乗ったところで犬死にだ。恐ろしいからこそ前に進み、怖いからこそ命令に従える。これも訓練、受け入れろ」


 振り下ろされる一本の指。速度はただ重力に沿っただけの緩慢さ、真の目の前数十センチの空気を轢断した。


「ぐわっ!」


 叫び、その箇所を抑えた。三日の指は触れもしないのに真の左目の上を、眉とひたいを割った。出血もおびただしく、居酒屋の土間は赤黒く濡れた。店主はこちらの様子を一度も眺めず野球中継に興じている。

 うずくまり、顔の半分を隠す手のひらから滴るその血液に、三日はなお酔ったように叫んだ。


「これくらいのことは常に起こり得ると肝に銘じろ。いいか、お前は恐怖の取り扱いに関して達人にならなくてはいけない。全てを受け入れて、その上で行動しなくてはならない。でなければ鬼には勝てない。これは恐怖を知るという講義で、戦場以外では私からしか習えない」


 支援部隊も、鬼が現れればそれを対処しなくてはならない。確かに真は戦場を知ってはいたが、こうまで苛烈なことはなく、また理不尽ではあったが、その種類が違うように思う。


 死は突然であるにしても、三日のしたことは完全に真の想定の範囲外だった。どんな人間だって、歓迎会でひたいを割られるとは思わない。

 だが三日にしてみればこの思考が愚からしい。あらゆることを想定し、神経を病んでいるかのごとく過敏でなければならないと、真の腕を取り、むき出しの傷口に唾を吐いた。

 彼女は恐ろしいことに、何事もなかったかのように厚揚げをかじり、煙草を吸って、甲賀と談笑した。うずくまって歯をくいしばる真に対して、一切の興味を失っていた。


 こうなるとこの場から飛び出し、医者や軍へと駆け込んで事情を説明するのが、およそ正しい。文句を言ったり、力で訴えたり、様々な方法で三日のしたことを暴こうとするのが通常である。


 が、真も普通ではなかった。悲鳴の出ぬようおしぼりを噛んで、ハンカチを酒で濡らし傷口に当てた。包帯がなかったから靴紐で代用した。きびきびと二人の前に着席し、彼も三日のように、日常のごとく刺身を食った。痛みは震えとなり、箸を持つ手はガタガタと揺れたが、それでも数切れ食った。グラスの水と、抗議のつもりか、三日の半分ほどグラスに残ったビールを一気に空けた。


「ご馳走様です。申し訳ありませんが、これで失礼させていただきます」


 唖然とする三日たち。その顔で、少し鬱憤は晴れた。


「お勘定は任せてください。お疲れ様でした」


 甲賀は手を振り見送る。店主は真に軽く一礼した。


「明日の飯でも賭けるか。明日、あいつが来るかどうか」

「成立しないと思いますけど」


 真の傷口はそこから火を吹きそうなほどに熱く、しかしそれ以上に滾る彼の瞳が、二人の賭けを成立せしめなった。


「私は来ないと思うがな」

「あら、その顔、素直じゃないですね」


 にたにたと下卑た笑み。獲物の壊し方や殺し方にこだわり抜く残忍さがあった。その裏に、新入隊員という慶事を喜ぶような無邪気さを、甲賀はぼんやりと感じ取った。

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