第2話 もう二度と、失敗はしない


  B-1


 入学式。緊張感と高揚感の漂う教室で、俺は彼女――鹿内しかうち紗衣さえの姿を確認する。


 飾り気のないポニーテール。小柄な体躯。口角が少し上がった、どことなく楽しそうな表情。


 新品の制服を身に着けた彼女を見て、護は実感する。


 もう一度、チャンスを与えられたのだと。


 チャンスを与えられたからには、もう二度と、前のような失敗はしない。今度こそ、憧れていた青春を手に入れるのだ。




 変わろうと決めてから今日を迎えるまでに、何日か猶予があった。


 髪型を変えて、眼鏡をコンタクトにした。喋り方や会話術も勉強した。笑顔の練習もした。


 たくさんの友達に囲まれた、明るい人気者の優等生。


 それがのイメージだった。


 とはいえ、まだそれを実行に移せるのか、不安ではあった。


 最初が肝心だ。グループが固まる前に、彼女との距離を縮めなければならない。


 護はさっそく、彼女に話しかけに向かう。


「鹿内さんだよね。中学で一緒だった」


 あんなにイメトレしてきたのに、声がほんの少しだけ震えた。


「そうだけど……」


 護と彼女には、同じ中学出身という共通点がある。しかし、クラスが一緒になったことはない。それどころか、話したことすらなかった。


「えっと、大橋くん、で合ってるよね」


「そう。三年五組だった、大橋護」


 自分のことを認識してくれていた。それだけで幸せになる。


「全然知ってる人がいなくて、不安で話しかけちゃったんだけど……」


「私も知り合いがいなくて、心細かったんだ。話しかけてもらえて嬉しい。改めてよろしくね」


 横から盗み見ることしかできなかった微笑みが、真っ直ぐに自分へと向けられる。




 それからの高校生活を、護は天変地異が起きたような感覚で過ごした。


 前までの自分が信じられないくらい、友人もたくさんできた。


 こうして、護の高校デビューは成功した。


  ◆   ◇   ◆   ◇

    ◇   ◆   ◇   ◆


  A-1


 中学時代に引き続き、クラスでも地味な位置に落ち着いた護は、自身と同じような地味なクラスメイトとたまにつるんで、目立たないようにひっそりと高校生活を送っていた。


 大人になったら誰からも忘れ去られてしまうような、自分でも忘れてしまうような、中身のない日々だった。


 これでいいんだと自分に言い聞かせる。


 どうせ積極的に行動しても、いいことなんて何もないのだから。


 彼女の様子をそっと盗み見る。


 鹿内紗衣は、眠そうな目をこすりながら、黒板に書かれた数式を写している。小さくあくびをした。


 紗衣は、護の初恋の女の子だった。


 きっかけは、中学一年生のとき。護は半ば強制的に指名された学級委員の仕事をしていた。


 真面目そうだから、ちゃんとやってくれそう。

 勉強ができるからいいと思います。


 そんな理由で学級委員という名の雑用係に任命された。


 女子の学級委員は、内申点を上げたいだけのクラスメイトで、その日も塾があるからと先に帰ってしまった。


 プリントをホチキスで留めるだけの単純な作業だが、単純だからこそ飽きてしまう。


「手伝おうか?」


 無心で手を動かしていたところに、紗衣は現れた。


「えっと……」


 突然、知らない人間に話しかけられて、護は驚く。同じクラスではなかったし、接点もなかったはずだ。


「忘れ物を取りに来たら、ひとりで作業してるのが見えて。大変そうだなーって思って声かけたんだけど、迷惑だった?」


 見ず知らずの人に、迷わず手を差し伸べられる人間を目の当たりにして、護は感動を覚えた。


「迷惑とかじゃなくて、少し驚いただけ。じゃあ、お願いしてもいい?」


「うん。もちろん!」


 ふたりで、ほぼ無言で作業をすると、十分ほどで終わった。


 そんなささいなことで、護は彼女のことが好きになった。


 恋というものは、時間をかけて落ちるものではないのだと、中学生だった護は、痛いほどに理解した。


 護は紗衣のことをほとんど知らなかった。隣のクラスの女子であること。鹿内紗衣という名前であること。笑うとえくぼができること。それくらいだった。


 一度好きになると、どんどん魅力的に見えてくるから不思議だ。


 廊下ですれ違うたびに、彼女への好きな気持ちが大きくなっていく気がする。


 高校生になってからも、紗衣に対する気持ちは変わらなかった。


 しかしは、仲良くなろうだとか、気持ちを伝えようだとか、そういったことはまったく考えていない。


 同じクラスになった紗衣と、会話をすることはほとんどなかった。


 一方的な憧れで終わる恋。


 それでいいと、自分に言い聞かせる。


 自分の人生と彼女の人生は、決して交わることはないのだ。


 そんなふうに、無理やり思うことにした。

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