第42話 vsコンジナー

 ――なんなんだ、これは。


 実況から特別ルールヒュミリエーションの説明がされるなか、俺は奇妙な感覚に戸惑っていた。

 試合開始の合図を待つ対戦相手オサーンは笑みを浮かべたまま、真っ直ぐに俺を見据えている。その視線に込められているのは、敵意や悪意ではない。実力を見極めようという値踏みですらない。


 あれは、混じりっ気なしの純粋な好奇心だ。


 それが観客ならばわからんでもないが、対戦中の敵戦奴にこんな目を向けられているのは理解できん。

 あいつの試合は何度か見た。タイトと戦った試合はもちろん、それ以前の試合もだ。態度は冷淡で無関心でそっけなく、戦いは最短の時間と最小の手数で仕留める、呆気ない決着が多かった。

 それが、どうしてこうなった。


「はじめ!」


「キイイイィィアアアァ……ッ‼」


 試合開始の合図を受けると、オサーンは雄叫びを上げながら胸を打ち鳴らし、両足を踏みしめる。“野獣ザ・ビースト”の二つ名を喧伝するひろめるためなのだろうが、理解しつつも俺はわずかに失望する。お前が野獣と呼ばれているのは、何者も寄せ付けない剛腕と無慈悲さからだ。そんな見世物じみた小芝居を求められてはいない。


「ファイアボールが、認めた男」

「ぬ?」

「それがお前、だろう? マスク・ド・バロン」


 ニヤニヤと挑発するように笑みを浮かべて、カチカチと銀の歯を打ち鳴らす。なのにその目はひどく真剣で、貪欲にこちらを観察し続けている。

 どうしてこうなったのかは知らん。しかし、なにがこいつをそうさせたかは、わかっている。

 なぜなら、俺も同じだからだ。


「俺はお前を超える。お前たち中央闘技場を、超えてみせる」

「なにを……」

「今日は、その第一歩だ」


 両手を下げ無防備なまま、オサーンは迷いもなく踏み込んでくる。互いの間合いに入った瞬間、全力で振り抜かれた拳と拳が交差して空を切った。

 掠めただけでビリビリと肌が震える。一瞬の油断が死を招く、恐るべき力と敏捷性。こいつの実力は微塵も衰えてなどいない。

変わったのは、そのだけだ。


「やあああぁッ!」


 真正面から突き刺すような蹴り。わずかに身を捻って躱しながら、こちらも飛び上がっての回転蹴り。ここぞというときに隠しておいた技だったが、入りが浅い。オサーンには見切られ頭を振っただけで躱された。

 外されたからといって終わりではない。オサーンも俺も連続で蹴りを繰り出し、拳を打ち込み、振り回す。至近距離で向き合ったまま、ふたりの意地を賭けた打撃の応酬。

 どれも当たらず互いの息遣いと、手足が空を切る音だけが響く。息を止めて打ち合っていた俺は、ふとその異常さに気付いた。


 試合中だというのに、あまりにも静かすぎる。

 最初の打ち合いは互角で終わり、俺たちは身構えたままいったん距離を取った。


「「うおおおおおおおおおぉ……ッ!」」


 攻防に訪れた一瞬の間に、観客席から凄まじい歓声が上がる。

 それでわかった。観客が静まり返っていたのは、息を吞んで見守っていたからだ。


 オサーンがニヤリと笑みを浮かべて肩の力を抜く。と同時に平手打ちをかましてくる。気合を入れろとの意思表示か。攻撃の初動がなく、油断してまともに喰らってしまった。

 眩暈がして膝をつきかけたところで、踏み込みざま宙返りしながら相手の顎を蹴り上げる。


 練習場でタイトが見せた技、“宙返り蹴りむーんさると”だ。


「「おぉーッ!」」


 観客席からの歓声を浴びて、俺は着地を決める。

 見栄えはするが、見せるための技だ。ダメージはあまりない。実際オサーンもよろめいただけで、満足げな笑みが顔いっぱいに広がる。

 きっと、俺も似たような表情かおをしているのだろう。


 鼓動が早まる。心が躍る。歓声が遠のき、世界が輝き始める。


「あああああぁッ!」


 今度こそ主導権は、俺がもらう。突き刺すような連撃の後で、見えない角度から大振りの掌打。勘だけで避けたオサーンは突き放しながら蹴りを見舞ってくる。

 こちらは蹴り足を受け止めての、“抱え巻き込み投げどらごんすくりゅー”。

 初見では俺も逃げられなかったタイトの技だが、オサーンは簡単に振りほどくと優雅に着地を決めた。回転に合わせて自ら飛び、こちらの捻りをわずかに上回ることで腕のめを外したのだ。


「それは、もう見た」


 小さく言って、オサーンは首を振る。

 こいつはタイトとの試合で、“どらごんすくりゅー”を受けていたか? いや、少なくとも決まったところは見ていない。あの体格差では押さえ込めないだろう。では今日のタイトとビッグズの試合か?

 いずれにせよ、こいつは見知らぬ技を貪欲に学び取り、その対処までも考え身に着けたのだ。


見せろ、マスク・ド・バロン」


 オサーンは真っ直ぐに問う。誰かからの借り物ではなく、俺自身の技で力を証明しろと。

 胸の奥に灯が点る。小さく、熱い炎が。深いところをじりじりと焦がす。


「ふッ!」


 振り抜かれた拳の回転をそのままに、姿勢を低くして足払いが飛んでくる。飛び退すさって躱すのは悪手だった。回転を上げ勢いに乗った“野獣オサーン”の連打が繰り出される。目にも留まらぬ速さなのだが、一発一発に気持ちが籠もっている。絶対に勝つのだという信念と同時に、客を満足させるために見栄えを考えた緩急もつけている。

 それはタイトとの試合まで、こいつにはなかった考えだ。


「まだだ! もっと見せろ! お前のすべてを、見せてみろ!」


 距離を取ろうと離れた隙に、試合場の端で連打につかまる。両腕で守りを固め反撃の機会をうかがうものの、狂飆ストームのような拳や蹴りは止まることがない。

 一瞬の間に賭けて叩き付けた拳は、呆気なく受け止められ掌で押さえられる。


「それだけか?」


 つかんだ手を引き寄せながら、臓腑ハラワタを刺し貫くような膝蹴り。天地が回って視界が暗転する。


「ぐぅ……ッ!」


 身体が痛みを感じるよりも早く、俺は立ち上がってオサーンと向き合う。


「ここからだ」


 俺の声を聞いて嬉しそうに、オサーンは大きく手を叩き始める。足を踏み鳴らし、場内の観客を煽る。タイトがやっていた“ひーとをかう”というのとは、少し違う。

 観客席からも拍手が沸き起こり、足踏みが揃って地響きのように会場を揺らす。


「おーっと! オサーンが手を叩き、会場内の声援を要求ッ! ここからが新生ビーストの、“大密林ジャングル謝肉祭・カーニバル”だあぁーッ!」


 オサーンがなにを始めたのかはわからん。実況がなにを言っているのかも全くわからんが、観客たちの熱狂から地下闘技場こいつらがどうなったのかは察しがついた。

 あの日、オサーンはタイトとの凄絶な死闘を通じて、なにかを感じ、考え、学び、得たのだ。それを持ち帰ったことでオサーンは変わり、結果として地下闘技場側も、観客たちも影響を受けた。

 中央闘技場おれたちが、そうだったように。


 ……いや、違うな。


 少なくともオサーンは、俺とは違う。いくつか似ている部分もあるが、そもそもの根本が違うのだ。

 タイトとの試合で生まれ変わった、“新しいオサーン”。そこには上手くいっている部分も、そうでない部分もあるが。それは全てこいつが自分で考え、自分で決めて、自らの意思で選び取ったものだ。

 ただ与えられたものを、いわれるがままに演じて。その栄光を享受しているだけの俺とは、まったく違う。こいつが己の意思のままに生き、己の道を行く“野獣”ならば。


 俺は、餌を求めて口を開けているだけの、“家畜”だ。


「おおおおおおぉッ!」


 俺は雄叫びを上げて、オサーンに拳を叩きつける。

 俺のなかで燻っていた焦燥が。直視することになった羞恥が。溜め込まれていた鬱屈が。憤怒の炎となって燃え上がる。


 ――こんなやつに、後れを取ってたまるか。


「いヤアアアァッ!」


 奇声とともに大きく振りかぶって、真っ直ぐに打ち込まれる拳。揺れず迷わず、全力を込めて。それはオサーンの生き様そのものだ。俺はもうかわさない。逃げも隠れもしない。俺が唯一持てる武器もので。自らの力で育て、鍛え、手に入れたこの肉体で。

 受け止めてみせる!


 ドゴンッ!


 胸板に突き刺さった愚直なる剛腕を、俺は笑みを浮かべたまま筋肉の張りで押し返す。繰り出した当の本人が、わずかに目を泳がせる。


 勝とうが敗けようが、最後まで顔を上げ、胸を張れ。タイトに叩き込まれた、“正義の戦士としての見え様”だ。

 忘れかけていた。いまある俺の、マスク・ド・バロンの原点。それがたとえ借り物であろうとも。受け取ったからには守り抜いてみせる。

 俺は腕を広げ、正面から指を突き付ける。


「“野獣ビースト”! その名に相応しい最期を迎えさせてやろう!」


 宣戦布告。様子見も探り合いも、もう終わりだ。ここからは全力で打ち合う。退かずに戦うという、宣告。

 視線が合った瞬間、意思が通じたのを感じた。そのまま続けろと、期待に満ちた目で促す。

 唇が弧を描き、オサーンは静かに笑った。心の底から、幸せそうに。


「地下闘技場の観客たちよ、見ているがいい!」


 俺は胸を張り、顔を上げて宣言する。本当の、戦いの始まりを。


「王国貴族に伝わる、野獣狩りのハンティング儀式・リチュアルをな!」

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汗と涙とファイアボール ――異世界レスラー格闘記―― 石和¥「ブラックマーケットでした」 @surfista

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