第29話 vs永遠

 死んだな。


 タイトとオサーンの試合を見ていた誰もが、そう思った。一度は対戦して、タイトの機敏さと頑丈さ、技巧と受け流しの妙は思い知っている俺でも。直感的に感じたのだ。

 さすがに、これは死んだだろうと。

 横にいたベローズも同じだったのだろう。息を呑んで身を強張らせるのがわかった。一瞬の躊躇があったのは、きっと何度も度肝を抜かれ、想像を超える戦いを見せられてきたせいだ。だが、両者とも倒れたままピクリとも動かない。それが演技かどうかくらいは、俺にでもわかる。

 こんなことになるとは、誰も思っていなかった。きっと、本人たちもだ。


◇ ◇


 試合は、開始早々から荒れ模様だった。オサーンは中央闘技場の興行を盛り上げてやる気はないとばかりの不貞腐れた態度を示し、タイトもそれを持て余していた。……ように見えた。

 地下闘技場の戦奴は実力こそ高いが、気位も高く、癖も強い。

 中央闘技場の獣人戦奴ラックランドとその仲間たちが、雰囲気としては近いか。身内以外には決して心を許さず、他人から何かを課せられると無条件に反発する。当然ながら揉め事になるが、お構いなしに我を貫く。気に入らないものは何であれ薙ぎ払い、叩き潰すのだ。


「さすがにタイトでも、手こずるだろうな」


 闘技場の隅から観戦していた俺の隣で、ベローズがボソッと呟く。呼び方が“ガキ”から“名前呼びタイト”に変わったのは、興業進行管理人ブッカーとして評価している証だろう。それはそうだ。前回と今回の試合であいつが中央闘技場にもたらしたカネは、金貨で数十万とも数百万とも聞いている。それが事実だとしたらおそらく、興行収入の数ヶ月分に匹敵する。

 カネとともに帝国の紐付きだった地下闘技場との因縁も連れてきたが、それは興業主オーナーのイールソン公爵がどうにかするだろう。

 極論を言えば。国と国との非公式な問題など、戦時でもない限りカネ次第でどうにでもなる。


「ああ。でも想像できない」

「あ?」

「あいつの手こずる姿が。どうしても浮かんでこない」


 手にしたバロンの覆面を握りしめ、俺はボソッと本音を漏らす。

 正確に言えば。手こずる姿を見せたとしても。それは意図的なものではないかと思ってしまう。


「……まあ、違いねえ」


 ベローズが笑みとも溜め息ともつかない息をこぼした。

 あの小柄な少年が見た目にそぐわない実力者なのは、我が身で思い知っている。だが真に異常なのは人身掌握の技術と手腕だった。何を考え何を画策しているのかは知らんが、戦いの主導権を取り戻すのも観客たちの心をつかむのも時間の問題でしかない。心配してはいなかった。

 まさか瞬時に掌握してしまうとは俺も予想外だったが。


 あいつは見せ技の初級の炎魔法ファイアボールだけで空気を変え、相手の意図を押さえ込んだ。挑発と扇動で場をつかんだ。痛めつけるでもなく、手を抜くでもなく。観客を、自分を、そして対戦相手を。沸かせ、たぎらせ、はしらせる。


「あいつを魔導師クラスにした興業主オーナーの判断は、いま思えば正しかったな」


 ベローズは半分冗談、半分本気で言う。たしかに、あの技術は魔法だ。実際に使うのが大道芸レベルの初級魔法だけだとしても。

 俺も操られ、良いように踊らされたひとり。その先で見た光景は、いまも脳裏に焼き付いて離れない。世界がキラキラと輝く夢のような時間。いまオサーンがそれを見ているのが、ハッキリとわかった。

 オサーンはムッツリと不機嫌な表情で、顔には怒りと憎しみを浮かべているのだが。組み合い、打ち合い、投げ合いを繰り広げるたびに。筋肉が躍動し、歓喜の声を上げている。

 ふたりは目まぐるしく動き回りながら、観客の目を引き付け、気持ちを煽る。止まることない攻防。それは見事な緩急で、踊るように息が合っている。


 均衡が崩れたのは、何度目かの組み合いだった。なにか話していたようだが、その声は聞こえてこない。ふたりは、すぐに離れた。そのときから、タイトは動きに精彩を欠いていた。なにか考えごとをしているような。

 理由がどうあれ、危険な兆候だ。案の定、強烈な蹴りを喰らって吹っ飛ばされたタイトは試合場の端まで転がる。

 不思議なことに、ダメージはそう大きくない。


「ボーッとしてんじゃねえ!」


 オサーンの雄叫びが会場に響き渡る。まったくもって、その通りだ。そして同時に、奴がタイトとの勝負を。潰し合いではない真剣勝負を望んでいることが、観客にも伝わってきた。

 そこで空気が変わったと。誰もが感じ取った。


「……おい」


 ベローズは小さく声を漏らした後、息を止めて戦いに見入る。一瞬たりとも目を離せない、凄まじいまでの打ち合い。両者は足を止め、真正面からぶつかる。拳も、蹴りも、肘も膝も、あまりにも鋭すぎ、あまりにも速過ぎる。これでは誰も理解できないのではないか。タイトが言っていた“観客を考える”という姿勢に反するのではないか。

 だが、それは杞憂だった。俺たちがそうであったように。観客もここまでに見て、感じ取り、考え、学び、理解し始めていた。

 これが何なのか。何を目指し、何を思い、何を賭けているのか。見ているだけではない。賭けだけを目的にしていない。観客は。


 戦いにしていた。


「「「ファイアボー! ファイアボー! ファイアボー!」」」

「「「オーサーン‼ オーサーン‼」」


 声援が高まる。声が、息が、気持ちがひとつになる。


「おおおおおおぉッ!」


 全身に力を込めて、タイトが吠える。いまが勝負のときだと。ここが決着のときだと告げる。それはオサーンにも、もちろん伝わっている。


「るああああぁあああぁッ!」


 拳を固め覚悟を決めて、地下闘技場の猛者は真っ直ぐに、全力でぶつかってゆく。

 身長差も体重差も、まさに大人と子供だ。タイトなら技で受け流すことはできる。速度で翻弄することもできる。手数で追い込むことだって、できなくはないだろう。

 だが受け止めるのは無理だ。それは不可能に決まっている。だが、タイトは動かない。頭から突っ込んでくるオサーンの巨体を、足を広げ腰を落として迎え撃つ。


「「「おおおおおおおおおおぉ……ッ‼」」」


 右腕が、炎をまとう。地べたに這いずるほど低く構えて。引き絞った弓を放つように。全身の力を腕に集中させたタイトは、激突の瞬間に思い切り振り抜く。


 ガギイィンッ!


 響き渡ったのは、盾に剣でも叩き込んだような音。驚いたことに、突進してきたオサーンの顎が。頭が。上半身が震えて、縦に跳ね上げられる。

 汗と血の飛沫が飛び散り、観客席から悲鳴が上がる。パラパラと宙を舞う砕片は、砕けた歯だと気付いた。

 オサーンの手が、泳ぐように伸ばされる。意識が飛んでいるのだろう。手探りで支えを求めるような動きの後で、ゆっくりと顔面から床に崩れ落ちた。


「タイ……ッ!」


 歓声を上げかけた俺は目を見開いて固まる。

 タイトの腕は、ありえない角度に曲がっていた。骨が折れているのは明白だったが、それに気付いていないのか何度も肩を上げ、腕を振り回そうとしてる。


「おい、やめろ! 審判員!」


 痛みからか衝撃からか、それとも体力の限界か。パタリと仰向けに転がると、タイトはそこで動かなくなった。


「ヒューガ・タイト! 戦闘不能か!?」


 審判員が駆け寄り、声を掛ける。戦闘不能に決まっているだろう。既定の確認なのだろうが、どう考えても動ける状態ではない。


「オサーン! 戦闘不能か!?」


 俺の隣で、ベローズが小さく唸り声を発する。

 オサーンが動き始めていた。鼻と口から血を噴き、閉じなくなった顎で涎と歯を溢しながら。ゆっくりと膝をつき、立ち上がろうともがく。

 驚嘆すべき強靭さと、賞賛すべき戦意。絶対に負けられないという意地が感じられた。

 敵地である中央闘技場に、地下闘技場の名を背負って乗り込んできたからには。ふたりとも負けて終わるなど許されないのだと。

 膝をついたところで、オサーンはよろめいて倒れ込む。もう動けないだろうと、誰もが思いながら。


「オサーン! 戦闘不能か!?」


 なぜか、信じ始める。この男は、きっと立つと。立つべきだと。


「オーサァーン! オォーサぁあーン!」


 観客席の片隅で、泣き声のような声援が上がる。それは少しずつ広がって、大きく響き渡り、ひとつにまとまり始める。


「「「オォーサアァーン‼ オォーサアァーン‼ オォーサアァーン‼」」


 オーサーンは、床から顔を上げる。不思議そうな表情で、観客席を見渡す。自分の名を呼ぶ群衆を、顔を歪めながら見つめる。

 そして再び、足を踏み出した。膝をつき、腰を上げる。ゆっくりと立ち上がって、拳を掲げる。

 満場の観衆に自らの勝利を、誇りを示す。


「それまで! 勝者ッ! オサーン! “野獣ザ・ビースト”‼︎」


 鳴り響く歓声のなかで、勝ち名乗りを受けたオサーンは。倒れたままのタイトを見て。泣くような笑うような怒ったような表情で、クシャリと顔を歪めると。

 胸に当てた拳を、真っ直ぐに捧げた。

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