第28話 vsファイナル・カウント

「「「ファイアボール! ファイアボール! ファイアボール!」」」


 眩い光を浴びながら、俺は大歓声に目を開ける。頭がボンヤリして前後の記憶がハッキリしない。


「やべぇ、意識飛んでた……って、おッ⁉︎」


 目の前には、真っ直ぐに伸びる花道。奥にはスポットライトを浴びて輝く四角いリングがあった。

 なんだ。どうした。これは、どうなってる?

 王立中央闘技場は? オサーンは、俺たちの試合はどうなったんだ⁉︎


「ファイアボール。どうした」

「あ」


 花道を先導していた祖師谷さんが俺を振り返る。

 そうだ。武道館では、セコンドに付いてくれる予定だった。鬼コーチで名トレーナーの祖師谷さんは、リングサイドで常に的確な指示を出してくれる。その上、立ち回りも上手くて、敵地遠征アウェーではマネージャー役として両団体の段取りを合わせてくれるのだ。


「ここまできて、ビビッたなんて言うなよ?」

「大丈夫っす」


 そう応えて、俺はリングに向かって歩き出す。お客さんが両側から声援と罵倒を掛けてくる。どちらも笑顔で、ワールド外敵ウェイストランドである俺レスリングたちを好意的に受け入れてくれているのがわかる。

 最初は純粋な拒絶と嫌悪だったけどな。これも盛り上げてくれた牛山バフさんの人望であり、これまで一緒に積み上げてきた成果だ。

 花道の半ばまで来ると、祖師谷さんが平手で背中を叩く。バシンと小気味いい音がして、気合が入った。気持ちが切り替わり、腹が据わった。


「よし。全力で行け」

「うッす」


 当然だ。俺は挑戦者チャレンジャー。あまりに偉大な先輩レスラーの胸を借りる。それは遠慮するという意味でも、上手くやるという意味でもない。俺にそんなものを求めてはいない。両団体も、そのお客さんたちも、当のバフさんもだ。


 花道を駆け抜け、トップロープを飛び越えてリングインする。歓声が高まり、胸の奥が熱くなる。俺は自分の居場所に。挑戦者コーナーに向かう。いつだって、俺の戦いはここから始まるんだ。

 頰を張って気合を入れ、拳を突き上げて吠える。


「「「いくぞおおおおおぉ……‼︎」」」


 観客席の声が、俺の咆哮と重なる。鼓動が高まり、背筋に身震いするような興奮が走る。

 ドーンと太鼓の音が鳴って、場内の明かりが落ちた。重低音で奏でられる地響きのような演奏。“荒ぶる猛牛”バフ・スタンピードの入場曲だ。

 聞こえているはずの実況の声は、俺の耳に入ってこない。


 スポットライトが、花道を照らす。王者チャンピオンの入場。ゆっくりと進んでくる、鍛え上げられた巨体。威風堂々とした、王者の風格。


 このときを、ずっと待ってた。


 マスクの下から、バフさんがこちらを見ているのがわかる。視線を逸らさず、何の感情も乗せず。かといって睨みつけることもなく静かに、真っ直ぐに見据えてくる。


 因縁の相手。報恩の対象。目標とする先輩。伝説の男。心の師。越えるべき壁。憧れの選手。

 そのどれでもあり、どれとも違う。俺は。


「「「我らにトォーク! 言葉などウィズヤ! 要らんボォーディ!」」」


 リングインしたバフ・スタンピードが野太い雄叫びを上げる。

 観客席がそれに声を合わせ、一気に熱狂が高まる。


 なんと、チャンピオンが動いた。ゴングも待たずに。それも格下の若造相手にだ。応えなければ男が廃る。頭から突っ込んでくる猛牛のバフズ突進ラッシュを、俺は真正面から受け止める。


「がああぁッ!」


 バフさんの石頭が胸板に突き刺さる。踏ん張った両足も大きく押し戻されるが、耐える。ヘッドロックに移行しかけるが、俺の身体は呆気なく跳ね上げられてしまう。首と背筋の力だけで。まるで本物の猛牛だ。

 まだ身体が空中にある内に、振り向きざまの豪腕が唸る。ヤバいと思った瞬間には、強烈な打撃で首を薙ぎ払われていた。猛るレイジング双角・ホーン。目にも止まらぬ往復のラリアットだ。リングの端から端まで飛ばされ転がったところで、ようやく試合開始のゴング。


 マジか。これホント、マジか。ここまで違うか。

 いや、わかっていた。体格差も、力の差も、経験キャリアの差も天と地ほどもかけ離れていることなど。最初からわかって、その上で挑んだのだ。

 だから。退いたりしない。諦めたりしない。止まったりしないし、怯んだりしない。最後まで全力で戦うだけだ。


「せやあああぁッ!」


 起き上がると突進し、バフさんの首筋にエルボーを叩き込む。渾身の力で放った一撃は、大岩のような肉体にあっさりと跳ね返される。一発でダメなら二発、三発。効くまで、届くまで、倒れるまで叩き付けるだけだ。

 俺の繰り出す連続のエルボーを。バフさんは微動だにしないまま受け止め、ラリアットで吹き飛ばす。受け身を取ってすぐ立ち上がったところに、破城槌のような足裏での蹴り込みビッグブーツ。ロープに叩き付けられて戻ってきた俺の体は、ふわりと持ち上げられた。胃袋を掻き回されるような無重力感覚。視界が回り、上下左右もわからない。

 待て、待てこれ、ヤバい。ライトが。遥か高みにあるはずの武道館のスポットライトが、めちゃくちゃ近けぇッ⁉︎


 バフ・スタンピードの必殺技、上空放り投げトスアップ式のパワーボム。その名も“敵性排除エクスクルーダー”。

 世界広しと言えども、ヘビー級の対戦者を上空高く放り投げるレスラーはバフさんくらいだ。やる方もどうかしてるが、やられる方は、もっとどうかしてる。

 “荒ぶる猛牛”の身長が百九十五センチ、プラス放り投げられると高さは三メートルを越える。そのまま背中からマットに叩き付けられるとか、ふつうに死ぬ。直後に百三十キロの巨体がし掛かってくるのだから尚更だ。


「ワン!」


 マットに突き刺さった瞬間、レフェリーのカウント同時に全力で跳ね起きる。麻痺した脳味噌が痛みや苦しみを感じるより早く。何事もなかったのだと自分を誤魔化すように。カウント2・8の駆け引きなど無理だ。すぐに起きなければ永遠に起きられない。


「「「ファイアボール! ファイアボール! ファイアボール!」」」


 全身を激痛が駆け抜ける。頭は真っ白に飛び、視界はグルングルンと回っている。訳のわからない光景が、目の前に浮かんでは消える。

 ダメだ。これ走馬灯だ。俺は必死に身構え、バフ・スタンピードに向き直る。全身から闘気のごとく湯気を吹き上げる巨人と、目を合わせて笑う。


「「うははははッ!」」


 おかしくもなんともないのに。どう考えても俺、いま死にかけてるのに。


 触れるほど近くに死を感じながら。身震いするほどの強敵を相手にギリギリの攻防を演じながら。これまでの人生でいちばん美しく眩い瞬間を味わっている。

 ああ。俺は。


 ――幸せだ。

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