第10話 追記:エイダの追憶

 尻から内臓が飛び出そうな緊張。心臓が破裂しそうな過負荷。全身がバラバラになりそうな激痛。平衡感覚が覚束なくなるほどの疲労。そして、最もデカいのは気持ちが折れそうなほどに見せつけられる器の差・・・

 プライドと体格差で何とか食らいついていってはいるが、ここまで接戦を演じて・・・いられるのは目の前のガキがその器で俺を上手く操り、誘い、高みへと導いているせいだ。本来なら年下で平民で小生意気で得体の知れない細っこいチビから良い様に使われることなど受け入れられるものではない。疑問も不満も反発する気持ちも、当然ながらある……のだが。

 楽しいのだ。嬉しいのだ。気持ちいいのだ。心が雄叫びを上げ続けるのだ。

 ああ、生きてる。俺はいま力の限り、生の喜びを甘受している。ずっと夢見て手に入らなかったものが、手に入れようとものが、闘技場のなかに、いま触れられそうなほど濃密に満ち溢れている。こんなにも明白に明確に形作られたそれを、俺は上手く言葉にすることが出来ない。


「関心」「賞賛」「共感」「友情」「強敵」「指針」「誇り」そして「賞金」

 どれも近いが、正しくはない。あえていえば。


「いるべき場所」


 俺は、ようやく見つけたのだ。自分だけの、自分のための、自分にしか得られない、ただひとつのものを。

 もう誰にも渡さない。誰にも邪魔させたりしない。これは俺のものだ。俺だけのものなんだ。

 冷えた液体が頭に降りかかり、傷口に沁みてハッと我に返る。酒の匂い。傍らに酒瓶の破片が転がっている。

 ああ、そうか。心中とはいえ過剰なほどに饒舌だったのは、意識が朦朧としていたせいだ。

 視線を上げると141号が、油断なく身構えたまま何かを目で伝えようとしている。

 大丈夫だと小さく頷くと、彼は首を振りながらさりげなく唇に指を当てた。


 ずっと自分が笑っていたのだと、その時になって気付いた。


◇ ◇


 そこから後のことは、あまり覚えていない。記憶に残っているのは、ただひたすらに熱く、眩く、美しい世界にいたことだけ。いつまでもここにいたい。この光のなかにいたい。やっと手に入れたこの場所を、誰にも譲りたくなんかない。

 だが、夢のような時間も永遠には続かない。いつの間にか空は陰り、俺は現実に引き戻される。

 息が上がっている。膝も笑っている。身体中が傷だらけで、肉は腫れ上がり、肌は傷だらけで火傷と凍傷にまみれ、頭は何故かヒリヒリして焦げ臭い。何もかも限界だ。これ以上は動けたとしても、見苦しいものにしかならないだろう。関節の取り合いで組み合ったとき、141号が冷静な声で俺に伝えてくる。


「これ以上はパフォーマンスが落ちて客を失望させる。顔見世の今回ばかりは失点なしで終わりたい。気合い入れろ、次で決めるぞ」


 ああ、通じてる。ところどころ何をいってるのか理解できない単語が混じってはいるが、俺とこいつは同じ方向を見ている。正確にいうと俺の先を走っているのだが、大丈夫だ俺は必ず、絶対に追いつく。


 大きく突き離して距離を取り身構えて、相手の様子がおかしなことに気付く。顎を上げて小首を傾げ、音もなく鼻を鳴らすような動き。深い森のなかで敵の方位と距離を測るときの獣の動作。こいつ、目が見えていない。乱打戦で頭を打ったショックから肉体が立ち直れていないのだ。

 こんなときに、馬鹿な奴だ。どうにか間を持たせて回復を待つか。動ける程度まで回復するのに一分やそこらは掛かる。その間ほとんど動けず棒立ちのこいつは、流れ弾どころか衝撃波だけでも倒れてしまいそうだ。どうする。派手な見せ技など持っていないし、そもそもそれを使う体力がもうない。

 俺のなかの悪魔が耳元でささやく。


 ――これは正々堂々、お互い手抜きなしの勝負だっただろう? そして、“死闘の末の勝者”は、お前というわけだ。


 俺は拳の具合を確かめ、凍気を込めて握り締める。振るえるのは最低二発、食らうのも三発までなら耐えられる。俺の動きを読み取ったかのように、141号も拳を握り、ゆっくりと膝を落とした。溜息のような息遣い。逃げに掛かるような腰の捻り。諦めたのだろうか。躱して反撃でもするつもりか?

 項垂れ気味にこちらの気配を窺うその姿は、まるで瀕死の野生動物だ。


「我が名はエイダ・インシルリク、獲物を前に迷いなどない!」


 その言葉自体が迷いそのものを体現しているようなものだが、俺は自分を奮い立たせて突進し、拳にすべての力を込める。手を抜かず全力で葬ることこそが相手への敬意だ。渾身の氷拳が叩き込まれる寸前、141号の姿がブレた。陽炎のように儚く揺れたようにも、一瞬で膨れ上がったようにも見えた。なんにせよその正体を最後まで見ることは出来なかった。


 俺の意識は、そこで途切れたのだ。

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