第9話 vs戦闘奴隷④

 身体能力の高さと場を読む頭の良さ。実力はわかった。さて、ここから仕切り直しだ。

 曲がりなりにも魔導師クラスで括られている以上、いつまでも肉体だけでぶつかり合うわけにもいかない。

 こちらの手札は極端に少ないのだが、せいぜい頑張ってアピールするか。

 俺が炎を利き腕に纏うと、会場が息を呑んでしんと静まり返る。

 少しだけ驚いた顔をして、エイダがわずかに笑みを浮かべる。

 ここからは第二段階。何をどう理解したのかは知らないが、奴が肚を決めたのはわかった。


 お互いにだけ見える微かな頷き。

 見せ技の披露を考えていた俺は足元に落ちた僅かな影に気付く。頭上に、気配。


凍結槍アイスニードル!」

「おおおおおおおぉ……」

 

 観客席のどよめき。激しく高鳴る嫌な予感。全力で後退しながら転がって初弾をかわそうとする。

 それが、初程度であったなら、成功したかもしれない行動。

 俺が数秒前まで立っていた場所に、上空から無数の氷の矢が降り注ぐ。転がりながらさらに回避。追撃の矢はひとつひとつが太く長い槍のように成長し瀑布のような勢いで試合会場の片隅を凍結させながら埋めてゆく。


「冗談……じゃねえぞ、おい……」


 あっという間に逃げ場がなくなった俺は氷の柱を叩き壊しながら前進。エイダに向かって突っ込んでゆく。相手は当然その程度の行動は読んでいて、氷の壁が進路を塞ぐ。

 炎を纏った拳を叩き付けると、壁は熱というより物理で粉砕され周囲に氷の細片が飛び散る。砕けた壁の向こうにエイダの姿はなく、嫌な予感は既にリアルな危機感でしかなくなっている。着地しかけた俺は床が怪しげな藍白色に染まっているのに気付く。


束縛氷フィールドフリーズ!」


 足が凍結してガッチリと捕縛される。叩き壊して脱出するが、視界は塞がれていた。

 

「魔獣の知覚さえ遮断する隠蔽霧ブラインドミストだ。降参するなら……」


 霧の向こうから聞こえる声が、自嘲気味の含み笑いとともに途絶える。


「……まあ、有り得ない選択だな」

「当然だ。お楽しみはこれからだぜ、お貴族様?」


 知覚遮断は結構だが、自ら声を出すことで位置を露呈してどうする。

 何より問題なのは観客からも俺たちの姿が見えなくなっていることだ、阿呆。さっさと隠蔽霧こいつを吹き飛ばさない限り、客席からブーイングが出る。いまの俺には魔導師の才覚どころか魔法を発動させる明白な感覚さえなく、“気合を入れると炎が上がる”という以上の理解が持てない状態なのだが。このままでは客がダレる。時間がない。どうする。


「どうしようも、ねえか……」


 全身に炎を纏って加速した。障害物を縫い棒立ちのエイダすらいないものとして試合会場を縦横無尽に駆け回る。隠蔽霧の範囲内ギリギリで動き回れば、視界を塞がれた客席からも俺たちが何かを・・・やっているということくらいはわかるだろう。


「うりゃああーッ!」

「せい!」

「どうだ!」


 俺は全力で宙を飛び交い床を転がりながら、合間合間に氷の柱を叩き壊し、床や手足を打って打突音を演出、氷や火炎の飛沫を舞い上がらせ飛び散らせる。

 有り体にいって馬鹿みたいではあるが、ここは見えてない客にも間を持たせて次の展開への期待値に繋げなければいけない。

 掻き分けられた霧の奥に、時折ポカンとした表情のエイダが見えた。

 なに他人事みたいな顔してんだ、空気読め!


 俺が振り撒いた熱と風(とエイダの魔力中断)により、試合会場の隠蔽霧が晴れてゆく。

 霧のなかで何が起きたのかと注視する観客の前に、倒れている俺を見下ろすエイダの姿があった。


「……おい、どうすんだこれ」


 顔を動かさず視線だけで周囲を気にしながら、奴はどこか叱責するような口調でボソボソと囁き声を飛ばす。

 指示待ち世代か。少しは自分で考えろ。図体ばかりデカい落ちこぼれ貴族が。ひとりでフルパワー機動を続けたせいで俺の体力は限界だ。


「……体力回復まで、いっぷん、持たせろ」

「無茶いうな!?」

「誰のせいだと思ってる! いいか、何か使うならでな」


「立て、坊主! 頼む立ってくれ!」

「ふざけんな! こんな訳わかんない負け方で有り金を摺るのかよ!」


 いや、知らんがな。

 俺の心配というより賭け金の心配なんだろうが、観客はそれぞれ勝手な怒鳴り声を上げる。


「いいぞ! 立つんじゃねえぞチビ!」

「そうだそうだ! 平民には地ベタ這いつくばってんのがお似合いだぜ!」


 なんかカチンと来て俺は身動きを開始した。貴族席からあからさまにガッカリした唸り声が聞こえてきて、僅かに溜飲を下げる。


「141号、戦闘不能か!?」


 やばい、忘れてた。レフェリーサンダースが判定のために近付いてくる。俺は戦意喪失を否定するためゆっくり膝立ちで起き上がりながら、エイダに“なんかやれ!”と顎で無茶振りする。デカブツの頭が高速回転しているのが手に取るようにわかる。ふっと息を吐くと、頷きとともに決意を固めた。

 いいぞ。お前の器を見せてもらおうじゃないか。


「……極寒の冷気よ、我が刃となりて微塵に斬り裂け」


 ……ちょ、ちょっと待った。なんか物騒な呪文が聞こえてきたんですけど。

 顔を上げると闘技場上空に鈍色の雲が巻き上がり、灰白色の渦が超高速で降り注いでくるのが見えた。効果範囲は試合会場全体を埋める勢いで、転がっていた俺には退避が間に合わない。


疾風斬エッジストーム!」


 俺は迷わずレフェリーサンダースの襟首をつかんで矢面に立たせる。何か叫んでいるが風切音で聞こえず、聞こえたところで知ったこっちゃない。

 暴風が去った後には無傷の俺と、自慢の白服がボロボロになった審判員殿が転がっていた。まずい。あまりの事態に会場が静まり返っている。


「お前、審判員を盾に……!?」

「なんてひどいことをしやがる! それが貴族のやり方か!」

「こっちの台詞だ! つうか俺のせいみたいな流れにすんな!」


 俺たちの会話は観客席にも流れ、上層貴族席からは罵倒とブーイングが、下層の平民席からは拍手と歓声と指笛が鳴り響いた。その反応を見る限り審判員も(おそらく平民にはいけ好かない態度の)貴族階級出身者だったようだ。


 審判交代がアナウンスされ、俺とエイダ双方に厳重注意が出される。


「今度審判員を巻き込んだら、ふたりとも敗者として試合を没収する」

「はい」

「……はーい」


 仕切り直しの一発目、いちど距離を取ろうとした相手が身構える寸前に突っ込んで足払いを掛ける。


「ふがッ!?」


 滑りやすくなった氷も奏功し、半回転したエイダは後頭部からまともに床へと叩き付けられる。面白いように決まって客席から怒号と悲鳴が上がる。

 フェアプレイなど知るか。インパクトのある一撃を食らわすなら出入り鼻か離れ際と相場が決まっている。それでやられたら気を抜いてる方が悪い。

 

「おい、ふざけんなー!」

「どーもどーも、ありがとーありがとー!」

「誰も応援してねえぞコラー!」


 上下全階層からのブーイングに、俺はとびきりの笑顔で手を上げながら応える。立ち上がろうとしたところに後ろから足裏での蹴り込みビッグブーツ。今度は床で鼻を打ったらしく憤怒の表情で涙目になっている。


「汚ねえぞチビ! まともにやれ!」

「良いぞチンチクリン、そのまま倒しちまえ!」


 憎しみの反対は無関心というが、毀誉褒貶著しいのが良い選手というものだ。


「おっしゃもういっぱー……ッ?」


 もういっぺん転がそうと無防備に踏み込んだ俺は、思い切り振り抜かれた平手で顔面を張り飛ばされる。打たれた顔面を支点にして回転しながら弾かれた俺の身体は、空中で弧を描いて優に10メートルは吹っ飛ばされ転がって止まる。

 うつ伏せでピクピク痙攣しながら横目で窺うと、大喝采に奮起したデカブツが叫び声を上げながら拳を突き上げるのが見えた。


「いいぞー! そのままやっちまえー!」


 いいねいいね。そういうの大事よ。良い勝敗を作るのは寄せては返す波の組み立て。

 ピンチからのチャンス。増長からの転落。油断を呼んで会心の一撃。上げて下げて登って落ちて。

 問題があるとすれば、いまいなす・・・の失敗して首と腰を本気で捻ってしまったことだが……よくあることだ。大丈夫まだ動く。せっかくつかんだこの流れを止めるわけにはいかない。


 よろめきながら立ち上がってのロックアップ……と見せかけての金的蹴り。歓声とブーイングが高まる。


「いやいや、ありがとーありがとー」

「だから応援してねえっつうんだよコラー!」


 手を上げてアピールする俺に、酒瓶やら軽食の容器やらが次々に投げ入れられる。

 いいね、この乗り。海外遠征を思い出す。客が試合だけじゃなく楽しもうとしてくれてる。ここの市場は、たぶん伸びるぞ。


「うがあああァーッ!」


 再び仕切り直しのロックアップ。立ち関節に流れるための大仰なポジション取り。

 見えてるか。まだ手を合わせられるか。興奮に我を忘れるタイプなら、目を覚まさせるか勢いを制御ハンドリングするか潰して終わりにするかを決めなくてはいけない。全力で組み合い腕を取り合いながら視線が合うと、目の奥に歓喜が見えた。

 大物だな。


 素早く背後に回って腰に腕を回し両手連結クラッチ。重心を落として耐えようとしたエイダを無理やり背筋力で引っこ抜く。滞空時間の長い反り投げスープレックス。エイダは逃げようともがくが、今度は宙返りでの脱出を許さない。


「ぬぉおおおお……!?」


 素人を頭から床に叩き付ける危険性を回避するため、派手な演出で客を盛り上げるため、エイダの頭が床に当たる瞬間、身に纏っていた低温炎の一部を頭と床の間に発生させる。爆速を抑えた炎の小爆発をクッションにするのだ。

 一石二鳥。これはいける。いけるはず。いけたらいいな。やったことないからぶっつけ本番だけど。


「ファイアボール・スープレックス!」


 ……あ、やってもうた。技が決まった瞬間、失敗したことを確信した。肝心の“後頭部へのダメージ”という意味ではカバーできたと思う。ただ、髪の焦げる嫌な臭いがしていた。

 俺たちはお互い転がりながら離れる。鬼瓦が油断なく身構えた鬼瓦が俺を睨み付けていた。

 陰毛みたいになった頭から煙を上げた姿で。


「……」

「おい、どうした」


 固まった俺を見て、エイダが不安そうな顔で囁く。


「ぷ」

「何だ、どうかしたのか、おい!」

「ぷはははは……!」

「何なんだ、何がおかしい!?」

「黙れチ○毛アタマ」

「……なにをッ!?」


 頭に触れたエイダは状況に気付いたのか本気の怒り顔に変わる。鬼瓦モード2。冷気のオーラが立ち上り霧のシャワーのように周囲に吹き出し始める。だから客が見えなくなるっつうの。


 これまでに見たものを考えるとこいつが得意なのは(あるいは唯一使えるのは)水魔法なのだろう。

 凍結槍アイスニードル隠蔽霧ブラインドミスト束縛氷フィールドフリーズ疾風斬エッジストーム

 それぞれに威力はあり発動も速く制御も安定している。だが、どうにも技の選択に偏りがある気がした。

 対人戦闘に向いている技か? その割りには用法が単調で駆け引きを前提にしていない。

 狩りに利用できそうな技ばかりだと思い至って納得した。貧しい領地で力を身に着けたというのは事実らしい。


 堅実でわかりやすい。反面、見栄えがせず、客の受けも悪い。


 こちらが、どう受けるかだ。

 派手な技で演出するのもいいが、真逆な方法もある。俺の考えに、相手も気付いた。俺がそれに気付いたことにも気付いた。まったく、単純なだけに鋭く、まっすぐなだけにわかりやすい。

 たぶん、傍から見たら俺もそうなんだろう。


「男だったら、拳で来ぃ……ぶひゅ!」


 エイダの気合いに、俺はフルスイングのビンタで応える。望み通りに真正面から乗ってやるわけないだろうが。

 もう気分は完全に悪役ヒールだ。あんま経験ないけど。というのも悪役は大物ほど器用さと慎重さと器のデカさ、客の空気と試合の間を読む洞察力、そして人望が必要になるからだ。せいぜい中堅どころの不器用レスラーには荷が重い。


 剛腕が唸って視界が揺れる。膝が崩れそうになってようやく、張り手を食らったのだと気付く。

 やるね。さすが貴族の長男、やられっ放しではいないというわけだ。俺もすかさず張り返す。次第に速度が上がり、張り手の押収は目にも留まらぬ速さに変わる。観客席が湧いてるのか耳鳴りがしているのかわからなくなる。互いの息遣いと鼓動だけが酷く大きく聞こえてくる。のめり込み過ぎている兆候だ。楽しくなってきたら一歩引いてみた方が良い。


 ……と思ったところに、まだ余裕があるという油断が潜んでいた。引き際を狙われて全力の張り手を食らってしまう。

 音だけが派手な俺のとは違い、エイダのそれは重低音で芯まで響く掌底・・だ。そっちが聞くのはわかっているが、いかんせん地味でアピールに欠ける。

 観客受けのために敗戦なんて、少なくともここじゃまっぴらだ。

 往復ビンタで意識を上に持ってきて左右のローキック。飛び上がってのバックスピンキックで顎をカチ上げる。クラッと来たのか床に突いたエイダの膝を駆け上がって横から薙ぐような膝蹴り。いわゆるシャイニング・ウィザード。見せ技と思わせて当てると本気で効く。問題があるとすれば有名過ぎて対処されやすいことくらいだが、この世界では無用の心配だ。

 蓄積したダメージと体力消耗が重なったのか、エイダは仰向けに転がったまま動けず息を荒げている。


「133号、戦闘不能か!?」」


 審判員が駆け寄り、状態をチェックする。使えない奴は死んでも気にしない割りに、客を沸かせた奴は厚遇されるのか。いや、審判員席横に掲げられたボードの数字を見る限り、試合中に賭け金がうなぎ登りになっているらしい。

 ふむ。ではここは平民贔屓の方たちにひと財産持ち帰ってもらわなければ。


「まだやれる! どいてろ……」


 審判員を押し退けて立ち上がろうとしているエイダは顔が腫れ上がって原形を留めていない。まあ、留めていたところで原形は鬼瓦なのだから現在の方がユーモラスで子供受けが良さそうなくらいだ。


「バーニング・ナックル!」


 わずかに炎を纏った以外は、ただのストレートパンチである。そろそろスタミナの限界で、スピードも切れもなかった。向こうも避けるだけの体力がないのか気力がないのか晴れた瞼で視界が効かないのか、エイダは真正面から俺の拳を受け止める。ニヤリと笑った顔が震え上がりそうなほど怖い。


「フリーズ・ハンマー!」


 申し訳程度の冷気を纏っている以外は、ただの大振りフックである。ヘロヘロの速度と軌道はチェンジアップのように間合いが読みにくく、俺はまともに食らってしまう。追撃の振りおろしフックに合わせて、カウンターでアッパーを打ち上げる。勝負は決まった。完璧なノックアウトコースだ。インパクトの瞬間、エイダの膝がカクンと崩れて俺のアッパーは空を切る。倒れ込んできた勢いのまま結果的に全体重が乗せられたパンチが俺の鼻面に叩き付けられる。床に当たってバウンドした俺は惨めに宙を掻きながら必死に逃れようとするが間に合わない。倍近い体重のボディプレスを食らって悶絶する。


「うげぅッ!?」


 息が吐き切られて意識が遠のく。花畑の向こうにドラグナー兄さんが見えた。

 

「ファイアボール、まだ来るの早いヨー?」


 だよね。もっとやらなきゃいけないことあるよね。まだガキだし。いや、向こうで死んだ結果としてここにいるのかもしれないけどさ。

 意識も視界も聴覚も勝算もほぼゼロの状態で俺は立ち上がった。……のだろうと思う。

 無音で真っ暗闇のなかでも、観客の声だけが痛いほどに降り注いでくるのをから。

 気配だけを探る。最後の力を振り絞る。出来ることなどほとんどない。出せる技など何にも思いつかない。

 何か巨大な質量が近付いてくるのが感じ取れた。勝ち誇ったような歓喜の渦が俺の間合いに踏み込んでくる。俺はボンヤリと拳を握り、ゆっくりと膝を落とし、少しずつ腰を捻って息を吸い込み、わずかに残った身体のバネに溜め・・を作る。

 行くよ、兄さん。


 心に着いた炎が、全身に満ち溢れてゆくのを感じた。溜め込まれた力が余すところなく注ぎ込まれるのを感じた。迫りくるエイダの気配・・目掛けて、俺は最後の一撃を放つ。

  ファイアボール・ラリアット。腕に抱え込んだ何か巨大なものが凄まじい勢いで吹き飛ばされていくのを、俺はどこか遠くで感じていた。歓声が、絶叫が、悲鳴が耳に届く。俺はどちらが上でどちらが前なのかもわからないまま、拳を振り上げ、雄叫びを上げる。

「アイ! アム! ザ・ファイアボーッ!」


 わずかに残されていた意識は、そこで完全に途絶えた。

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