第7話 vs戦闘奴隷③
呼び出し役の兵士に促されて足を進めると視界が開けて、頭上を覆い尽くすように巨大な擂鉢状の観客席が見えてくる。静まり返った会場。客の入りは七割といったところか。事前に知ってはいたが、上層の貴族席ほど入りが厚い。
広いが簡素な花道を、俺はゆっくりと進んでいくが、自分が自分じゃないみたいだ。右手と右足が一緒に出ないようにするだけで精いっぱいだった。
ふと視線を逸らすと、平民席で足を踏み鳴らし手を振り上げて口を開け閉めする観客の姿が目に入る。
ああ、そうか。俺は……
麻痺していた耳が機能を回復し、いきなり轟音が洪水のように叩き付けられる。
こんな筈じゃなかったんだけどな。
俺は人前で戦うのが職業のプロレスラー。キャリア二十年近い中堅どころだ。緊張なんてもうとっくに克服したと思ってた。それが、環境が変わり会場が大きいだけでこんな風になるとは。
上客相手の前説を行っているらしいアナウンスが俺の耳にも聞こえてくる。
「現在
やったー大穴だ。単にこの身体を見て勝利は期待されていないというだけだが。
勝算がどうあれ、残念ながら選手と関係者は賭けへの参加が禁じられている。バレたら賞金没収の上に厳しい処分を受ける。
まあ、知り合いは全て戦奴落ちしたし、連絡が取れないし、そもそも金がない。考えるまでもないな。
戦奴に対する厳罰処分は主に親指切断。
足のだ。初犯で片方、次はもう片方らしいが、走れなくなる。踏み込めないので、格闘能力も激減……というより、ほぼなくなる。戦奴としては事実上の死刑だ。
「両選手、前へ」
この世界では何と呼ばれているのか不明だが、勝負の判定をするらしい人物が俺たちを壇上に誘う。背広に似た白い上下に白い髭でメガネを掛けて太っている。頭のなかで俺はレフェリー・サンダースと名付けた。営業用なのか穏やかそうな笑みを浮かべてはいるが、その目は全く笑っていない。
「貴賓席に礼」
「審判員に礼」
ああ、サンダースの名称がわかった。
「生きてここを出たければ、手を抜かず全力で闘え」
そこは普通フェアにやれとかいうとこじゃないのか。えげつねえわ異世界……。
「始め!」
考え事をしていて出遅れた。あっという間に間合いを詰められ、突進の勢いのまま拳が突き出される。
避けることも可能だったが、それでは客が喜ぶまい。
ゴスッ、と鈍い音が響き渡る。意外な展開に、喧噪に包まれていた会場がいきなりシンと静まり返った。
身構えもせず両手を脇に垂らしたまま、額で拳を受け止めた俺に、客より審判よりまずエイダが驚愕に目を剥く。
「な」
俺はニヤリと笑い、両手を広げて観客に無事をアピールする。踏み込んで打点を外したものの、もちろん凄まじく効いている。痛いなんてもんじゃなく、かなりの脳細胞が死んだ気がするが、そこは経験と気合でカバーするしかない。
「おーいおいおい、お貴族様の拳ってのは、こんなもんかーい!?」
どよめきが渦を巻いて、貴賓席に上がっていく。予想通り、動揺したスタッフの声と動きが慌ただしく駆け回るのが感じ取れた。俺は選手控室の置かれた半地下牢の方向を見る。
“ヒートを買う”ってのは、こうやるんだぜ、坊や。
選手の呼び出し前にも、プロフィールは公開されているはずだ。賭けをするのだから判断基準を示すのは当然、客を飽きさせないためにも、あることないこと尾鰭を着けて、面白おかしく語られていたのだろう。
それが、効いてくる。
俺はしょぼくれた貧民のガキ。相手の巨漢は男爵家の長男。案の定、観客席の上下階で、声援の好悪がハッキリと分かれ始めた。
「汚ねえ貴族ども! そんなけ
「いいぞ坊主! 木偶の坊に目の物見せてやれ!」
訳がわからない、といった表情のエイダ。俺は、対戦相手にしか聞こえない声で誘う。
「さあ、来いよ。お前の価値を教えてやる」
半ば予想はしていたことだが、魔導師クラスのはずが、どちらも魔法など欠片も使わない。
……いまは、まだ。
そもそも奴隷落ちする程度の人間ならば、魔法など使えたところで技にも使用回数にも限度がある。対人戦に限っていえば、それほど効率的な手段ではないのだ。まずは通常格闘で相手の技量を見抜き、技を確実に当てるため足止めしなければいけない。
俺が蹴りを放つたびに、バチンバシンと凄まじい音が会場に鳴り響く。エイダは打撃が当たるたびに息を詰め痛みに耐え……ようとして、眉をひそめる。
痛くない。少なくとも、思ったより痛くない。
当たり前だ。甲高いのは俺が死角側の手で自分の腿を手で叩いている音だからな。
こんな序盤で痛めつけても何もいいことはない。こんなところで終わらせるつもりはない。頑張ってもらわなければいけないのはこれからなのだ。
エイダは自分が馬鹿にされているのか訝っている。俺は視線を合わせると真顔で首を振る。
真正面からの
それが、膝を屈する。力の込め方と関節の捻り方。対人戦闘の経験では俺に一日の長がある。
素早く肘関節を取ってバックに回る。痛みに耐え兼ね立ち上がったところで、腰に手を回した。背こそデカいがウエストが細かったのが幸いして、何とか両手の指先だけ届く。身長差があり過ぎて膝の溜めが取れないが、背筋とバネでなんとかするしかない。
「放り投げるぞ、耐えろよ」
組み合いながらささやく俺の声に、目の前の背中が震えた。
ビビったか? いや違う。声を出さずに笑ったのだ。
こいつ、けっこう器はデカいのか?
バックに回ったまま体を持ち上げ、大きく回転させながら反り投げる。受け身を知らない(であろう)相手に固定するのは危ないと判断して投げっ放したが、エイダは見事なフォームで宙を舞ったまま身を捻り、着地して油断なく身構える。
スゲぇなこいつ。190近いのに何だあの身の軽さ。優雅さと獰猛さが同居する身のこなし。
長身のエイダが片膝を衝いた姿勢になったのを幸い、一気に踏み込んでハイキックを振り抜く。
インパクトの瞬間は荷重を抜いたが、それでも頬を張られた程度の痛みはある。動きを止めるのが不利だと判断したのか、エイダは頭の横に両腕でガードを固めて距離を取る。
身体を沈めて突進、巨体を駆け上って両腕の隙間から顎を、
地響きのような音を立て、エイダの身体がフロアに倒れ込む。
「……!?」
静まり返った会場が、俺たちを見つめる数万の観客が、その歓喜の声が一斉に沸き起こる。
喝采。怒号。悲鳴。全てが重なり合って爆発したかのように轟音が鳴り響く。
エイダは身を起こして頭を振る。爪先を当てた後は力を込めて
俺が見せたおかしな技と動きに、理解できない意図に。
そして、ほとんど狂乱状態にまで
「10秒我慢しろ、そっから
俺はエイダの頭をつかみ、彼にしか聞こえない声で告げる。
グッタリ弛緩したエイダの頭を床に打ち付け、俯せになった彼の背中目掛けて全体重を掛けて激しい
「ハッハーッ! ザマぁあねえな御貴族様よ! これで……最後だ!」
大きく振りかぶった俺は全身の勢いをつけて走り込むようにジャンプしてエイダの頭を床に叩き付ける。音を鳴らすのと事故防止のため上手いこと足の甲でキャッチしたのだが、エイダはその前に頭の下に自分の手を添える余裕まで見せた。
「ゆっくり5数えてから立て。ゆっくりだぞ」
俯せに倒れたまま痛みにもがく姿は、俺から見てもやり過ぎたかと不安を覚えるほどだ。
えらいところにダイヤの原石があった。磨けば光るどころじゃない。
「立て! 平民なんぞに負けるな、貴様それでも貴族か!」
「いいぞクソガキ! そのデカブツを倒せ!」
「貴族の誇りを見せろ! 背負っているものの大きさを教えてやれ!」
小馬鹿にした身振りで観客を煽り、増長した演技をする俺の背後で、エイダがヨロヨロと身を起こす。ゆっくり立ち上がる彼の姿を見て、満場の声援がさらに高まる。
「ありえない、そんな筈はない……!」
俺は驚愕の表情で首を振る。歓声に掻き消されないように甲高い声で叫ぶ。
雷鳴のような拍手と、地鳴りのような足踏み。怒号と指笛と悲鳴と絶叫。
応援しているのは貴族だけじゃない。貧民も平民も、選手や審判や兵士たちまで、いまでは固唾を呑んで見守り、一瞬たりとも目を離すまいと血走った目で注視している。
その全てが、自分の一挙手一投足に向けられているのだという、実感。
エイダは、俺を見た。魔導師の彼自身が何かの魔法に掛かったような、ボンヤリと潤んだ瞳で。
ああ、そうだろ。楽しいだろ。
もう他に何にも要らないって、思っちまうだろ。
馬鹿だな、お前。こんなの知っちまったら……
……もう戻れないぞ。
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