第6話 vs戦闘奴隷②
名も知らぬ醜男、その名も32号がラックランドに引き立てられるようにして試合場に向かう。呼び出し役の兵士が手を出さないでいるということは、それなりに行動の自由が認められているのだろう。それだけの実力者ということか。
そもそも中級の拳闘師クラス一回戦最終試合だ。それがどういう意味を持つのかはわかる。そこにブックされるのは最も盛り上がる、つまりは賭け率一位の選手だ。
ラックランドの登場で、ダレ気味だった会場が多少の盛り上がりを見せる。それでもブーイング混じりなのに俺は首を傾げる。
その疑問はすぐに解けた。
「来いよブタ!」
「……なにをッ!」
ひどく凡庸な挑発に容易く乗って、32号は愚直に突進した。ラックランドを片手で押さえ、体重を乗せた拳を思い切り振り抜く。歴戦の戦闘奴隷がアッサリとホールドを許したのは技術が低いからではない。そんなものは物ともしないだけの自信の表れ、あるいは誘いでしかなかったのだ。
棒立ちに近い姿勢のまま、軽く頭を振っただけでパンチは空を切る。バランスを距離を取った32号の前に、無造作な姿勢で立ったラックランドは軽い仕草で脚を振った。サッカーのキックオフ程度でしかない力の抜けた蹴り。それだけで巨体が揺れ、床に顔面から思い切り倒れ込む。
「おい、何が起きた?」
「いまのが、そんなに効くような蹴りか?」
ほとんどの観客は――そして牢の覗き窓から見ていた出場選手たちも、見えてはいなかったようだが、顎だ。
あの男は突き放しざま、相手選手にも観客にも見えない角度から掌底を放っていた。手足ともに軽い振りだがインパクトの瞬間だけは腰が入り確実に芯を食っている。その技には場馴れというだけでは表現し切れない凄味のようなものがある。が、それは誰にも理解されないのだ。会場を埋める観客や見守る選手たちのなかで視認できた者も理解出来た者も5人といるまい。
「勿体ねえな……」
思わず漏らした俺の声に周囲の人間が怪訝そうな顔をする。見えていなければ当然だが、何の話か理解出来ないようだ。32号がダメージを受けたことに対してのコメントだとでも思ったのだろう。何人かが侮蔑の表情を浮かべた。
言い訳するのもおかしいから黙ってるけど、さすがにあのデブを応援するようなおかしな趣味はないぞ。
当のデブは開始数分で息が上がっている。なんとか起き上がろうともがくが、身体がいうことを聞かないようだ。それはそうだろう。脳が揺れているのだ。無理やり立ち上がったが、完全に足に来ている。30m近い距離があるのに目が飛んでいるのが手に取るようにわかる。何せ伸ばした手がまるで見当違いの方向に延ばされているのだ。
わかる、わかるわー。今頃あのデブの視界ではラックランドが分身の術を披露しながらラインダンスでもしているように見えているのだろう。
ベテラン戦奴の常として、安全マージンの確保が最優先。その後はいかに料理するかだけの問題でしかない。そして、それが大問題なのだ。
ラックランドは優雅にすら見える動きで32号の背後に回り込むと、膝の裏をフルスイングで蹴り抜いた。呆気ないほど簡単にそれは巨体を掬い上げ、回転させて後頭部から床に叩き付ける。そこで意識を飛ばせば楽になっただろうに、32号は贅肉が衝撃を吸収するのか無駄に丈夫なのか再び立ち上がろうと必死の努力を見せる。
既に――というか最初から、これは試合などではなかった。当事者の俺たちからしてもそうなのだから金を払って入場し持ち金を賭けている観客からしたら退屈どころか苦痛でしかない。
ここぞとばかりにブーイングが激しくなる。このまま弄ぶだけで終わらすつもりだと思っている人間が多いようだが、俺はこの後さらに不愉快な展開になると予想していた。見た目は軽そうなラックランドの攻撃が実はかなりのダメージを与えていること、絶妙に加えられた手加減が相手選手の痛みと苦しみを長引かせるだけの目的だとわかっていたからだ。
格闘技を嗜む者のなかには一定数、そして生業とする者のなかにはさらに多く、このタイプの人間がいる。
自分の力を見せつけたい者。自分の力がどれほどなのか確かめたい者。かつて虐げられた報復行為として手当たり次第、無差別無制限に振り撒く者。単純に生き物を痛めつけることに快感を……あるいは愉悦を感じる者。
原因も発端も理由も建前もそれぞれだが、それが何であれやられる側からしてみたら災難どころの話ではない。
半ば意識を喪いふらつき泳ぐ32号の身体を、ラックランドは上下左右に打ち分けた打撃で好き勝手に振り回す。デブは泡を吹きグラグラと揺れながらも倒れることを許されない。鼻から血が垂れ落ち、口から血泡が溢れ出し、最後は耳からも出血が始まる。
「おいレフェリー、止めろ!」
思わず叫んだ俺を周囲の選手たちが訝しそうに見る。32号を庇おうとする態度が理解できなかったのもあるだろうが、まずレフェリーという単語が通じなかったようだ。そんなことは知らん。
混乱から一泊置いて、我に返った試合進行役から指示が伝わり、警備役の兵士たちが試合会場に雪崩込む。
「止めろ! おい、いい加減にしないか!」
試合がいわゆるドクターストップとなったが、それは選手の安全のためではなく、観客の機嫌を損ねないためだった。それはそうだ。この前の試合を見るまでもなく。客を喜ばせる限りにおいて、相手選手を殺しても構わないのだから。
◇ ◇
牢に戻されたラックランドは兵士に殴られたのか顔をわずかに腫らしていたが、それでも表情はスッキリしたもので、それが却ってこの男の異常性を示していた。デブも死んではいないようだが、牢に戻ってはこなかった。
賭けは辛うじて成立したものの戦いは到底“試合”などと呼べるようなものではなく、会場は未だに怒号とブーイングが鳴り響いている。
「ひでえもんだな。興業主からまた叩かれるぜ?」
「好きにいわせとくさ。勝ちは勝ちだ。金になればそれでいい」
「あの思い上がったデブを痛い目に遭わせたのは良かったが、仕官の目は無くなったな」
「柄じゃねえよ。お貴族様に尻尾を振るくらいなら、戦奴の方がまだマシだ」
ラックランドは束の間、牢の暗闇に鋭い視線を投げる。背後の奇妙な気配に振りかえった俺は、殺気を剥き出しにした男に顔をぶつけそうになる。
それは痩せ細った長身の男で、鬼瓦のような顔に憤怒の表情を浮かべてラックランドを睨みつけており、俺のことなど全く視界にも入ってはいない。
周囲に緊張が走るが、睨み合いはすぐに終わる。ラックランドは鼻を鳴らして部屋の隅に転がり、痩身の男は忌々しげに唸りながらそっぽを向く。
「何だあいつ、貴族の犬になるのが望みか?」
「おいおいラックランド、滅多な口を聞くんじゃねえよ。そいつ自身が、そのお貴族様だぞ?」
「「「は?」」」
周囲の声が揃った。何かの揶揄かと思いきや、男は周囲の視線を冷淡な顔で見返している。事情通らしい戦奴のひとりが視線を受けて肩を竦めた。
「インシルリク男爵家の御子息、エイダ様だ」
「……マジで貴族か。なんでまた、こんなところに?」
俺は思わず声を漏らすが、答える声はない。みな目を逸らすかニヤニヤと下卑た笑いを浮かべるだけだ。エイダというらしい貴族子弟は鼻を鳴らし、俺を始めてまともに見た。
「金を手に入れるためだ。お前は違うとでもいうのか? お前らだって俺と同じ、金目当ての薄汚い戦奴だろうが」
まあ、確かに身分はその通りだ。
「俺は何の因果か犯罪奴隷で、望んで来たわけじゃない。金の話はさっき初めて聞いた。まあ、ずっとこのままもキツそうだから、自分を買い取れるというならそうしたいとこだけどな」
エイダは興味を失ったのか、また鼻を鳴らして顔を背けた。出番までの時間をこの息詰まる空間でいるのもなかなかストレスが多そうだ。弱小団体の新人レスラーでも、控室ではもう少し個人の時間と空間をもらえた気がする。手空きの時間には物販の売り子とかもやらされたけどな。
リアクションに困ったままヒョロ長い後ろ姿を見ていた俺は、先刻から感じていた違和感の正体に気付く。
まず目についたのは、見事に発達した僧帽筋と広背筋だ。出場者は基本的に粗末な薄布を身に纏っているだけだから、体型体格は嫌でもわかる。
背丈があり肩幅が狭いことから痩身に見えていたが、肩の三角筋は十分に鍛え上げられているのがわかる。恐らく見えない部分も緩んでなどいないのだろう。こんな筋肉は遊び暮らして付くものではない。嫌という程の回数、嫌という程の過負荷に耐え続けてきた結果だ。この世界にジムがあるとも思えないから、農作業か何かか。
しかし、金がないとはいっても貴族だろうに、何でまたそんなことを?
「……何だジロジロと」
エイダは視線に気付いたのか、不快そうな声で俺を一瞥する。悪相といえば悪相だが、良く見れば愛嬌のある顔だ。悪役レスラーにでもなれば、それなりに人気が出そうな顔だ。それにはイメージ的に、もう少し体重と贅肉が欲しいところだが……
「いや、ずいぶん鍛えられてると思ってな。パッと見じゃ細いが、良く見りゃ贅肉が削ぎ落とされた結果だ」
褒められていることを理解したのか、憤怒の表情が僅かに歪む。笑みを浮かべたのかもしれないが、正直なところ恐ろしげな印象は微塵も変わらない。
「……ふん。無駄な肉を付けるのにも金が要るだろうが。俺の故郷は北部の貧乏男爵領だ。山がちの辺境で、土地も痩せてて、作物もろくに育たない。鉱物資源も観光資源も貴重な薬草種もない。当然、領民も少ない。ないない尽くしの陸の孤島だ。家屋敷はもちろん家財は全て抵当に入って、領民から絞り上げた税まで借金の返済で消える。そんな領地で、長男とはいえ役目も持たない穀潰しが、好き放題食えるとでも思うのか」
「それで、未来の領主様が出稼ぎを?」
「領主だった父親は死んだ。表向きは事故だったが、王家とは息子に爵位を継がせるための取引があったともいわれている。どんな利害があったのかは知らんし、真相は誰にもわからん」
「息子って、あんたが長男だろ」
「次期領主はミルデンホール、俺の弟だ。そう遺言にあったし、俺は領主の器じゃない。弟は頭が良いからな。領地改革は少しずつ形になってきていた。あいつが領主になることで、必ず領地は復興できる。……金さえあれば、だが」
武骨で口下手そうな印象に反して、エイダは不自然なほど饒舌だった。周囲の耳を気にしてボソボソと押さえた口調ではあったが、案外と話好きなのかもしれない。
あるいは、見た目ほど肝は据わっていないで緊張しているのか。
よく新人選手が試合前にこうなる。現に自分もそうだった。極端にはしゃいだ躁状態か、ムッツリ黙り込んで反応すらしなくなるか。逆に実績も上げないうちからリラックスしていられるような奴は、末恐ろしいほどの大物か覚悟の足りない能無しだ。
まあ、少なくとも要点はわかった。だが、それとこいつが戦奴になることの繋がりがよくわからん。突っ込んで良いのかもイマイチ読めん。
「他にも金を稼ぐ方法はあっただろうに」
「だとしても時間がなかった。債権者の多くは王家の息が掛かった王都の大商会だ。担保は領地の交易権。いくら俺が馬鹿でも、それを奪われたら領地改革が永遠に有り得ないことなど目に見えている」
それはまた、止むを得ない事情があったとしてもずいぶん下手を打ったものだ。
「……それも、たったの金貨百枚だぞ。そんなもので我が領地の未来を丸ごと奪われるなど、許せるわけがないだろうが」
金貨百枚。この世界の貨幣価値はわからんが、百万円くらいか。それとも一千万か。まあ、おそらくその間のどこかだ。大金といえば大金だが、引き換えに消えるものを考えると二束三文なのも事実なのだろう。
「何もかも売り払い、借りられる先からは残らず借りて、その上で俺と妹が身売りをして金貨八十枚は揃えた。残りは金貨二十枚だ。ここで試合に勝てば二枚。……それに、ひとり客を取れば二枚だ」
最後の声は、食い縛った歯の間から漏れた。
「いいのか、負ければそれで終わるかもしれないんだぞ?」
「そんなもの知るか。俺には……俺たちには時間がない。借金の返済期限はあとひと月なんだからな」
切実なのは理解するし必要なのもわかるが、何でそこまでして、とも思う。その辺りは俺が貴族の生き方など他の惑星の天候くらい程度にしか理解出来ていないからなのだろう。
「親父もお袋も領地経営に失敗こそしたが、領民のため懸命に生きた。その家名を絶やすことは死ぬよりも辛い。幸い、弟は誠実で清廉な両親の血を色濃く引いている。その上、経営や政治に対しても天賦の才がある。この身が汚れることなど構わん。必要なのは……」
「金、か」
「金貨たったの二十枚だぞ。山に籠って魔物を狩れば、三か月……いや、二カ月で手に入る額だ。それをあの悪徳商会の奴ら、ギリギリになって証文を……」
仮に二十キロを走るとしても、万全の状態で挑むのと全力を出し切った後のそれでは永遠に近いほどの開きがある。この男には、他に打つ手がなかったのだろう。
「兄貴と妹がそんなときに、弟は何をしているんだ」
「これまでずっと出費を切り詰め、家財や木材や備蓄作物を売って金に換えてきた。借財が金貨百枚にまで圧縮できたのは弟の尽力の結果だ。何もせずに指を咥えて見ていたわけではない」
「……それはすまん。失言だったな」
会話の間を埋めるように、呼び出し係の兵士が牢の扉を開けた。
「111号と132号、出ろ!」
「……あ、あ……あああ! 死にたくねえ、死にたくねえぇッ!!」
「黙れ! さっさと出ろ!」
エイダは無言のまま、視線は牢から引き立てられていく戦奴に釘付けになっている。
俺は、そこで気付いた。こいつはもしかして、遺言のつもりで話しているのではないだろうか。プロレスも危険とはいえ、試合で死ぬことはほとんどない。だがここでは、かなりの高確率で死ぬようだ。自分の身に何かあったときのために、自分の存在を刻みつける何かを求めているのではないか。
例えそれが、初対面で得体のしれないガキであったとしてもだ。
「……くそッ、しゃべり過ぎた」
「いや、助かったよ。俺も気が紛れた。あのままじゃビビッて小便を漏らしそうになってたからな」
「そんな生易しいタマには見えん」
ところで俺は、少しばかり嫌な予感がしていた。それは対戦者の組み合わせだ。
人気やプロフィールで差別化が出来ない無名選手の場合、客の目を引き、かつ両者の違いを明確にする物が必要になる。賭けが行われているのであれば尚のことだ。
わかりやすい差異。極端な背丈の差、体格体重の差、美醜の差、あるいは年齢や髪や衣装の色など外見の差だ。
ただでさえ層が薄いらしい魔導師クラス。どう考えても最も外見上ギャップが激しいのは俺とこの男爵家長男だ。と思い始めるとこれは拙い。いまさらだが色々とやり難いことこの上ない。
だが、ピンチはチャンスともいう。半ば以上は負け惜しみのヤケクソではあるが。
「……俺は弟とは違う。ガキの頃から狩りと暴力以外に何の取り柄もない、くだらない人間だった。身体がデカいだけで頭も顔も悪い、人望もなければ生きる目的もない。俺は弟のためにも、死んだ父親のためにも、飢え凍えるばかりの領民のためにも、金を稼いでやる以外に何の価値もないんだよ」
エイダの言葉もほとんど頭に入らないまま、前の試合は終わって呼び出しの兵士が来た。
「133号と141号、出ろ!」
141号が俺だ。嫌な予感は的中して、133号はエイダだった。周囲の微妙な視線が集まる。俺は笑うしかなかった。
「ところであんた、戦いの経験は?」
「いまさら探りを入れてどうする。辺境地では生き延びるために日々が戦いなんだよ。野鳥を射落とし獣を殺し、ときには魔物も倒す。野生の実戦で鍛え上げたのが俺の力だ。手加減するしてもらるなどとは考えるなよ。お前がどれほどの手馴れだろうと関係ない。容赦なく全力で叩き潰す。それだけだ」
「望むところだ。けどな、あんたひとつだけ間違ってる」
「なに?」
「あんたは下らない人間なんかじゃない」
「……!?」
「おい黙れ141号、早く出ろ!」
苛立った兵士に急かされながら、俺とエイダは薄暗い廊下に出る。いよいよ出番だ。
巨漢の貴族家嫡子と、名もない貧民のチビ。ブッキングでいえば俺は捨て駒。噛ませ犬だ。だが、そんなに簡単に考えてもらっては困る。
両者の待機位置に向け、兵士の案内で俺たちは二手に分かれた。振り返ったエイダが、静かに吐き捨てる。
「……お前に何がわかる」
「わかるさ。そしてそれを……いまから証明してやる」
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