第5話 vs戦闘奴隷①

 わずかに開かれた覗き窓。そこから飛び込んでくる凄まじい喝采の声に、俺は困惑を覚える。

 王立中央闘技場ロイヤル・コロシアム。直径20mほどの円形闘技場は傾斜のついた観客席に囲まれ、その収容人数は優に数十万を越えるという。午後から深夜までの興業で観客の飲食を支え膨大な雇用を生み出し数々の物的・体験的土産物スーベニアを供給するそれはもう、ひとつの都市だ。

 最大の土産物は、賭け。闘いの流れと決着は厳密に規定されたルールと公正な審判団によって判定され、手旗と連携された四方の巨大掲示板によりスタジアム全域にわかるよう瞬時に表示される。一種の魔法を利用したアナウンスシステム――ただしこれはコストの関係で二等観覧席以上にのみ流される有料サービスらしいが――で実況中継まで行われているという。どこからどこまで至れり尽くせりだ。ある意味で、前世の日本武道館を越えている。

 本日の実況は、王国の元広報副長官で最良の実況者と名高いヒラ・ベンド子爵。解説は初代無制限クラス王者で永世名誉王者の座に就いた“鉄人”ジェンタイル。

 ちなみに拳闘師・剣術師・魔導師の各クラスの他に技術的制約なしで行われるのが無制限クラスで、この勝者こそが真の王国最強と称されるそうだ。

 もちろん、俺はそんなことは何ひとつ知らない。ここにきて初めて教えられた。薄汚れて死んだ魚のような眼をした戦闘奴隷や犯罪奴隷がひしめき合う地下牢で。

 二週間前、ホロマン商会の倉庫に忍び込み、捕えられたガキどもを解放しようとして失敗した俺たちは、王国騎士団に捕縛されて犯罪奴隷に落とされた。

 どこからどこまでが既定路線なのか、誰が何のためにやったことなのかもわからんが、どうやらハメられたことだけは確かだ。それから二週間、揃って肉体労働で締め上げられた後、何をどう見こまれたのか知らんが、俺と人狼兄弟とバークスデールだけは戦闘奴隷としてスタジアム送りになったのだ。いくつかのクラスや等級で分けられ、バークスデールは上級の剣術師クラス、人狼兄弟は初級の拳闘師クラス。何がどうなってそういう判断になったのか知らないが、俺は中級の魔導師クラスだ。

 ネリスは早々に逃げられたらしいことだけが、唯一の救いだった。


「さて、貴様ら戦奴がここまで辿った経緯は知らん。興味もない。ただ、未来は確約してやろう。闘技場に入って勝ち残れば富と名誉は思いのまま。負ければ廃人か死だ。簡単だろう?」


 興業進行管理人ブッカーのベローズは、出場選手たちに明るい声で語りかけてくる。彼自身が元は犯罪奴隷で、歴戦の勇士。自らの地位を拳で手に入れたという伝説の拳闘師だ。現役を引退したいまでは身体のあちこちに脂肪を蓄えてはいるものの、鍛え上げられた筋肉と眼光は健在で、半端な反抗を許さないだけのオーラを纏っている。

 というか、洒落にならんのは潰れた鼻と塞がりかけた瞼。そして擦り上げられて丸まったわいた耳。こっちにもグラウンドの技術があるのか。笑っているのに殺気しか感じられない独特の雰囲気は、WWWワールド・ウェイストランド・レスリングの鬼コーチだった祖師谷龍玄さんに、少し似ている。風貌に華がなく興業では前座を勤めていた中堅レスラーだったが、真剣勝負ガチなら敵う者がいないとまでいわれた猛者。指導に回ったときは的確なアドバイスとともに容赦ない負荷を掛け続け、稽古後は動けなくなるまで扱かれた。鋭い眼光に竹刀と唸り声だけで荒くれ者どもを自由自在に動かし、彼の一挙手一投足に若手のみならず選手の誰もが震え上がったものだ。

 ひとことでいえば、好きなタイプの漢だ。


「二ヶ月後にある王覧興業の前で、しかも給与支払日ペイデイ前の週中日なかび、客も選手もダレてる。こんなときに出て怪我するのも馬鹿らしい。誰もがそう思うだろうがな」


 ベローズは俺たち戦奴を振り返って、笑った。


「試合で手を抜いたら、生き残ったとしても俺が殺す」


 視線を巡らせた鬼コーチは、ふと俺に目を留める。怪訝そうな顔になったのが引っかかったのか、脅しに動じないガキが気に食わなかったのか、何にせよ拙いことをしたようだ。慌てて目を逸らすが、遅かった。ベローズは俺の前に立ち、サッとしゃがみ込んで顔を覗き込む。


「何かいいたいことがあるようだな。いってみろ」


 優しげな声が、却って怖い。俺はブンブンと首を振るが、恐ろしげな笑顔のまま眼力・眼圧ともにグングンと急上昇していく。いうまでプレッシャーを掛け続けるつもりか。死ぬわ。


「さあ」


「……大したことじゃ、ないですけどね。お忍びの、観覧でもあるかと、思っただけです」


「ほう、なぜだ?」


「実況中継が豪華で、観客席の埋まり・・・が、上席ほど厚いですから。そこでベローズさんのコメントで、確信を」


 ベローズはニヤリと笑う。背筋に寒気が走るような、良い・・笑顔だった。ボソッと耳元で囁かれる声に、俺は思わずチビリそうになる。


「おいガキ、お前、素人じゃねえな」


「お、おかげさまで」


 何をいってるのかわからんが、適当な返しが口を衝いて出る。黙ってたら喰い殺されそうな恐怖。


「お前は見所がある。王族観覧席の東側に貴族席があるだろう、覗き穴から見て右手の隅だ」


 スタジアムの観客席は北側の最上段、ひときわ高くなった場所に現在は無人の王族観覧席、そこから少し低くなって東西の最上段に貴族席がある。豪華な衣装に身を包んだお貴族さまが列席されるというが、いまは誰も座ってはおらず、茶器や掛け布を抱えた召使らしき男女が忙しく動き回っていた。

 西には中央出身者や文官が多い保守派貴族、東側には地方豪族や武官の出を中心にした改革派が利用することになっている、らしい。当然俺にはその区別も付かなければ派閥や内情への知識も関心も薄い。そんなことはベローズも知ってる。戦奴たちに関心がある情報が含まれているとすれば、自分たちを引き立ててくれる可能性があるのがどこの誰かということくらいだ。


「まだ中級の試合が始まったばかりだから空いているが、いま用意されているのは王国軍の近衛師団長と剣士隊長、そして魔導師団長の席だ。有力な選手は、武官からの引き抜きがある」


「近々、戦争でも?」


「大軍を率いて弓や槍を振り回すという意味でいえば、ないな。国内外が安定し過ぎていて、リスクとコストが見合わん。そもそも戦奴はあまり戦争向きではないしな。だが、象徴的な代理戦争は近いぞ。這い上がりたければ、せいぜい気合を入れることだ」


 ベローズは笑みを深めると、俺の肩を叩いて立ち去る。何の話か、わからん。戦奴を自分たちの代理人コマとして殺し合いをさせるということか。賭けや娯楽としてならともかく、それに何の意味がある?


「7号と11号、出ろ!」


 呼び出しの兵士たちが、牢から出場選手を引き立てて行く。剣を振り回しているのは威嚇と示威行為なのだろうが、怖がっているようにしか見えない。実際、怖いのだろう。戦奴に落とされたとはいえ、見たところ殆どは一般の雑兵など相手にならないほどの手馴れ揃いだ。そうでなくては、何万何十万もの観客の前で戦うことなど出来ない。

 俺にとってみても、それはドえらいプレッシャーだった。


「おいガキ」


 嫌な粘りを含んだ声が、背後からぶつけられる。無視してもよかったが、番号が三ケタの俺は、まだまだ待ち時間は長そうだった。ひとところに詰め込まれただけの牢で、ずっと逃げ隠れしていられるとは思えない。

 振り返ると、脂肪の塊のような醜男がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。


「俺のことか?」


 身長は2メートル弱、体重は140キロといったところか。左右に配下らしい男を侍らせているが、こちらは両方とも170センチに80キロほど。緩んだ体に緩んだ表情で、鍛えられた様子もないチンピラだった。


「ベローズに何をいわれたか知らねえが、おめぇは出場できねえぞ」


「なぜ」


「ここで死ぬからよ」


 左右の手下が俺の身体を押さえつける。踏み込んできた男のパンチが腹に刺さるが、体重による圧迫だけで鋭さはない。観察するために、少しだけ効いた振りで男を伺う。うずくまる俺を見て満足げに拳を撫でる醜男。見覚えもなければ恨みを買う覚えもない。


「けッ、他愛ねえな。あいつら、こんなのにやられたってのかよ」


「エザルはともかく、ラタンがこんなガキに後れを取るかよ。誰かが手を貸したんじゃねえのか?」


「畜生、汚ねえ真似しやがって」


 ……全然わからん。何の話だ。エザルとラタン?


「ああ、そうか」


 考えるまでもない。こっちに来てから恨みを買った覚えなど、ホロマン商会の騎士崩れを覗けばふたりしかいないのだ。


「ホロマン商会の人狩りか」


「くそッ、ホロマンの野郎、俺たち末端を切って自分だけは助かりやがった。こっちが汚れ仕事を担ってきたおかげで覚えめでたく大商会を維持出来てたってのによ」


「それで戦奴落ちか。ザマぁねえな」


 小馬鹿にしたその声に、デブと取り巻きが憤怒の表情に変わる。視線を辿ると、部屋の隅で寝転がっていた男が笑っているのが見えた。片腕が鎖帷子チェーンメイルのような軽甲冑で覆われた、痩身の優男。ふさふさした金髪の上にピョコンと三角の耳が突き出している。犬か猫かわからないが獣人のようだ。


「誰だお前」


「バークスデールが仕切ってるスラムの住人に手を出したのは失敗だったな。ホロマンだって王国政府との衝突なんぞ望んでやしない。元は治安対策、行き場のなくなった孤児や難民を買い上げるのが目的だ。その過程で多少の逸脱は許せても、完全な犯罪じゃ庇いようがない」


「誰だって訊いてんだよ!」


「ラックランド。お前らと違って、自分で自分を売った生粋の戦奴だ」


「生粋? 笑わすな奴隷が。生え抜きの馬鹿ってことじゃねえか」


「自分を売った金で家族は喰いつなげた。自分を買い取る金だってあと2戦で稼げる。お前ら能無しの雑魚とは違うんだよ。……試してみるか?」


 不敵な笑みに、醜男たちの顔が歪む。一触即発の気配に、見張りの兵士が槍の石突きを床に叩き付けた。

 スタジアムから響くブーイングが、静まり返った牢にまで聞こえていくる。泥仕合か一方的な試合か。賭けに負けたのであろう観客が敗者を罵る声が、ひどく不快だった。


「私闘は厳罰だ。親指なし・・・・で闘技場に出ることになるぞ」


「わかってるって。どっちにしろ、すぐに思い知ることになるんだしな」


「あ?」


「8号と13号、出ろ!」


 醜男の取り巻きのうち、大柄な方が牢から引き出される。相手は部屋の隅で静かに座っていた隻眼の男。粗末な服を着てはいるが、腕も首も太く眼光も鋭い。出ていくときに交わした目配せを見る限り、ラックランドの仲間らしい。


「あいつも自分を売った生粋の戦奴だ。売られた能無しとの違いがわかるか?」


「目的意識と、事前準備か」


 俺の言葉に、ラックランドが驚いた顔で笑う。体格は同じようなものでも、明らかに鍛えられ方が違うのだ。肌や筋肉の張り。精神集中コンセントレーションの高さ。課される労働や生活環境、出される食事は同じだから、違いがあるとしたら栄養状態や体調の管理を、自分で意識して行っているかどうかの違いだ。俺たちがいる牢は中級の出場者ばかりだが、奥で静かに出番を待つ男たちのなかには、目を泳がせている者も虚勢を張っている者もいない。


「お前は、おかしいな」


「それはどうも」


「お前、聞いた話じゃ犯罪奴隷だろ。自分で自分を売ったわけでもないのに、肝の据わり方が尋常じゃない。戦奴でもないのに、妙に戦闘慣れしている。おまけに、その年齢と風体で、魔導師クラスだと?」


「……詳しいな。あんた俺の母親かよ」


 俺は軽口を返そうとするが、上手くいかなかった。自分と当たるかもしれない相手に(それも一方的に)情報をつかまれているのは、気持ちの良い話ではない。

 スタジアムで歓声が上がる。開始から数分といったところだろうが、見るまでもなくラックランドは首を振った。


「終わったな。あの木偶の坊は帰ってこないぞ」


 牢に戻されたのは、ラックランドの仲間と思われる隻眼の戦奴だけ。醜男と、いまやひとりきりになった取り巻きは、戻ってきた戦奴の表情に見る見る青褪めてゆく。


「あいつは」


「死んだ。死体は闘技場外延墓地ごみあなに埋められる。近親者がいれば出場慰労金は出るが」


「やつに係累はいない。俺たちだけだ」


「じゃあ無理だな。お前らもここで死ぬんだ。お前ら三人分のカネを受け取るのは、ホロマンということになるか」


「冗談じゃねえ、何であんな奴に俺たちが稼いだ金を……」


「16号と32号、出ろ!」


 ラックランドが立ち上がると、それを見た醜男の顔が、さらに醜く歪んだ。


「さあ行こうぜ、“32号”。仕事の時間だ」

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