第4話 vs悪徳商会長

 視界が回転し、喧騒が消える。

 自分の鼓動と荒い息遣いだけが、やけにハッキリと聞こえる。

 3階の窓から飛び出した俺は、両脚で抑え込んだシュパングダーレムをフロアから引きずり出し、絡まり合ったまま中空に身を躍らせる。宙を泳ぐ俺たちの周りで、ひどくゆっくりとした時間が流れ始める。階下で魔導師が放った光が闇のなかで瞬き、俺たちの周囲で舞い散るガラスの細片に反射してキラキラと輝く。

 落下する元騎士団長は両手を伸ばして何かをつかもうとするが、俺たちふたりの空中遊泳を妨げるものなど何ひとつありはしない。地面までの10数メートル、地上の者たちが見上げるなか、俺たちはダンスでも踊るように回りながらクルクルと上下を入れ替える。


 長く静かな時間の後、俺たちは轟音を立てて地面に叩き付けられる。シュパングダーレムの巨体が跳ね上がり、血反吐を吐いて動かなくなった。

 その胸の上に座り込んだ姿勢の俺は、ホッと小さく息を吐く。


 ――この巨体の下になってたら、ひとたまりもなかったな。


 さすがに生まれ変わって半日でまた死ぬのは勘弁してほしい。もいっぺん生まれ変われる保証などないのだから、なおさらだ。


「タイト!」


 見ると、駆け寄るネリスの後ろでは人狼兄弟が強烈な一撃で、傭兵の意識を刈り取ったところだった。ホロマン側に、もはや抵抗する者はいない。


「よし、もういいぞ。子供たちを解放しろ」


 バークスデールの指示に、自警団の男たちが頷いて倉庫に向かう。ネリス親子を中心とした半数は城壁側の古い倉庫。人狼兄弟たち率いる残りは商館に近い新し目の倉庫だ。

 グッタリした身体を引きずりながら近付く俺を、振り返った白銀人狼オファットが見て笑う。


「派手にやらかした割には、死人は出なかったみてえだな。情けでも掛けたつもりか?」

「ぶっ飛ばすだけだ。俺は殺し方なんか知らねえし、知ってても使う気はねえよ」


 この世界にだって法律はあるだろうに。鉤爪に血が着いていないか見る。俺の視線に気付いたのか、オファットは肩を竦めた。


「これは、違うぞ。俺は、あれだ。死人を出すより怪我人を出した方が良いって聞いたからな。腰が引けてたわけじゃないぞ?」

「……ああ、軍隊の話で、聞いたことはあるな。痛みに泣き叫ぶ負傷者の方が、敵の集中力も乱すし、対処するのに多くの戦力を殺ぐんだとか」

「それよ。鬼畜だろ、あいつ」

「誰?」

「ネリスのアイディアだ。相手が剣を抜くまで、こっちも武器は使うなってさ」


 ネリスもオファットたちも、無謀なんだか冷静なんだか、よくわからんやつらだ。


「バーク、ちょっと来てくれ」


 倉庫のなかでマイノットがバークスデールを呼ぶ。

 ドアの前で合流して倉庫内に入ると、ガランとしたスペースの端に固まって蹲る少年少女の一団が見えた。置いてあるベッドは同じようなものだが、侵入時に見た城壁側の古い倉庫にいた子供たちとは、どこか雰囲気が違う。違和感があったが、その正体はわからない。


「逃げるよ、早く!」


 ネリスの声にも、目立った反応はない。何人かが曖昧に顔を見合わせて、他は俯いたまま首を振るだけだ。苛立ったネリスが手を引いて無理やり連れ出そうとするが、腰を落としたまま立ち上がろうともしない。


「おかしいな」


 オファットが鼻を鳴らす。


「何が」

「こっちのは上等・・な匂いが混じってる。さらって来たにしちゃ服も肌も綺麗すぎる。血色も良い」

「売るために磨いたんだろ。いいから早く……」


「待て」


 背後から、野太い声が響く。


そいつら・・・・を連れていくのはダメだ」


 倉庫の戸口で身構える俺たちに向かって、商館側から男がゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。館内から漏れる光で、暗闇に立つ男のシルエットが照らし出される。

 静かだが威圧感のある声に、落ち着き払った身のこなし。

 10メートルほど距離を開けて、男が歩みを止める。太鼓腹に禿げ頭。顎鬚を胸まで伸ばし、腕を組んだ巨漢。縦横ともにデカいその身体は、バークスデールと対峙しても引けを取らない。体型は丸いが、きっと触れるとガチガチに硬い力士タイプだ。脂肪は20を切るだろう。重心が低く、リーチが長く、分厚い脂肪と筋肉で鎧われて打撃が通らない。格闘家として考えると、こういうのが最もやりにくい。

 服装はダボッとした麻の上下。騎士崩れの用心棒とは違っている。馬に乗るのが仕事の騎士にこういうアンコ型の体型は向いてないように思えるが、わかっているのは何にせよまともな相手ではないということだけだ。

 困惑する俺たちの足元で、意識を取り戻した傭兵のひとりが呟く。


「……ホロマン会頭」

「「「うぇッ!?」」」


 俺たちは思わず妙な呻き声を上げる。驚いていないのはバークスデールだけだ。面識で以上の因縁でもあるのか、お互い苦々しい顔で相手を睨みつけている。


 ――そういうのは知ってたらいえよ、先に。


 悪徳商会のトップなんて飽食三昧でブクブクのデブかと思ったら、とんでもない。ホロマンは、傭兵の誰よりも強そうに見えた。


「……バークスデール」

「能書きは要らん。拳で来い。こっちの代表者は、こいつだ」


 俺を指す。やめろマジで。そういうの、もういいから。


「しばらく見ないうちに、“凍える咆哮”が冗談をいうようになったとはな」

「そこらに転がってるお前の兵隊に訊いてみろ。俺はまだ・・手を出してねえ。こいつを見極めるのに、ここで見ていただけだ」

「……ふん?」


 ホロマンは距離を保ったまま、静かに俺を観察する。商人という先入観から想像するような、値踏みするような視線ではなかった。いや、値踏みではあるのだろうが、いちいち突き刺さるような視線が計っているいるのは金銭的価値ではない。それは脚、腹、首と一瞥し、肩と両拳を経由して胸元で止まる。


 ……良くないな。


 どれも格闘技経験者が、対戦相手の経験と鍛え方を推し量る部位だ。

 その後に漠然とした視線が俺の胸元で止まっているのも、目を合わせるのを怖れているからなんかじゃない。打撃系格闘技の手練てだれが相手の攻撃モーションの起点とタイミングを計るためのものだ。

 いまの俺はそこまで警戒されるほどの身体じゃない、はずなのだが……


「ボーッとすんな馬鹿、来るぞ!」


 人狼兄弟の声に俺はハッと我に返る。ホロマンの身体が揺らいだかと思うと、あっという間に目の前まで迫っていた。

 俺は慌てて飛び退すさって距離を取ろうとする。

 まるで無音の列車でも迫ってくるようなものだ。突進する勢いと質量は半端じゃないが、踏み込みの挙動自体はゆっくりとしていて、重心は低くブレず、視覚だけでは距離とタイミングをつかめない。

 かわしたはずの突進で俺は呆気なく吹っ飛ばされる。跳ね上げられて転がった俺は即座に膝をついて立ち上がったものの、それはレスラーとしての条件反射でしかない。

 当たったのが腕なのか肩なのかもわからなかった。ドスンと肉を打つ音が響いたと同時に、衝撃が芯まで伝わって膝を震えさせ心を萎えさせる。トラックにでも撥ねられたらきっとこんな感じだろう。自ら跳んでわずかに衝撃を逃がしていなかったら、立ち上がるどころか身動きひとつ出来なくなっていた。

 痛いとか苦しいとか、そんな生易しいもんじゃない。敢えていえば、


横になりたい・・・・・・


 戦意も闘志も誇りも何もかも、全てを投げ出して泣きながら不貞寝したい。たったの一発で、そんな気持ちにさせられる相手なんて、いままでに……


 ――ああ、いたわ。いっぱい。そんなのレスラー人生で嫌になるほど、数え切れないほど、いっぱいな。


 俺は笑う。

 馬鹿にされたとでも思ったのか、ホロマンの顔が歪んだ。おかしくなったとでも思ったのか、ネリスが何かを叫んだ。勝負を捨て敵におもねろうとしてるとでも思ったのか、自警団の何人かが揶揄するような声を上げた。

 みんな、外れだ。俺は、楽しくなっていたのだ。

 そうだ。忘れていた。ずっと勘違いしていた。俺はチャンピオンじゃない。この世界ではまた、最底辺から伸し上がるしかないチャレンジャーなんだってこと。

 待ってても奇跡なんて起きない。前進する以外、逃げ道なんてどこにもない。

 気持が反射的に燃え上がり、身体が勝手に動き出す。それは、レスラーとして叩き込まれた第二の本能だ。


 追撃の蹴り上げをスウェーで躱し、そこからの踏み締めを転がって逃れる。硬い地面がボッコリと陥没したのを見て、体重差の恐ろしさを改めて実感する。

 早くも攻め手を欠き防戦一方になる。

 だがリングに上がった以上は、体格の不利など言い訳にもならない。

 守りを固めて丸まったところで、嵩に掛かって押し込まれるだけだ。無理でも何でも返さなければ終わりだ。客の目・・・が引けば、俺はこの場で見捨てられる。

 引いた客は帰ってこない。

 返せ。一発でも良い。どんなにブサイクでも、どんなにヘナチョコでも、闘志が萎えていないところを見せるのと見せないのとでは、ゼロと1ほどに違うのだ。

 着実に積み重ねられるダメージに耐え、俺はさして意味もない反撃を繰り返す。俺のパンチの殆どはガードで弾かれ、容易く空かされ、微塵も効かないまま肉の壁に跳ね返される。上下に振り分けようとローキックを加えたが、強靭な足腰には牽制の意味を持たない。

渾身の蹴りが太腿に当たったというのに、その感触はまるでコーナーポストの鉄柱のようだ。倒すどころか、こちらの脛が痺れてバランスを崩しそうになる。

 ――まずい!

 わずかな隙を見逃してくれるほど優しい相手じゃない。踏み込んでくる巨体を突き放そうとした前蹴りは届かず、慌てて振り回した大振りのフックがホロマンの頬を捉える。顎の肉が震え、動きが一瞬だけ止まる。

 すかさず追撃を掛けるが、誘いだったのかカウンターのアッパーが鳩尾に突き刺さった。


「げぅッ!」


 息が吐き出され、視界が暗転しかける。砕けそうになる膝を叱咤し、両足を踏み締めて重心を落とす。まずいまずいまずい、頭に向かってくる何かを気配だけで避けると、ブォッと風切り音がして髪の毛が持って行かれた。

 何それ、当たったら死ぬわ。

 酸素を取り込むと、視界が戻る。まだ紫がかっているが、知ったこっちゃない。身体が泳いで方向を見失ったのか、目の前に見えたのはパクパクと口を動かすネリスの必死な表情だった。慌ててホロマンに向き直った。大丈夫、まだ間に合う。

 やがて聴覚が戻ってきて、声が耳に入る。


「タイト! ファイアボールは!? ファイアボールはどうしたの!?」


 ネリスの悲痛な叫び。

 まだそんなこといってんのか。どうしたのって、どうもしねえよ。お前は猫耳魔法少女かも知れんが、俺は汗と気合しか武器のない不器用なレスラーなんだよ。

 いつどこでもどんな相手でも、全力でぶつかる以外に闘い方を知らない。ペース配分も無難な試合運びも、怪我を避ける攻防も体力温存の術も知らない。客は喜んでくれる。会場も盛り上がる。トーナメント形式の興業では、毎回緒戦で燃え尽きてズタボロの惨敗ばかりだった。

 こなす・・・タイプのベテランレスラーからは、当たりがキツイと敬遠されがちななか、そんな俺を認めてくれて、火の玉漢ファイアボールって呼んでくれたひとたちがいたんだ。俺の全力を受け止めて、生かして、輝かせて……そして容赦なく叩き潰してくれた人たち。そんな厳しくも優しいたくさんのひとたちに支えられて、俺はずっと全力で闘ってこれた。

 あのひとたちを、失望させたくないって、思ったから。


「ファイアボール? こいつが魔導師だとでもいうのか」


 ホロマンが身構えたまま、小馬鹿にしたように笑う。


「そうよ、タイトが本気になれば、お前なんか一発で黒焦げにしてやるんだから!」


 おいやめろ。勝手に話進めてハードル上げんな。まだ息が切れていて声にはならない。レスラー時代にも無茶振りはいつものことだったが、応えるにも限度はある。


「笑わすな。こいつは魔力も魔圧も、せいぜいギルドの二流レベルだ。無意識で身体強化に回してはいるようだが、戦闘中に魔導回路は見えてねえ。法陣も浮かばねえ。導門が開いてねえんだろ。この年じゃ、もう啓蒙けいもうの目はねえよ。頑張れば大道芸人くらいにはなれるだろうが、攻撃魔導なんざ夢のまた夢だ。出来もしねえ技を名乗って恥ずかしくねえのか?」


 ムカッときて振り回した掌底がホロマンの顎を突き上げる。肉がプルンと震えて、筋肉商人の表情が変わる。周囲で息を呑む音が聞こえた。


「わかって、ねえな、デブ」


 獰猛な笑みを浮かべる巨漢の前に顔を突き出し、俺は親指で自分の胸を指す。


「チンケな魔法の名前なんかじゃねえよ。……俺が・・、ファイアボールだ」

「あ?」

「俺の生きざまが魔法。俺の戦いこそが非常識で、俺自身が超常現象だ」

「訳のわかんねえこといってんじゃねえ、クソガキが!」


 何をいってるのかわからないだろうが、大丈夫だ俺自身もわかってなどいない。

 勝手に回る口で適当な能書きを吐き出しながら、俺は体力回復の時間を稼ぐ。周囲に呆れたような期待するようなモヤモヤした熱気が広がって行くのを感じる。

 いいね。前世じゃ滑舌悪くてからっきしだったマイクパフォーマンスが好きになりそうだ。


「マドウ回路? 攻撃魔導? 何だそれ、知るか! 俺が! 俺こそが! ファイアボールなんだよ!」


 両腕を開いて雄叫びを上げると、俺のなかにリングの熱気と喝采が蘇る。ポカンと口を開いている束の間の静寂を利用して、俺は心の引き出しを引っ掻き回す。なんとか打開策を見つけないことには、火の玉どころか黒焦げになって終わりだ。


 奇をてらった策など格下にしか通じない。小手先の技なんかに惑わされるタマでもない。

 再認識するまでもなくわかりきったことなのだ。いざというとき頼りになるのは、最も多く稽古に費やし、もっとも執拗に鍛錬を重ねた技だけ。


 心の奥底で、ポッと小さな炎が灯る。


 もちろん、それはある。

 俺にとって、一番大事な技。レスラーとして、一番思い入れのある技。それは必ずしも一番上手く使える技でも、一番客に受ける技でもない。乱発せず、ここぞというときにだけ、最も映えるように使いたい技だ。


 最初に覚えた大技。最後まで大切に仕舞っていた技。

 誰にでも出来るといわれ、事実その通りではあるのだが、それでも本当に客を沸かせる選手は世界に数えるほどしかいない。


 ファイアボール・ラリアット。


 それは俺の古巣WWW、ワールド・ウェイストランド・レスリングで常連外国人選手だった兄貴分、“凶龍”ヘル・ドラグナー兄さんが教えてくれた、アメリカンプロレス仕込みの豪快な首刈りロープクローズラインだ。

 明るくも厳しい兄さんに何度もダメ出しされて、何度も挫けそうになって。

 初めて試合で披露したとき、ドラグナー兄さんがマスクの下で笑うのが見えた。


「イイよファイアボール、それスゴくイイよー!」


 日本人以上に日本人の心を持つといわれたドラグナー兄さんが褒めてくれるのは、試合に勝った時でも客が沸いたときでも誰かの要求を上手く達成したときでもなかった。

 リングの上で、自分の役割を、全力でキチンと果たしたときだ。


 喜んでくれたときは嬉しいのだが、その後は試合で、かなり当たりがキツくなる。

 実際、直後に組まれたシングルでの対戦は、凄まじいクローズライン合戦の様相を呈した。知っているだろうか。ヘビー級同士が本気で打ち合うと、会場に爆発でも起きたような衝撃音が走るのだ。闘志というより殺意に満ちた目。獣のような咆哮。駆け引きなし手加減なしの本気で振り抜かれる剛腕。一発一発が魂の応酬。それは兄さんに一人前と認められた証しなのだから、一歩も引く訳にはいかない。

 当時スーパーヘビー級の兄さんと、まだジュニアヘビーでしかなかった自分が真っ向勝負の結果、30分の試合時間いっぱいまで使って、最後は兄さんの新必殺技ドラゴンスプラッシュで俺の記憶が飛んだ。

 2日後に意識が戻ったのだが、そのとき俺は普通に道場でスクワットの真っ最中だった。まったく記憶にない空白の2日間、その間も自分は普段通りに生活し談笑し練習していたというのだから怖い。


 俺の成長を誰よりも喜んでくれたドラグナー兄さんは、その翌年アメリカに帰ってメジャー団体のツアーに参加中、試合後のホテルで意識を失って倒れているところを発見され、手当ての甲斐なく帰らぬ人となった。死因は心不全と聞いて、驚く者は少なかった。彼自身、自分が遺伝性の病気で長くは生きられないと知っていたからだ。レスラーでいることがさらに寿命を縮めることを知りつつ、それでも闘うことを止めなかった。


「もしワタシ死んでも、セレモニー要らないヨ。おコメ」も時間も自分のために使って、その分もっともっと強くなるネ。ワタシには、それが何よりの供養クヨーネ」


 彼の遺言に従って、アメリカでの葬儀には行かなかった。興業後のテンカウントに黙祷を捧げ、道場でのトレーニングをいつもの2倍にした。

 ひとつは自分の分。ひとつは兄さんの分。


 辛いけど、寂しくなんかない。兄さんの気持ちも技も、俺のなかに生きてる。

 強靭な足腰の粘り。勢いを乗せた踏み込み。力強い腰の回転と、体重を掛けた上体の捻り。

 鍛え上げた上腕が弧を描き、相手の喉元をカチ上げ振り抜かれたとき、シンプルこの上ないクローズラインという技は、眩いばかりの輝きを見せる。

 それはひとつの肉体芸術。プロレスが到達する頂点のひとつといっても過言ではない……が、問題があるとすれば技の性質上、ある程度の上背がないと映えないことだ。

 そもそもいまの身長では相手の喉元まで届かせるのが至難の業だが、それはそれ。元の身体も最初は頑張ってジュニアヘビー。バンプアップした後も185センチ100キロと決して恵まれてなどいなかった。多少の体格差や身長差など機転と気合で引っくり返せなければレスラーなど出来ない。


 さて。

 問題は目の前にいるこの冷蔵庫みたいな体型の巨漢だ。ドラグナー兄さんより背は低いが、体重は同じくらいのスーパーヘビー級。


「大口叩いただけのものを、見せてもらおうじゃねえか」


 唸り声を上げて、ホロマンが身構える。こちらが何度か食らわしたせいか、顔の両脇で拳を固めたピーカブースタイルに変わっている。

 腰を落として突進してくる勢いに衰えは見えない。


 こちらを身体ごと吹き飛ばさんばかりのパンチを受け止め、殴り返す。軽いことは承知の上だ。こちらのダメージは確実に蓄積しているが、身体強化とやらのせいか動けないほどではない。踏み込んでのヤクザキックをキャッチすると締め上げ、アキレス腱固めを狙うが体格差がありすぎホールドし切れない。


 殴られても、倒れない。倒れる訳には、いかない。

 溜めて、返す。

 溜めて、溜めて、返す。

 溜めて、溜めて、溜めて、溜めて、返す。

 溜めて、溜めて、溜めて、溜めて、溜めて、溜めて……


 返せんのか、これ。


 いままで何度も、そんな試合はあった。

 意識が飛んだことも、記憶が飛んだことも、奥歯が飛んだこともあった。

 それに比べれば、いまはまだ冷静だ。

 手足は動く。意識もある。相手の出方を読む余裕さえある。


 楽しいな、ドラグナー兄さん。

 俺はまだ、闘ってるよ。


「うおるァッ!」


 少し前からホロマンの動きが変わってきたことに、俺は気付いていた。一発の威力も勢いも維持してはいるが、打点の精度が落ち、打撃の間隔が開いている。顔に滝のような汗が吹き出し、服が湿ってきている。暗闇のなか荒い息で湯気を噴きあげるその姿は、まるきり蒸気機関車だ。


 チャンス。


 他の格闘家とレスラーの違いで最大のものを上げるとするなら、肉体的精神的なタフさだ。一撃必殺を信条とする打撃系格闘技ほど、長丁場になると脆い。長いと60分、120分にもなる試合時間の間、動き続けるだけの体力と耐え抜くだけの頑強さを必要とされているからだ。

 逆にいえば、を知っているということでもあるのだが、その点は俺もあまり得意ではない。


 ホロマンは自分の限界を知り、その限界を知られたことを知っている。

 すぐに勝負を掛けてくることは火を見るより明らかだった。


 狙いすましたフルスイングが襲ってくるが、その度に少しずつ、足元が揺らぎ、引き戻しが遅れる。膝裏へのローキックで着実に積み重ねてきたダメージが、ようやくわずかな勝機を見せ始めていた。

 とはいえ体重差が縮まるわけでもなく、油断すると一撃で喰われることに変わりはない。


 俺は踏み込み際を外され、カウンターで顔面に強烈なストレートを食らう。視界が揺れるが、耐えられないほどではない。

 痛みが怒りを呼び、苦しみが闘志に火を着け、劣勢が狂乱を生む。


「うぉおおおおおォーッ!!」


 叫び声とともに身体が熱くなる。自分がことをどこか遠くで自覚しながら、俺は頭を下げ拳を固めてホロマンに突っ込んでゆく。目を見開き愕然とした表情の相手が逃れようと腰を浮かせる。後方に泳いだ体重が俺に絶好の機会を告げる。

 間合いに入った瞬間、周囲が明るく輝き、悲鳴のような歓声のような、甲高い声が一斉に上がる。


 振り抜かれた剛腕は、闇夜に美しい光の軌跡を引いた。


 超重量級の巨体が首を支点に引っ掛けられ、縦に回転しながら宙を舞う。

 受けの美学を体現したわけでもないだろうが、それはまさにひとつの眩い光景だった。上空高く打ち上げられたホロマンは、地面に激突して転がり動かなくなる。その襟元から引火した炎の名残が、ブスブスと煙を上げて燻っているのが見えた。


「アイ! アム! ザ・ファイアボーッ!」


 振り返って両手を突き上げ、観客席・・・に応えようとした俺は、なにか焦げ臭いことに気付く。

 つうか熱ッ!?


「ばばばっ馬鹿なにやってんの!?」


 その異臭が自分の髪の毛が焦げたものだと気付いたときには、飛びついてきたネリスに引きずり倒され、脱いだ服をバサバサと頭に叩きつけられていた。爆笑する人狼兄弟の声が嫌に耳に響く。


「ぶわははははは……こんな奴初めて見たぜ!」

「信じられねえ、いまあいつ無詠唱で炎を……っていうか、あれ無詠唱っていっていいのか?」

「なにいってんの馬鹿ども! 手を貸しなさい早く、うあ熱ちッ!」

「……つってもよォ?」


「動くな! 抵抗すると斬り殺す!」

「え?」


 煙を上げたチリチリの頭で顔を上げると、俺たちはいつの間にか完全武装の騎士団数十名に包囲されていた。

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