第18話 涙顔

私は頭の中が真っ白になった。それと同時に今まで高木くんと積み重ねてきたものが全て薄っぺらいものに感じてくる。


「ごめん、優香が嫌いになったわけじゃない。あの日指輪を渡した気持ちに嘘はないし、気持ちも変わってない。今でも優香と一生一緒に居たいと思ってる。」


高木くんは慌ててそう言った。だけど私の崩れた何かは元には戻らなかった。

これほど高木くんを冷静に見たのは初めてかもしれない。


高木くんはかなり緊張しているのだろう。何度か深呼吸をした上に少し乾いた唇を舐める。


「まず最初に、さっき言った婚約者に相当する人というのは俺の父さんが決めた許嫁のことなんだ。ただ正式というわけじゃなくて、父さんとその子の両親が強く望んでいるだけなんだ。その...小学校入る前から知ってる幼馴染...で。」

「....そうなんだね。」


私の返事はこれ以上無いくらいに無感情な声になっていた。


私の視界はどんどんと歪んでいく。涙は正直で止まらなくなる。


「ごめん、泣かないで。最後まで聞いて欲しい。」

「....うん。」


私はなるべく涙を堪えて高木くんの顔を見た。高木くんも少し震えていた。だけどそれが冬の寒さからなのかは分からない。


「俺は小学校6年間、ずっとそも幼馴染に振り回されてきた。幼馴染は父さんの仕事上の付き合いの人の娘さんでもあったから、幼馴染が不機嫌になるようなことは許されなかったんだ。だからずっとその幼馴染のご機嫌取りをしてた。


俺はそれが嫌だったんだ。だから俺は実家を離れて、今1人暮らしをしている。


今は...実家に帰った時に顔を合わせるだけで別に俺は幼馴染に何か特別な関係があるわけじゃない。」


だから何?

高木くんの過去なんて私には関係ない話じゃない。


「俺は優香が好きなんだ、広島にいたら絶対会えなかった。俺は....」

「そんなの知ってるよ、一緒にいたらわかるから。でも...許嫁がいたって、そんなの卑怯....よ。」


高木くんが幾ら私が好きでも、親同士が決めた許嫁ってそんなの私が入る余地なんてない。しかもその相手は小学校入る前からの幼馴染。


高木くんは私の言葉に目を丸くし、そのあと物凄く申し訳なさそうに肩を落とした。


恋人になりました、指輪を貰いました、だけど私は高木くんとは一緒になれない。そんなの酷すぎる。

知りたくなかった事実、それがますます私の涙腺を刺激する。


高木くんに言いたいことはいっぱいある。だけどそれを言い出そうとした時、私は高木くんにそんなこと言う資格があるのかなと思った。


高木くんは私の人生をひっくり返すような事を隠していた。だけど私も高木くんの人生をひっくり返すような事を隠している。


私が隠したことに比べれば、もしかしたら高木くんが隠していた事なんて大したことは無いかも知れない。


高木くんが知らない間に“高木くんの子供を作りました”って、それって実質的に結婚を強制してるのと同じ。


勿論私はそれを1番望んでいるけれど、同時に高木くんは幼馴染との関係を完全に壊してしまう。そして多分それは高木くんの家の仕事まで響く。


それが嫌なら高木くんは絶対に私に子供を堕してって言うしか無い。多分そうなったら私はもう高木くんとは一緒になれない。


ある意味私はここで高木くんを試しているのかもしれない。


指輪を私にくれた時の言葉は今でも忘れていないってそういうことよね、高木くん。


私は今緊張してる。そのせいで口の中が乾いてくる。私は息を大きく吸って、そして力を抜いた。

そしてゆっくりと言うべきことを言うために唇を動かす。


「...高木くん。私も高木くんに卑怯な事をしているの。」


高木くんは何かを覚悟するように座り直した。もしかしたら私が他の誰かと付き合っているとか思ったのかも知れない。


だけど違うの、浮気とかの問題じゃない...


「私...妊娠しているの。」


高木くんは固まってしまった。


高木くんの反応を見て、私は一番最初に妊娠を知った日を思い出していた。

あの日、保健室で見た妊娠検査薬の結果。私はそれを見て絶望した。


だけど固まっている高木くんの目には絶望は映っていない。だってゆっくりと震えながら僅かに歪んで笑っているのだから。


高木くんはすぐに表情を引き締めた。

そして言った。


「優香、とりあえず俺の家に来ない?」


私は黙って頷いた。


 ◇


高木くんの家には実は行ったことが無かった。高木くんが家に呼ばないのは、高木くんが両親に私と付き合っていることを知られたくなかったからだと思っていた。まさか高木くんがまさか1人暮らししていたなんて知らなかった。


高木くんの家の方向が私の家の方向が違う。いつも別れていた路地の角、そこからそれなりに離れている。


高木くんが何故二人乗りができるようなバイクを持っていたのか今更ながら知った。多分高木くんはいつも路地で私と別れた後、バイクで家に帰っていたのだと思う。


ついた場所はとても高校生が1人暮らしできるような場所では無い高級マンションだった。


マンションのエントランスを抜けるとエレベーターが3台も並んでいて、床にはカーペットが敷かれている。


それだけで私はとんでもない人と付き合っていることがわかった。そして私はそんな人の人生を歪めてしまったことにも気付く。


私は自然と全身に力が入る。


高木くんの家はどこかのモデルルームみたいだった。本当にここに人が暮らしているのかわからない。


高木くんは私を革張りソファーに座らせた。フカフカではないけれど、皮の手触りで素人の私でもきっと良いソファーだと言うことだけは分かる。


そして目の前には木製のテーブル。多分一本の木から削り出された良いもの。昔これに似たやつがとんでもない価格で家具屋さんに置かれていたのを見たことがある。


高木くんは台所に行って暖かい緑茶を持ってくる。多分私の家ではお客さん向けに使うような器。

それを高木くんは私の目の前に置いた。多分高木くんも同じ茶器を使っているからこの器は普段使いしている。


私は目が回りそうだった。多分私が狂わせた歯車はきっととても大きな物だったに違いない。

私は高木くんが急に遠くの人になったような錯覚を覚えた。


高木は私の目の前に座って少しお茶飲む。私も真似してお茶を飲むけれど、全然味が分からない。


私は緊張していた。目の前にいる高木くんも緊張しているみたい。


高木は少し不安そうな顔で私を見る。


「優香、一応聞きたい。多分そうであると思っているんだけど、もちろん優香を信じていないわけじゃ無い。ただ...その...世の中犯罪がないわけじゃ無いから。...その...ちゃんと聞きたい。


優香のお腹の中にいる子って....」


高木くんの家に来て、あまりにも非現実的な状況に緊張していたけれど、聞きにくい質問をする時の独特の癖は間違いなくいつもの高木くんだった。


今、目の前に私の高木くんがいると思ったら、一気に緊張が和らいだ。


こんな反応してくれるなら隠さない方が良かった。

悩む必要はなかった、高木くんは私を受け入れてくれる。


守ってよかった、堕さなくて良かった。顔の傷も今なら高木くんの子供を守った勲章かも知れない。


私の心で冷えていた高木くんへの気持ちが段々と色づいていく。それはまるでモノクロ写真から色んな色の花が咲く様に。


私は精一杯の笑顔で高木くんに言った。


「間違い無く高木くんとの子供だよ。」


これほどニッコリした高木くんはみたことなかった。

気がついたら私の視界はまた歪み、今度は嬉し涙で溢れた。


私の対面のソファに座っていた高木くんはゆっくりと立ち上がり、私の隣に座った。そしてゆっくりとこれまでに無いくらい力強く私を抱きしめてくれた。

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