第19話 資格

「あー、どうしよう。多分俺、優香のお父さんに殺されるかもしれないな。」

私の横に座る高木くんは冗談っぽくそう呟いた。


高木くんは私の顔を触る。傷口には触れないけれど、多分高木くんは自分もこうなるかも知れないくらいは思ってるのかな。


顔の傷はお母さんのせいだけど、あれだけ怒っていたお父さんが高木くんを無事に帰すはずがない。それくらいお父さんは怒っていた。


だけど私はそれよりも気になる事があった。それは高木くんが私の妊娠を知って笑顔になった理由だった。


「高木くん、不安じゃないの?」

「正直どうしたらいいのかわからないかな。でも今はその...素直に嬉しい。」


高木はそうは言うけれど、やっぱり何か思う事があるようで思い出したかのように頭を抱えた。

それと同時に私のお腹が鳴る。


とても恥ずかしかった....


安心したらお腹が減った。そういえば少し昼に食べたっきり。深夜過ぎるのに夕ご飯を食べていない。


高木くんは私を驚くように見た。

ますます恥ずかしくなる。そして私のお腹はまるで空気を読んでいないかのように再びギュルルと音を立てた。


「お腹減った?」

「.....うん。」


今すぐ布団を頭から被りたい...


 ◇


高木くんと私はキッチンに立った。高木くんに断りを入れて冷蔵庫を開くと、何も無かった。


正確にはマヨネーズやケチャップといったものはあったけれど、卵やハムと言ったものはない。


唯一あったのはどこかのスーパーでまとめ売りされている肉まんくらい。

よくよく見ると食器棚の上にカップラーメンが積まれている。


こんなにもいい部屋に住んでるのに食べているものは私よりも質素。

高木くんは料理ができない人みたい。


それなのに料理道具は豊富。フライパンも2つあるし、鍋も何種類かあった。


高木くんにできないものは無いと思っていたけれど、意外な物が苦手なんだと私は知った。


冷蔵庫の上に何やら大きい金属の鍋を見つける。

それを見た瞬間に私はそれが蒸し器だとわかった。


「高木くん、あの蒸し器取って。」


流石に私の背丈ではあの蒸し器まで手は届かない。だけど背が高い高木くんは簡単に冷蔵庫の上から蒸し器の取手を掴む。


冷蔵庫から出した肉饅にくまんと蒸し器で私が何をするつもりなのか高木くんも分かったみたい。

別に料理というほどではなけれど、きっと蒸し器で肉饅を蒸せば美味しい。


私は鍋に水を張って焜炉コンロに乗せた。


別に大した事をしていないのに、高木くんと並んでキッチンに立つと将来も同じ様に並んで立ちたいと思った。


「肉饅入れるよ。」


高木くんはそう言いながら蒸し器を鍋に重ねる。高木くんは素手で肉饅を蒸し器に入れようとしたものだから、少し火傷をしたみたい。


蒸し器に肉饅を入れてから鍋の上に乗せればいいのに。

火傷して少し不機嫌な高木くん。


私は火傷した高木くんの手を掴んで自分の手と一緒に蛇口から流れている水の中に入れる。


冬の水道水は冷たい。

高木くんは最初少し驚いた顔をしていたけれど、流れる水の中で私と手を握った。


暖かいのに手は冷たい、ちょっと不思議な感覚だった。


 ◇


深夜私と高木くんは二人並んで肉饅を食べた。もう一つ木製のローテーブルを挟んだ対面にソファーがあるのに、高木くんは私の横に座っていた。


しっかりと蒸された肉饅は暖かくて、あれだけ冬の寒さで冷えていた体を温めてくれる。

そして今は心も温かい。


「今日、優香はどうする?

今日泊まるなら布団も用意するし、帰るなら送って行くけれど。」

「...できればしばらく泊めてほしい。その...いま家にいたらお父さんとお母さんに何をされるかわからないから。」


多分今家に帰ったら、そのまましばらく家から出してもらえないような気がする。

あの様子だとお父さんもお母さんも絶対に中絶を諦めない。そして多分この指輪も失う...。


「何をされるかわからないって、その顔の傷もそうだけどずっと...その...虐待されてる...の?」

「別に虐待をされてるわけじゃないの。この顔の傷は確かにお母さんのせいだけど、これは殆ど事故みたいなもので。その...私のお腹の事がお母さんにバレて、無理矢理病院に連れて行かれたから。」


それを聞いてか、高木くんは少しホッとした顔になる。


「それなら“何をされるかわからない”って言うのは?」

「あのまま家にいたら、多分お腹の子を堕されるから。多分高木くんからの指輪も...。」


高木くんはなんとも言えない苦い顔になった。


「優香、正直に言う。...俺、優香のことは大好きだけれど、まだ親になる覚悟がない。いや...なんていうか。まだ俺には資格がないんだ。


俺はまだ自分の手でお金を稼げない。将来は絶対に稼いで優香を困らせないって約束するけれど、まだ俺にはそれだけの力無いんだ。


このマンションの部屋だって、俺の力じゃなくて、俺のわがままを聞いてくれた父さんの力で居られてる。


俺は優香との子供なら産んでほしいし、堕ろすような事はしたくない。だけど...俺の周りがそれを許してくれないかもしれない。


だからもしかしたら、中絶という選択になるかもしれない。


俺には...まだ優香のこともお腹の子供のことも守れるだけの力はないんだ....。」


高木くんは一瞬私のお腹に手を持っていこうとしたけれど、途中で手を引っ込めてそのまま立ち上がり、そのままリビングを出て行った。


高木くんの言葉に私は....ただ心が苦しかった。


今更のしかかる高木への責任という重圧。それをさせてしまった私。

高木くんの気持ちは大体わかっていた。


急に彼女が妊娠したなんて言ったらそうなるのは心のどこかでわかっていた。


妊娠したら堕ろせばいい。

私だって中絶すると決めた時はそう思っていた。


それが一番迷惑にならないみんながハッピーになれる方法だと。


だけど、もう私のお腹をるこの感覚を知ってしまうと、そんな残酷なことは私にはできない。それも高木くんとの子供だとわかっている状況では絶対に無理。


どうしてもダメなら熊本の赤ちゃんポスト(育てられない子供を保護する施設)まで連れて行けば生きてはいける。死なせるくらいなら離れてもいいから生きていてほしい。


だけど何よりも私は、高木くんが私のお腹に伸ばした手を引っ込めてしまったのが苦しかった。

それがまるでこの子の運命を決定してしまったような、手を伸ばしても救えないような、そんな気がした。


もう他のことはなんでもいい、でも高木くんにはお腹を触ってほしい。せめてお腹の子供にお父さんの温もりを感じて欲しかった。


「優香、お風呂入れたから先に入って。」


高木くんがリビングに戻ってきた。

どうやらお風呂を沸かしてくれていたみたい。


私の隣から離れていった時、お腹の子供が捨てられたような錯覚を私は感じていた。

だから高木くんが再びリビングに戻って来た時、私は救われたような気がした。


高木くんにとってはただ、私の体が冷えていたからお風呂を入れてくれただけかもしれない。

でも私は猛烈にとにかく一緒に居たくなった。


ただ高木くんと一緒に、隣にいたい。


.

.

.


「高木くん....一緒にお風呂に入らない?」


.

.

.


気がついたら私は高木くんを誘っていた。


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