第11話 生命
全部毛が剃られて何かクリームのようなものを塗られているのを感じる
仕切りの向こうの様子は私はわからない。
だけれど何をしているのだけはしっかり説明を聞いたし、何度もネットで検索もしたので大体わかる。
だけど知っていると体験するは違う。
下腹部に鈍い痛みを与えていたものがなくなった。
朝来た時に入れられた子宮口を広げるためのもの。
重い痛みは消えた。だけどそれとはまた別の痛みが私を襲っていた。
どくん、どくんと私の心臓が鳴っている。
手術室にはいろんな音で溢れている。
何かの機械の電子音、カチカチとなる金属同士が擦れる音、そして女医さんや看護師さんの声。
だけど耳から入ってくる音が全然認識できない。
聞こえるのは私の心臓の音だけ。
私だけが感じられる静寂、無の状態。
わかるのは私の中からなくなっていく感覚。
起きているのに寝ているような。意識がはっきりしているけれど、私が私であることが認識できない。
まるで静かな湖の真ん中にポツンと裸で浮かんでいるような感覚。
身体中からどんどんと何かが減っていく。
それが何かのか、私はわかっているようで、わかっていない。
わかるのは高木くんとの楽しい思い出の日々が、だんだんと灰色になっていく感覚。
ただ一緒にいるだけだった中学時代。
初めてキスをした思い出の大阪駅にある時の広場。
一緒に飲んだスタバのフラペチーノ。
デートで行ったグランフロント。
暗い照明のカラオケボックス。
初めて一緒に入ったラブホ、一緒に入ったお風呂。
そして...
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私の運命を変えた高木くんの誕生日。
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海遊館も観覧車も六甲の景色も全部全部どんどん灰色に変わっていく。
私の全ての思い出に常に高木くんがいた。
高木くんは今の私を見たらなんて言うだろうか。
私は...私は....何をしているのだろう。
多分後1年遅ければ、高校を卒業していればきっとお腹の子の運命は違っただろう。
高木くんが知っていればもしかしたら一緒に育てようと言ってくれたかもしれない。
ただ私の都合、ただ今は居られると困る存在。
だけどいつかは欲しい存在。
ただ時期がダメだっただけ。
今のこの時間にできてしまったのがダメだった理由。
時間って何?
時期って何?
なんで今赤ちゃんができるとダメなのだろう。
私が高校生だから?
私が自立していないから?
そんなの理由になるの?
知らない人の子では無い。むしろ私の大好きな高木くんの子供。
私の大好きな...高木くんの子...
私の大好きな...高木くんの...
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なんで私はその子を殺さないといけないの?
そんなのおかしいよ。
高木くんは指輪をくれた。それって私を一生愛すって意味。ならその愛を私が殺してどうするの。
「うーん、ダメね。全然開いていないわ。もう一回広げて午後診療の後にしましょう。」
女医さんがカチと金属のプレートに何かを置く音がする。
それと同時に私の奥を開いていたものがとられる。
「中絶、やめにしてもいいですか?」
「え? そりゃいいけど。本当にいいの?」
「はい。」
「ならそのまま待って。ちゃんと処理をするから。」
女医さんはカチカチと手術道具を使って何かをしている。
「急にどうしたの?」
「いえ...実はお腹の子。私の大好きな彼氏の子供なんです。」
「その薬指の指輪をくれた?」
「はい。ただ彼氏はこれから医学部を受けるって、今一生懸命勉強しているんです。」
「つまり私の後輩ね。」
「私、彼氏に迷惑かけたくなくて、それで中絶することに決めたんです。だけど指輪をくれた時のことを思い出して。」
「それで急にやめることにしたのね。」
「はい。」
「こんな迷惑な患者はあなたが初めてよ。中絶すると思ったら急にやめるって。」
私は何も言えなかった。
「あなたも赤ちゃんも運がいいわね。全身麻酔をしてなかったし、痛み止めもまだ使っていない。子宮頸管も全然開いていなくて、精々子宮口の表面で出血を起こしただけ。
多分さっきあの時点でやめるって言ってなかったら、赤ちゃんは死んでいたわよ。そう言う薬を入れようと思っていたから。」
パチンと糸を切る音が聞こえた。
「はい、完成。今回の中絶手術ほどやりにくい手術はなかったわ。急に「天国で会いましょう」なんて言うものだから。これだけ騒がせたんだからね、これから先何があっても産むと誓いなさい。」
女医さんは中絶手術の費用の一部を返してくれた。
私の財布には1万円が残り、そしてお腹の中には今日死ぬはずだった赤ちゃんがいた。
「あと、今度から同意書はちゃんと親御さんから同意をもらうこといいね。」
どうやらバレていたみたい。
◇
中絶するつもりだった日から1ヶ月経った。あれだけ辛かった悪阻は嘘のように消えて、まるで何もかも戻ったような感じがした。
あまり激しい運動しない程度に体育も参加して、放課後にはクラブ活動をする。だけど練習試合と柔軟は流石に遠慮した。
あれから保健室にも行ってないし、もう香水の匂いを嗅いでも吐くまで気分が悪くなることはない。
ただ不味いこともあった。妊娠5ヶ月に突入するのだけれど、お腹が膨らみ始めてなかなか誤魔化すのが難しくなってきた。
冬服のお陰でなんとか着膨れに見せかけて今は隠せているけれど、服を脱いだ瞬間にはバレるのはほぼ確定的だった。
最初にバレたのはバイト先のオーナーだった。
相手を聞かれて高木くんだと言ったら、お店のお花をくれた。初めて私の妊娠を祝福してくれる人に私は涙した。
だけど同時にバイトを冬休みから休むように言われる。大切な収入源だったのだけれど、オーナーに「安静にすること、妊婦は仕事しちゃダメ」と言われたら何も言えなかった。
さらに日にちが経ち、何とか高校2年生の2学期終わりまで隠し通すことができ、冬休みに突入した
病院にはしばらく行っていなかった。払うお金がなかったからだ。そしたら急に電話がかかってきて女医さんに怒られた。
「費用は助成金でもなんとかなるからとりあえずちゃんと健診は来なさい、いいね。」
女医さんに検診をしてもらった。赤ちゃんはちゃんと私のお腹の中で育っていた。
あの時とは違って私はとても嬉しかった。
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