第5話 覚悟

夜の公園で1人ブランコに乗る。

昔あれだけ大きかったブランコは今では小さい。


あれだけ溢れて止まなかった涙も夜の星空を見ると何故か止まった。


あれだけいた子供たちは今は全くいない。いるのは犬の散歩をしているおじいさんと、離れたベンチで飲み会をしている近所の大学の人だけ。


私はスマホで中絶と調べる。

女医さんが淡々と言っていたことが詳しくイラスト付きで載っていた。


私は今日のように下着を抜いて台に上がるのを想像する。そして麻酔で眠らされて、気がついたら消失感と共に大切な何かを失っていく。


中絶の体験話もネットにあった。

その人は無理矢理で望まぬ妊娠だとあった。


それに比べて私はどうだろうか。

たしかに妊娠は望んでなかった。結局は違ったけど、生理が来て喜んだ。だけど無理矢理ではないし、私から行動も起こした。私の行動を考えると、むしろ被害者は高木くんなのかもしれない。


あの時高木くんは何回も病院に行こうと言っていた。だけど大丈夫だと言ったのは私。そして生理が来たといったのも私。それでもしも、あなたとの子供が私のお腹の中いますなんて言ったら。


高木くんのお父さんは厳しい人だと言っていた。

高木くんを高木くんのお父さんは許すはずがない。

多分私のお父さんもとても怒ると思う。


高木くんのことを考えるなら、私は黙って何もなかったことにした方がいい。多分それが1番波風立てず、今のままでいられる。


「君、大丈夫?」

「え?」


私の前にいたのは向こうで飲み会をしていた大学生の男の人だった。


「いや、君泣いてたからさ。」

「いえ、大丈夫です。心配してくれてありがとうございます。」

「いいよ、いいよ。人生生きていたら辛いこともあるから。それよりも君可愛いね。一緒に向こうで飲まない?」


たまに道端で絡まれることはある。だから私はいつものように断って離れようとした。

だけど私はその誘いをキッパリと断れずにいた。


理由はお酒。


もしかしたら、今お酒を飲んだから全部忘れられるような気がした。もしかしたらお酒を飲んだからこのまま流れて何もなかったことにできるかも。


私は何も知らなかった。そして悪い大人に騙されてお酒を飲んだ。私は悪くない。そう思うことにしよう。


気がついたら私は大学生集まりの中にいた。

「じゃー新しいメンバーも来たことだし、カンパーイ。」

周りの大学生たちはゴクゴクとビールを飲み干していく。私の手元にもビールがある。


これを飲んだら私は何も考えなくても良くなる。全部忘れて、何も考えずに。


飲んだら...綺麗に忘れて。


飲んだら.....


「どうしたの?ビール飲めないの?」

「すいません、私未成年なので。」

「知ってるよ、制服着てるし。だけどなんか色々悩んでそうだったからな。」


私はもう一度お酒と睨めっこしたけれど、結局飲めなかった。


「冗談だよ、未成年はお酒ダメ。そしてこんなところで男だらけの飲んでる人のところにきたらダメ。

男はみんな狼だから、酔うだけ酔わせて襲われちゃうゾー!」


私が軽く引いていたら大学生たちはワハハと大笑いして私に「さっさと帰れ、次来たらお酒をたんまり飲ませるぞ」と言ってそのまま立たされて公園の外に追いやられた。


もう一回戻ってお酒をたんまり飲もうかと思ったけれど、私は忠告通りにちゃんと帰った。


あの陽気な大学生人達のおかげで、服を着替えてお風呂に入ってベットの中に入るまでは何も考えずに入れた。


私はベットの中に入ったけれど、全く寝付けなかった。

頭の中から離れないのはモニターに映る赤ちゃんの心臓の鼓動。


私はパジャマの上からその命が宿る場所を触る。まだお腹の膨らみは見た目にはわからない、だけど確実にそこにある私の小さな命。


「ごめんね。私あなたを育てることはできないの。せっかく生きようとしてるのにごめんなさい。私はあなたのママにはなれないの。」


私は私の中にある小さな命を刈り取ろうとしている。それなのにこのままだと私は情が移りそうだった。だから早く決めてしまって割り切ってしまおう。


この子はただ運が悪かった子。私のお腹の中に出来てしまったのが運の尽きだった。私がさっきお腹いっぱいビールを飲んだら流れていたかもしれない。そんな可哀想な子。可哀想な子ならこの世に何人もいる。ただその中の1人があなただっただけ。


次の日、私は高木くんと一緒に電車に乗った。

高木くんは私が何か悩んでいるのを感じてか、色々質問を投げかけてくるが、私はただ大丈夫と言って何も伝えなかった。


高木くんと別れてマーブル色の電車に乗る。

梅田駅の構内はとても広いのに、電車に一歩入ると今に私にとっては地獄だった。これからしばらく香水の匂いと吐き気と戦わないといけない。


今日は途中駅で降りることはなかった。だけど教室の匂いで気分が悪くなった。


私はその日、すぐに学校を早退した。保健室の先生は何も言わずに返してくれた。担任は少しお小言を漏らしていたけれど、保健の先生から何か言われているのか、止められはしなかった。


私は嫌になった。どうせ堕ろすなら、さっさと堕ろそう。この吐き気と闘うのはもう嫌だ。


私は駅のホームで満員電車がなくなるまで待った。そして再び梅田駅に向かう。


大阪駅から家に向かう電車に乗ろうとしたけれど、大阪駅はまだラッシュが続いていて人が多い。本当は一旦家に帰って着替えてから病院に行きたかった。だけど、それよりもこの苦しみから解放されたい。


.

.

.


全部リセットしたい。


.

.

.



私はそのままあの女医さんがいる病院に向かった。


病院の前に着くと、病院は閉まっていた。ビルの一角にある病院で、すりガラスの入り口の扉に鍵が閉まっていたのだ。


すりガラスの扉の診療時間を見る。私はちょうど午前診療と午後診療に来てしまった。


仕方なく私はその場で待とうと、病院の前の廊下にしゃがみ込むと、カチャリと扉が開いた。


「優香ちゃん?どうしたの?」

扉から顔を覗かせていたのは、あの女医さんだった。


 ◇


「なるほどね。じゃ、堕ろすことにしたのね。」

「はい。」


誰もいない待合室で女医さんは私の話を聞いてくれた。


「それで、堕ろすなら早い方がいいって言っていたので。」

「それで学校を抜け出してここに来たのか。」

「...はい。それとずっと香水の匂いがするたびに気持ち悪くなるので。」

「あー、悪阻ね。私も苦しかったわ。」


女医さんは若いと思っていたのだけど、実は妊娠経験者だった。


「悪阻から一刻も早く解放されたいか。」


女医さんは片手に持っていたマグカップからズズズとホットコーヒーを飲む。


「わかったわ。中絶手術しましょう。だけど、その前に、あなたに言っておかないといけないことが3つあるの。


検査はまだ何もしていないから誰にも言わないって約束できるけれど、中絶だけは別なの。お母さんかお父さんに書類にサインをもらわないと、未成年者の中絶は禁止されてるの、これがまず一つ。


2つ目は、悪阻が苦しいのはわかるけれど、今はまだ手術はできないの。あまりにも赤ちゃんが小さすぎるから。ちょうど1ヶ月後、大体10週目から12週目くらいまで待たないといけない。だから今すぐやりましょうはできないの。


3つ目はお金。妊娠は病気ではないから物凄いお金がかかるの。ここでは12週目までは15万円かかる。とても高校生がすぐに払えるお金じゃないの。どれだけ安くしても9万円が限界。」


9万円。


私にのしかかったお金。そんな大金、私は持っていない。


「お金がないと。」

「手術できないわ、本当はタダでやってあげたいけれど、手術するだけで使う薬や器材、サポートに回ってくれる看護師さん達のことを考えるとね。」


突きつけられる現実。花屋さんのバイトでは到底賄えないお金。


9万円なんて1ヶ月では絶対に稼げない。


どうやって、お金を集めよう。ドラマとかならクラスメイトにお金を借りたりとかしていた。だけどそんなこと私にはできない。高木くんにも...言えない。


.

.

.


だけどやるしかない。


.

.

.


「わかりました。」

「高校生1人で集めるのは到底無理な額かもしれない。だけど彼氏くんとならどうにかなるくらいだと思うわ。もしも足りなかったら、ちゃんと相談しなさい。」


私は手術同意書と書かれた紙1枚を受け取った。


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