第4話 悲壮

私はただただ高木くんに会いたくなった。

今すぐに一緒にいたい、ただ2人並んで普通の日常に戻りたい。


私は気がつくと駅の方向に向かっていた。改札を入り、電車を持つ。そして電車が来た時に、保健室の先生から電話がかかってきた。

念のためと言ってたけれど、本当にかかってくるとは思わなかった。


私は電車に乗るのをやめてベンチに座る。そしてゆっくりと緑色の受話器ボタンを押した。


『もしもし...聞こえてるわよね。』

「....。」

『ちゃんと病院行った?』

「...まだ行っていないです。」

『どうして行っていないの?』

「お母さんも言っている病院なので。」


先生はそれだけで状況を察してくれた。


『今どこにいるの?』

私は家の最寄りの駅を伝えた。

『それなら梅田に行きなさい。病院名と電話教えるから。そこなら私の知り合いだし、秘密は絶対に守ってくれるわ。すぐに話が通じるように電話してあげるから。』

「先生...なんで私にそんなに優しくしてくれるんですか?

『あなたが私の生徒だからよ。』

「だけど私は...ただの生徒です。あと2年すれば卒業します。普通先生はここまでしてくれないと思います。」


先生は受話器の向こうで沈黙した。


『...後悔したことがあったからよ。私は私がこの学校にいる限り、もう1人も女の子を死なせたりはしないわ。とりあえず予約するから絶対行きなさい。行かないと私の顔に泥を塗ることになるわよ。』


病院の予約だけで、顔に泥を塗るって...


だけど今の私にとってはとても心地の良い、そして強烈な脅しだった。


少し道に迷ったけれど、病院に着いた。予約していたことを告げると名前を聞かれてそのまま待合室で待たずに診察室に入れられた。


中には若い女医さんが待っていた。


「話は聞いているわ優香ちゃん。問診票はごめんだけど何かあった時に困るからちゃんと書いてね。だけどこの病院はね、優香ちゃんが話してもいいって言う人以外には絶対に秘密にする病院だから安心して。それこそ警察が令状を持ってこない限り誰にも言わないから。」


私は素直に頷き、問診票を埋める。何故女医さんがいきなり診察室に入れたかわかった。問診票にはいつまで生理があったか、出血があったか、性交はいつか。誰にも絶対に見られたくない質問ばかりが並んでいる。これを私みたいな子が書いていたら、もしも性交の内容でも隣の人に見られたりしたら、私は恥ずかしくてすぐに帰ってしまうかもしれない。


私は問診票を先生に渡すとそのまま別の部屋に案内された。


「ここで下着を脱いで、台の上に乗ってね。」


私はお腹に超音波を当てるエコーを想像していた。だけど想像は想像、実際は違った。


私はカーテンの向こうで何をされているのか、考えないようにした。考えてしまうと辛うじて保てている私の何かが完全に壊れてしまうような気がした。


「はいー、モニターに映像映すよー。」

カーテンの向こうから、さっきの女医さんの声が聞こえる。


私の見える位置にあるモニター、そこに何がどうなっているかわからないけれど、ただずっと一定リズムで動く何かがあるのだけはわかる。


「はーい、今動いているのはお腹の中の赤ちゃんの心臓ね。多分大きさはまだ1センチもないね。一応正常妊娠だから学校の先生が言っていたようなことにはならないから安心して。」


私はとりあえずホッとする。だけど逆に言うと何もしなければお腹の中で育つということ。


私は女医さんに「もういい?」と言われるまで、モニターに映る動く小さな心臓を見ていた。



「まず、最初に。出産するのも中絶するのも最終的にはあなたが全部決めていいことよ。もちろん誰に相談してもいい。だけど、もしも中絶するなら今は6週目だから、あと6週間以内に決めた方がいい。一応22週目までは中絶できるけれど、12週目以降は死産扱いになるから。とりあえず、中絶するにしてもしないにしても1ヶ月後、この病院にいらっしゃい。あと領収書は無くすと後で困るから預かるけどいい?」


私は頷いた。


淡々と受付で私はお金を払った。思ったよりもお金は安かった。

私は何事もないように大阪駅から電車に乗って家に帰った。誰もいない家でささっと制服に着替えて再び大阪駅に行く。


ちょうど高木くんがいつもの待ち合わせ場所にいた。私は何事もなかったように高木くんと手を繋いでバイト先に行き、いつものように花を売って一緒にJRの電車に乗った。


帰りの混雑した電車の中、私くらいの女の子が大きくお腹を膨らました妊婦さんに席を譲った。


妊婦さんは「ありがとう」と言って席に座る。そして幸せそうな顔で優しく大きなお腹を撫でていた。


私はそれを見て泣いてしまった。


高木くんは一瞬戸惑っていたけれど、手すりを持ち方とは反対の手で何も言わず優しく片腕で抱きしめてくれた。


高木くんは電車を出たあと「大丈夫か?」と声をかけてくれる。

「なんでもないの、ちょっと昨日見たアニメを思い出して。」

「昨日って、バイオレット・エバー...」

「そうそう、それ。小さな女の子が....。」


どう感情を抑えたらいいのかわからない。

私はなんで今泣いているのだろう。


「ごめん、ごめん。まさかそこまで泣くとは思わなくて。今度からもうちょっと明るめのアニメを紹介するよ。」


高木くんは優しいけど、私の本当の気持ちはわからない。


私は慰められながら一緒にいつもの路地まで歩いた。高木は家まで送ってくれると言ったけれど、私は断固として拒否した。


もしもお父さんが泣いている私と高木くんを見たら何を勘違いするかわからない


私は高木くんと別れた後、涙が収まるまで1人になろうと昼間いた公園へと向かった。


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