第9話 名前の由来

「コレは? 何か…… ちょっと格好いいけど……」


「じゃろ? 我ながらセンス良すぎじゃ」


 ワンから渡された手鏡の中には、アルの顔が写っている。


 しかし、その顔には厨二心を擽るような模様が描かれていた。


「んで、これが記憶と何か関係が?」


「うむ。 一切無い」


「オイ!!」


 自信満々に答えるワンに対し、食い気味にツッコミを入れるアル。


「ったく、何してんだよ。 何か拭くものは?」


「拭くものはあるが、それは落ちんぞ」


「はぁっ!?」


 驚いた表情を見せるアルを、ニヤリとした表情で眺めるワン。


「おい! 落ちないってどういう事だよ!」


「ふふん。 ワシが開発した落ちない炭じゃ! 凄いじゃろ?」


(そう言えばレイが、そんな事言ってたような…)


 と思ったが、時既に遅し。


 既にアルの顔の半分は模様で覆われ、一見するとアルとは分からないような状態だ。


「…………」


 ワンは無言で見つめるアルの肩をポンポンと叩く。


「聞けばお主、あの【神狼】に襲われたそうじゃの?」


「……あぁ」


「記憶の無いお主の事じゃ。 もし誰かに命を狙われておったとしても覚えてはおるまい?」


「……まぁ」


「となると、パッと見てお主という事が分からない方が、安全ではないかの?」


「……たしかに」


「まぁ幸いな事に出会ったのがワシ等だけじゃからのぅ。 安全の為に先手を打つのは必要な事だとは思うが?」


 真剣な表情で最もらしい事を並べるワンの言葉を、アルは鵜呑みにしようとしていたが……


「ちょっと待て!」


「なんじゃ?」


「逆に俺の事を知ってる奴が居たらどうするんだ? 例えば家族とか友達とか」


 その言葉を聞いたワンは、真剣な表情でアルをジッと見つめている。


「なっ、なんだよ?」


「……たしかに!」


「おい!」


「まぁまぁ、ほんのおちゃぴぃじゃ」


「おちゃっぴぃじゃねーよ!」


 悪びれる様子の無いワンの態度を見て、アルは怒りを通り越して呆れた表情を見せていた。


 少し落ち込んだように押し黙るアル。


 無意識のうちにアルは、思っていた事を小さな声で呟いていた。


「はぁ…… 何だよこの爺は。 行き倒れにならなくて済んだけど…… 結局振り出しに戻るんか。 こんな時にもし……」


 アルが呟いていた言葉の続きを話したのはワン。


 ワンの話すその言葉を聞いて、アルは心臓が飛び出るほど驚いた。


「こんな時にもし、スマホやPCでもあれば…… といったところか?」


「っ………」


 ハッと驚いた表情で見つめるアルを、ワンはニヤリとした表情で見つめ返す。


「あっ、あるのか?」


「無い!」


「いや、無いんかい!」


 思わずツッコむアルだったが、ふとある事に気付く。


「ていうか、何でスマホとかPCを知ってるんだよ?」


 アルは目覚めてからの道中、少ないながらも様々な風景や物を見てきた。


 人が作ったと思わしき人工物を目にし、そこに人の息吹がある事は実感している。


 しかし、現代文明の利器と言える人工物は一切、目にしていない。


「ほっほっほ。 まぁワシも全てを知っている訳ではないがのぅ」


「いや、分かってる事だけで良いから」


 勿体ぶるワンの言葉を遮るように食い気味で了承するアル。


「うむ。 その代わり、一つ条件があるが…… 良いか?」


「あぁ! 何でも良いから」


「ふむ。 とりあえず、その前に一つ。 お主の事じゃ」


 ワンは白く伸びた長い髭を右手で触りながら、アルの目をジッと見つめる。


「その様子じゃと、どうやら自分の顔や、元居た世界の事は覚えておるようじゃの?」


「あぁ。 何ていうか自分の事だけが、ポッカリと抜け落ちてるって感じかな」


 アルは鏡で自分の顔を確認した時、確かに自分の顔であるという実感があった。


 それに元居た世界にPCやスマホといった機器が存在していたのも覚えている。


 いや、覚えているというより、知っているといった感覚に近いかも知れない。


「ふむ。 そうなるとお主の記憶は、一時的に喪失しておる可能性が高いのぅ」


 少し困ったような顔をしながら、ワンは髭を擦っている。


「その場合、ワシがお主の記憶を取り戻す事は、出来んかもしれん」


「……そっか。 まぁ…… そうだよなぁ」


 ワンの言葉に、少なからずアルはショックを受けていた。


 あの時レイに言われた、「記憶を戻す方法があるかも」という言葉に淡い希望を抱いていた。


 その淡い希望がたった今、脆くも崩れ去ったといったからだ。


「ところで…… お主、元の世界に戻りたいとは思うておるか?」


「えっ? あぁ…… まぁ方法があるならな」


 ワンの問いかけに対し、どこか上の空といった感じで返答するアル。


「ある!」


「んっ? なんだよ」


「いや、そういう事じゃなくて。 ええぃ、ややこしい名前を付けおって。 方法があるという事じゃ」


「名前の事はレイに言えレイに」


 ややこしい名前を付けられた張本人としては、そう言うしか無いだろう。


 少し不機嫌そうに返答したアルだったが、すぐさまハッとして言葉を続ける。


「っていうか、あるって。 元の世界に帰れるって事か?」


「うむ。 その為には調べ、いや、確認せねばならん事も、いくつかあるがの」


 そう言うとワンはニヤリとして、覗き込むようにアルを見つめる。


「何だよ! 確認しなきゃいけない事って」


「まさにそこじゃ。 先程の条件というのは、お主の手を借りたいという事でのぉ」


 ワンの言葉に少し、心を動かされそうになるアル。


 だが、その気持もすぐに消失してしまう。


「悪いけど、そんな信憑性皆無の話をいきなり言われてもな。 根拠も何も無いし」


 当然のようにアルはワンの話を疑ってかかった。


 アルの記憶すら取り戻せないワンに、それを飛び越えて【元の世界に帰る】といった事が実現出来そうにないのは、当然の事と言える。


「たしかにのぅ。 こんな与太話、逆の立場なら当然ワシも、根拠や証拠が無ければ信じんじゃろ」


 ワンは白く垂れた長い髭を、右人差し指でクルクルと器用に回しながら答えた。


「帰れるっていう根拠がある…… って事か?」


 懐疑的な表情をしつつも、多少の期待感を滲ませながらアルは問いかける。


「ふむ。 まぁ色々とあるが…… まずはこれでどうじゃ?」


 そう言うと、ワンは自身の右袖を捲りあげ、顕になった右腕をアルに差し向ける。


 その腕には、幾何学模様の中に【Ⅰ】と刻まれた入れ墨のようなものが刻まれている。


「えっ!? それって俺と同じ……」


 言葉に詰まるアルを、ニヤリとした表情で見つめながらワンが告げた。


「この烙印に因んだ、この世界でのワシの名前。 それがワンじゃ」

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