第九集 徒河の戦い

 例によって暁鹿ぎょうかの愛馬に同乗して昌黎しょうれいへと戻っていく小恬しょうてんは、その途上で故郷へと撤退していく高句麗こうくりの軍勢とすれ違った。相手ももはや戦うつもりは無いようで、隊列のすぐ隣を一騎だけで通過する旅人など気にも留めない様子である。

 包囲の半数以上が消えている現在の状況では、もはや突破をするなどと考えるまでもなく、未だに踏みとどまっている宇文部うぶんぶの兵と出くわさぬ様に迂回するだけで充分に棘城きょくじょうまで辿り着く事が出来た。


 既に日が沈みかけた夕暮れの中、閉じられた棘城の城門に近づいて、先日と同じように城壁の上の兵士に話を通すと、すぐさま城門が開かれた。

 城内に入ってすぐ、何故だか鎧を着こんでいる長史ちょうし裴嶷はいぎょくが笑顔で出迎えてきたので、小恬も拱手きょうしゅで挨拶を返す。


「やはり、戻ってきましたな」

「はい、自分の目で見て、判断を致しました。そしてやはり今度の戦はさい刺史ししが裏にいましたね。本人の口から聞きました」


 それを聞いた裴嶷は、予想通りと言った笑みを浮かべて頷いた。

 そんなやりとりをしている近くで、兵士が武器や馬の準備に奔走しているのが見える。裴嶷が鎧を着込んでいる事といい、何やら出撃が近いようで、これまで城に籠って防衛戦に徹していた状況とは変わっている。


 話を聞いてみれば、段部だんぶと高句麗が撤退した後も、宇文部の首長である宇文うぶん遜昵延そんじえんは自分たちだけで城を落とすと息巻いているそうだ。

 何しろ兵力差だけなら宇文部だけでもまだ優勢にある。彼らからすれば他部族に割譲する事なく慕容部を併合できるとなり、むしろ士気が上がっているとの事。

 ところがそんな宇文部の主力軍が、突如として棘城に背を向け、南へと進軍を開始したという事だった。

 実はこれは棘城の南にある徒河とかに、慕容廆ぼようかいの長男である慕容翰ぼようかんが布陣していた事に始まる。


 慕容翰は慕容廆の息子の中で最年長ではあったが、生母が貧しい平民の出身であった事から、正室の子である慕容皝ぼようこうに嫡子の座を譲っていた。いわば、慕容廆とその兄である今は亡き慕容ぼよう吐谷渾とよくこんと同じ関係性であり、その境遇を重ね合わせた慕容廆によって、慕容翰もまた部衆を分け与えられて近場で独立していたのである。

 今度の三部族連合の包囲が始まった時、慕容翰は徒河にいたが、棘城へ向かおうとはせず、包囲網の外側に留まったままであった。

 信頼した息子が裏切ったのかと、一時は疑心に囚われそうになった慕容廆であったが、参謀である裴嶷や、何よりも嫡子である慕容皝が、慕容翰には考えがあるはずと擁護したのである。


 そうして棘城にいる慕容部本隊の謀略によって包囲網が崩れ、宇文部だけが残るに至ると、その宇文部が突如として、まさに慕容翰の布陣する徒河に向かって進軍を始めたわけだ。

 互いに連絡が断絶した状況にありながら、これを慕容翰による策であると受け取った慕容皝は父に進言。

 こうして宇文部を背後から急襲するべく、慕容皝、そして裴嶷の二人で先鋒の指揮を執る事となったのである。


 その話を聞いた暁鹿は、自分も参陣したいと裴嶷に申し出る。暁鹿の腕を知っている小恬としては特に止める理由がないが、ただ一言だけ声をかけた。


「気を付けてね」

襄平じょうへいでは出番が無かったからな。今度はお前が待っている番だ」


 そう笑みを浮かべて小恬に言った暁鹿は、確認するかのように背中の双剣に手を伸ばして鍔を鳴らすと、愛馬を引いて慕容皝が率いる先鋒軍に合流した。




 徒河にいる慕容翰が、最初の三部族連合の攻撃に際して棘城に向かわなかったのは、まさに最後の大詰めで敵の主力を崩す為であったのは事実だった。

 しかし連絡が途絶した状況で、父や弟が自分の動きを疑う事なく信頼してくれるという前提条件が必要だったのである。もしも棘城から本隊が出撃しなければ、数の上で圧倒的に劣勢な慕容翰の軍は飲み込まれてしまう。

 その点は棘城にいる慕容廆や慕容皝も同様である。もしも慕容翰に二心ふたごころがあり、宇文部と連携をしようとしていたなら、まんまと棘城から誘い出される形になってしまう。

 だがそこで、慕容翰は父と弟を信じた。慕容廆は長子を、慕容皝は兄を信じたわけである。

 実際に宇文部を率いる宇文遜昵延としては、慕容翰は後継者に選ばれなかった長男であり、慕容廆や慕容皝に対して思う所があって当然と判断し、徒河から動かない慕容翰を捨て置いていたのだから。


 そんな宇文遜昵延のもとへ、使が現れた。

 段部は撤退したが、徒河に布陣する慕容翰が宇文部の背後を狙おうとしている事を察したという。慕容部から半ば独立して動く慕容翰は、段部としても邪魔な存在。ここは共に慕容翰を叩こうと言って来たのである。

 実際にはその段部の使者こそ慕容翰の放った偽の使者であり、敵を棘城から引きはがす罠そのものであった。

 だが宇文遜昵延は、その使者の言葉を信じ、棘城などいつでも落とせると高を括ったわけである。或いは罠である可能性にも考えは及んでいたが、兵力差を考えれば簡単に踏み潰せる以上、どちらでも構わないと言った所であった。

 一番の問題は、慕容翰は父や弟との関係がこじれているという先入観と、棘城との連絡が途絶したままという現状を鑑みて、連携などするはずがないと思い込んでいた点であろう。


 徒河に向かった宇文部の軍は、周到に準備されて伏兵となっていた慕容翰の軍に先鋒が崩された。元より或いは罠である可能性も考慮していた宇文遜昵延が体勢を立て直そうと後退。

 だがまさに後退している最中、棘城から出撃してきた慕容皝の軍が、背後から夜陰に乗じて現れた。さすがの宇文遜昵延も、これは完全に予想外であった。

 それはまるで、相互に密な伝令を走らせていたかのような見事な連携である。慕容翰、慕容皝の兄弟は、実際にはまるで連絡が取れていなかったが、互いにこう動くはずと信じて動いた。そして的確に相手が期待通りの動きをした形となったのである。


 慕容皝の軍に対応するために、急速に陣を反転させた宇文遜昵延であったが、そんな棘城側の軍には、裴嶷の軍が追い付き、その後ろからは慕容廆自らが率いる本隊が向かっていた。

 しかも寡兵とはいえ、後ろからは慕容翰の軍が追撃をかけてきており、陣が整わぬ間に乱戦状態のまま挟撃される形となる。

 数で勝っていたはずの宇文部の軍は崩壊し、本陣を襲撃された宇文遜昵延は、ほとんど身一つで命からがら敗走するという有様であった。


 さて慕容皝の先鋒軍に参陣した暁鹿であるが、磨き上げたその武が光っていた。愛馬である黒鹿毛と、その両手に握られた「冰霄ひょうしょう」、「獄焔ごくえん」の双剣は戦場を切り裂き、殿軍しんがりとして戦っていた将を、わずか数手で地に伏せさせ、その首に赤青の両刃が向けられた。


「殺せ……。生き恥を晒すつもりはない」


 敵将のその言葉に、暁鹿は刃を向けたまま動かない。


「お前は宇文うぶん大人たいじんの子であろう。殺すかどうかを決めるのは私ではない」


 感情を廃した暁鹿のそんな言葉に歯を喰いしばって悔しがる敵将は、宇文うぶん乞得亀きときと言った。まさしく宇文部の大人である宇文遜昵延の嫡子である。

 暁鹿によって慕容皝の前に連れてこられた宇文乞得亀は、やはり同じように死を望んだが、慕容皝もまた彼を殺そうとはしなかった。


「私もお前も、共に大人の嫡子である。父の代で慕容部と宇文部の決着がつかなければ、我らがそれを争う事となろう。生かしてやる。何度でも挑んでくるがいい」


 情けをかけられた形の宇文乞得亀は、余裕の笑みを浮かべる慕容皝に憎しみの視線を送った。


「……いいだろう。ここで俺を殺さなかった事、必ず後悔させてやる!」


 そう捨て台詞を吐いた宇文乞得亀は解放された。

 この後、慕容部と宇文部の戦いは次の代どころか三代に渡って続く事となり、先日に棘城で産声を上げた慕容皝の息子・慕容儁ぼようしゅんの時代になって、ようやく宇文部は降伏する事になる。

 しかしその後も因縁は続き、二百年以上後の北魏ほくぎ末において、東西に分裂して天下を争った二国。西魏軍を率いた宇文泰うぶんたいと、東魏とうぎ軍の高歓こうかんに仕えた兵法家・慕容ぼよう紹宗しょうそうもまた、彼らの子孫である。


 いずれにしろ、慕容部と三部族連合によって争われた棘城包囲戦、そしてこの徒河の戦いは、慕容部の勝利に終わったのであった。





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