第二集 昌黎へ

 胡人こじんの女剣士・暁鹿ぎょうかと共に旅をする事となった小恬しょうてんであったが、思わずため息をついてしまった。

 都の方角である南へ向かえればと言う小恬の目論見とは裏腹に、暁鹿の口からは更に東北にある辺境中の辺境である昌黎しょうれいの名が出てきたのであった。


 昌黎やその先にある遼東りょうとうは、かつての漢代や三国時代では小恬の故郷でもある幽州ゆうしゅうが管轄していた、東北部に伸びた辺境の地だ。しん代に入ると平州へいしゅうとして行政区画が分割されたが、やはり辺境である事には変わらなかった。

 晋朝が華北かほくから追い出されてしまった今では統治も行き届かず、異民族が、それも複数の部族が争いながら割拠する、実質的な化外地けがいち(文化圏の外)となっていたのである。


「それで、平州まで何しに行くわけ?」

「伝令」


 小恬はそれ以上深くは訊こうとしなかったが、その言葉で戦地に向かうのだという事は充分に察する事が出来た。


 さて、一頭の馬の背に乗り、暁鹿の背中にしがみ付いている小恬であったが、そんな暁鹿の背には二本の直剣が背負われている。その形や意匠は小恬の知る限り異民族の物ではなく、恐らくは漢代に作られた漢人の直剣である。何よりも柄の部分に漢字でそれぞれ銘が彫られていた。「冰霄ひょうしょう」、そして「獄焔ごくえん」と。


「この双剣って、漢人のものでしょ? 盗んだの?」

「人聞きの悪い。私の先祖から受け継いだ物だ。剣術も代々伝えられた」

「って事は、あんたって漢人との混血?」

「そうだな……。高祖母が漢人だったそうだ。そして匈奴きょうどきょう鮮卑せんぴ丁零ていれい……。私は五族の混血という事になる」


 暁鹿の方もかなり複雑な事情を抱えていそうだと思い至り、この話題も続けにくくなってしまう小恬。しばらく黙ったまま馬に運ばれるままになっていたが、ふと小恬の目に飛び込んできた物があった。


「あ、ちょっと止めて!」


 その言葉に応えて暁鹿が馬を止めると、地面に下りた小恬が茂みの方へと歩いていき、おもむろにしゃがみ込んだ。


「どうした、大便うんこか?」

「違う!!」


 小恬は足元の地面を掘り、生えている草の根を採取していた。そうして彼女の背負っていた背包を下ろすと、その中で更に分けられている小袋へと仕舞い込んでいく。

 その様子を不思議そうに見つめる暁鹿に、小恬は説明する。


「これは芍薬シャクヤク。それとこっちは関蒼朮かんそうじゅつ。色んな薬に使えるから見つけた時に集めておくわけ」


 こうした薬草の知識もまた、亡き祖父から授けられた知識のひとつである。今のご時世、特にこのような無法の土地では、最も有用な知識と言えた。実際、彼女の背包の中身は、そのほとんどが薬草や生薬の類である。

 手際よく薬草を背包に詰めた小恬は立ち上がると再び暁鹿の背にしがみ付くように馬に飛び乗った。


「さ、行きましょう」

「うむ」




 さて、この時代の幽州と平州の混乱具合はいささか複雑である。


 騎馬民族である匈奴きょうどが、自らをかん帝国の後継者と名乗って「漢」を国号に建国し、天下を統べていた晋朝に対し反乱を起こした。

 そんな彼ら、匈奴漢きょうどかんが晋の都である洛陽らくよう長安ちょうあんを陥落させ、華北かほくを無法の大地へと変えたのは前述した通りだが、そうした時期に幽州の刺史しし(知事)であった王浚おうしゅんは、中央への救援を行うでもなく、むしろ晋朝の弱体を見て自身の領地で独立国を作ろうとしていた節がある。

 官吏が賄賂を取ったり、兵士が民衆から略奪を行う事は日常茶飯事。そうした行為を罰するどころか黙認していたくらいだ。

 さらに農業生産を上げるために開墾なども主導したが、その過程で地元民の墓やびょうを打ち壊すなども平然と行った。

 まさに恐怖政治と言えたが、そんな幽州に、晋朝を実質的に崩壊させた匈奴漢の将軍、石勒せきろくが攻め込んできたのである。

 抗戦むなしく遂に州城が陥落し、石勒の前に引き出された王浚は「夷狄いてきの分際で我らに逆らうとは、何たる悪逆!」と罵ったが、石勒は憮然とした態度でこう答えたという。


「貴様に我を罵る資格があると思うてか……? 貴様は高い位にあり、爵位すらも持っていた。精強なる燕国の騎馬部隊すら保持していた。しかし晋の天子が危機にある時に貴様は何をした? 自らの主君を救おうともせず傍観し、あまつさえ取って代わろうとした。そして百姓を虐げ、忠臣を殺し、ただ我欲のみを求めた。その罪は誰の罪か!」


 匈奴漢の将として、晋軍と戦いを繰り広げた石勒は、晋朝を守るために各地から集まった忠義の勇将たちと、それまでに幾度も刃を交えてきた。

 戦場で正面から戦い、その上で勝つか負けるかに重きを置いている武人気質の石勒にとって、今まで戦場でまみえ、そして倒してきた将たちは尊敬に値するが、王浚のような男は最も軽蔑する人種であったのだ。


「貴様のような愚物、我らにとってのみならず、漢族にとっても生かしておく価値は無し!!」


 幽州刺史・王浚は、石勒の振り下ろした巨大な手斧によって両断され、こうして幽州は異民族の手に落ちたのである。今から五年ほど前の事である。




 その上で、これから向かう平州であるが、そちらは今現在も、少なくとも建前上は未だに漢人が統治していた。平州刺史は崔毖さいひという男である。彼は、かの魏王ぎおう曹操そうそうに仕えた政治家・崔琰さいえんの子孫であった。

 崔毖自身は圧政を行うような統治者ではなかったが、崔毖の姉が幽州刺史・王浚の妻であった事から、王浚に推挙されて平州刺史の地位を得たという経緯があり、幽州における王浚の行いを咎める事が出来なかった。その事で多くの臣民から見限られていたのである。

 そして幽州が匈奴漢の石勒の手に落ちると、辺境の地で孤立してしまった崔毖は遼東りょうとうを本拠に自立せざるを得なかった。


 そんな中で、遼東と幽州の中間地点である昌黎、すなわちこれから二人が向かう場所であるが、その地では鮮卑せんぴ族の一部族、慕容部ぼようぶが勢力を広げていた。

 王浚が幽州で圧政を布いた為に、多くの民が幽州から逃げ出し、そんな中で昌黎にいた慕容部は民族を問わず流民を保護した。

 晋を興した初代皇帝・司馬しばえんの代から晋朝に帰順していた彼ら慕容部は、漢人文化を徐々に取り入れて漢化を図り始めていた事もあって、流民たちの中からも人材を募り、漢人の文官武官なども多く獲得していたのである。


 一方、夷狄である慕容部を頼る漢人臣民たちの動きは、正式な平州刺史である崔毖にとっては屈辱という物だ。

 だが匈奴によって晋朝中枢が南方へと追いやられてからも、慕容部は続けて晋朝に帰順していた為、崔毖としては彼らを攻撃する大義が無かったのである。


 そのような状況の中、崔毖と同様に慕容部の拡大を良く思っていない同じ平州の異民族が連合を組んで慕容部に攻め込んできたのだ。

 同じく鮮卑系の別部族である、段部だんぶ宇文部うぶんぶ、そしてさらに北方の別民族である高句麗こうくりによる三部族連合である。


 小恬を連れた暁鹿がこれから向かうのは、まさにそんな包囲を受けている慕容部の首長・慕容廆ぼようかいの居城である棘城きょくじょうなのであった。






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