第2話

 宙域担当省に隣接する病院で、私は適応手術を受けた。一体どうなるのだろうと思ったが、麻酔が切れて意識を取り戻しても、特別息苦しいとか、違和感などは感じなかった。むしろ、本当に手術が終わったのだろうかと不安に思ったくらいである。

 三日後、ついに私はシャトルに乗せられ宙域層の政府基地へと向かった。

 初めて、宇宙というものをこの目で見た。そして、その宇宙に、自分が生まれ育った星がぽっかりと浮かんでいるのを。

 ついに、自分は宙域層に来た。旅行鞄一つ抱え、その他の全てを捨てて。

 しばらくはこの基地の中での生活となった。一般的に知られている以上の、宙域層の知識など何一つない自分は、まず宙域層について学ぶ必要があった。

 宙域層とは何なのか。暮らす人々は何者なのか。なぜ、宙域層が存在するのか――。

 全ては想像を超えていた。

 もしここが亡き夫の携わった場所でなかったら、全てを捨ててここで生きていくという覚悟ができていなかったら、果たして自分は真実を受け容れられたかどうか分からない。驚愕の事実に尻込みして、さっさと逃げ帰りたくなったかもしれない。

 それほどの衝撃だった。まさしく、私がここへ来るきっかけとなった、あの彼の人選は正しかったのだ。

 職務は家政婦。けれど、全てを捧げる覚悟が必要。

 そうそう適任者はいないだろう。

 この星に、「敵」という存在があるなんて知らなかった。自分たちの平穏無事な生活が、実は天で誰かが必死に守っているために在るなど、考えたこともなかった。

「新しくミルダルンのコンビがこの宙域層の哨戒任務に当たるため、新造艦が竣工します。貴女にはそちらに移っていただき、ミルダルン達の生活面での補佐をしていただくことになります」

 一通りの教育が終わったのち、教育係の担当官がそう言った。

 この星の防衛を一手に引き受ける存在、それがミルダルン。彼らは二人一組で衛星軌道上を巡回する戦艦に乗り込む。私は、そこで食事やら何やらの世話をすることになるのだという。

 これだけ科学力が進んでいて、全てを自動化することもできるだろうに、なぜわざわざ私のような人間が必要なのか。

 そう思って担当官に訊いたことがある。彼の答えはこうだった。

「ミルダルン達も、人間です。機械だけに囲まれて生きていくのは、彼らにとっても良くないことなのですよ。戦艦は、彼らの生活の場――すなわち、自宅も兼ねています。貴女に求められている役割は、彼らの家族になる、という面も含まれていると言えるでしょうね」

 家族――。

 それはちょっと、予想していない役割だった。そもそもミルダルンとは、自分よりはるか高みにある存在で、地上層民などは信仰の対象にすらしている。実際、自分たちとは少し異なる人類――より進化が進んだ人類でもあると聞く。

 大体、彼らが普段接する宙域層民だって、自分などよりはるかに優秀で、何らかの能力に長けた人たちばかりだ。自分なんて相手にされるのだろうか?

 そんな不安を抱えながら、ともかくも、私は戦艦に乗り込んだ。

 戦艦には、私以外にも十数人の乗組員がいた。オペレータや、技師、そして医療従事者。彼らの大半は宙域層民ではなく、進化体と呼ばれる人々だった。ミルダルンと同じく、別の星で進化を早め、そして人類の許に帰ってきた、新しい人類。

 もっとも、彼らと自分がどう違うのか、外見では全く区別がつかない。一番明確なのは、彼らは適応手術なしで生きられるということ。いや、むしろこの空気がそもそも進化体の為の組成なのだ。

 自分のように、適応手術を受けて宙域層に籍を置くようになった人々――つまりは宙域層民も、わずかながらいた。彼らは技師見習いとしてこの戦艦に乗り込み、進化体の技術を習得するのが主な目的だという。

 自室に荷物を運び込むと、まずブリッジに行ってみた。これから自分がどうすればいいか、その指示をくれるはずの艦の責任者が普段詰めている場所だと聞いたからである。

 ブリッジは建物の二階分ほどの高さの空間で、前方にオペレータや通信士用の操縦席とコンソールがあり、壁の中央には巨大なスクリーンが設置されている。面白いことに壁は全て縁無しのモニターが埋め尽くしており、戦艦の外の風景が映し出されていた。まるでガラス張りの部屋にいるような感覚だった。現在、この戦艦は基地に艦首部分から接舷しており、前方には基地の一部が、両サイドには黒々とした宇宙が映っている。

 後方は数段高くなっており、そこにもコンソールと座席があった。そこが艦長とその副官の席らしいが、今は無人だった。

 仕方がないので人の邪魔にならないように壁際に立ち、待つことにする。

 ブリッジでは何人もの人が忙しそうに歩きまわっていた。艦長と副艦長を務めるミルダルンたち以外とは、既に顔合わせを済ませている。自分に気付いた人たちは、通りすがる際に笑顔で軽く声をかけてくれた。

 皆、新参の宙域層民である自分にも、分け隔てなく接してくれる。持ち場が何であれ、彼らは全員、この戦艦で生死を共にする仲間という意識なのだ。

 コンソールに何やら打ち込んでいるオペレータや、備品の点検をしている技師たちなど、皆きびきびと動いている。その所作を見るだけでも、優秀な人々の集まりなのだと分かる気がした。皆、自分の成すべきことを分かっていて、新しい場所でも戸惑う様子がない。かつて屋敷の使用人として働いていた頃、やはり有能な人は働き始めてすぐの屋敷でも、どう動いたらよいのかすぐに把握したものだ。

 感心しながら見ていると、やがてブリッジに新たに人がやってきた。何気なくそちらを向いて、私は驚く。二人は、まだ十代前半と思しき少年だったのだ。見たことのない白い髪をしていて、談笑しながら悠然とブリッジの中央に向かって歩いていく。

 なぜここに子供が?

 誰か乗組員が、他に面倒を見てくれる人がいなくて連れてきた、ということもないだろう。さすがにそんな年齢ではない。

 いぶかしく思ってつい見ていると、彼らはこちらの視線に気付いたらしく、小走りにこちらにやってきた。

 二人とも瞳の色は灰緑色で、間近で見ると、非常に整った顔立ちをしていた。

(ずいぶん綺麗な子たちだわ。でも大人しくはなさそう?)

 どちらも好奇心に満ちた眼をしていて、なんというか、悪ガキ特有の油断ならない気配がした。私自身に子供はいないが、かつて施設にいた頃は年少の子供の面倒を見ていたし、働き先の屋敷にも子供はいた。それなりに子供と接触する機会は多かったので、なんとなく一目で子供の性格の傾向は分かるのだ。

「最後に決まった乗組員、て人? まだ俺たちと会ったことなかったよな?」

 二人のうち、どちらかというと歳が上そうな子が訊いてきた。その口調は新人を迎える側の人間のもので、しかも板に付いていて厭味がない。子供が背伸びして大人に話しかけている、というのとはちょっと違う。人を使い慣れた人間特有の雰囲気がした。

「ええ……」

 私が曖昧に頷くと、もう一人の子が屈託のない笑顔で訊いてきた。

「名前なんて言うの?」

「あの……ジェシカ、です」

 どんな態度を取るべきか分からず、戸惑いながら名乗る。

 少年たちは私を取り囲んでいたずらっぽい顔で見上げてきた。

「ジェシカ。俺たち腹減ってるんだけど、メシ作ってくれない?」

 は?

 あまりに唐突な言葉に、私はきょとんとした。

「俺たちのメシ、作ってくれるのが仕事なんだろ?」

 確かに、私の職務の中に食事の用意は含まれている。そう、私はミルダルン達の食事や、その他諸々の世話をするためにここにやってきた。二人組のミルダルンに――。

「あなたがたが、ミルダルン?」

 私は、信じられない思いで尋ねた。

 少年たちは頷いた。

「そう。俺はイシア」

 年長と思しき子が言うと、すかさずもう一人の子が続いて名乗る。

「俺ザクリス」

 私は呆然と少年たちの顔を見つめた。こんな子供が、この星の防衛の任を担う?

「あー、なんか驚いてるぞ、イシア。頼りねーとか思われてんじゃね?」

 少年の鋭い指摘に、私は慌てて首を振った。

「た、頼りない、なんて思ってません! ただ、こんな小さいうちから、こんな大変なお仕事をされるなんて、と驚いただけです」

「ち、小さいって……」

 ザクリスが傷ついたような顔をする。

「だってまだ、成人なさってないでしょう?」

「成人年齢なんて関係ねえよ。能力が基準に達してれば任務に就くわけだし」

 冷静に、そう答えたのはイシア。

「そ、そうなのですか……」

 言葉遣いもその辺りの子供のようにぞんざいで、私の中の崇高なミルダルンのイメージとはだいぶかけ離れている。そんなものなのだろうか? なんだか、自分はミルダルンについての知識が全く足りていないらしい。こんな状態で大丈夫だろうか?

「とりあえずさ、ジェシカ。メシ作ってよ。俺たち十時間くらい何も食ってねえの」

 少年二人は、重ねて至極子供らしい要求を出してきた。

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