第107話 二つ名

               42


氷炎ひょうえん!」


 ミキは、立つと同時に、右掌から放つ氷系の呪文で、壁の火を撃った。


 左掌から放つ炎系の呪文で、王子の胸を撃った。


 壁の火は、一瞬揺らいだが、消えなかった。


 ひょろひょろ、ぽしゅん、と、王子の胸では、火花が散った。


 相手を驚かせた以上の効果は、何もない。


氷縛ひょうばくっ!」


 一拍遅れて、あたしの足元から同心円状に伸びた氷が、床を覆った。


 氷は壁を昇って行く。


 その過程で、壁を焼いている火が消えた。


 それ以前に、床を覆う過程で、王子の足を凍結させて動けなくした。


 幸い、天井までは、炎は、まだ燃え移っていなかった。


 だから、天井に生えている植物は無事だ。


 遅れて、護衛が二人、部屋に駆け込んできた。


 護衛は、剣を抜いていた。


 扉の前で、王子が固まって動けないので、護衛は、王子の左右に分かれた。


 王子の護衛なのだから、王国では、相当な凄腕なのだろう。


 だとしても、あんたら、ちょっと遅いよ。


 今、ミキが、王子に火の玉ぶつけちゃったとこだ。下手すりゃ、死んでるよ。


 護衛は、あたしに剣を向けた。


 位置的に、あたしが一番王子に近い。


 狭い部屋なので、切っ先は、あたしの目の前だ。


 プラックは、殴られて吹き飛んでいったし、ラッキーとミキは、テーブルの向こう側だ。


「邪魔」


 あたしは、言った。


 瞬間、天井から、植物の蔓が、王子と護衛二人の上に垂れ下がった。


 うねうねと蔓が動いて、護衛の剣を奪い取り、護衛の体を絡めとった。


 天井へ吊り上げて、大の字に張り付ける。


 足が凍り付いている王子は、吊り上げると足が割れちゃうため、その場で、両腕だけ天井に向けて引っ張り、万歳させた。


 王子が、逃れようと足に力を入れた。


「無理して動くと、足が割れるよ」


 あたしは、ドスの利いた声で、王子を牽制した。


 王子は、動きを止めた。


 一丁上がり。


 ラッキーとミキが、プラックに駆け寄った。


 もちろん、三人は、凍結していない。


 あたしは、二人の背後から、治療呪文をプラックに放った。


 殴られた顔だけではなく、熱湯状態のポーションを被ってできた火傷も完治した。


 プラックが、起きあがった。


 プラックの無事な様子に、ラッキーとミキの顔に、笑みが浮かぶ。


 笑ったばかりのミキの顔に、怒りが浮いた。


 左掌の上に、青い火の玉ができていく。


 ついさっきの、ひょろひょろ、ぽしゅんより、大分大きい。


 火は赤よりも、青いほど、高温だった。


 さらに高温になると白。


 壁の火が消えた今、氷は不要だ。


 ミキは、炎一本に特化していた。


 ていうか、また火事になっちゃうじゃん!


「おやめっ!」


 あたしは、魔法で、ぴゅっと、ミキの顔に水をかけた。


 かっとしていた、ミキの怒りが、鎮火された。


 同時に、手の中の火の玉も消えた。


「大丈夫だ」


 プラックが、ミキに声をかける。


 ラッキーが、ミキを抱きしめた。


 ミキは、落ち着いたようだ。


 この子ってば、まさか、同時に炎と氷を放つなんて。


 ランとスーめ、いつのまにか、随分と、ミキを鍛えこんでいやがった。


 幸いだったのは、どちらの呪文も威力が、ほとんど・・・・出なかったこと。


 逆系統の呪文が、お互いの効果を打ち消し合っていた。


 だとしても、普通そういう場合は、何も出ない。


 ミキの場合は、わずかながらも効果が発揮された。


 才能があるということだ。


「両方同時に使えると、ヴェロニカみたいでかっこいいぜ」


 後で聞いたら、ランが、そう言っていたので練習したらしい。


 あのアホ。


 消火と反撃、同時に必要なタイミングで助かった。


 どちらか一方に最初から特化して放たれていたら、絶望的だ。


 特に後者。


 プラス一とマイナス一で、ゼロだったのか。


 プラス十とマイナス十で、ゼロだったのか。


 プラス百とマイナス百で、ゼロだったのか。


 消えた火の玉の色からすると、一や十の才能ではなさそうだった。


 王子を焼き尽くしてしまったりしたら、流石にまずい。


 それに、ラッキーの兄だ。


 ミキからは、叔父にあたる。


 危ないとこだった。


 撃たせた、あたしの大失態だ。


「ゴンベッサ・イル・オルニトレムス」


 あたしは、車椅子で、王子の前に出た。


 目の前で、王子の顔を見上げた。


「あたしが誰か、カルト寺院で聞かなかったかい? 人の店に乗り込んで、暴れた了見を説明しな」


「ゴンベッサ王子と知って、なお、その言いようとは、貴様こそどういう了見だ」


 天井から、張り付けられた護衛が、口だけ吠えた。


「黙らないと、焼くよ」


 蔓で、猿轡にして、二人とも黙らせる。


 棘付きの蔓じゃないだけ、良心的だろう。


「王子に成人の祝福を与えた者だ。祝福に反する者となったのなら、取り消す義務がある」


 そんなもの、本当はない。


 だって、もう、聖女じゃないし。


 王子の目が泳いだ。


 王子は、すがるように、ラッキーに目をやった。


 ラッキーは、頷いた。


「『神の左手悪魔の右手』の聖女、ヴェロニカ様です」


 その二つ名いる?


 あたしが、ミキぐらいの頃、言い寄って来た神父の顔を、左手の回復呪文で癒しながら、右手の炎呪文で焼き続けた経験がある。


 体は無事でも、心を消し炭になるまで、焼いてやった。


 そのエピソードが、あたしの聖女としての才能を見抜くきっかけになったと、当時、よく紹介されていた。


 それで、つけられた二つ名だ。


 カルト寺院の新聖女は、内部の腐敗を絶対に許さない、という、内部改革派のイメージアップにも採用された。


 でも今、そんなことは、どうだって、いい。


「理由次第じゃ、癒しながら焼いてやる」


 王子は、状況を想像したみたいだ。


 真っ青な顔は、凍り付いた足の冷たさのせいだけではなさそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る