第106話 氷炎

               41


 お客さんが、ボタニカル商店の扉を開けて入って来たらしい。


 あたしは、厨房兼調剤室で鍋を煮込みながら、「いらっしゃいませ」と、快活なミキの声があがったのを聞いていた。


 店舗と厨房兼調剤室を隔てる扉は閉めていたが、大きな声であれば聞こえてくる。


「あれっ? どうしたの、二人とも?」


 ミキの不思議そうな声が聞こえた。


 続いて、切迫の声。


「まさか怪我っ!」


 あたしは、車椅子をタップして、厨房兼調剤室を出た。


 店舗と調剤室を隔てている扉は、どちら側からでも、押せば向こうに開くようになっている。


 店舗室に入ると、店の入口にラッキーがしゃがみ込んで、ミキを抱きしめていた。


 プラックは、怖い顔をして、ラッキーの背後に立っている。


 ミキは、何が起きたかわからないのか、びっくりした顔をしていた。


 幸い、ラッキーにもプラックにも、怪我をした様子はない。


 だとすると、何か別の緊急事態だ。


「ちょっと、お客さんたち、ごめーん。今日は用事で、これにて閉店へいてーん


 あたしは、店内の商品を選んでいる、お客さんたちに聞こえるように声を張り上げた。


「ミキ、鍋を火にかけてるから、みんなで隣の部屋に行って。プラックも」


 プラックに促して、三人を厨房兼調剤室に移動させる。


 あたしは、お店の出入口の扉の傍に近づいた。


「ごめんねぇ。急用ができちゃってさぁ」


 突然追い出されることになったお客さんたちに、エプロンの前ポケットから、お店の割引券を出して手渡していく。


「これ割引券。また来てねぇ」


 お店に入ってすぐ、お店の出入口の扉の脇の壁には、裏返しにした『閉店』の札が掛けてあった。


 車椅子に座ったままの、あたしでも手が届くような低い位置だ。


 あたしは、札を取ると、店の表戸の外側に、外から来た客が見える向きに『閉店』の札を掛けた。


 こちらも、やはり低い位置だ。


 店内に戻って、内側から扉をロックする。


 あたしは、厨房兼調剤室に戻った。


 三人は、食卓の椅子に座っていた。


 プラックが、店舗に続く扉に近い位置、プラックの対面にラッキー、ミキは、その隣だ。


 あたしは、全員にお茶を出してから、自分の車椅子をプラックの脇につけた。


 ミキの対面だ。


「ごめん」


 ラッキーが、殊勝だ。


「何事?」


「ミキを、王国に取り上げられるんじゃないかって、急に怖くなった」


 ラッキーが答えた。


「アイアンから、王国の使者が、カルト寺院入りしたという連絡があった」


 プラックが、ラッキーの言葉を補足した。


 それでも、大分、説明が足りない。


 よくよく聞くと、探索中の『幸運と勇気ラッキー・プラック』のところに、『救急くん』で、アイアンから急ぎの手紙が届いたらしい。


「王国からの使者がカルト寺院入りしたようだ。至急、戻られたい」


 そういう内容だ。


 後で知ったが、王国からの使者を門番の一人がカルト寺院に案内している間に、別の門番が、アイアンにも状況を報告したらしい。


 この時期、王国の使者が、カルト寺院に入ったということは、王家の後ろ盾案件だろう。


 この街の壁外に街を整備したのは、探索者ギルドではなく、カルト寺院。それも、王家のさる方から、難民をうまく活用して国力を底上げしたいという、意向を受けたため。


 そういう説明を、街を囲んだ領主に対して、アイアンが行っていた。


 当然、王都にも話は届くだろう。


 しかも、この街のカルト寺院に対しては、ラッキーがラティマーであると明かしていた。


 問い合わせがあれば、さる方とは、ラティマー様だと答えるはずだ。


 ラッキーはどこだ、という話になるに違いない。


 アイアンは、『幸運と勇気ラッキー・プラック』を探索者ギルドに呼び戻したつもりだろうが、二人は、そんなことより、まず、ミキのもとに駆け付けた。


 ミキの無事な姿に安心して、ラッキーがミキを抱きしめた。


 そういう経緯らしい。


 ラッキーとプラックにとって、あたしが思っている以上に、ラッキーがラティマーであると認める行為は、重みがあったのだろう。


 二人も、ミキの存在を中途半端なままにしては置けないと思っていたにしろ、十年、素性を隠して逃げ続けたのだ、いざ、王国に所在が伝わり、色々怖くなったラッキーの気持ちは、よくわかる。


 やっぱり、このまま、逃げると言い出しても不思議はなかった。


 そのために、娘を連れに来た。


「また逃げるなら、手伝うよ」


 あたしは、言った。


「いや、いい」


 ラッキーは、強く首を振った。


「ずっと、このままってわけにいかないのは、わかってるんだ。ただ、ミキを預かっていてほしい」


「もちろん。ミキには、もう話したの?」


「まだ」


 ミキだけが、何の話だかわかっていない。


 ただ、やたら不安げな表情だ。


 そりゃ、そうだろう。


 その時、店の表戸が大きな音を立てた。


 蹴り破られたような音。


「きゃっ」


 ミキが、声を上げた。


 ばたばたと、何者かが複数、店内に駆けこんできた音がした。


 店舗から、この部屋へ通じる扉も蹴り破られた。


 誰かが、室内に入って来た。


 面影に覚えがある顔だ。


 あたしは、一瞬、迎撃の魔法を放つのを躊躇した。


 相手が、剣を抜いてはいなかったためもある。拳だ。


 プラックが、あたしたちを庇うように、立ちあがった。


 相手は、プラックと同じ年かさの男だった。


 ラッキーと似た目元。


 計算すれば、あたしが聖女をしていた時代に、ゴンベッサ王子は成人したはずだ。


 あたしは、自分が、ゴンベッサ・イル・オルニトレムス王子にも、成人の祝福を授けていたと思い出した。


 見覚えを感じたのは、その時に見た王子の面影だ。


 ラッキーに似た、ゴンベッサ王子の目が、大きく見開いた。


「貴様っ!」


 ゴンベッサは、立ちはだかったブロックの顔を殴りつけた。


「なぜ、俺に相談せんっ!」


 ブロックは、後ろに吹き飛んで、火にかけられている鍋なり何なりを、巻き込んだ。


 鍋が転がり、煮立ったポーションが、辺りに飛び散る。


 ゆらり、と、壁に火が燃え移った。


 あたしより、ラッキーより、ミキの動きが、格段に早かった。


 もしかして、若さの差?


氷炎ひょうえん!」


 ミキは、立つと同時に、右掌から放つ氷系の呪文で、壁の火を撃った。


 左掌から放つ炎系の呪文で、王子の胸を撃った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る