第105話 ミキティ

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 もう一年近く前になる。


 母親ラッキー父親プラックが、宿に帰って来なかった晩のことを、ミキは、鮮明に覚えている。


 いつもの時間になっても、部屋に誰も帰って来ない。


 ずっと遅い時間になってから、宿のおかみさんが、部屋に夕ご飯を持ってきてくれた。


「食べな。朝になったら、さげに来る」


 明かりがないので、ミキは、真っ暗な部屋で一人、ご飯を食べた。


 どんな時でも何があっても、食べられる機会があったら、ご飯は絶対に食べろと、ミキは、父親プラックから言われていた。そうすれば、生きることができる。


 次の日の晩も、その次の日の晩も、母親ラッキー父親プラックは帰って来なかった。


 両親に何が起きたか、ミキは知っていた。


 ダンジョンで遭難したのだ。


 遭難というのは、死んで魔物に食べられちゃうこと。


 生きるというのは、何かを食べること。


 誰も帰って来ない夜が三回続いた日の朝早く、夕食のお皿を下げに来たおかみさんが、ミキに言った。


「あんたの親からもらっている宿代は、昨夜で終わりなんだ。この先、アテはあるかい?」


 前の朝と前の前の朝は、夕食のお皿と引き換えに朝食が置かれていったが、その朝はなかった。


「もし、あたしたちが、ずっと帰って来なかったら、探索者ギルドに行って、お仕事を探しなさい」


 いつも探索に出かける前に、母親ラッキーは、ミキをぎゅっと抱きしめながら、そう口にしていた。だから、探索者ギルドに行かなくては。


「探索者ギルドに行きたいです」


 おかみさんは、ミキに、部屋にある自分たちの荷物を、全部まとめて、一つにするようにと指示を出した。


 部屋には、大きいリュックサックが一つあるだけで、すぐ持ち出しができるようにと、大体の物は、リュックサックに入れたままにしておき、使っても、すぐにしまっていた。


 文字のお勉強だからと、両親が帰ってくるまでの間、何回も何回も繰り返し読むように言われた絵本だけが、リュックサックの外に出ていた。


 母親ラッキーの自作の本だ。


 ミキは、絵本を、大切にリュックサックの奥にしまった。


 ミキは、おかみさんに連れられて、探索者ギルドに行った。


「そのへんに座ってな」


 ミキは、椅子の一つにリュックサックを置くと、隣の椅子に腰かけた。


 おかみさんは、探索者ギルドの人と少し話をすると、帰ってしまった。


 ミキは、ぽつんと椅子に座ったまま、テーブルの板の木の模様をずっと見つめていた。


 誰かが、「邪魔だ。縁起悪い」と、リュックサックをギルドの出入口のほうへ投げつけた。


 ミキは、急いでリュックサックに駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめて、壁際に座り込んだ。


 しばらくして、別の誰かが、ミキの手からリュックサックをもぎとった。


「ついてこい」


 その人は、探索者ギルドを出て行ってしまった。


 ミキは、その人を追いかけた。


 しばらく歩くと、街外れにある、蔦や花で覆い尽くされた、小さなお店にたどり着いた。


 お店には、足の悪い女の人がいた。


 女の人は、自分で動く変わった椅子に座っていた。


「あたしは、ヴェロニカ。この店の店長よ。あなたの両親、ラッキーとプラックは、うちのお客さん。二人がどうして帰って来ないか、あなたは、わかってる?」


「ダンジョンで遭難した」


「そういう時は、どうしろと言われてた?」


「探索者ギルドで、仕事を探せって」


「でも、ギルドじゃ、十歳にならないと仕事はもらえないんだ」


 ミキは、アテが外れて、悲しくなった。


 仕事をしないと、ご飯が食べられない。


「あなたには選択肢が二つあります。一つは、カルト寺院の孤児院に入ること。もう一つは、ここであたしの手伝いをすること。あたしは、足がこんなだから、荷物を取ったり、運んだりが大変なんだ。あなたが、あたしを手伝ってくれるならば、ここに住んでいい」


 店長ヴェロニカは、ミキに問いかけた。


「どうかしら?」


「このお店を手伝わせてください」


 ミキは、はっきりと宣言して、頭を下げた。


 こうして、ミキは、仕事を見つけた。


 その晩遅く、母親ラッキー父親プラックが、生きて帰って来た。


 旦那さんが、ダンジョンの地下深くから、連れて帰ってきてくれた。


 母親ラッキー父親プラックは、大きな鼠を食べて生きていたらしい。


 やっぱり、生きることは食べることなんだと、ミキは思った。


 父親プラックの言うとおりだ。


 ミキは、ボタニカル商店で働き始めた。


 けれども、お客さんたちは、みんな、そのお店をボッタクル商店と呼んでいた。


 母親ラッキー父親プラックも、そう呼んでいる。


 誰かにそう呼ばれるたびに、店長も旦那さんも、怒ったような顔で、何だか嬉しそうに『ボタニカル商店』だと教えていた。


 ミキにとって、その後の毎日は、あっという間だった。


 新しいことを、沢山、覚えた。


 一番最初に、店長から、ポーションの作り方を教えてもらった。


 ポーションがあれば、母親ラッキー父親プラックも、遭難しないで帰って来られる。


 けれども、火には気を付けるのよ、と、ミキは、店長から注意を受けた。


 ミキは、スー先生から、対象を凍らせる魔法を教えてもらった。


 ポーション作りで、もし店長がお店にいない時に、お店が火事になったら大変だ。


 火が点いた場所を、凍り付かせられれば、火は消えるだろう。


 ラン師匠からは、火の魔法を教えてもらった。


 火の魔法があれば、怖い魔物や悪い人たちをやっつけられる。


 いつか、母親ラッキー父親プラックと、地下に潜るんだ。


 その時は、ミキが、助けてあげる。


 もちろん、ミキは、文字の勉強も続けていた。


 いつかの絵本は、今でも、毎日読んでいる。


 いつも一人ぼっちの、貧乏なおうちの女の子が、本当は、お城のお姫さまでした、という御伽話。


 絵本の女の子の名前は、ミキティだった。


 ミキに似ているけれども、ミキとは違う。


 ミキは、もう、一人ぼっちじゃなかった。

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