第93話 商談

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「聖女ヴェロニカ様、聖女ラン・デルカ様、聖女スー・デルカ様」


 悲鳴のような声を上げて、秘書役は、思いきり床に膝をついた。


 ようやく、理解した大司教も、青い顔をして秘書役に倣った。


もとよ、元。そんなかしこまらないで」


 正確には、あたしは元聖女。ランとスーは、前聖女だ。現聖女が、リィリィ。


 あたしやランやスーは、現役聖女こそ引退したが、べつにカルト寺院から破門されたわけではない。


 あれっ?


 あたしの場合は、一度、前教皇に破門されたけど、ルマレクが撤回したんだっけ?


 赦免?


 恩赦?


 何でもいいや。


 いずれにしても、あたしたち三人は、自由気ままに生きてはいるけれども、まだカルト寺院内に席は残っているはずだ。


 あたしとしては、べつに残してくれなくても良かったのに、向こうが見逃してくれなかった。


 カルト寺院にとって、プラス方向に利用できる何かを、あたしがやらかした・・・・・時、すかさず、自分たちの手柄とするためだ。


 逆に、マイナス方向の何かの場合は、知らぬ存ぜぬを決め込むのだろう。


 ただし、あたしたちが今、この街にいる事実は知られていなかった。今回、ばらしちゃったけれど。


「で、どう?」


 あたしは、畏まってしまった大司教と秘書役を直らせてから、確認した。


 スラムの立ち退き費用の無料化と、壁外への炊き出しの実施を、カルト寺院は承知するか否か?


「先ほどのお話は本当でしょうか?」


 やたら、低姿勢になってしまった大司教から、反対に確認された。


「何だっけ?」


「や、その、ルマレク様に」


「ああ、口利き? 外への炊き出しを頑張ってくれればね」


「誠心誠意、やらせていただきます」


 あたしたちは、大司教たちと、今後の炊き出しの行い方について、急遽、打ち合わせを行った。


 まず、花街へのスラムの立ち退き料の支払いについては、完全になくなった。


 もともと、カルト寺院本部への付け届け費用を大司教が捻出したい、というのが一番の目的だ。


 スラムの立ち退きに伴って、カルト寺院の奉仕活動従事者の出荷が減少したところで、困るのはカルト寺院であって、大司教ではない。


 大司教本人としては、スラム自体に対する思い入れは、まったくなかった。


 存続しようが解体されようが、知ったことではない。


 そこは、花街に対しても同じだ。


 大切なのは、自分の異動先。


 むしろ、カルト寺院が行っている炊き出しよりレベルが高い炊き出しをギルドに行われて、カルト寺院のボランティア活動の悪評が広がることこそ、大司教の懸念だった。


 本部に聞こえると、カルト寺院の評判と質を貶めたと、大司教への査定が低くなる。


 本部への栄転の可能性がなくなってしまう。


 だから、ギルドが炊き出しさえ実施しなければ、そこそこ・・・・の金額の立ち退き料で手を打とうというのが、もともとの大司教の落としどころだ。


 その立ち退き料が、そこそこ・・・・からゼロになるわけだが、当初の立ち退き料の使い道が本部への付け届けであったのに対して、付け届け予定の相手なんかより確実な口利きルートが目の前に開けたのだから、問題は何もない。


 そういう大司教の判断だろう。


 スラムへの立ち退き料支払いがなくなったため、探索者ギルドも、カルト寺院への土地賃借費用の延滞金の請求を見送った。


 時効扱いだ。


 とはいえ、借地契約が行われている面積と、現実の寺院の範囲が異なったままでは将来に禍根を残すので、速やかに変更契約を締結し、実際の面積での契約に改める。


 そのため、カルト寺院から探索者ギルドへの支払い金額は、面積当たりの単価こそ値上げしないものの、単純に面積がおおよ百倍増ひゃくばいぞうするのに伴い、同じ割合で増となる。


 探索者ギルドとしては、ちょっとした臨時収入だった。


 アイアンが、ほくほくだ。炊き出し費用の原資ができたと喜んでいた。


 打ち合わせで詳細を詰めなければいけないのは、その炊き出しだ。


 まず、お互いの縄張りをはっきりさせた。


 探索者ギルドは、壁の内側に対して、『拙者の回復肉煮込み』による炊き出しを実施する。


 カルト寺院は、壁の外側にある難民集落に対して、炊き出しを実施する。


 縄張り分けは、当初予定どおり、そのように決まった。


 だが、寺院の炊き出しに悪い評判がつく恐れがある、と大司教は懸念した。


 具体的には、壁の内側の炊き出しと比べて壁の外側の炊き出しは不味まずい、という事態を避けたいらしい。


「じゃあ、外でも同じメニューを出せばいいじゃない」


 あたしは、提案した。


「ギルドから材料を仕入れてくれれば、作り方教えるよ。一食あたりいくらで、あなたたちにバックマージンも出しましょっか」


 そうなった。


 壁外の炊き出しの規模が大きくなればなるほど、大司教と秘書役の懐に入るバックマージンの金額は大きくなる。


 間違っても、予算がかかるので炊き出しの規模を縮小したいとは、言い出さないだろう。


 むしろ、難民の数が多くて大変だ、ぐらいの話を本部にあげて、予算の増額を狙ってくれるに違いない。


 小悪党万歳。


 ギルドの収入も増えて、万々歳だ。


「しかし、壁の内も外も同じメニューなのに、活動組織が、一方は探索者ギルドで、一方はカルト寺院というのは、不自然に感じる人もいるのでは?」


 秘書役だ。


「だったら、スラムの炊き出しも、カルト寺院がしていることにしたらいいじゃない。実際は、ギルドがやるけど、名前だけあたしらに貸してちょうだい」


「や、それでは、聖女様の実績を我々が奪ってしまいます」


 大司教、随分、殊勝になった。


「いいって、いいって。この街のカルト寺院は良く頑張っているな、と本部に評判が届くよう、ギルドも手を貸すよ。直接的な口利きだけより効果が期待できるでしょ。それより、壁の外の作業は、炊き出しだけじゃなくて仮設住宅づくりもあるけれど、そっちは大丈夫?」


「カルト寺院には、組み立て式の仮設住宅のノウハウがありますからな。必要数が莫大すぎる点は気になりますが」


「組み立てに人手が必要なら手配するからさ。せめて、材料費だけでも出してよ」


 そうなった。


 実際の作業は、スラムの住人と難民たちにお願いしよう。


 花街には、『おかあさん』みたいな、人の差配に長けた人間が多くいる。


 難民たちのとりまとめ役を期待できた。


 お金は出せないが、スラムの住人や難民たちには、炊き出しの見返りに苦役を求めよう。


 仮設でも住めるところが沢山できれば、難民たちだって、何がなんでも今すぐ街の中に入れろ、と暴れ出しはしないだろう。


 大体、そのような形に話が決まった。


「ところで、本当にルマレクに口利いちゃっていいの? 本部は意識改革が進んでいるからね。教皇案件ともなると、対象者には厳重な身辺調査が付き物よ。もし、少しでも後ろめたい何かがあるなら、地方にいたまま、小銭を懐に入れていたほうがお利口よ」


「なんと!」


 大司教は、腕を組んで悩むような素振りを見せた。


 平気で、バックマージンの話に乗ってくるぐらいだもの、そりゃ、後ろめたい何かしかないだろう。


「迷いがあるなら、口利きの話は保留にしときましょ。必要になったら、いつでも言って」


 そうなった。


 あたしは、心の中で、にやりとした。


 大体、そんな口利きできるわけないじゃない。


 いい商談の一日だった。

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