第92話 ネックレス

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「あなたが、花街の代理人さん?」


 あたしは、大司教の後ろに立つ秘書役に質問した。


 秘書役は、口ごもった。


「そうだ」


 大司教が代わりに応えた。


 花街の経営者は、この街のカルト寺院で間違いないようだ。


「アイアン、どう?」


 事情が分からず、呆然としていたアイアンは、秘書役の顔をじっくりと見て、おお、と驚いた。


「確かにそうだ。髭がないから気付かなかったぜ」


 あたしは、想像であたり・・・を付けたから可能性にたどり着いたけれど、アイアンは、実際に本人に会っているからこそ、逆に気付けなかった。


 そういう意味では、秘書役の変装は、役に立っていたのだろう。きっと、付け髭ね。


 トップ会談時は、声も薬で変えていたのではなかろうか。


「じゃ、関係者は揃ってるという理解でいいわね」


「ふん」と、つまらなそうに大司教。


 ここからが、本当のトップ会談だ。


「探索者ギルドとしては、スラムの住人に立ち退いてもらいたいんだけれど、花街から法外な立ち退き料を求められててさ、あなたたちが、残金を支払ってくれると助かるのよ。それか、花街の要求を無しにしてくんない。どっちでもいいわ。どうせ同じでしょ」


 要するに、スラムは、無料ただで立ち退けという話だ。


 大司教は、何も答えない。


 あたしは、話を続けた。


 答えようが答えまいが、立ち退き料について、答えは分かり切っている。


 大司教は、大幅に譲歩せざるを得ない。


 肝心なのは、スラムの住人に対して仕事と炊き出しを、確実に探索者ギルドが提供すること。


『おかあさん』とティファニーちゃんとの約束だ。


 仕事については、冒険者になる道筋を用意しているが、他にもいくつか考えている内容はある。


 炊き出しのための魔物狩りや、炊き出しそのものの運営は勿論だが、スラムの跡地に大量の宿泊施設を建設する仕事も発生するだろう。人手は必要だ。


 けれども、根本的な問題はそこではない。


 仮に、スラムが全部なくなり、カルト寺院すらなくなって、すべての土地に、人が住める施設を大量に整備したところで、壁の内側の土地には限りがある。


 にもかかわらず、現時点で、絶対に壁の内側には納まりきれない数の難民が、壁の外側には溜まっていた。


 その人数は、毎日、増えている。


 壁の内側を整備するのではなく、壁の外側にこそ、本来、街をつくるレベルの整備が必要だ。


 問題は、壁の外側は、他所の領地。探索者ギルドとしては、手が出せない。


 なにせ、もともとが、詰んでる案件だ。


 簡単に、解決はできなかった。


「問題は、街の外なのよ」


 あたしは、言った。


「街の内側の炊き出しはギルドがやるからさ、あなたたち、街の外相手に炊き出しとか、仮設住宅づくりとかやってくんない? カルト寺院の救済活動だったら、天下御免でしょ。なんなら、この街のカルト寺院が頑張ってるって、ルマレクに口利くよ」


 大司教は、心底、憎々しいといった目つきで、あたしを睨んだ。


 こんな美人に対して、失礼な奴である。


 まるで、あたしがいじめているみたいじゃないの。


 とても建設的な提案をしているのに。


「おまえは、何者だ?」


 大司教は、不機嫌さを隠そうともせずに、あたしに訊いた。


 あたしは、まったく話題を変えた。


「最近の大聖堂のホールは黄色いのね。あたしが知っているイメージは、赤だったけれど」


 あたしは、壁の絵画を目で示した。


 教皇と聖女と大司教が、親しげに絵の中で笑っている。


 絵画に描かれている、垂れ幕であるとか飾られている花であるとか、細々とした装飾品の類が、みんな黄色系統だ。聖女が身に着けているドレスやネックレスも、同じく黄色。


 部屋にいる全員が、絵画に顔を向けた。


「あんたたちの頃は?」


 あたしは、ランとスーに訊いた。


「オレたちの頃は、赤と青だな」


「黄色は、リィリィさんの色だと思います」


 聖女リィリィ。ランとスーの後任だ。


 絵画に描かれている聖女である。


「ちびのルマレクの身長も、随分、盛ったわね。実物は、あなたより低かったでしょ?」


 あたしは、大司教に問いかけた。


 絵の中の教皇は、大司教より背が高い若者だ。


 実物は、大司教よりも小さかった。


 かつての、あたしの弟分である。


 大司教は、質問の意味が分からなかったみたいだ。


 いや。正確には、意味は分かっただろうけれども、ぴんとこなかったみたいだ、と言うのが適切か。


「あ、絵か。あなた、本物のルマレクには会ってないのね?」


 大司教は、ますます不機嫌な顔つきだ。


 見抜かれたくはなかった事実なのだろう。


「だから、何なのだ、おまえは?」


「あなたも、わざわざ、絵と同じ服装をしているじゃない。わかんない?」


 大司教が、今着ている服装は、絵画の中の自分とそっくりだった。


 いかに自分が教皇や聖女と親しい存在か、何も知らない人間に誤解させる手口である。


 あたしは、首から下げているネックレスを、わざとらしく、じゃらりとさせた。


 大粒な宝石がいくつも、実るブドウの房のように、垂れている。


 色は赤。


 ランとスーの首元にも、同じようなネックレスがぶら下がっていた。


 ランが薄い赤で、スーが薄い青。


 二人とも、あたしと同じように、ネックレスを、じゃらりとさせた。


 カルト寺院の聖女の証だ。


 絵画の中の聖女も、似たようなネックレスを下げていた。色は、黄色だ。


 ネックレスには、ただの装飾品というだけではなく、実用的な効果もある。


 大聖堂は勿論、どこのカルト寺院も、敷地内では、魔法の使用が禁止されていた。


 ルールとしてだけではなく、高度に魔法的な結界で、物理的に使用できなくされていた。


 大きな理由としては、カルト寺院が魔法による被害を受けないため。


 小さな理由としては、体力を回復した患者やその関係者が、自分たちで魔法を使用して治療してしまわないため。


 それをされると、治療費のお布施を取りはぐれる。


 実際は、せこいことに後者の理由がメインである。


 ただし、カルト寺院の司教や神官らは、患者に対して治療の魔法を使う必要があった。


 自分たちだけは結界の内側であっても魔法が使えるように、抜け道が用意されている。


 ある特定のアイテムの所有者は、結界の影響を受けないという措置である。


 具体的には、聖女にとってのネックレス、司教や神官にとっての指輪が、特定のアイテムだ。


 だから、今のあたしは、カルト寺院の敷地の中にいるけれども、魔法が使えた。


 ランやスーが心配しているとおり、焼く気になれば、内側から、ここを焼けるのだ。


 焼かないけど。


 大司教は、あたしのヒントにも、まだ、ぴんときていない。


 鈍い親父だ。


「アイアンが、正装で来いなんて言うからさ。久しぶりで首が重いわ」


 あたしは、これ見よがしに、首をこきこきとさせた。


「ひっ!」


 秘書役が先に気がついた。


「聖女ヴェロニカ様、聖女ラン・デルカ様、聖女スー・デルカ様」

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