第91話 ルマレクの目安箱

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 この街の壁の内側にある土地は、すべて探索者ギルドが所有している。


 花街とスラムのような特殊な例外を除いて、あらゆる経営者は、探索者ギルドから土地を借りて商売をしていた。


 いや、現在でこそ、花街とスラムは不法占拠された形になっているが、本来は契約書の取り交わしが行われていた土地なので、賃貸契約の対象とならない、例外的な土地は存在しない。


 相手が、カルト寺院であったとしても、そこは同じだ。


 探索者ギルドとカルト寺院の間で、寺院用地の土地貸借の契約が取り交わされていた。


 とはいえ、カルト寺院が行う治療行為は、探索者にとって必要不可欠なものである。


 法外なお布施を要求し、払えなかった探索者からは、本人を奴隷市場へ売り払ってでも回収するという、守銭奴な側面はさておき、基本的には探索者の手助けとなっている。


 あらゆる状態異常の苦難から探索者を開放し、欠損部位を治し、体力も回復してくれる。


 できないこと以外にできないことはない、神の奇跡の代弁機関だ。


 あたしの足の場合は、たまたま、できないことの範疇だっただけである。


 同様の施設を探索者ギルドが自前で整備するよりも、探索者ギルドとしては、カルト寺院に受け持ってもらったほうがありがたい。


 探索者ギルドにできるのは、『最後の晩餐場』の整備が、せいぜいだ。


 したがって、賃貸契約の面積当たりの単価は、大変、お安く設定されている。


 当初契約時の単価のまま、更新が続けられているだけであった。


 まあ、そこに異論はない。


 双方合意の上で契約更新を続けてきたのだから。


 探索者ギルドに、単価の値上げをするつもりはなかった。


 問題は、面積だ。


 もともと、カルト寺院は、現在の敷地の片隅にある中庭の、さらに片隅にある小さな建物で、この街での活動をスタートした。


 カルト寺院本部から派遣されて来た神官が、最初に探索者ギルドに借りた建物の内部を改装して、簡易な礼拝堂兼治療施設としたものだ。


 現在では礼拝や治療目的では使われず、この街でのカルト寺院の活動の記録を残す、歴史的建造物として保存されていた。通称、記念館。


 カルト寺院の実際の活動そのものは、活動が活発になるにつれ、手狭になった最初の建物の機能を補うように、建物周辺に治療室だの待合室だの病室だの、もっと大きな礼拝堂だの、カルト寺院の寺院そのものだのを拡張して行うようになり、今に至っている。


 無許可で。


 カルト寺院周辺を借りていた借主たちが、手狭になった寺院の様子を見かねて、寺院のためならばと、自分が借りている施設の一角や全部を使わせるようになり、やがて、もう自分は使っていないのだからと、本来の借主と探索者ギルドの契約更新は行われないまま、なし崩し的に、カルト寺院が使い続けるようになっていた。


 ある意味、花街と同じ状況だ。


 だから、本来、カルト寺院が借りている土地は、中庭にあるもともとの記念館だけで、現在、あたしたちがいるこの応接室も建物も、本当は無断使用だ。


 カルト寺院に行くのに先立ち、探索者ギルドとカルト寺院のオフィシャルな関係を頭に入れておこうと、賃貸借の契約書をひっくり返していて、あらためて気付いた事実だった。


 寺院は、お布施だ、寄付だと、誰かから無料で何かを提供される行為に慣れているため、今まで頓着してこなかったのだろう。


 ギルドもギルドで、相手がカルト寺院とあって、黙っていた部分もあるのかも知れない。


 話のとっかかり・・・・・として持ち出すには、悪くないだろう。


 あたしは、書類鞄から一枚の書類を取り出すと、アイアンに手渡した。


 なにせ、今日のあたしは、アイアンの秘書だからさ。


 アイアンは、書類にちらりと目をやると向きを変え、相手に見やすいようにして、テーブル上で大司教に差し出した。


「こちらが請求書です」


 探索者ギルドの、正式フォーマットに基づく請求書だ。


 請求者であるギルドマスターのサインと今日の日付は記入済みだ。


 大司教は、請求書には見向きもせず、後ろに立つ秘書役に確認した。


「払っていないのか?」


「もちろん、お支払いしておりますが」


 秘書役も、訳が分からないといった表情だ。


「何かのお間違いでは?」


 秘書役が、アイアンに確認する。


「お支払いいただいているのは記念館の分だけですな。追加で実際に使用されている面積との差額をいただけておりません」


 面積比で言えば、元の記念館の面積を一とすると、ざっと百倍はあるだろう。


 それが、何十年分?


 本当はいくらになるのだろうか?


「延滞金ほか諸々の経費をかけさせていただいたところから、思い切って勉強させていただき、しめてこちらの金額に」


 アイアンは、トンと、請求書の頭書きの金額の欄を指で叩いた。


 先日、花街とのトップ会談でアイアンが花街から提示された、立ち退き料と、きっかり同じだけの金額が記載されている。


 大司教と秘書役の顔が引きつった。


 とはいえ、実際の金額を本当に計算したならば、もっと桁が大きくなるはずだ。


 金額の多さに対する引きつりではなく、見覚えがある金額であることに対する引きつりだろう。


 あたしたちが、ただ就任の挨拶に来たわけではなく、花街の裏にいる本当の相手から喧嘩を買い・・に来た、のだと理解していただけたに違いない。売ったのは、そっちだ。


「何の言いがかりがわからんが、お話になりませんな。カルト寺院として正式に抗議させていただこう。就任したばかりで、すぐ後任を決めることになるとは大変ですな。失礼する」


 大司教は、怒りで赤い顔をして立ちあがった。


「お帰りいただけ」と、秘書役に指示を出す。


「では、当方は、『ルマレクの目安箱』に調停を求めます」


 あたしは、扉へ向かって、ずかずかと歩いていく大司教の背中に声をかけた。


 大聖堂のあるカルト寺院本部では、以前、大規模な汚職事件があり、当時の教皇の辞任にまで発展した。


 新教皇である現教皇ルマレクが、寺院の自浄努力に期待する、として設置した内部調査機関が、カルト寺院意識改革推進室。通称、『ルマレクの目安箱』だ。


 新教皇の庇護の下、『ルマレクの目安箱』は、寺院関係者の人身刷新と意識改革を着実に進めていた。


『ルマレクの目安箱』では、見聞きした汚職や腐敗の内部告発も受け付けている。


 汚職当事者が何よりも恐れる、教皇直轄の内部組織だ。


 カルト寺院内部向けの調査機関であるため、世間一般の人間は、その存在を知ることは、まずない。


「なぜ、その名を!」


 大司教は、立ち止まって、驚いたような顔で振り返った。


 秘書役も、唖然とした顔をしている。


「まぁ、いいじゃない」


 あたしは、気さくさを心掛けた。


「そういう人たちの相手は、あたしも面倒だからさ。そうならないよう、お互い、もう少し話をしない?」


 大司教は、しぶしぶといった足取りで戻ってくると、どすんと席についた。


 多分、この部屋で、アイアンだけが何の話かわかっていなかった。

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